伊能図&行基図

 2002年度は、2学期から6年の担任になりました。

 社会科は、伊能忠敬から授業をすることになっていました。
 でも9月は夏休みのあとで、子どもたちに何とか集中してもらえる工夫が必要でした。

 私は、日本古代史は大好きですが、中世、近世は得意ではありません。
 ということで、授業にあきられないようにと教材研究をしました。 


○AとBの地図を見て気がついたことを書きなさい。 

A の 地 図 (行基図) B の 地 図 (伊能図)
児童の解答例 ・山城国が中心
・陸奥がおおざっぱ
・北海道がない
・伊能忠敬が書いた地図かな。
・今の日本の地図かな。

備 考 【行基図を拡大した物を提示】
 行基(668〜749)が作ったと伝えられている。
 畿内を中心にし、律令制の街道=七道が示されている。かなりおおざっぱに国々が描かれている。「拾芥抄」(14世紀成立刊6冊鷹見家歴史資料)
【授業では伊能図を略したものを提示】
 第一測量1800年。1818年に亡くなるまで「大日本沿海與地全図」の作成を続ける。

 現在の地図とあまり違わない。

○AとBの地図は、いつごろ作られたと思いますか。
<Aの地図>
 ・奈良(山城国)を中心とした時代から江戸初期まで使用されたという。
< Bの地図>
 ・江戸時代後半

 ※ここでAが行基図であること、Bが伊能図あることを知らせた。

 <補助発問…どうしてAの地図は、長い間進歩しなかったのか?>
   (児童の解答例)
    ・日本国内だけの移動距離の限られた地域だからかな
    ・鎖国の影響もあるだろう。外国からの危機感が少ない。

○(伊能図と今の地図を重ねた資料を提示し)現在の地図と比べて気がつくことを発表して下さい。
   (児童の解答例)
    ・ほとんど今の地図と変わらない。
    ・すごい正確。


◎この後の児童の調べるテーマ例
  ・伊能忠敬は、どのようにしてこんなに正確な地図を書いたか。

ホームへ