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黒海艦隊

BLACK SEA FLEET

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戦力の推移

  1985年 1991年 1998年 2003年
戦略潜水艦
戦術潜水艦 24 26
主要水上戦闘艦 80 46
固定翼作戦機   151 17 35
爆撃機   126

 

配備

通常動力攻撃潜水艦SSK×9隻(69%)

主要水上戦闘艦×7隻(22%)

 ・ 巡洋艦×3隻(43%)

 ・ 駆逐艦×2隻(14%)

 ・ フリゲート×2隻(20%)

哨戒艇・ミサイル艇等の小型戦闘艇×15隻(17%)

機雷戦艦艇×14隻(23%) 揚陸艦×5隻(23%) 支援艦艇×90隻(21%)

海軍航空隊

 ・ 固定翼作戦機×35機

 ・ ヘリコプター×13機

 

基地

主要基地:セヴァストポリ、テムリュク、ノヴォロシースク

 黒海艦隊の司令部はセヴァストポリに置かれている。ここは黒海で行動する海軍艦艇の主要基地である。

 その他の主要基地としてはアゾフ海南岸のテムリュクと、ケルチ海峡の東に位置する都市ノヴォロシースクがある。ノヴォロシースクは、商業港と海軍の小艦艇用の港を有し、修理施設もある。また、ノヴォロシースクはバクー油田の原油積出港でもある。

 

任務

 黒海の制海権を獲得して海上交通路を確保することが黒海艦隊の使命である。戦時には沿岸作戦・両用作戦によりトルコ海峡を管制下に置き、少なくとも東地中海の制海権を確保し、地中海での作戦を支援することが想定されていた。

 

歴史

 ロシア人が初めて7隻の小型艦をアゾフ海に浮かべたのは、第1次露土戦争中の1771年である。この戦争でロシアは黒海北岸を獲得している。

 黒海におけるロシア海軍の行動は、アゾフ海の艦艇がアフティアル村(1784年にセヴァストポリに改名)に寄航した1783年に遡ることができる。その後のこの地域に対するロシアの関心は18世紀末から19世紀の間繰り返されたトルコとの戦いで高まっていった。また、この時代黒海沿岸、特に海に近いユジニィブグ川の河口にあるニコライエフでは、造船産業が盛んになった。

 20世紀初頭黒海艦隊の多くの水兵は、バルチック艦隊の水兵と同じく、革命熱に沸いていた。結局は失敗に終わった1905年の反乱において、戦艦ポチョムキンの艦内で、有名な水兵の反乱が起こった。

 1917年のロシア革命とその後の内戦の間に、イギリスとフランスはこの地域の赤軍反抗部隊支援のため黒海沿岸に軍隊を上陸させた。共産主義革命の成功と、外国艦隊の撤退のあと、黒海艦隊の生き残りは北アフリカに逃れたが、そこで抑留されてしまった。

 1920年5月に新しく樹立されたポリシェヴィキ政府は、黒海・アゾフ海海軍を編成した。これらの部隊は1935年1月11日に黒海艦隊と改称された。1930年代は黒海は造船と海運産業における重要な地位を回復した。1941年6月の大祖国戦争(ソ独戦)では、黒海艦隊は、戦艦1隻、巡洋艦6隻、嚮導艦3隻、駆逐艦14隻、潜水艦47隻、陸上機625機を有するソ連第2の艦隊であった。

 独軍はウクライナを攻撃し、この攻勢の間、黒海沿岸諸港と造船所は壊滅的な打撃を受けた。攻撃を免れた艦艇と海軍航空機は、それからのソ連の反攻を支援した。戦争中、ソ連最高司令部は黒海地域にいくつかの小艦隊を創設したが、その中にはアゾフ小艦隊とダニューブ小艦隊があった。両小艦隊とも、当時のゴルシコフ海軍少将(後の海軍総司令官)の指揮のもと長期にわたる戦闘を戦った。同時に、後の共産党書記長ブレジネフも、第18軍による両用上陸作戦の間、政治将校として黒海艦隊の作戦行動に参加していた。

 戦後、黒海沿岸の造船所は急速に修復され、ソ連の艦隊再建に貢献した。1958年には地中海に潜水艦を展開させた。さらに1960年には潜水母艦1隻とともにアルバニアのヴローネを基地とした。しかし、その翌年、中ソ論争の結果、ソ連はアルバニアの基地を放棄せざるをえなくなり、ウイスキー級潜水艦2隻がアルバニアに没収された。

 その後、1964年までソ連海軍の戦闘部隊が地中海に展開されることは無かったが、1964年以降は水上艦と航空機を黒海艦隊から、また潜水艦を北洋艦隊から派遣して地中海で継続的に作戦行動をするようになった。1970年代初期には、1日平均50隻以上の戦力を地中海に展開させていた。この部隊は第5戦隊(エスカドラ)と呼ばれ、1973年10月の第4次中東戦争においてアメリカと対決した時、水上艦およそ73隻、潜水艦23隻の戦力を擁して、そのピークに達した。

 

AD2002/08/16 Update

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