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スホーイSu−9/11フィッシュポット迎撃機

Sukkoi Su-9/11 Fishpot Intercepter

 

初飛行年 1956年
全長 17.4m
全幅 8.43m
翼面積 26.2平方メートル
空虚重量 9100kg
最大離陸重量 14000kg
エンジン リューリカAL−7F−1ターボジェット×1

(アフターバーナー時推力 98kN)

最高速度 1915km/h
上昇限度 17000m
戦闘行動半径 460km
武装 AA−3アナブ空対空ミサイル×2基
使用国 1980年代初頭に全て退役

注:データはスホーイSu−11

 

<設計&開発>

後退翼付きのS−1の研究と並行して、スホーイ設計局は基本的に類似した胴体

を持つデルタ翼のファミリーを生産した。これらで最初のものは、1956年初め

に初飛行したT−3と呼ばれる前部空気取り入れ口のレドームが特徴的な機体で

あった。このT−3に続き様々な試作機が開発され、この一連の作業によってT

−40と呼ばれる全天候単座戦闘機が完成した。後にSu−9(NATO名 フィッ

シュポット−B)として軍に正式採用となったこの機体は3点式着陸装置を有し、

低/中翼構成でミグ21に似たデルタ翼、エンジンはアフターバーナー付きの

リューリカAL−7F(アフターバーナー時推力 88.2kN)を搭載していた。

武装は極初期の空対空ミサイルであるAA−1アルカリAAMを翼下のパイロン

に最大4発を携行することが出来た。AA−1アルカリ(K−5)空対空ミサイルは

OKB−2設計局で開発され、1956年から量産が開始されて1958年に部隊へ

の配備が始まった。発射重量83kg、最大射程5km、誘導方式はレーダービー

ムライダである。また、当時のミサイル万能主義の風潮や対爆撃機用であるこ

とから固定機関砲などは装備されておらず、格闘戦は出来ない。Su−9はSu

−11に取って代わられるまでに2000機もの数が生産されたものと思われる。

Su−9はワルシャワ条約機構の主力迎撃機として1950〜60年代に活躍し

たが、1970年代には多くが無線操縦の標的機に改造されている。また、今

までSAMによって撃墜されたと思われていた米軍のU−2高高度戦略偵察機

はSu−9によって撃墜されたという興味深い説もある。

1961年のツシノ航空ショーの時に初めて確認されたのがT−43と呼ばれる

発展型で、後のSu−11(フィッシュポット−C)のプロトタイプである。Su−11

はSu−9とよく似た構造であるが、新型レーダーOriol(NATO名 SkipSpin)

が搭載されており、搭載兵装もAA−3アナブ空対空ミサイル2発に変更されて

いる。また、新型レーダー収容のため機首部分がふくらんでいて、全長も長く

なった。生産はノヴォシビルスク第153工場で行われ、第1バッチの40機は

1962年6月から生産ラインにのり、8月から本格的な試験が開始された。し

かし、1962年10月21日、テストパイロットのV.M.Andreevが事故で死亡する

惨事が起こった。この事故以来防空軍の関心はSu−11からヤコブレフYak−

28P迎撃機の方に移ってしまい、結局後者の方が大量生産されることとなる。

一方、Su−11の方は今までに生産した機体パーツを使って限定的な生産が

行われることになり、さらに墜落事故の欠陥改善も同時に行われた。最終的に

Su−11は1964年までに108機が生産された。1964年夏には部隊への配

備が始まり、モスクワ周辺の防空任務に就いた。Su−11の飛行性能はあまり

良いとは言えなかったが、強力なレーダーとAA−3空対空ミサイルの組み合わ

せによって、有力な戦力となり、新鋭のMiG−25やMiG−23が配備される

1970年代まで第一線で活躍した。ただし、スホーイ設計局は早々にSu−11

を「失敗作」と認め、空気取り入れ口を側面に移したT−49やT−5、T−58

などが開発されて後にSu−15に発展し大成功を収めることとなる。

 

<各種タイプ>

○Su−9フィッシュポットB: 量産型、AA−1アルカリAAM4発を装備

○Su−11フィッシュポットC: 発展型で新型レーダーと新型ミサイルを装備

                   したが、少数生産に終わる

○Su−9U Maiden: 複座練習機

 

Su-9-1.jpg (17269 バイト)

 

Su-9-2.jpg (18251 バイト)

↑Su−11フィッシュポットC

 

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