A.I.

A.I. ARTIFICIAL INTELLIGENCE
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント  ジュード・ロウ  フランシス・オコナー  ウィリアム・ハート   テディ・ベアのぬいぐるみ型ロボット  ロビン・ウィリアムズ(声)
撮影 ヤヌス・カミンスキー
2001年 アメリカ作品  146分
毎日映画コンクール…外国映画ファン賞受賞
評価☆☆  
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海面上昇によりニューヨークなどの都市が水没している未来。人口制限も実施され、こどもを持つことができるのは選ばれた夫婦のみ、という時代。
こどもを持てない夫婦のために、こども型ロボット、それも愛情を感じることのできるロボットを提供したい。ある科学者の夢が実現に向かう。

試作品ロボットを託されたのは、そのロボットを開発した会社の社員。
ところがである。この社員と妻の間には、こどもがいるのだ。難病で意識が戻らず、病院で眠りつづけている。
この映画は、そういう夫婦に、こどもロボットを託すところからして、間違っている。
血のつながった本当の子が、もし目覚めたらどういう事態になっていくか。高度なロボットを作る頭脳を持った会社にしては、あまりに考えが「あさはか」ではないか。
そして映画は予定どおりの展開になっていく。

「奇跡」(の一言で片付けられる)が起きて目覚めた実の子は、自分の留守中に我が家に入り込んでいたこどもロボを、こどもらしい嫉妬心でいじめる。親は悩み、結局こどもロボを捨てる。
こどもがいない夫婦のために作られたロボットが、実の子に勝てないのは当たり前である。

だから、この映画は、こどもを持たない夫婦にとって、愛を持ったこどもロボットの存在価値は何か、という問題には答えられない。

このあと、こどもロボは、自分も人間になって愛されたいと、ママが読んでくれたピノキオの話に出てくる、ピノキオを人間に変えたブルーフェアリーを探して旅をする。

私にとっては、ラストの何分間かが、この映画のすべてかもしれない。
それは、「男の子」が母親に対して抱く普遍的な愛情だ。ロボットだからどうだ、という問題ではない。ここでも、物語はとんでもない設定を設けて、観客を泣かせに入るのだが、静かに流れる愛と悲しみと平穏の時間の描写は、素直な私?としては、心にしみいらざるをえないのだ。

この映画からハーレイ君を取ったら何も残らないほど、彼は出ずっぱりの大主役、熱演だったと思う。
ジュード・ロウ君は、おまけみたいなもの。女性を楽しませるセックス・ロボットという役(そういうシーンはほとんどないが)を見逃したくないなら観てもいいという程度。ついでに言うと、予告に登場する、顔の表面だけの女性ロボットにいたっては、ちょい役にすぎないのであった。

お楽しみとしては、ロビン・ウィリアムズが、ノウ博士の声で出演している。

原案はスタンリー・キューブリックが1980年代から持っていたものだという。当時映画化するのは技術的に不可能だったというが、もしも、キューブリックが生前に監督したら、いったいどんなものになったのだろうか。それを観たかった。

               〔2001年6月23日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕

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