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Comunication

言うまでもなく、何かを書く、あるいは話すということは、他人とコミュニケートするために、アタマの中のある概念をことばというものに変換してアウトプットする、という作業だ。そして、その「概念をことばに変換する」ということは、まるで広大な砂漠から一粒の砂を探し出すようなもので、それこそ無限に近い可能性があって、僕はいつも困ってしまう。確かに、以前は無意識にことばを選択して、話したり書いたりしていたと思うのだが、ある時期から(いつからかは、わからないが)その変換が上手く機能しなくなってしまった。よく解釈すれば「ことばを選ぶようになった」とか「発言に気を使うようになった」と言えなくもないが、実際はそうでもない。例えば、ことばを探している最中に、はじめにアタマの中にあった概念が、候補となったことばに引きずられて変形してしまったり、ひどい時は、元々の概念を忘れてしまったりもする。それから、アタマの中の概念がまだことばになっていない、ということもある。あるいは僕のボキャブラリーにそのことばがない場合も同じだが、僕はその概念を説明するために必要以上に多くの単語を使わなければならず、それによって、意味が曖昧になってしまうことがある。そして、最悪なのは、変形したり、曖昧になった概念が、ことばという肉体を獲得して、独り歩きを始めてしまったときだ。僕は、その変形してまったく違ったものになってしまった概念の辻褄を合わせるために、どんどん違うことを話したり書いたりしなければならなくなる。そして、途中で我に返って、「なんでこんなこと話してるんだ?」ということになってしまい、そのうち当初の概念の本質的な意味を失ってしまう。 今もそうだ、僕は「ことばはどのように選ばれるのか?」という話をしようとしていたのだ。