トップページに戻る

太平洋艦隊

PACIFIC FLEET

司令部:ウラジオストク

pac-fleet-killu-axx.jpg (53710 バイト)

 

戦力の推移

  1985年 1991年 1998年 2003年
戦略潜水艦 31 24
戦術潜水艦 102 70 21
主要水上戦闘艦 88 63 12
固定翼作戦機   240 96 55
爆撃機   80 20

 

配備

原子力弾道ミサイル潜水艦(SSBN)×3隻(全ロシアの23%)

 ・ デルタV級SSBN×3隻

原子力巡航ミサイル潜水艦(SSGN)×2隻(33%)

 ・ オスカーU級SSGN×2隻

原子力攻撃潜水艦(SSN)×3隻(19%)

主要水上戦闘艦×8隻(25%)

 ・ 巡洋艦×1隻(14%)

 ・ 駆逐艦×5隻(36%)

 ・ フリゲート×2隻(20%)

哨戒艇・ミサイル艇等の小型戦闘艇×30隻(34%)

機雷戦闘艦艇×8隻(13%) 揚陸艦×4隻(18%) 支援艦艇×57隻(13%)

海軍航空隊

 ・ 固定翼作戦機×55機

 ・ ヘリコプター×26機

 

基地

主要基地:ウラジオストク、ペトロパブロフスク、ソヴィエツカヤ・ガバニ、マガダン

 太平洋艦隊の司令部は、ピョートル大帝湾に位置するウラジオストクに置かれている。ウラジオストクは「東方の支配者」の意で太平洋沿岸の重要港湾施設である。

 カムチャッカ半島に位置するペトロバブロフスク・カムチャツキーは、太平洋へ直接出入りできる利点を持つ。そのため、原子力弾道ミサイル潜水艦(デルタV級と思われる)が配備されている。この基地は「陸の孤島」で、海路と空路が唯一の連絡手段である。また、陸路による通信手段が無く、基地と本土間の通信連絡を海底ケーブルに依存していたため、冷戦時代はオホーツク海を行動するアメリカの潜水艦によって傍受されていたと言われている。なお、この潜水艦の行動は「アイビー・ベルズ」計画として知られている。

 ウラジオストクの北方、間宮海峡の近くには、太平洋艦隊の3大重要港の1つ(残りは上記のウラジオストクとペトロ)、ソヴィエツカヤ・ガバニがある。ここには、潜水艦基地と潜水艦学校があると言われている。

 オホーツク海深部にあるマガダンには潜水艦および小艦艇用の基地がある。マガダンもペトロパブロフスク・カムチャツキーと同じように、補給は海路と空路に依存している。

 

任務

 太平洋艦隊は4艦隊の中で最大の行動海域を有している。戦争になれば、中国のほかアメリカとその同盟国(日本や韓国)と敵対することになる。また、太平洋艦隊の平時の責務は、太平洋全域に及ぶ作戦行動を含むが、艦隊は、さらに南シナ海やインド洋にも艦艇を派遣していた。ただし、近年は、ベトナムから撤退し、こうした活動はほとんど行われていない。

 艦隊の主要任務は、ロシアのシベリア沿岸を防衛することである。戦時には日本海・オホーツク海・カムチャッカ海域の制海権を確保し、陸上基地航空機の支援の下に沿岸沖数百里において海洋阻止作戦を実施することが想定される他、宗谷海峡などへの水陸両用作戦も想定されていた。

 一般的に、ロシアの太平洋沿岸はヨーロッパ側沿岸に比べ、外洋に対してはより直接的な出入口を与えている。そのため、北洋艦隊と共に原子力弾道ミサイル潜水艦SSBNが配備され、これらのSSBNを展開させることも艦隊の重要任務となっている。

 

歴史

 1731年、この地域にオホーツク海小艦隊が編成さた。さらに、1856には再編され、シベリア海小艦と改称された。この小艦隊に加えて、第1太平洋戦隊が創設された。1904〜1905年の日露戦争の初期、ロシア海軍は近代的戦艦15隻中7隻を旅順基地に配置していた。

 日露戦争後、極東のロシア海軍を構成するのは、弱体化したシベリア小艦隊とアムール川小艦隊だけとなった。

 1917年の革命後、日本軍のアメリカ軍がウラジオストクに上陸し、反共軍を支援した。その後、1922年に日本軍がシベリアを去った後、ソ連は極東にウラジオストク海上分遣隊とアムール川小艦隊を編成したが、艦艇が国境警備隊と新設極東小艦隊に配備された1926年に、上記部隊は解散している。

 1932年4月、海軍部隊はさらに極東海軍として編成されたが、この地域の戦力が増大したため、1935年1月11日、太平洋艦隊という名称が与えられた。

 太平洋艦隊の航空機は、1930年代末の満州における対日戦に参戦し、艦艇が兵員及び物資の輸送や、負傷兵の搬送に動員された。ヨーロッパで大祖国戦争(ナチスのソ連侵攻)が開始された1941年6月、太平洋艦隊は、駆逐艦14隻、潜水艦91隻、小型艦艇多数、それに航空機およそ500機から構成されていた。ただし、太平洋艦隊から14万7000名が地上軍としてヨーロッパ戦域に送られただけで、戦争中、これらの戦力は実質的に、ほとんど活動しなかった。

 1945年8月、ソ連が日本に宣戦布告したとき、太平洋艦隊は巡洋艦2隻、駆逐艦13隻、潜水艦78隻、そのほかに小型艦艇と航空機1549機を保有していた。戦争末期の満州と朝鮮に対する攻撃の間、太平洋艦隊は日本の船舶を攻撃し、航空攻撃と兵站支援によって地上部隊を支援した。また、朝鮮や樺太、千島列島に対して水陸両用作戦を実施し、一部は空挺部隊と連携して実施された。

 1947年1月、太平洋艦隊は第5艦隊(司令部ウラジオストク)と第7艦隊(司令部ソビエツカヤ・カバニ)に分けられた。しかし1953年には、再び単一の太平洋艦隊に統合された。1959年には、スヴェルドロフ級巡洋艦1隻と駆逐艦2隻がインドネシアのジャカルタに寄航したが、これは太平洋艦隊の長距離作戦行動の幕開けとなった。

 太平洋におけるソ連海軍の行動は1960年代に拡大し、インド洋にまで及んだ。また、太平洋艦隊は、ベトナム戦争におけるアメリカの作戦行動を監視していた。ソ連の情報収集艦(AGI)が定期的にトンキン湾で行動し、さらに別のAGIが常時グアム島沖にはりついて、アメリカのポラリス潜水艦の監視と同島を離陸し爆撃任務に就くB−52爆撃機の探知に当たっていた。そのため、爆撃機が離陸してから数分でベトナム共産軍向けの攻撃警報が発令されていた。

 また、アメリカ軍がベトナム戦争に忙殺されている間に日本海のプレゼンスを増大し、1970年4月のソ連海軍最初の世界的規模の海上演習オケアン70においては、太平洋艦隊は小笠原海域にまで進出して空母機動部隊攻撃訓練を行い、外洋作戦能力を誇示した。

 1979年6月になると、キエフ級空母の2番艦ミンスクが太平洋に回航された。この空母にはソ連海軍で最大の揚陸艦イワン・ロゴフが随伴してきた。また、キエフ級空母の3番艦ノヴォロシースクも、1984年に太平洋艦隊に配備された。続いて1985年にキーロフ級原子力戦闘巡洋艦フルンゼも回航され、太平洋艦隊の戦力はピークに達し、海軍航空隊の規模はソ連の艦隊中で最大となり、潜水艦以外の水上戦闘艦の規模も最大となった。

 この頃になると、ベトナムのハイフォン、ダナン、カムラン湾に艦艇を展開させ、ベトナムのダナンに海軍機を進出させていた。また、太平洋艦隊は当時平均的にベトナムと南シナ海方面に潜水艦1隻、戦闘艦艇1隻、哨戒艦艇1隻、機雷戦闘艇2隻、両用戦艦艇2隻、支援艦船10隻を、インド洋とペルシャ湾方面には潜水艦1隻、戦闘艦艇2隻、機雷戦闘艦艇2隻、両用戦艦艇2隻、支援艦船10隻を展開させていた。

 

AD2003/08/14 Update

b301back.gif (1709 バイト) b301home.gif (1761 バイト)