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SA−2ガイドライン地対空ミサイル

SA-2 Guideline SAM

 

名称 SA−2ガイドライン(NATO名)

V−75ドヴィナ(ロシア名)

SA−N−2(海軍バージョン)

部隊配備開始年 1957年
直径 第1段 0.5m

第2段 0.66m

誘導方式 無線指令
制御方式 可動尾翼
推進方式 第1段固体

第2段液体

最大射高 28000m
効力半径 13.5m
CEP 76.3m
最大発射速度 10分〜12分/1発
使用国 ・アフガニスタン(115基)

・アルバニア(22基)

・アルジェリア

・アンゴラ(40基)

・アゼルバイジャン

・ベラルーシ

・ブルガリア

・中国(HQ−2)

・キューバ

・チェコ

・エジプト(282基)

・エチオピア(20基)

・グルジア

・ハンガリー

・インド(280基)

・イラン(HQ−2 45基)

・イラク

・カザフスタン

・北朝鮮(300基以上)

・リビア(18基)

・モンゴル

・パキスタン(CSA−1 6基)

・ペルー(18基)

・ポーランド

・ルーマニア(120基)

・ロシア(50基)

・スロバキア

・ソマリア

・スーダン(18基)

・シリア

・ウクライナ

・ベトナム

・イエメン

・ユーゴスラビア(24基)

 
  SA−2A SA−2B SA−2C SA−2D SA−2E SA−2F
出現年次 1957年 1958年 1960年 1962年 1967年 1968年
全長 10.6m 10.8m 10.8m 10.8m 11.2m 10.8m
発射重量 2287kg 2287kg 2287kg 2450kg 2450kg 2287kg
弾頭 195kgHE 195kgHE 195kgHE 195kgHE 295kgHE

or

25kT核

195kgHE
最大速度 マッハ3 マッハ3 マッハ3 マッハ3.5 マッハ3.5 マッハ3.5
最大射程 30km 20km 39km 43km 43km 30km
 

★特別付録 ベトナム戦争発射総数★

  発射総数 撃破数 撃破率
1965年 194発 11機 5.7%
1966年 1096発 31機 2.8%
1967年 3202発 56機 1.75%
1968年

(1月〜3月)

322発 3機 0.9%
1972年 4244発 49機 1.15%
↑1972年の数値にはSA−3ゴアも含まれる

 

<特徴>

1、米軍の高高度偵察機U−2を撃墜

1960年5月1日、ソビエト上空でゲーリー・パワーズの操縦する極秘作戦中

のU−2高高度偵察機が撃墜されるという歴史的大事件でSA−2の名前は

世界にとどろいた。この日、情報を察知したソ連軍はU−2の飛行コースに

多数の迎撃機を待機させ、各種防空ミサイルを展開しており、パワーズの

操縦するU−2はまさに罠にかかったと言えるだろう。結局、SA−2を装備

するスベルドロフスク連隊が14発のミサイルを発射し、U−2を撃墜、パイ

ロットは脱出に成功したが逮捕されている。しかし、この際同時に迎撃に

向かったソビエト軍のMiG−19戦闘機も撃墜されるという憂き目にもあった。

 

2、最も多くの実戦を経験した地対空ミサイル

SA−2は最も多くの実戦を経験し、なおかつ歴史上最も多く発射された地

対空ミサイルである。初戦果は上述のゲーリー・パワーズの操縦するU−2

偵察機であるが、その他にも1962年9月には中国人民解放軍防空部隊が

ナルチン上空で同じくU−2偵察機を撃墜、さらに同年に発生したキューバ

危機の際にもキューバのバネス海軍基地上空を偵察中の米空軍のU−2

偵察機が撃墜されている。SA−2が初めて戦争に投入されたのは1965年

の第二次印パ戦争が最初で、この時はインド軍が多数のSA−2を発射、パ

キスタン空軍機1機を撃破し、SA−2の脅威下で行動するパキスタン機の航

空攻撃精度を低下させることに成功した。しかし、なんといってもこのミサイルが

最も激しく戦ったのはベトナム戦争の時である。記録によれば北ベトナム防空網

にガイドラインが導入されたのは1965年半ばのことで、同年7月24日には米

空軍のF−4Cファントムが最初の犠牲になった。SA−2はその後ベトナム戦争

終結までに4000発以上が発射され、多数の米軍機を撃破しているが、当初は

爆撃機の迎撃を主目的に開発されたため、戦闘機などの小型目標に対する効果

は薄かった。また、戦争途中からは米軍が大規模なECM(電子妨害作戦)を展開

したため撃破率は年をおうごとに下がっていった。しかし、米軍は戦力の一部を

SAM制圧にさかざるえなかったため、高射砲やミグ戦闘機に対する処置が手薄に

なったのも事実で、実際にミサイルの直撃を受けなくとも回避行動中に高射砲や

対空機関砲の餌食になった米軍戦闘機が数多く存在していることを忘れてはなら

ない。これらの撃墜された米軍機を含め、本来ならば対地攻撃にまわされたであ

ろう攻撃機や、ミサイルが発射されたため兵装を投棄し攻撃を中止した戦闘機

なども総合的に見ればSA−2の戦果に含まれるのだ。また、ベトナム戦争中に

1回だけ当初の撃破目標とされた大型爆撃機に遭遇したことがある。1972年

、ハノイに対するラインベーカー第2次空襲に参加したB−52部隊がそれである

が、アメリカ軍の強烈な電子妨害と制圧攻撃で多くのSA−2が無力化されてし

まった。それでも15機のB−52を撃墜する戦果を挙げており、大型の爆撃機

にとっては非常に恐ろしい兵器であることを物語っている。

ベトナム戦争以降では1980年代にアンゴラ軍が南アフリカ空軍に対して使用した。

また、1994年の報告によれば、旧ユーゴスラビアで少数のSA−2が地対地ミサ

イルとして使用されたという。

 

<開発&設計>

SA−2は、1960年5月1日、ソ連領空に進入した米軍のU−2偵察機を撃墜して

以来、地対空ミサイルが超高高度航空機に対しても有効であることを実証し、航空

戦術の発達に重大な影響を及ぼした。

このロシア名V−75ドヴィナ防空ミサイルシステムの開発は、1953年ラボチキン

設計局で始まった。開発の目的は、爆撃機のような激しい機動を行わない航空機

を迎撃するための中高高度SAMシステムの実現だが、全国規模で展開するに

あたって従来のSA−1ギルド(ロシア名:R−113)より高度のシステムを設計したい

という念願が背景にあった。情報によれば、ロシア軍はこのシステムの名称として

M−2、S−75、V−750、ボルホフなどを初めとして、ほかにもいくつかの案が

あったようだ。ロシア(旧ソ連)陸軍への部隊配備は1957年に開始され、この年、

国土防空軍(PVO-Strany)もSA−2ミサイル連隊を発足させ、最初の連隊をスベ

ルドロフスク市の近郊に配備した。ちなみに、このミサイルが初めて公開されたの

は、1957年のモスクワの赤の広場で行われたパレードの時である。

SA−2ミサイルは、固形燃料推進式の大型切り離し可能タンデムブースターに大

面積の安定用翼端切断デルタ形フィン4枚を取り付けた2段式ミサイルである。ミサ

イルの中央部に翼端切断デルタ翼4枚があり、2組の小さな固定フィンが先端部と

中央部デルタ翼の後ろとに補助翼として、またやや大きな可動制御フィンが尾部に

取りつけてある。SA−2A/B/C型は、前部フィンの前後に弾体と一体化した4

面2組の誘電型ストリップアンテナが設けてあり、これらがこの型の特徴となって

いる。

SA−2中隊は、スプーンレスト早期警戒レーダー(北ベトナム軍は、旧式のナイフ

レスト・レーダーを使用)と連隊級装備のサイドネット・レーダーと連携をとって行動

する。これらの早期警戒レーダーが目標を捕捉して敵味方の識別をすると、無線

または有線でSA−2中隊のファンソング・レーダーに情報が伝達される。レーダー

は、目標を捕捉・追跡して必要な諸元を大隊の射撃統制用コンピュータに送る。

戦闘用レーダー、ファンソング(NATOコードネーム)の名前はシステムから放射

されるレーダー・ビーム2本が扇(ファン)状であり、またELINT(電子情報)傍受

員にはレーダーのビーム音が鳥のさえずり(ソング)のように聞こえることに由来

する。レーダーの基本構成要素は1対の直交型「トローフ」アンテナ(水平と垂直

)であり、垂直アンテナは左右方向にスキャンするファン型のビームを放射し、水

平アンテナは上下方向にスキャンする。ともに、ビームは幅2度、円弧角10度で

ある(ただし、ファンソングC/Eの場合は1.5度と7.5度)。

ファンソング・レーダーは、最大で6目標を追跡でき、1目標に対してミサイルを

発射することができ、同時に探索と追跡(目標を捕捉するためレーダー走査しな

がら、一部の目標を追跡し、その距離、速度、未来修正量を射統コンピュータに

送る)することが可能である。射統コンピュータが必要な諸元を算定すると、SA

−2は発射され、固体燃料のブースターが4.5秒間燃焼し加速される。ミサイル

が中隊陣地の外へ飛び出した段階で、ブースターが切り離され、液体燃料の第

2段ロケットモーターによる噴進が始まる。余談だがイラクなどで米軍の誤爆した

とされる住宅地の残骸などは、実は切り離された地対空ミサイルのブースターが

落下した跡である場合が少なくない。ミサイル発射後は、ファンソング・レーダー

から目標の移動諸元がコンピュータに入力される。ちなみに、レーダーは飛翔中

のミサイルも同時に追跡する。コンピュータはミサイルが目標に命中するように

必要な指令を出し、この指令はUHFの無線ビームにのせてミサイルの翼の前後

にある4本のアンテナに送られる。こうして、ミサイルの誘導装置が翼を動かして

飛翔コースを修正し、目標に誘導されていく。SA−2は、発射後6秒以内に、観

目線上に発射された細いUHFビームの上に乗らなければ、目標に命中しない。

目標の近くまで誘導されると、起爆装置が作動し、接触信管、近接信管あるいは

指令信号によって、ミサイルが爆発する。SA−2の半数必中界(CEP、発射した

ミサイルの50%が到達しうる円の半径)は、少なくとも76.3mであると言われてい

る。一方、弾頭の効力半径はこれより小さい。このため、SA−2は等速運動する

目標に対しても命中率が低いという欠点を持っている。また、北ベトナム軍は、19

72年、B−52に対するSA−2の弾頭威力を過大評価しすぎたせいで、多くの爆

撃機に被害を与えたものの、一部しか撃墜することが出来なかった。さらなるSA

−2の弱点として、高高度迎撃能力を優先するあまり低高度の性能と戦術航空機

と交戦するのに必要な機動性を犠牲にされたため、高度3000m以下では効果が

薄いのと、ミサイルが誘導できない2種類の死角があることである。後者は発射機

の直上にあたる円錐形の空域と、レーダーの覆域外になる有効覆域の下側の空

域で、この空域の目標に対してはミサイルを発射することが出来ない。

SA−2は1960年代から1970年代にかけて旧ソ連軍防空ミサイル部隊の主軸

を形成し、約5000発のミサイルを導入していた。6番目の最終型SA−2Fは19

70年に運用が開始され、現在もなお使用されている。中国のHQ−2、エジプトの

「モーニング・バード」、北朝鮮などに例が見られるように数カ国でライセンス契約

を結び、あるいは直接コピー方式で生産された。また、SA−2が地対地ミサイル

として使用されたという記録がいくつかあり、実際に中国ではプロジェクト8610

でHQ−2(SA−2の中国バージョン)を基に射程150km級の地対地ミサイル

(NATOコードネーム CSS−8)が開発されており、イランやイラク、北朝鮮など

でも実験用のモデルが作られたようだ。ただし、ロシア軍でSA−2が地対地ミサ

イルとして使用された記録は無い。

1992年現在、ロシアにおける現役SA−2ミサイル数は2400発と報告されてい

るが、そのほとんどがSA−10グランブルミサイルに置き換えられ、1995年には

ランチャーが150基しか残っていないという情報もある。恐らく今世紀中には全て

のミサイルがSA−10に置き換えられるものと思われる。ただし、ロシア以外の

旧共産圏や中国、アフリカ、その他発展途上国などでは現在も多くのミサイルが

現役で、21世紀に入ってもこれらの国の重要な防空システムの一部として使用

されていくことだろう。

 

<各種タイプ ミサイル>

○SA−2A V75

  1957年に登場したSA−2の基本型

○SA−2B Mk1 V75SM 

    SA−2Aよりわずかに全長が長く、射程が若干短い。1958年に登場

○SA−2C Mk2 V75M

  全長、直径、重量、弾頭などはSA−2Bと同じであるが、射程が39kmに

  延長され、迎撃最低高度が300mに下げられている。1960年に登場

○SA−2D Mk3

  SA−2A/B/Cと異なり、全面突出カバーの下部に大きな誘電型アップ

  リンク誘導受信ストリップアンテナが4面があるタイプで、気圧測定用のノー

  ズブローブも長めで、持続飛行用のモーターのケーシングにもいくつかの

  違いがある。射程は43kmに延長されており、重量が増加している

○SA−2E Mk4

  弾頭部がずんぐりしており、前部フィンが無いのが特徴である。このタイプは

  弾頭重量が295kgに増加しており、25kTの核弾頭を使用できる。また、誘

  導システムが改善され、ECCM特性が向上し、新型レーダー「ファンソングE」

  にも対応している

○SA−2F Mk5

  SA−2シリーズの最終型で、1968年末にプロトタイプによる発射実験が行

  われ、1970年には最初の量産型を装備した砲兵大隊が編成された。誘導部

  が改善され、探知妨害(HOJ)が可能になっている。また、電子妨害の激しい

  場合には目視誘導もできる

○SA−N−2 M2

  SA−2の海軍バージョン。1962年秋にスヴェルドロフスク級巡洋艦ドゼル

  ジンスキー艦上で発射実験が行われたが、システムが大型過ぎたたため、

  実用化には至らなかった

○HQ−2

  中国のライセンス生産バージョン

 

<各種タイプ レーダーシステム>

・戦闘用レーダー

○ファンソングA(Eバンド、最大出力600kW、有効探知範囲60km)

  最も初期の誘導レーダー、SA−2Aとともに使用されたが1958年には後継の

  ファンソングBにその席を譲った

○ファンソングB(Eバンド、最大出力600kW、有効探知範囲60km)

  SA−2Bとともに使用されたレーダーで、縦型直交アンテナ上部に取りつけられ

  ていたパラボナアンテナが無くなっている

○ファンソングC(Gバンド、最大出力1500kW、有効探知範囲75km)

  SA−2Cとともに使用された誘導レーダー

○ファンソングD(Gバンド)

  1960年代に入って開発されたGバンドレーダー、ただし実用化されていない

○ファンソングE(Gバンド、最大出力1500kW、有効探知範囲75km)

  1961年に登場したGバンドレーダー、SA−2Dとともに使用された

○ファンソングF(Eバンド、最大出力600kW、有効探知範囲60km)

  SA−2Fとともに使用された最終型

 

・早期警戒レーダー

○P−12スプーンレストA(Aバンド、最大出力350kW、有効探知範囲275km)

○P−15フラットフェース(Cバンド、最大出力400kW、有効探知範囲250km)

 

・高度探知用レーダー

○PRV−11サイドネット(Eバンド、有効探知範囲180km)

 

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↑ファンソング戦闘用レーダー

 

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