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T54/55MBT

乗員 4名
戦闘重量 36トン
全長 9.2m
全幅 3.27m
全高 2.35m
履帯幅 0.58m
接地圧 0.81kg/平方センチ
エンジン V2−55ディーゼル

出力、580HP

装甲厚 車体前面:100mm(60度)

車体側面:80mm

車体後面:46mm

砲塔前面:200mm

砲塔側面:100mm

砲塔後面:60mm

主武装 56口径100mmD10TG−S戦車砲
携帯弾数 43発
副武装 SGT7.62mm×1

(DShk12.7mmは一時廃止)

最大速度 50km
航続距離 460km

注:データはT55

 

ソ連機甲部隊は1941年の独ソ戦開戦から1945年の終戦まで、事実上T−34中戦車を主力として戦い

抜いた。車体の全面にわたって傾斜装甲を取り入れ、当初は76.2mm戦車砲、戦争後期には85mm戦

車砲を搭載し、V2ディーゼル・エンジンとクリスティー式サスペンションで支えられた足回りの優秀性もあっ

て、高い機動力を有したT34シリーズは、第二次大戦の最高傑作戦車といわれていた。最終型のT34/85

は、戦後も多くのソ連同盟国などに供与され、1950年代、朝鮮戦争や中東の戦場で威力を示した。

しかしT34は前面装甲に加え側面装甲も傾斜させて絞り込んだ車体設計上のポリシーから砲塔リング径に

限界が生じて、85mm砲よりも大きな戦車砲の搭載が無理だった。

この限界を超え、さらに生産性の向上をはかるために開発されたのがT44で、車体側面を1枚板で構成し

た単純な船型の車体構造が採用された。同戦車はさらに車体のコンパクト化をすすめ、被弾率の低減と重

点的な装甲強化をはかった。このため、内部容積が不足しないように、従来、進行方向に縦型に搭載され

たエンジンを横向きに搭載し、エンジン・コンパートメントの容積が大幅に削減されている。しかし、武装強化

については見送られ、T44はT34/85の砲塔の改修型に85mm戦車砲を搭載するにとどまった。

戦争が終結すると共に、懸念だった火力の強化が計画され、海軍の艦砲から発展した100mmD10型戦

車砲(すでにSU-100自走砲に搭載され実戦に投入)の搭載がはかられた。そして、砲塔リングを拡大して

100mm砲用の砲塔を搭載したT54戦車が1946年に完成することになる。以後、2度の砲塔デザインの

変更を経て、今日知られる半卵型の形状の砲塔デザインを取り入れた型の生産が1950年より開始された。

さらに周辺装置の改良・追加が1950年代を通じて行われ、T55型が完成する。T55の生産は1970年代

いっぱいまで続けられ、T54とT55の総生産数は中国やチェコスロバキア、ポーランドでのライセンス生産

も合わせると5万両程度にのぼると言われている。まさに量的には戦車のベストセラーであって、いまだに

世界の紛争のあるところには必ず姿を見せる戦車である。

<火力>

T55は第二次大戦以来のものではあるが、当時としては大変に威力のある100mm戦車砲D10TG−S

を装備している。同戦車砲は砲身長56口径で、弾頭重量16kgのAPC=被帽付徹甲弾(BR−412D)を

砲口初速887m/sで発射し、距離1000mで185mmの厚さ、2000mで155mmの厚さの均質圧延

鋼板(着弾角度0)を貫通することができた。しかも、これだけの大口径で重量のある弾丸が貫通後車内を

はねまわれば、戦車兵は「即時昇天」の運命を免れることは難しい。

照準機はスタジア・メトリック式の測距装置(砲手の直接照準機=ZF2-22ならびに暗視テレスコピック照準

機=TSh2B-41u、車長要ペリスコープ=TKN−3)であった。しかし、測定精度が西側の機材に比べて著し

く劣っていた。同システムは、西側の戦車の全高を一律に2.7mとみなし、敵目標をレチクル内の目盛りに

合わせて、そこに表示されているおおよその距離を読みとるという単純な仕掛けである。たしかに故障もな

く、教育も簡単であるが、凹凸のある地形の影響や壕を掘ってダグ・インした戦車などの目標までの距離を

読みとるには、経験による熟練が必要だ。このシステムについては、後に捕獲戦車を使用して西側が実弾

射撃実験をしたところ、命中率は射距離500mまでで55%、1000m前後で45%、1500m以上では大

幅に下がって17%、2000mでは10%まで落ちることが明らかになっている。いくら威力があっても命中

しない限りは”威力0”である。

戦車砲の発射速度も、当然ながら車内の狭いソ連製戦車の側が遅くなることは、第二次大戦以来の通例と

なっている。T55についてみるなら、公式のカタログ・データでは100mm戦車砲を1分あたり7発発射でき

ることになっている。しかし、同戦車に搭載された43発の砲弾のうち、装填手の背後の砲塔壁に2発、砲塔

直後の砲塔下には4発、車体右下の壁に2発、エンジン室の隔壁左に1発の9発が即用弾であるが、残り

の34発のほとんどが操縦手右側の前面装甲側に2つの主燃料タンクと同居する形で搭載されている。

しかし、この配置では即用弾をうち尽くしたとして、主弾庫である車体前部から砲弾を取り出そうとするのは、

どう考えても迅速にはできない。T54/55の砲塔内は、そのど真ん中に巨大な100mm戦車砲の砲尾が大

きな空間をしまってしまっている。それに付随する機器やペリスコープ、同軸機銃とその弾帯などさまざまな

突起物があちらこちらから突き出ている。その下にもぐりこんで、約30kg近くの大きな100mm砲弾を弾架

のロックを解除しながら引っぱり出すのである。しかも、その間戦車は絶えず走り、動揺する。訓練されてい

るとはえ、重く巨大な100mm砲弾を狭い砲塔内で装填するだけでも「神業」に近い。これらの事情を考える

なら、1分あたり5発程度がT55の現実的な発射速度であると思われる。

<防御力>

避弾径始の良好な半卵型砲塔をはじめ、厚さ100mmの傾斜した前面装甲など強力な装甲防御力を誇っ

ている。しかし、中東戦争では「燃える棺桶」という不名誉なニックネームを頂戴するはめとなった。なぜかと

いううと、優れた機動力を発揮する心臓であるエンジンに原因があった。まず、車体前面装甲の背後にあっ

た弾庫と2つの燃料タンクの部分に成形炸薬弾が命中すれば、かなりの確率でT55は大爆発し、炎上する

こととなった。また、ひとたび火災が起こると、軽量で優れた性能を持つV2−55ディーゼルエンジンは、アル

ミニウムとマグネシウムの合金でできているために容易に燃え上がるところとなった。これは、全体のシルエ

ットを小さくし軽くすることと、避弾経始を考慮するあまりに車内レイアウトを犠牲にしたつけである。

<総評>

T55戦車は、本国のソ連やチェコスロバキアなどでは改良が重ねられ、今日でもかなりの数が現役に留まっ

ている。まず、1970年代後半に、はやくもレーザー測遠機が取り付けられたT55やT54が出現、さらに19

80年代になると、これに弾道コンピューターや環境センサーまで追加したもの、成形炸薬弾への対抗策とし

て中空装甲を車体前面や砲塔に追加したり、サイドスカートを取り付けた物も登場している。また、イスラエ

ルや中国では、イギリス製のL7型105mm戦車砲に転換したものが装備されている(Ti67と59式の各種

改良型)。湾岸戦争では、イラク軍が装備したT54/55戦車が多数、黒こげの残骸を砂漠にさらして、中東 

戦争以来の「やられ役」を彷彿させたが、同シリーズは21世紀に入ってもしばらく活躍し続けるだろう。

 

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