| Development & History 開発
プロジェクト71はソ連(ロシア)初の具体的な空母建造計画である。この空母建造計画が始動された背景には、ナチスドイツの脅威があった。ナチスドイツは2隻の空母建造を目論み、1936年には空母の1番艦グラーフ・ツェッペリンを起工していたのである。
このドイツの再軍備に対抗する形で、ソ連では第3次5ヵ年計画、及び第4次5ヵ年の10年に渡って大幅な艦隊増強を計画し、この中には2隻の空母も含まれていた。
ゴルシコフ提督の前任海軍総司令官クズネツォフ提督によると、スターリンが戦艦を含むこのような大艦隊建設を決意した遠因は、革命後、西側連合軍が北方と黒海に上陸して共産革命に介入してきた時、ソ連海軍は何もできなかったからだという。また、1936〜39年のスペイン内乱時、同様に海上兵力の欠如から人民戦線を十分に支援できなかったことも一因とされている。
この大艦隊建造計画で計画された2隻の空母がプロジェクト71で、1938年6月27日に戦術技術要求(TTZ)が出されたが、スターリンは艦船に対する航空脅威を過小評価し、真の空母の価値を理解していなかったため空母の建造にはそれほど乗り気では無かった。そのため、起工は第3次5ヵ年計画の最終年1942年を予定し、第4次5カ年計画中の竣工が予定されていたと言われている。
プロジェクト71は1939年に建造計画のリストに加えられた。しかし、肝心のカタパルトなどの発着装置や、艦載機の開発は一向に進まなかった。これは、前述の理由によって空母の優先順位が低く抑えられ、さらに戦争の脅威が迫る中で、十分な資金や資材が回されなかったためであると思われる。
結局、第二次世界大戦の勃発でより重要度の高い分野に投資が集中された結果、1940年1月にプロジェクト71は建造計画リストから除外され、さらに独ソ戦の勃発によって、プロジェクト71に関連する事業は事実上全て中止された。
設計
プロジェクト71の設計作業は1939年に開始され、その設計は新型軽巡洋艦チャパエフ級をベースにしたもので、搭載機数は30機程度であった。
2基あるエレベーターは、航空機の形に合わせた十字形という珍しい形をしている。ちなみに、イタリアの航空母艦スパルビエロ(未成)も同様のエレベーターを有しており、戦前のソ連とイタリアとの技術提携を考えると、空母に関しても何らかの形でイタリアからデータがもたらされたのかもしれない。

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