ツポレフ Tu−144超音速旅客機(SST)Tupolev Tu-144 Charger Supersonic Transport |
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| ↑データはTu−144S
★特別付録 コンコルドとの性能比較★
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<特徴> 1、世界初の超音速旅客機(SST)Tu−144は世界初の超音速旅客機(SST)として知られている。1960年代、米国、 ソ連、ヨーロッパでは超音速旅客機の激しい開発競争が繰り広げられており、その 行方が注目されていた。そのような中で、1968年12月31日、ついにソ連のTu−14 4が初飛行に成功した(英仏のコンコルドは遅れること2ヶ月後に初飛行した)。さらに 、1975年12月26日からは貨物便としてモスクワ〜アルマティ路線に就役し、世界に 先駆けて路線就役を果たした。
2、世界最速の旅客機Tu−144の最大巡航速度は高度18000mでマッハ2.35(時速2500km)であり、 英仏共同開発のコンコルド(高度15635mでマッハ2.04)と比べて、より高い高度 をより速い速度で飛行することが可能であった。ちなみに、米国が開発を進めていた ボーイングB2707は高度18000m以上の高空をマッハ2.7で飛行することを目標 にしていたが、途中で開発中止となったので、実用化した旅客機ではTu−144が最 速である。
<開発&設計> Tu−144 1964年、ツポレフ設計局では超音速旅客機実現に向けた計画を始動した。当時の アエロフロートの路線ではそのような航空機を必ずしも必要としていなかったが、アメ リカやヨーロッパも超音速旅客機の研究開発を開始しており、開発の真の理由はソ連 の威信のためであり、技術力を世界に誇示するためであった。設計には「125」及び 「135」型爆撃機の開発経験が役に立ったといわれる。機体構造は主にアルミニウム 合金が用いられていたが、制限速度を2500km/hに抑えることで高価な金属の使用 を最低限に抑えた。翼はTsAGI(ツアギ:中央航空力学研究所)の研究成果を取り入れ てオージー(S字曲線)翼が採用されており、前縁後退角が外翼部に移るにしたがって 緩やかに変化し、翼端部では丸みを帯びた形状になっている。この形式の翼はMiG− 21フィッシュベット戦闘機に取りつけられてテストされた(テスト機は2機製作され、MiG −21Iと呼ばれる)。 超音速旅客機開発は米国・ソ連・ヨーロッパとの間で熾烈な競争が繰り広げられたが、 Tu−144原型機は1968年12月31日に初飛行に成功した。これは最大のライバル 機であるコンコルドの初飛行よりも2ヶ月早く、この時点でTu−144は世界初の超音速 旅客機となった。初飛行の時間は38分間で、前述の試験機MiG−21Iが随伴して飛行 した。さらに、1969年6月5日には高度11000mで音速の壁を突破、1970年5月26 日には高度16300mで時速2150km(マッハ2.0)、1970年6月15日には高度16 900mで時速2443kmの速度記録を達成している。そして、1970年秋には総飛行時 間が100時間に達した。Tu−144は1970年5月21日にシュレメチェボ国際空港で初 めて公開され、翌年にはパリ航空ショーにも出展された。初めて行われた国際線試験飛 行の際にはモスクワ〜ソフィア(ブルガリア)間を1時間で飛行し、巡航速度は2300km /hであった。
Tu−144S その後、Tu−144には大規模なアップグレードと広義な改良が行われ、生産型では Tu−144Sと呼ばれるようになった。Tu−144Sは翼幅を1.15m拡大し、胴体も 6.3m延長されており、窓の数が片面24個から35個に増加した。エンジンもより 推力の大きいNK−144Aにアップグレードされた。また、原型機では高音のジェット 排気によって機体後部に過度の過熱と、振動を生じていたが、これを解決するため にTu−144Sではエンジンを2基1組にそれぞれ分けて配置し、エンジン排気ノズル を機体後端まで延長する措置を採っている。 翼平面はより角張っており、ダブルデルタ翼により近くなった。同時に翼のねじれと 垂れ下がりは超音速性能を向上させるために増加している。機首には引き込み式 の高いアスペクト比を有するカナードが追加され、離着陸時の安定性を改善してい る。機体には高い圧力や熱、金属腐食の問題に対処するためチタン合金が広範囲 に渡って用いられ、その割合は全重量の18%にも達し、これはより新しい旧ソ連機 よりも高い割合である。 Tu−144Sの初飛行は1971年7月1日に行われた。しかし、1973年6月3日、 パリ航空ショーでの展示飛行で悲劇的な事故が起こった。観客の目の前で空中分解 し、地上の住民7名を巻き添えにし墜落したのである。この事故で乗員6名も全員死 亡した。幾つかの事故原因が考えられており、一説にはフランス空軍のミラージュV 戦闘機の妨害を受けたとも言われており、またパイロットがコンコルドに対抗するた めに故意に過激な飛行操作を行ったという説もあるが、どちらにせよ機体には設計 限界以上の荷重がかかり、その負担に耐えきれず機首カナードの1つが吹き飛び、 燃料タンクを突き破った。この影響で機体は炎に包まれ、さらに機体各所の部品を 撒き散らしながら墜落していった。 その後、1975年12月26日からモスクワ〜アルマティ(旧ソ連、現カザフスタン共和 国)間での貨物/郵便飛行便が開設され、商業運行が開始された。1977年11月1 日からは同じくモスクワ〜アルマティ間で旅客サービスが開始された。1978年2月2 月22日からはモスクワ〜ハバロフスク路線の調査のため50便のフライトが実施され たが、こちらは実現しなかった。ただし、前述のように旧ソ連国内では超音速機の需 要が多いとは言えず、運賃が従来機より40%高かったとはいえ、モスクワ〜アルマ ティ路線の搭乗率は50%を割っており、商業的運行はとても成り立たなかった。さら に、1978年6月1日には致命的な事故(詳細不明)が発生し、旅客便は通算102便 を運行しただけで全面的に停止された。 1979年にはエンジンをより効率的なターボファンエンジンに換装したTu−144D が開発されたが、商業運行が行われた形跡は無く、計画は中止されたものと思われ る。Tu−144はボロネジ航空機工場で合わせて14機が製造されたと言われており、 内装関連は東ドイツから提供された。 1981年には再びTu−144を旅客輸送に復帰させる計画も立てられたが、実現しな かった。その他、軍事的にはAWACSと統合し、AA−9エイモス空対空ミサイルを大 量搭載した迎撃機としての利用や、超音速爆撃機としての使用も考えられたが、いず れも計画のみに終わった。
<発動機> エンジンはNK−144(推力13000kg/アフターバーナー時推力17500kg)バイ パスターボジェットエンジンを主翼下に2基セットでモジュール式に配置されており、 エンジン全長は約5.2m、モジュール全長は約21mである。エンジン4基のうち外 翼側2基は逆噴射装置を装備していた。 生産型であるTu−144SではNK−144A(推力15000kg、アフターバーナー時 推力18100kg)バイパスターボジェットエンジンにアップグレードされている。このエ ンジンは全ての領域でより大きな推力を発生させることができるが、超音速巡航時 の燃費が悪いという欠点も残っていた。
<コックピット> コンコルドと同様に、離着陸時には前方バイザーが最大12度下がり、パイロットの視 界を向上させるようになっている。なお、巡航時はバイザーが上がり、コックピットの前 面ガラスは覆われる。そのため、巡航時の前方視界はほぼゼロとなる。原型機には 射出座席が取り付けられていたが、Tu−144Sでは廃止されている。 Tu−144Sからは慣性航法装置が導入されていて、離陸、巡航、アプローチ、着陸 などの操作を自動化し、オートスロットルモードの利用を可能にしている。
<着陸装置> 原型の着陸装置は3×4ボギー式着陸装置で、タイヤ空気圧は13kg/平方センチ メートルに設定されており、主脚エンジンモジュール外側に配置されていた。前脚は ダブルタイヤで、収納時はエンジンモジュール間の胴体内部に引き込まれる。また、 全ての車輪にホイールブレーキが取りつけられていた。 Tu−144Sでは主脚をエンジンナセル間に配置し、エンジンナセル間に引き込ま れる仕組みに変更され、前脚も前方に引き込む仕組みに変更された。
<バリエーション> ○Tu−144S: 量産型で原型と比べてより推力の高いエンジンを搭載し様々な 改良が施されている。 ○Tu−144D: より効率的なターボファンエンジンに換装したタイプ。路線就役 せず、開発中止。 ○Tu−144LL: ロシア・米国の統合プロジェクトのために現役に復帰し、様々 な試験活動に従事した。
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