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P−4型魚雷艇
 

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Specifications

形式 魚雷艇
名称 ロシア名: プロジェクト123

NATO名: P−4

建造隻数 1940年〜1955年

375隻

全長 18.7m
全幅 3.4m
喫水 1.0m
基準排水量 22.6トン
満載排水量 25.0トン
装甲 7mm(上部構造)
推進機関 パッカード・ガソリンエンジン×2基

又はM−50ディーゼルエンジン×2基

2軸推進

出力 2000馬力(パッカード・ガソリンエンジン)
速力 パッカード・エンジン搭載艇: 42ノット

M−50エンジン搭載艇: 45ノット以上

航続距離 30ノットで410海里
乗員 12名

 

Armament

123bis・M−123bis ・ 450mm魚雷発射管×2基

・ 12.7mm連装機銃×2基

・ MGB−20爆雷×6個

123K ・ 450mm魚雷発射管×2基

・ 14.5mmDShK連装機銃×1基

・ MGB−20爆雷×6個

 

□ スペック
□ 武装
□ 開発
□ 設計
□ 建造
□ トンキン湾事件
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
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Development & History

開発

 P−4型魚雷艇(ロシア名:プロジェクト123)は、第二次大戦中の魚雷艇の流れを受け継いだソ連最後の魚雷艇で、同時期に開発されたP−2型よりも小型である。開発は第639工場及びTsKB−19設計局が担当し、1940年10月25日にプロトタイプのTK−351艇が完成している。

 

設計

 P−4型魚雷艇は、大戦中のG−5型やD−3型の流れをくむ段付き滑走型船体の艇である。船体はジェラルミン製で、4つの隔壁を持つ。

 主機は、初期のプロジェクト123bisでは第二次世界大戦中にレンドリースされたパッカード社のガソリンエンジンを装備していた。このエンジンは被弾時に発火しやすく、危険だったため、プロジェクトM−123bisからは国産のM−50ディーゼルエンジンを装備するようになった。

 武装は主兵装として450mm魚雷発射管×2基を装備している。ただし、副武装はタイプによって異なり、プロジェクト123bisでは12.7mm連装機銃×2基だが、プロジェクトM−123Kでは14.5mmDShK連装重機関銃×1基に変更されている。なお、プロジェクト123bisでは爆雷×6個を搭載していたが、プロジェクトM−123bis以降は搭載していない。

 レーダーは、初期のタイプでは装備していないが、後期型(プロジェクト123K)からは水上捜索兼魚雷発射管制レーダーを装備している。

 

建造

 P−4型魚雷艇は1946年までに31隻が完成しているが、量産が本格化したのは戦後になってからで、チュメニ造船所で1946〜1955年にかけて89隻、フェオドシヤ造船所で1949年11月から255隻、合計375隻も完成したと言われる。

 P−4型魚雷艇は多くの友好国に供与された他、中国と北朝鮮でも建造された。また、一部はカスピ海にも配備された。P−4型魚雷艇が供与された国は以下の通り。

□アルバニア 6隻(1956年)+6隻(中国製、1965年)

□バングラディシュ 4隻(中国製、1965年)

□ベナン 2隻(北朝鮮製、1979年)

□ブルガリア 8隻(1956年)

□PRC(中国) 70隻(1950年代〜、自国建造分を含む)

□キューバ 12隻(1962〜1964年)

□キプロス 6隻(1964〜1965年)

□エジプト 4隻(シリアから譲渡、1970年)

□北朝鮮 12隻(1952〜1953年)+15隻以上(自国建造分)

□ルーマニア 12隻

□ソマリア 4隻(1972年)

□シリア 17隻(1958〜1960年)

□タンザニア 4隻(1972〜1973年)

□北イエメン 4隻(1969〜1971年)

□南イエメン 4隻(1978年)

□北ベトナム 14隻(1961〜1964年)

 P−4型魚雷艇は本国を含めて、これらの供与先でも現役の艦は無いと思われる。

 

トンキン湾事件

 トンキン湾事件はアメリカがベトナム戦争に本格介入するきっかけとなった事件で、この時アメリカ海軍駆逐艦マドックスを攻撃したのが北ベトナム海軍のP−4型魚雷艇であった。

 1964年8月3日午後1時、アメリカ海軍駆逐艦マドックスはパトロールの一環で北ベトナム沿岸のホン・メに20kmまで接近していた。この時、北ベトナム海軍のスワトウ型哨戒艇(ソ連のP−6型魚雷艇をベースに、魚雷を撤去し37mm連装機関砲×2基を搭載)が接近、駆逐艦マドックスは沖へと逃れた。しかし、北ベトナム海軍はスワトウ型哨戒艇2隻、P−4型魚雷艇3隻に攻撃命令を下していた。

 午後2時40分、再びマドックスは北ベトナム沿岸20kmに接近。この時、マドックスのレーダーは艦の西方55kmに1つの目標を捕らえ、やがて目標は3隻になった。目標は明らかにマドックスを追跡しており、危険を感じたマドックスは空母タイコンデロガに航空支援を要請。もう1隻の駆逐艦ターナー・ジョイも全速でマドックスの救援に向かった。

 午後4時、駆逐艦マドックスは沿岸から46kmまで離れるが、北ベトナムのP−4型魚雷艇3隻は40ノット以上の速度でマドックスを追跡、その距離は9000mまで縮まり、マドックスから目視で確認できるまでになった。駆逐艦マドックスは距離8900mで先頭の魚雷艇に威嚇射撃を実施したが、魚雷艇はなおも肉迫、距離4400mで、ついに先頭の魚雷艇(T−336)が魚雷1発を発射した。

 魚雷発射を確認したマドックスは、魚雷艇に対し射撃を開始したが、2隻目の魚雷艇T−339も魚雷2発を発射した。T−339はこの直後に5インチ砲弾を浴びて戦闘を離脱した。しかし、残る2隻の魚雷艇は体勢を立て直し攻撃を続行、最初に魚雷を発射したT−336が残る魚雷1発を発射したが、機関砲弾を受け艦長のチュー大尉が戦死した。さらに、3隻目の魚雷艇T−333は距離1550mまで接近して魚雷を発射したが、この魚雷は故障で迷走してしまったため、続いて砲撃を開始、マドックスのマーク56測距レーダーに12.7mm機関銃弾を命中させた。

 魚雷を使い果たした魚雷艇が帰投しようとしていた時、空母タイコンデロガの艦載戦闘機F−8E×4機が現場空域に到着、これらの魚雷艇に対して攻撃を開始した。被弾によって最初に戦闘海域を離脱しようとしていたT−339は2機のF−8Eによる攻撃を受け、左舷に傾き大破炎上した。残る2隻の魚雷艇も攻撃を受けたが、果敢に反撃し、F−8E×1機に機関銃弾を命中させた。被弾したF−8E戦闘機はダナン海軍基地に緊急着陸している。

 この戦闘で魚雷艇が発射した魚雷は1発も命中せず、マドックスは機関銃弾による損傷のみであった。一方、北ベトナムの側も魚雷艇T−336が大破(T−333に曳航されて帰投)、T−339が小破(米軍は沈没したものと推定していたが、後に北ベトナム海軍士官捕虜の証言で軽微な損害しか受けていなかったことが明らかになった)で、沈没した艇は無かった。

 8月4日夜、第2次トンキン湾事件(後にアメリカのでっち上げである事が判明)と呼ばれる再度の魚雷艇による攻撃があった。この事件をきっかけにアメリカは空母タイコンデロガ、コンステレーションの艦載機による魚雷艇基地への報復爆撃を行い、以後アメリカはベトナム戦争に深く関与していくこととなる。

 

Variants

プロジェクト123bis(NATOコード:P4)

 基本型。120隻建造。

プロジェクトM−123bis(NATOコード:P4)

 エンジンをパッカード・ガソリンエンジンからM−50ディーゼルエンジンに換装したタイプ。50隻建造。

プロジェクト123K(NATOコード:P4「コムソモーレッツ」)

 水上捜索兼魚雷発射管制レーダー装備。搭載重火器も12.7mm連装機銃×2基から14.5mmDShK連装機銃×1基に変更されている。205隻建造。

 上記の3種類が基本型だが、他にも実験艇となったり、多用途に改装された艇、標的艦に改装された艇が存在する。1947年、P−4型魚雷艇の1艦TK−981艇は試験的に水中翼を取り付け、実に60ノットの最高速度を記録した。また、1956年には別の8隻が前部水中翼を取り付け、これらは47ノットの速力を発揮することができた。

 1965年、TK−4、5、10の3隻が哨戒艇に改装された。これらの艦艇は魚雷を取り除き、代わりに14.5mm連装重機関銃×2基を装備していたが、TK−4及び5は1978年に退役している。

 

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