Su−7/17/20/22 fitter
| 名称
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Su−7/17/20/22 NATO名 「フィッタ−」 |
| 形式 | 単座戦闘爆撃及び制空戦闘機 |
| 全長 | 15.6m |
| 全幅 | 9.4m |
| 翼面積 | 34.5平方メートル |
| 総重量 | 15.6トン |
| 平均重量 | 12.2トン |
| 自重量 | 8.7トン |
| エンジン | リュ−リカAL−7 推力9.5トン×1 |
| 最大速度 | マッハ1.6 |
| 最大上昇力 | 11000m/分 |
| 航続距離 | 1200km |
| 推力重量比 | 0.78 |
| 翼面荷重 | 354kg/平方メートル |
| 翼面推力 | 275kg/平方メートル |
| 武装 | 30mm機関砲×2 空対空ミサイル×2 |
| 原型初飛行 | 1955年12月 |
| 主な配備国 | ロシア(320機) カザフスタン(十数機) トルクメニスタン(30機) ブルガリア(数十機) アフガニスタン(50機) バングラディシュ(12機) ベトナム(60機) シリア(十数機) イラク(詳細不明) イエメン(35機) リビア(数十機) アンゴラ(十数機) |
注:データはSu−7フィッタ−Aのものである
鈍重なミグMIG−19ファーマー以外にジェット戦闘/爆撃機を持たなかった旧ソ連が、1955年頃から試作に
取り組んだのが本機フィッタ−・シリーズである。最初のスホ−イSu−7(フィッタ−A)は、アメリカ空軍の
F−105サンダーチーフに匹敵する大きなものであった。強力ではあったがSu−7の離着陸性能には問題が
あり、インド空軍などから改良の要請が出された。
そのため、主翼の外側の部分だけ動かす部分可変翼付改造型としてSu−17フィッタ−B、20フィッタ−C、
22フィッタ−Dなどが誕生する。この可変翼の採用により、搭載量の180%増加といった向上が現実のものと
なった。
しかしSu−22になると再びACM重視の設計となり、兵器搭載量は減少している。Su−7〜20は能力の割に
価格が安く、装備も簡略化されているため、生産数の20%(約200機)が、発展途上国に輸出された。
フィッタ−は第三次中東戦争、第三次インド/パキスタン戦争、第四次中東戦争、イラン/イラク戦争、
レバノン紛争、湾岸戦争とあらゆる戦争に参加しているが、その中でも最も有名なのはスケールこそ大きくないが
1981年のシドラ湾での空中戦であろう。なぜならば、このACM(空中戦)はF−14トムキャット戦闘機の初の
本格的実戦参加であり、さらに史上初めての可変翼機どうしの戦闘であったからだ。
この紛争はカダフィ大佐率いるリビア政府が、地中海南岸のシドラ湾の領有を宣言、一切の立ち入りを禁止し、
そして、これに反発したアメリカ政府が空母「ニミッツ」と「フォレスタル」を派遣し、対決の姿勢を明らかにしたこと
から始まる。
2隻の空母から発進したF−14の編隊がCAP(空中戦闘哨戒)任務につき、リビアの出方をうかがっていた。
カダフィ大佐はこれを黙視せず、2機のスホ−イSu−22フィッタ−を送り込んできた。そのうち1機が、8月19日
早朝、F−14の2機編隊に対してアト−ルAAM1発を発射した。緊急操作でこのミサイルを回避したトムキャット
は、すぐにAIM−9Lサイドワインダ−で反撃した。発射された3発のサイドワインダ−は、「毒蛇」の名のごとく
Su−22に襲いかかり、瞬時に命中し粉砕した。空戦開始から3分の出来事であった。

