カーター・ディクスン
「ユダの窓」
カーター・ディクスンは、ディクスン・カーの別名義。
密室トリック推理小説の巨匠の名作。たまには古典も面白い。〔2001・9・23(日)〕

「第三の銃弾[完全版]」
カーター・ディクスン、別名義は、ジョン・ディクスン・カー。密室不可能犯罪小説の巨匠。
このトリックは、なるほどと納得。分かってみれば、謎でもなんでもなく、理路整然としている。
読んでいて謎を解こうとするならば、事態をよく把握して、よーく考えなければ無理だ。
どういう結末なのか知りたくてガンガン読み進んでいると、自分で考えるヒマなんかない。
もっとも、考えても分からないと思うけど。〔2002・8・21(水)〕


海道龍一朗
「華、散りゆけど 真田幸村 連戦記」

真田信繁(幸村)、九度山脱出から、大坂の陣までを描く。ちょうどNHKの大河ドラマも同じ物語だったので、お話が同じところ、違うところ、よくわかった点も面白かった。〔2016・12・12(月)〕


垣根涼介
「君たちに明日はない 」
垣根涼介は初めて読んだが、おもしろかった。
4月から9月は、テレビドラマ「あまちゃん」にハマって、本来の読書タイムである電車通勤帰りはツイッターで「あまちゃん」関連の情報を見ていたことが多く、読書なんざ、するひまがなかった!
そろそろ読書もやるべ!ってことでがす。
Amazonにある紹介文。「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが……。恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。山本周五郎賞受賞作。
真介の仕事を通して、リストラ対象になった人たちの、それぞれの人生も描いていく。
新しい世界に飛び込むか、それまでの会社にしがみつくか、リストラは人生の転機だよね…。
自分自身も、リストラとは言わないが、似たようなことはあって、やはり仕事が変わるというのは大きなこと。
その転換点で、人がどう考えて、どう行動するのか、いろんな場合があると思うけど、この物語は、そのいくつかの例を見せてくれる。
でも、重たくなくて、読みやすいのがいい。
真介にしても、ちょっと軽そうに見えながら、他人の人生を左右するポイントに立ち会う仕事を、まじめに考えているのが好感がもてる主人公。
この著者の作品としては軽めなものらしいが、ほかの著書もチェックしてみてもいいなと思えた。〔2013・10・30(水)〕

「光秀の定理(レンマ)」
確率の問題は、わかったような気に一瞬なったが、よくわからない。数学的な頭がない私である。坊主と武芸者と、真面目な光秀のトリオで描いたのも面白い。〔2016・5・31(火)〕


角田光代
「空中庭園」
映画を観たあとに原作を読む。
これが逆だと、あとから観る映画が物足りなく感じられることが多い。
「空中庭園」も、観てから、読む。で攻めてみた。
婦人公論文芸賞を受賞した原作。
映画を観てから原作を読むと、どうしても映画の出演者のイメージが読んでいるうちにも頭に浮かぶが、それも良し。
隠し事のない幸せ家族を演じる、ひとりひとりの心のうちを、えぐり出す。
1章ごとに語り手が変わり、娘、夫、妻、おばあちゃん(妻の母)、夫の浮気相手、息子の順で、語られていく。
映画では、おばあちゃん、夫の浮気相手、息子については、原作ほど詳しくは描かれていなかった。
おばあちゃんや浮気相手の過去のことは、映画にする際には省いても支障はないだろう。
ただ、原作では、息子はこういうふうに考えていたんだなあ、と知ったのは面白かった。映画では、彼の考え方はよく分からない。
映画は原作とは別物として見るほうがいい点が多いが、このように、映画と原作で違っているところを知るのも楽しいものだ。
こちらの原作を読んでみると、映画のほうは、道の先に救いを、光明を示しているのが、はっきりと分かる。
映画の脚本を書いた監督でもある豊田利晃の、もしかして心のうちが見えるようなラストだったんだなあと改めて思う。
妻とその母親の関係は、怖くて悲しいところがあるが、その他は、実際にあっても全然不思議じゃないと感じた。
家族といっても、それぞれ違う人間なのだから、考えることだってバラバラなのは当たり前。
みんなが何かに迷っているけれど、それほど、ひどいものではないように思えるのだが。〔2005・10・21(金)〕

「エコノミカル・パレス」
フリーター生活。
図書館で見かけて借りた。
角田さんは、小泉今日子さん主演の「空中庭園」を書いた人で、私には(こちらから勝手に)親しみがもてる作家なのだった。
「雑文書き」で生計をたてている34歳の女性。同棲相手は仕事を選り好みして現在失業中。
エアコンも壊れて、税金も滞納、公共料金の支払いも苦しい。
彼女ひとりに生活費の負担が、のしかかる。そんなある日、ケータイに入った、知らない男からの電話に彼女は応えてしまう。
エアコン、あるだけ、いいじゃん。うちは、ないぞ。壊れたら買い換えてるんだから、ぜいたくじゃないか?(笑)
お金がないと先行き不安で、閉塞感が生まれてきがち。
でも、明るく生きたいよね。ぐだぐだ言わずに、なんとかしてみようよ。
はい、がんばろっと。〔2011・1・12(水)〕


角田光代、三好銀
「西荻窪キネマ銀光座」
いただきものの本。1本の映画からインスピレーションを得て、角田さんは文章を、三好さんはマンガを。映画の本数は23。マンガのほうは、どこが映画とつながってるのかわからないのもあったな。〔2015・6・16(火)〕


ガストン・ルルー
「オペラ座の怪人」
最初は、長ったらしくて分かりにくい文章に閉口した。
昔の海外文学に、たまにあるような(といっても、それほど読んでいるわけではないので、断定はできないが)、やたらに修飾的な文をくっつけて、ややこしくする感じ。
読んでいて、何がいいたいのかわからなくなって、頭に入ってこなかった。
たとえば、こんな文章がある。
「幽霊はまったく姿を見られない場合でも、滑稽な、または不吉な出来事によってそれがいることや通りすぎたことを知らせており、ほぼ全員の心をとらえていた迷信がそうした出来事を幽霊のせいにしていた。」
どうも、向こうの人(海外の人)って、こういう点で見るとどこか、思考の働く経路が違うような気がしないこともない。
日本人なら、絶対に言わないような言葉使いとか、出てくるでしょ。訳の問題なのかもしれないが。たぶん、原文にかなり忠実に訳しているのだろうとは思う。
でもまあ、こんな文章でも、だんだん慣れてくるけれど。
ルルーは昔「黄色い部屋の謎」を読んでいるが、どんな文章だったのか覚えていないな…。
映画を観たあとに原作を読む場合、話が分かっているので、ストーリーに、あまり新鮮味はない。
どうしても、映画と、どこがどう違うのかが興味の中心になってきてしまう。
映画のクライマックスはシャンデリアの落下場面だが、ルルーの原作では、その場面は、真ん中へんよりも前にある。
本では、後半は、ペルシア人とラウルの地下での冒険なのだ。
ペルシア人…映画には出てこなかったね。
それに支配人たちが、現金の入った封筒が消える謎を解き明かそうとするところ。あとずさって歩いたりして、この2人は、まるでピエロ役。
映画では、こんなに目だってなかった。
怪人が起こす不思議な現象は、原作ではすべて説明がついている…のかな。
私が買ったのは、創元推理文庫版だが、角川版あたりのほうが、読みやすい訳になっているのかも?〔2005・3・17(木)〕


亀井俊介
「マリリン・モンロー」
岩波新書である! 岩波にマリリンである! まあ、岩波がなんぼのもんじゃいとも思うが、やはり、すごいことかもしれない。
亀井氏はアメリカ文学の教授である。著書も多い。
先日お会いできるかというチャンスがあったが、残念ながら、であった。
本書は、マリリンの生涯、マリリンの言葉、ノーマン・メイラーとマリリンについて、日本人とマリリン、の4つの章から成る。
第2章では、有名な「シャネルの5番」などなどの彼女の言葉から分かるマリリンの頭の良さ、機知に富んだ受け答えを実証して面白い。
また、セックス・シンボルといわれた彼女だが、その考えかたは、まるでいやらしいところはなく、じつに自然に、人間らしく、「愛情」というものを信じ、欲し、愛しているのだと読み取れる。
第3章はマリリンの伝記も書いたノーマン・メイラーを、マリリンと並べて論じているが、著者がアメリカ文学研究者ということもあるのだろう。
普通の人からすれば、メイラーがどうだって、どうでもいいのであって、少々、文学論ぽくて、あまり面白くない。(すいませんです。でも率直な感想)
読んでみて、いちばん心に残ったのは、マリリンは、人間の「生」の美しさを見せてくれた人なのだなあ(これには、もちろん、いろんな意味を含む)ということだ。〔2003・8・12(火)〕

「アメリカでいちばん美しい人<マリリン・モンローの文化史>」
タイトルは、ノーマン・メイラーがマリリンとヘミングウェイのことを、「2人のアメリカでいちばん美しい人だった」と述べたことによる。
亀井さんは、アメリカ文学・文化を研究している著名な大学教授。岩波新書から、以前私も読んだ「マリリン・モンロー」という本を出している。マリリンが好きな人なら、たとえ教授といえども、タメ口でお話ししたいような親しみが湧く(笑)。
カバー写真が綺麗。赤いドレスを着てジャンプする写真(1959年)。
立てかけて飾っておきたいくらい美しい。
白黒だが、本文にも写真が多くて、興味深く見た。
内容は、まずマリリンの人生を振り返ってから、アメリカでの雑誌、小説、アートで、どう取り上げられたか、そして日本ではどうだったか、を書いている。
日本でのマリリンの章では、スズキシン一さん、まつもとよしお先生、前澤さん、そして某喫茶店のことまで載っていて、読んでいて嬉しくなる。
心あるファンは、マリリンが頭がよかったことを知っている。
自分を高めるために努力したことを知っている。
「…フェミニストたちは男性支配の時代に女の『自立』を目指した先達の姿を、彼女に見出したはずである。」と著者は書く。
1950年代に自立に苦闘したマリリンが、フェミニズム、女性解放の先駆だったというのは、そうか、なるほど、である。
人間として、いっしょうけんめいに生きた、ひとりの女性の姿を、文化の面から考察した、素敵な本。〔2005・1・28(金)〕

「『セックス・シンボル』から『女神』へ―マリリン・モンローの世界―」
今年初の読書。スタートを飾るにふさわしいマリリン本!
著者は、亀井俊介・保坂治夫・桐ヶ谷まり・小川剛史・松本良夫・前澤ヨシコ・渡邊真由美。
トップ記事に置いたりして、以前にも紹介した本。知っている方々が文章を書いている部分もあるので、読んでいて興味を引かれて楽しい。
小川さんの文では、とくに、アンディ・ウォーホルについて書かれたところが、さすが美術関係を勉強されただけあるなあと感じた。
私はウォーホルのマリリンは、それほど好きではないが、芸術的な価値や位置づけを知ることができた。
そして、知らない方のマリリン論だから新鮮、という意味でも、桐ヶ谷さんという方の文章が印象的だった。
「セルフ・プロデュースの天才」という項なども、おもしろかった。
『マリリン・モンローの生き方は、そのままラブレターだった。』なんていう一文も素敵。
執筆者紹介を見ると、エッセイストとある。じゃあ、文章がうまいはずだよ、と納得。マリリンを語る本を執筆中、ともあるので、それは楽しみだ。
多面的なアプローチをしているので、出演映画については、6作品しか語るスペースがなかったのが、多少惜しいような気がする。
とはいえ、年譜や出演映画一覧もあるし、読みやすく、マリリン入門編としてもいいのではないかと思う。〔2010・1・24(日)〕


川上未映子
「わたくし率 イン 歯ー、または世界」
ウェブページの「純粋悲性批判」のプロフィール写真を見て、なにまじこれ作家なん、なんかええ女やんと、どぎまぎした結果、本借りて読んだのです。
まあ、その写真が色っぽく撮れまくりやないかという話でもあるわけでして、しかしそこで、純真な男子の心わしづかみ戦略の成功は目も当てられないほどの鮮やかさをもって遂行されておりました。
読んでみたら、なんやわけわからん女の妄想頭誇大症のような思考が、ずらんずらんと並んどって、どうなっとるんか訳がわからんようになりつつも、すっかりスピード読書しはったのが電車の中ですやろから速いのは当たり前のことですよ。
ところが、どんどんどんどん読んでいったゆき止まりには、ああ、そうか、そういうことやってん、なんと悲しき。と合点がいったとともに意外なことに、まさかの泣き態勢と化してしまったのでした。
ただのいいかげんな文章がつながってきたんやなかった。著者の考えがわかった気がしたのです。あくまで気ですが。
歌手から作家へと華麗な展開、本作は芥川賞候補にもなり、才能なんかどうなんかは、もっと読んでみんことにはわからへんかもしらん。
「歯ー」はher(彼女)に掛けてあるんやと、あとから気づいたのでした。〔2010・11・15(月)〕


川原みなみ
「2002 もっと韓国、もっとサッカー」
Jリーグ在籍の韓国選手へのインタビュー、韓国のお友達との座談会、韓国のグルメガイドなど、みなみちん大活躍。〔2002・4・9(火)〕


北野圭介
「日本映画はアメリカでどう観られてきたか」
以前よりも日本映画に興味をもつようになって、さて、外国では日本映画が、どんな目で見られてきたのか、それを知りたい気持ちが出てきた。
そんな今、図書館で見つけた本。
著者は、現在、新潟大学助教授。
本書は、タイトル通り、アメリカで大きく話題になってきた日本映画、監督を紹介している。
1952年にアメリカで公開された「羅生門」。言わずと知れた黒澤明監督の作品が、アメリカにおける日本映画の始まりといえる、という。
「羅生門」がヴェネチア映画祭で受賞した作品だというのも、映画自体に、一種の格のようなものを与えたのかもしれない。
さらに話は、ルース・ベネディクトが書いた有名な、日本文化の研究書「菊と刀」にも触れたりする。
その後、溝口健二の「雨月物語」や、ふたたび黒澤明の「用心棒」「天国と地獄」、小津安二郎の「東京物語」、大島渚の「愛のコリーダ」、伊丹十三の「タンポポ」、そして、宮崎駿の「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、大友克洋の「アキラ」といったアニメ映画までを語っていく。
「羅生門」や「雨月物語」などのときは、アメリカの映画評は、この目新しい日本映画を、どのように捉(とら)えていいのか戸惑っていたようで、アート系劇場にぴったりの作品、などとも言われていた。
読んでみれば、なるほど有名どころの映画や監督が多く並んでいるなあ、という印象。
面白そうな作品が、どんどん出てきている現在の日本映画界。外国にも、たくさん紹介できるといいと思う。〔2006・12・25(月)〕


北原尚彦(翻訳)
「シャーロック・ホームズの栄冠」

全24編の、シャーロック・ホームズ・パロディ&パスティーシュ集。パスティーシュというのは、模倣することだそうで、パロディではないんですね。ミルン、マクドナルド、バークリー、ベントリーなど、著名な作家の作品も。みんな、ホームズが好きなんですねえ。 〔2015・8・1(土)〕


北村薫
「謎物語 あるいは物語の謎」
北村薫さんの「謎物語 あるいは物語の謎」のなかに、読書論、また評論家論といえるような文章があった。引用させていただく。
「作品はそこにあっても、それを読むのは個々の読者なのである。名探偵は《あなた》なのだ。実りは読者の内にある。」
「読む」を「観る」に、「読者」を「観客」に替えたら、映画の話ではないか。
「たとえば、太宰の《トカトントン》を読んで、何も見えない人に向かい、『トカトントンはハラホロヒレである』といってしまうのが評論家ではないか。そのおかげで何かが見え、『ああ、そうか』という人が出て来る。すると、別の評論家が『いや、あれは断じてハラホロヒレではない。ガチョーンである』と演出するのである。」
こちらも、映画の評論家と読み替えても通るだろう。
読む人に新鮮な視点を提供できる、映画の感想が書ければ、すごいことだけれど。〔2001・6・9(土)〕

「リセット」
北村 薫さんの「リセット」を読んだ。戦前のドイツ映画「会議は踊る」でリリアン・ハーヴェイが歌った名曲「ただ一度だけ」が重要な意味を持って登場する。この映画、高校のときに観たが、また観たくなった。〔2001・7・16(月)〕

「街の灯」
ひさしぶりに北村さんの本。図書館で見つけて、さっそく読了。
中編3本が収められているが、本のタイトルになった話の中には、やっぱりチャップリンの「街の灯」が登場しているのでした。
舞台が昭和7年(1932年)だから、チャップリンとか「モロッコ」とか「巴里の屋根の下」とか、トーキー全盛、とか話題に出てくる。
本作は、女子学生が主人公なので、著者がデビューした「空飛ぶ馬」に始まる「円紫さんと私」シリーズと、なんとなく手応えが似ている。
主人公の花村英子は、社長の娘。女子学習院に通っている。華族のお嬢様が大勢通う学校ですね。庶民とは違う立場にいる。
英子の運転手として新しく採用されるのが、別宮(べっく)みつ子さん。英子がちょうどサッカレーの「虚栄の市」を読んでいて、その本に出てくる人物ベッキーと別宮さんがシンクロしてしまう。
英子は別宮さんを「ベッキーさん」と呼んじゃうのであった。
北村さんの小説でお馴染みのパターンで、登場人物たちの日常のお話を語る中で、ちょっとした謎を解決する趣向。
銀座の時計塔のことも出てきた。当時は服部時計店だったんだね。夜になると道沿いに屋台がずらっと並んだとは知らなかった。
銀座は、よく歩く場所なので、興味深かった。
さて、ベッキーさんだが、ただの運転手じゃない。ただ者でないところを、ちらっと見せるけど、続編では、もっと正体が分かってくるんだろうなあ。
巻末に著者インタビューが載っていて、なるほどと思った部分。
北村さんの作品の主人公は、凛とした女の子が多いが、設定にこだわりがあるのですか、と聞かれて…
「やっぱり抽象性を持つんじゃないかな…女性っていうのは。兄弟も男でしたし、男子校に通いました。ですから女性というのは、私にとっては、なにか遠い存在なんですよ。わりと私の書くものは寓話的なところが多いと思います。ほとんどの作品が寓話と言ってもいい。何々の女神とかいう言いまわしがあるけれど、そういう象徴としてのなにものかを託して書いているんですね。」
北村さんの作品のヒロインは、そういう感じ。うん、分かるような気がする。〔2005・4・2(土)〕

「ニッポン硬貨の謎―エラリー・クイーン最後の事件―」
この本はサイン本である!(自慢)
八重洲ブックセンターで、北村薫さんのサイン会があった。それで行った…
わけではなく、行けなかったのだが。_| ̄|○
この書店では、一般販売用として、よくサイン本を置いていることがあるので、もしかして残ってないかなーと思って行ってみたら、なんと1冊だけあったのだ! まるで私が買うのを待っていたかのように!
当然、買ったさ。
北村薫とサインされた下には、本のタイトルをもじって、硬貨の形に「ニッポン硬貨の謎」と書かれた朱印が押されている。…凝ってる。
エラリー・クイーンは、著名な推理小説家。本格ミステリの雄である。
作家と同名の探偵が活躍する作品には「ローマ帽子の謎」(1929年)に始まる国名シリーズがある。
北村さんはミステリ好きで、クイーンの大ファンだった。
本作は、クイーンの未発表の原稿が見つかり、それを北村さんが自分で訳した、という形をとる。もちろん、ウソである。そこまで創作しているのだ。
ストーリーは、探偵クイーンが日本に招待されたとき、ある事件に出くわして、それを解決するというもの。
北村さんは、たとえば、外国の小説を翻訳したときの、少し、たどたどしい感じを、わざと出す。
そしてこれが、いかにも、クイーンの文章を翻訳したときの訳文っぽいのだ!
そして、たとえば、絵本の説明をする場面で、本文では、「桃源郷から流れてきた果実の中から生まれた、超能力を持った少年となる。何者をも倒す魔法の武器を持ち…」などと書き、脚注のところで、「『桃太郎』のことだろう。」と、やらかす。
面白い。内容は本格ミステリ風の謎であるうえ、形式にも凝っているのだ。
「シャム双子の謎」の作品論を展開するところなどは、その作品を読んでいないと、じゅうぶんには分からないし、ネタばれ注意にもなるのだが、とにかく読む。
クイーンのミステリにおいては脚注も仕掛けのうちなのだ、という論は、その論が書かれている、まさに、この本作にも通じているのだ。すべてが作り事の世界…。
クイーンへの愛情を込めたパスティーシュ(パロディとは違う意味での模倣作品)の名に偽りはない。
ミステリファンなら、より楽しめるマニアックさ。そのへんが唯一、この作品の弱みといえば弱みだろうか。
クイーンと一緒に行動するのは、北村作品らしく、今回も、うら若き女性。
女子大生の小町奈々子だ。そのモデルは、戸川安宣さんのあとがきによれば、若竹七海さん(やはりミステリ作家系です)なのだそうだ。

「語り女たち」
「かたりめたち」と読みます。物語を語る女たち、ですね。
さまざまな女の語る話17編。
読んでいて、去年の12月から今年の1月にかけて読んでいた、岡本綺堂の怪談コレクション3冊(「影を踏まれた女」、「白髪鬼」、「鷲」)を思い起こした。
綺堂の上記3冊は、怪談という名前がついてはいるが、「不思議な話」程度のものも多く、そうした小品を集めた構成と「語り女たち」は似ていると思ったのだ。
辞書から消えた文字、ストーリーが違う「走れメロス」、ラクダが描かれたビンの不思議、眠れる森、河童の子孫の話、などなど。
「夏の日々」という父と子の話は泣けるし、ある細工を好きな人の本にしてしまう話は着眼点の見事さに感心する。
変わったプレゼントをくれる彼氏の話では、かつての北村さんの「円紫さんとわたし」シリーズにあったような、ふと微笑んでしまう、ちょっとした機転のきいた出来事といった印象も。
ラストの、梅の木と少年の話も、なんともいえず美しい夢物語。
北村さんの優しさや透明感などの持ち味が出た、文学作品。
この作家の特徴を知る手段としても、おすすめ。〔2007・7・5(木)〕

「ひとがた流し」
なにげない日常、さりげない友情、人のつながり、去ってゆく(去らざるをえない)者、見送る(見送らざるをえない)者…。
久々に読んだ北村さんの小説だが、あたたかい視線が懐かしく心を温めてくれた。悲しくもあるのだけど。
読んでいて、女性アナウンサーが「がん」(?)になることと、彼女の友人2人との友情、というところで、以前NHKでドラマになってるな、と気づいた。
見なかったけれど、予告は見た覚えがある。
調べてみると、2007年12月に3回連続のドラマになっている。資料的な意味で載せておくと、
石川千波:沢口靖子  水沢牧子:松田美由紀  日高美々:高木美保  鴨足屋(いちょうや)良秋:瀬川亮  日高玲:森田彩華  水沢さき:寺島咲  日高類:佐野史郎
といったキャスト。
そうか、沢口さんか。もっと、おばちゃんっぽいのを想像していたけど、アナウンサーだから、美形であって、もっともだ。
男に友人へのプロポーズをけしかけるなど、行動力を発揮することもある女性で、高木美保さんというのもイメージに合う感じ。
けっこう重要な娘役で、森田彩華さん、寺島咲さん。彼女たちの演技は見たことないけど、やはりイメージ的にはよさそう。
原作は、朝日新聞夕刊で2005年から2006年にかけて約半年、連載された。
泣かせるけれど、ただ、泣かせようというのではなくて、哀しいだけではなくて、なんだか前向きな感動もある。
人って、誰かとの関係、友情で、どうってことない出来事を覚えているもの。
そういうことを実感させられた。
何が記憶に残るのかなんてわからない。くだらないことが、ずっと頭の奥に残るのかもしれない。
でも、ささいなことでも、それが、その人にとっては、宝物のように大切な思い出になる。忘れられない誰かとの思い出になる。
だから。生きていることに無駄なことなどないのか。それが楽しくても悲しくても、どこで、どんな思い出が生まれるのか、わからないのだから。〔2010・7・18(日)〕

「玻璃の天」
2005年に読んだ「街の灯」の女子学生と運転手コンビの続編。
それぞれに、ちょっとした推理を含む3編。最後の転落事件は少し大がかり。〔2016・1・3・(日)〕

「鷺と雪」
直木賞受賞って、正直驚き。6回目のノミネートだったというから、そろそろいいかな、というのもあるのかもしれない。
失踪事件、獅子事件(?)、不思議写真事件の3編で、最後には歴史上の大事件で終わる。シリーズを通して兆候は見せていたが、戦争の時代がひたひたと忍び寄り大きくなっていく怖さの余韻。〔2016・1・19(火)〕


キャロル・ネルソン・ダグラス
「黒猫ルーイ、名探偵になる」
黒猫ミッドナイト・ルーイが探偵ということだが、ほとんどは広報担当の女史テンプル・バーのお話。コージーミステリ・シリーズの第1弾。次作は図書館で見かけたら借りてもいいかな程度。〔2016・4・21(木)〕


京極夏彦
「続巷説百物語」
「続巷説百物語」を読み終わりました。相変わらず面白かった。
WOWOWで何回か放送したことがあるせいで、読みながら、そのときのキャストが頭の中で行動していた。
でも、このシリーズ、最後がこれで完結したように終わってるので、ちょっと寂しい。〔2001・10・9(火)〕

そう、あたしも見ましたよ、テレビで放送した「七人みさき」。
この「続」の後半には、そのお話の原作、北林藩にまつわる事件が書かれてまさァね。
他と比べると、ずいぶんと長い話ですな。
前の話の「飛縁魔」の登場人物が引き続いて出てきますし、これは大作ですよ。
ひとつの藩に対しての大仕掛け。
前のほうにある、ふたつの話は、治平さん、おぎんさん、それぞれの過去とかかわる事件を見せてくれて、興味を引きます。
あたしゃ貸本屋ですが、これだけの本の厚みを、ものともしない面白さ。これは、見過ごせませんね。
同じ京極夏彦さんの作でも、京極堂シリーズのほうは、ペダンチック(学問・知識をひけらかすようなさま)なところが難しい点もありますが、こちらは読みやすいこと、このうえないわけで。
又市、治平、おぎん…愛着がわいてくるってもんです。
あたしは、うらやましいですよ。あの方たちとお知り合いだなんて。それも、ご一緒に仕掛けをなさったんだからねえ。
たとえ住む世界が違うといっても、悪をこらしめる働きぶりは、なんとも魅力的でさァ。
ええ、そのうち、次の御本も読ませていただきますよ。
「新巷説百物語」、直木賞をとったものですね。
貸本屋のあたしが、どうして読んでないかって…それは言いっこなしにしておきましょうや。ね、百介先生。 〔2007・9・14(金)〕

「今昔続百鬼―雲」
<増刊メフィスト>で連載されていた、多々良先生シリーズに、書き下ろし1本を加えたもの。
妖怪好きの凸凹コンビが、行く先々で、妙な事件に遭遇する。ちっとも名探偵じゃないのに、なぜか事件が解決してる。
書き下ろし編では、なんと、憑物落としの拝み屋、京極堂こと中禅寺秋彦まで登場するじゃないかッ!
そういえば、京極堂シリーズの「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」は、いったい、いつでるんだッ! 何年、次作予定に載ってることかッ!〔2002・3・12(火)〕

「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」
うぶめのなつ、と読む。読んだのは2回目。
1994年に発表された、京極氏のデビュー作。
事件の展開を妖怪話になぞらえた、おどろおどろしさの魅力と、薀蓄(うんちく)か詭弁(きべん)かも分からなくなってくるような怒涛の弁舌。
古本屋&陰陽師の京極堂こと中禅寺秋彦や、超能力探偵の榎木津、頑固でこわもての木場刑事、売れない作家で欝傾向のある関口など、キャラクターも面白い。
心と脳の関係、命とは何か、どこに存在するものなのか、時間とは何か、などの論は、ほんとにそうなんじゃないかと思うほどの説得力あり。
謎の中心にあるトリックも驚くべきもの。すごく心理的。
ほんとに面白い。〔2003・6・25(水)〕

「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」
デビュー作「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」に続いて読んだのは、順番通りに第2作。これも読んだのは2回目。
文庫で1060ページもあるから、もう大変。分厚いし。
帰りの電車の中でしか読んでなくて、1回50〜60ページ程度しか進まないから、そりゃあ、20日くらいかかるわな。
箱詰めの○○…なんと猟奇的なことか。乱歩か夢野久作か、なんて風もあるか。
しかし、陰陽師・京極堂の謎解きは、妖怪のごとき情念の世界だけでなく、科学の領域もしっかり持ちこみ、論理的でもある。
魅力的なキャラクターも揃って、やはり、たいそう面白い。
実際、こんなに長いのに詰まらなかったら、耐えられんぞ。〔2003・7・15(火)〕

「狂骨の夢」
京極堂のシリーズの読みなおしで、これが3作目。
最初に読んだことを、ちっとも覚えていないのは情けないが、覚えてないから謎解きがもう1回味わえる。複雑な気分じゃ。
最近やっと新作「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」が発売されたが、ひととおり読みなおしてから新作へ行くか。
2作目の「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」でも思ったが、とても論理的で、パズルがカチッ、カチッとはまっていくような解決。
今回は、それほどややこしくない(ように思えるけど)。
ダブルのトリック。
宗教から、フロイトやユングの精神分析にまで話は及び、髑髏(どくろ)をめぐって人間が振り回されて、右往左往する。
登場人物が相変わらず個性的で面白いのが、このシリーズのよさ。〔2003・9・8(月)〕

「鉄鼠の檻(てっそのおり)」
むうう、すごい。禅宗のことについては、この本をじっくり読めば分かるのではないのだろうか。
一読しただけでも、なんとなく分かった部分もある気になっている。やたら難しい本を読まなくても、ミステリを読んで「禅」が分かるなんて、お得だろう。
文庫では解説に似たようなことも書いてあるが、まさにそう思う。
「数ある宗教の形の中で、殆ど唯一、生き乍(なが)らにして脳の呪縛から解き放たれようとする法が禅なのだ。」
これには唸りましたね。
京極堂のシリーズは、これまでに、「脳」の仕事のことについても触れてきている。そうしたところに、脳の呪縛なんていう言葉が来たものだから、おお!と思うのも無理はないかも。
迷いや悩み、頭に生じたものを何でも、ただ受け流す。「無」というのは、そうした境地なのかもしれない。脳の呪縛に囚われずに受け流すのだ。
この著者の頭の中は、いったい、どんな作りになっているのか。何年も、こうしたことを考えているのかな。
文庫で1360ページ。帰りの電車でしか読まなかったから、ほぼ1ヵ月もかかったわい。〔2003・10・13(月)〕

「絡新婦の理(じょろうぐものことわり)」
前作は禅の世界が舞台だった。
今度はキリスト教、しかも女学院だ。しかも私の田舎、房総が舞台だ!
女学院だから、女学生の学園生活も垣間見えて、青春ものの趣も、ほんのちょっとだけ、うかがえる。
その学園で事件が連続する。
一方では、猟奇的な目潰し殺人魔の一連の事件を、前作は管轄外で登場の機会がなかった、おなじみコワモテの、東京警視庁・木場刑事が追う。
この2つの事件が絡むが、すべての登場人物は、見えない真犯人に踊らされている。
誰が何をしようと、たとえ京極堂が出張っても、犯人がめぐらせた罠は間違いなく進行する。途中の変化はあっても、たどりつく結果は変わらないのだ。
中心で事件を操る蜘蛛――その正体だけが、いつまでも見えない。自分は直接手を下さない。安全な場所にいる。
からくり、の面白さ。
今回はフェミニズムの問題も取り上げて、あいかわらず、壮大に、綿密に、構築された世界を繰り広げる。
この「からくり」、なんとなく分かったが、まだ、あやふやだ。結論を知ったうえで、あらためて読みながら、図表でも書かないと、すっきりと分からないかもしれない。〔2003・11・12(水)〕

「塗仏の宴 宴の仕度(ぬりぼとけのうたげ うたげのしたく)」
これは「塗仏の宴 宴の始末」へ続くもので、まるで「マトリックス リローデッド」のような存在。(違うか)
6編の話から成り、いかがわしげなインチキ宗教もどきには気をつけろ、みたいな話が連続する。善良な人間を、惑わせ、操るところが、いってみれば、妖怪じみているかもしれない。
各話は、京極堂の妹・敦子が主人公だったり、「狂骨の夢」で印象的だった朱美が主人公だったり、「絡新婦の理」の茜が主人公だったりで、バラエティに富む。
宴の仕度は整った。さて、これから、どう始末をつけますか。〔2003・11・28(金)〕

「塗仏の宴 宴の始末」
これだけ多くの登場人物を巧みに操り、大きな絵図を仕上げていく、京極夏彦。
まったくもって脱帽である(帽子はかぶってないけど)。
(まじめに書け、私)(←「マンハッタンラブストーリー」の店長入ってるぞ)(観てない人には分からないじゃないか!)
これは、アイデンティティの問題でもあるのではないか。自分は何者なのか。自分というものが、いかに、もろいものであるか。
だから逆に、それぞれの人間というものは、大切で、いとおしいのではないか。〔2003・12・13(土)〕

「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」
ネタばれになるので書けないが、どうして犯人がそう考えるか納得がいかない。
状況が極端だからOKにしたのかもしれないが、やっぱり、そんなのは変だと思う。(読んでないと、意味がさっぱり分からないと思うけど。)〔2003・12・31(水)〕

「百器徒然袋―風」
調査も捜査も推理もしない。ただ真相あるのみ! 眉目秀麗、腕力最強、天下無敵の薔薇十字探偵・榎木津礼二郎が関わる事件は、必ず即解決するという。
探偵を陥れようと。「下僕」の益田や本島らに仕掛けられた巧妙な罠。榎木津は完全粉砕できるのか? 天才の行動力が炸裂する『五徳猫』『雲外鏡』『面霊気』の3編。
以上は、本のカバー解説そのものだが、紹介のために引用させてもらいました。
京極堂シリーズでも異彩を放つ探偵、榎木津が主役の中編集。
この人、他人を見れば、その人の記憶が視覚的に見えちゃうという異能の持ち主。
だから、真実が一発で分かってしまうことが多いのだ。
傲慢不遜、普通の人間は、下僕扱いの、メチャクチャなキャラクター。
けっきょく、京極堂も、榎木津の関わる事件の渦中に引っ張り出されてしまうという、腐れ縁とも言えそうな、いいコンビ。
笑えるところも、いっぱい。(ばかばかしくて?)
なにしろ、キャラクターが最高、トリック、薀蓄(うんちく)もあり、相変わらず、楽しませてくれます。
招き猫の由来が興味ある話だった。右手を挙げてるのが金運じゃないかという感じだが…宝くじ売り場の猫は左手を挙げてるなあ…。
うちのキリ番猫も。〔2004・7・22(木)〕

「ルー=ガルー 忌避すべき狼」
ルー=ガルーとはフランス語で、夜間、狼に化けてさまよい、悪事を働く伝説上の怪物。
ユニークなのは、近未来の設定のアイデアを、ネットや雑誌で読者から募集して、それを物語に盛り込んだということ。
14〜15歳の少女が連続して殺される事件が起きる。21世紀半ばの世界は、週に1度のコミュニケーション研修の他は、ほとんど他人と接触しなくてもいいような暮らし。モニタや端末などが必須のアイテムの、バーチャルな世界だ。
殺人事件に巻き込まれて活躍する4人の少女が、生き生きと描かれていて面白い。
カウンセラーの女性と、体制(警察)側から弾き出されそうになっている警察官も味方だが、2人は事件解決の点においては脇役に過ぎない。
前半は、近未来のさまざまな様相が語られたりして寄り道しているが、まさしく半分ほど進んだ後半から、話は急展開、がぜんアクションづいてくる。どんどん読んでしまう。
京極さんらしく、この本も分厚いが、思ったよりは読みやすい。
たまには短くてビシッとしたのも書いてほしいけど。〔2004・8・16(月)〕

「覘き小平次(のぞきこへいじ)」
「嗤う伊右衛門(わらういえもん)」につづく、京極風の怪談。面白い!!
本作は、山本周五郎賞を取っている。
幽霊の役をやらせると絶品という役者、小平次。だが、他の役はまるで駄目、あげくに破門されてしまっている。
存在感が薄く、普段は押し入れにこもって、ふすまの隙間から世間を覗くばかり、という何とも変な人物。
そんな男に、奥州での芝居興行の話が持ち込まれる。しかし、その話には何か裏があるらしい…。
元ネタは、山東京伝の「復讐奇談安積沼(ふくしゅうきだんあさかのぬま)」であるらしい。
巻末の「関連文献」を見ると、鶴屋南北、式亭三馬、河竹黙阿弥、といった有名な名前が並んでいて驚いた。じゃあ、けっこう有名な話なんだ?
関連文献リストには、鈴木泉三郎「生きている小平次」というのもあって、このタイトルは聞いたことがあるなあ、と気がついた。映画にもなっていたのだ。
登場人物たちの多くは、反応を示さない、感情を表さない、この幽霊みたいな存在の男が理解できず、不安になり、自分の心を覘かれているような気にもなるのだろう。果ては、まるでそこに自分の弱さの鏡を見るように、恐れ、おののき、怒る。
物語の中に、他の京極作品の、「あの面々」が登場してくるのも面白い。なるほど、そういうふうに使えるか。
小平次の妻、お塚が、なんとも格好いい女である。
彼女もやはり、小平次に覘かれていることに苛立ちながら暮らしている。(一応は夫婦の形だが、覘き覘かれ暮らしているだけ、これはなんという異常な状態なのだろう。)
小平次のことが嫌いだ嫌だ、憎いのだと言いながらも、どこかで、そうでもない空気が窺える。
それにしても、お塚の啖呵は痛快だ。一例をあげると…
「さっきから聞いていりゃぐだぐだと、己勝手なことばかり。少しは気骨があるかと思うた妾(あたし)の見込み違い、安達多九郎、小平次に勝るとも劣らない痴れ者だよ」
「荒神棚が聞いて呆れる。お前なんざ吊っちゃ落ち吊っちゃ落ちの役立たず、荒神様も落っこちて竈(かまど)の灰被りだわえ。…」
かっこいい…。惚れるぜ。
他にも、この文章などは、どうだ。
ヤレ芝居道楽の色狂い、舞台の立役に横恋慕、金に飽かして搦め捕り、躰に飽かして溺れさせ、終に寝取ったのじゃという噂。…(もっと続きます)
まるで芝居か歌舞伎か、というような、ぽんぽんとしたテンポのいいセリフのやりとりも素晴らしく、(単行本だというのに、)場が変わるところで、幕までも降りるのである!
小平次の周囲の野郎どもは、じたばたするばかり。それも悲しく読者の心に沁みる生き方なのだが。
くらべてみれば、最後には、お塚は、生きる覚悟が違ったのだ。
もしもそんなふうに彼女に言ってみたところで、たぶん、「そんな小難しいこと、妾にゃわかりゃしないよゥ」と言われそうだ。
変わっちゃいるが、大層、見事なラブストーリーである。〔2005・2・13(日)〕

「豆腐小僧双六道中ふりだし」
四角い本でございます。
しかも分厚いですな。
この厚さ、さすがに京極本だけあります。読み終わるのに、どれだけかかるかと読む前には多少構えてしまいます。
ところが、読んでみると、これが大層面白うございます。
まるで落語かなにかのような語り口調でございます。この文章も、ほんの少しばかり真似しているのでございますが。
そこへもってきて会話文が多いのでございます。とくれば、これはもう、すいすいと読めますな。
お話は、愛嬌いっぱい、その姿を見れば思わず笑ってしまうような妖怪、豆腐小僧が、行く先先で、様様な妖怪に出会います。
鳴屋(やなり)、達磨(だるま)、化け猫、狸、狐、轆轤首(ろくろくび)に見越し入道。
まるで妖怪バラエティでございますな。
みんな、キャラクターにぴったりの大活躍で、にやにや笑ってしまうユーモラスなところも多多ございます。
消えてしまう妖怪なのか消えない妖怪なのか。豆腐小僧は自分が消えるのを怖がっております。
はたまた、自分には家族はいるのだろうか。知りたがっております。そういう、いわば自己存在、アイデンティティに悩む豆腐小僧でございますな。
妖怪は人間が作り上げたもの、というのが本書の根本思想と言えましょうか。
人間が「感得」しなければ、妖怪は出てこないのでございます。ああ、怖い、ここにお化けがいるんじゃないか、と人間が想像して初めて、お化けが出るのでございますな。
とにもかくにも、妖怪、お化けに興味が少しでもあろうというお方なら、なおさら楽しく読めること請け合いの1冊でございます。
題名に「ふりだし」とありますが、どうやら続編もあり得るようで。
本文にも「…豆腐小僧の諸国行脚の武者修行が、漸(ようや)く始まる訳でございますが――。」とありますな。
分厚い本を、ようやく読み終わったと思えば、これが道中の始まりだったのでございます。
この続きは――もしも、あるなら、のんびり待つと、いたしましょう。〔2006.1.27(金)〕

「邪魅の雫」
「じゃみのしずく」と読みます。ドラマ「トリック」で大家さんとワケありのジャミー君とは違いますね。あ、ジャミー君をご存知なければ問題ありませんので。
京極堂(中禅寺)の憑き物落とし、さて今回は、どんな活躍を?
探偵・榎木津の縁談相手の家から次々に断りの返事が来る。しかも、ある家では娘が亡くなっている。
探偵助手の益田と、どういう因果か知らないが巻き込まれ型の典型である、作家の関口が、この事態を探りはじめる。
一方、前回の事件で降格人事を受けて交番勤務の青木は、ある事件に関わり疑問を抱き、突っ込んだ捜査を開始する。
印象としては、この青木や益田が今回の主役に近い。
ただ、終盤に京極堂が出てきて事件の解説に入ると、どうしても彼が中心になるが。
途中までは、どういう話になっているか、つかみにくいこともあったのか、あまり乗り気でなかったが、中盤からは、俄然面白く読めるようになっていた。
しかしながら、怪しい人物たちの精神構造が、馬鹿すぎる。人を殺すということの意味について、よく分かっていなかったりするのは、そういう人間もいるかもしれないが、読んでいて腹立たしい。
加えて、常人には理解しがたい行動をとる、頭が弱いような男も出てくるしねえ。
そういう奴らがいなければ、話が成り立たないのだろうけれど…。
事件の構成としては面白い。犯人、動機。
手段としては、少し無理があるかもしれないが、悪魔的な力を得たときに、人間がどうなるのか、に思いを馳せたときに、これは恐ろしい。
京極堂の「うんちく」、今回は「書評」についてが面白かった。関口が自分の小説に対する評価を気にするのだが、京極堂は一蹴する。
ちょっと引用してみる。
『読書に上手いも下手もない。読む意志を持って読んだなら、読んだ者は必ず感想を持つ。その感想の価値は皆等しく尊いものなのだ。書評家だから読むのが巧みだとか、評論家だから読み方が間違っていないとか、そんなことは絶対にない。良い評論と云うのは慥(たし)かにあるんだが、それは論ずるのが上手というだけだ。…(後略)』
つまり、こうして書いている、この文章だって、論ずるのは下手だが、尊いものなのだ。(と自分で安心してみる。)
そして、著者の京極夏彦さんが気にする必要はない。読んだ私が思ったことを書いているだけなのだから。
ましてや、この文章の読者は、『ああ、なる程ねと思えばいいだけのこと』である。
この考え方は、映画の感想の場合にも、そっくり当てはまる。
面白キャラである、木場と榎木津の出番が少ないのは、ちょっと残念。
捜査一課の山下さんが再登場で、以前と比べて、しっかり頑張っていて好感が持てた。
事件の主な舞台となる大磯・平塚地区では、特別版カバーで限定販売されているとのこと。〔2006・10・23(月)〕

「巷説百物語」
「御行奉為――」(おんぎょうしたてまつる――)
御行の又市(またいち)、またの名を、小股潜り(こまたくぐり)の又市の決め台詞(ぜりふ)である。
御行とは、行者のような格好で鈴を振り、魔除けの護符を売り歩く者。
小股潜りとは、甘言を弄(ろう)して他人を謀(たばか)る、というような意味。
御行の又市、事触れの治平(ことぶれのじへい)、山猫廻しのおぎん(やまねこまわしのおぎん)による大仕掛け。
事触れとは、鹿島神宮のご託宣を触れ回ること。
山猫廻しとは、義太夫節を語りながら片手で人形を操る女傀儡師。傀儡(かいらい)とは操り人形のことである。
依頼を受けて、悪党をこらしめる彼らの活躍は、異種の「必殺仕掛人」?  
はたまた、「スパイ大作戦」のようなチームプレーをも思わせる。
彼ら3人も、元はといえば悪党だが、なんの因果か人助けに転じているのだ。
この3人に、諸国の怪異譚を聞き集めるのが趣味という物書き、考物の百介(かんがえもののももすけ)が絡んで、物語は進む。
考物とは、子どもたちがする謎々のようなもの。それを考えるのが百介の今現在の本業だ。
「絵本百物語」の妖怪をテーマにして物語が作られている。
中禅寺(京極堂)たちの活躍するシリーズとは、また違った魅力が一杯の、江戸時代を舞台にしたエンタテインメント小説である。
京極夏彦の、ストーリー展開の上手さには、感心するほかない。
衛星放送のWOWOWでドラマになり、2000年は4話を放送。又市に田辺誠一、治平に谷啓、おぎんに遠山景織子、百介に佐野史郎という配役だった。私はこのシリーズを2話ほど観ている。
2005年と2006年には、それぞれ1話。堤幸彦の監督で、又市に渡部篤郎、治平に大杉漣、おぎんに小池栄子、百介に吹越満。
2003年、中部日本放送などで13話のアニメにもなっているようだが、これは関東では観るチャンスがあったのだろうか。〔2007・8・29(水)〕

「旧怪談(ふるいかいだん)」
以前、岡本綺堂が書いた「影を踏まれた女」、「白髪鬼」、「鷲」の感想を書いたが、本作もそれに似た感触。
怖いというよりも、不思議な話。
前書きにもあるが、これは江戸時代に書かれた「耳嚢(みみぶくろ)」の中から怪しい話、奇妙な話を京極さんが書き改めたもの。原文もついている。
たとえば最初の話は、ある人が、夜道で何かがうずくまっているのを見る。戻ってみても何もない。だが、彼は熱を出して、しばらく伏せってしまった。というもの。
また、「小さな指」という話は、頭痛に悩む男のために、知人が頭痛に効くという霊験あらたかな神社に代参する。男は激しい痛みで気を失うが、小猿が2匹現われて彼の頭を、もんだりさすったりする。気持ちがよくて頭痛は止まり、そのとたん目が覚めた。代参に行った男にその話をすると、その神社には猿の描かれた額がたくさん飾ってあった、という。
私もけっこう頭痛があるので印象に残った。お参りして、猿に治してほしいものである。(笑)
そんな、ちょっとした話が、たくさん入っている。
原文だと面倒な「耳嚢」を、分かりやすく読ませてくれるのは意義があるだろう。〔2008・10・30(木)〕

「幽談」
ちょっとした怖い系の想像力や、夢的なものに影響された心象風景みたいな?
京極さんでは、先日「旧怪談(ふるいかいだん)」という本を読んだが、その現代版のような印象も。
妙に記憶に残っているのは、ベッドの下に何かがいる話。
ただ、いるだけで悪さをしない。なにこれ?
けど、なんだか嫌でしょ。
怖いんだか何だか、よく分からない気分なのも、あとを引く。
…そして、手首を拾ったからといって、だから何というのでもないのです。
ただ、そうなのです。
淡い夢の狭間なのかもしれません。
怪談専門誌「幽」の連載に、書き下ろしを加えて単行本化。
八つの幽(かそけき)談(はなし)。
怪談というほど、はっきりしたものではないもの。
人間の精神って、不思議だなあ。〔2009・5・6(水)〕

「南極(人)」
こっ、これは!
くだらない。くだらなさすぎる!(笑) という、ほめ言葉が似合うであろうか。
カバーと扉のイラストは、しりあがり寿である!
カバーに描かれている、さえないオヤジが、主人公の南極夏彦である。著者の名前に激似である。ギャグである。
この本の中の一編、赤塚不二夫のイラスト入りで書かれた「巷説ギャグ物語」によれば、著者が『ギャグ漫画があってギャグ小説がないのは納得いかん』というので、生まれた作品のようだ。
各編のタイトルもパロディで、「宍道湖鮫」「ガスノート」「探偵がリレーを」などと、ふざけている。
「こち亀」30周年を記念したコラボレーション企画で、秋本治がイラストを描いた一編もあり、ばかばかしいながらも豪華な一面も。(笑)
また、古屋兎丸の描く女の子には、まったく萌えそうである。(爆)
本の装丁が、ものすごい。
各編ごとに、本文が一段組になったり、二段組、三段組になったり。同じ二段組でも微妙にレイアウトが違ったりする。
書体も変わる。太字もある。用紙も変わる。一冊の本の中で、数種類の紙が使われている。
漫画まである。
もっとも注目すべきは、「しおりひも」。これが4本もある。黒3本に白1本。
これは、主人公の「簾禿げ(すだれはげ)」のイメージに違いない!
残り少ない頭髪を、すだれのように頭の前に垂らしている、その様子を、ほうふつさせるではないか!
しかも、1本は、白髪(しらが)だ!
なんと、ばかばかしく豪華な仕様!
だいたい、4本も使うか? 一冊を4か所同時に並行して読み進めるヤツがいるだろうか!
ことほどさように、凝りに凝って、凝りすぎなのである。
京極さんは、こんな馬鹿馬鹿しい話も書くのである。
みじんも真面目に構えてはならない。ばっかでー。と、ゆるく笑いながら読もう。〔2009・7・8(水)〕

「数えずの井戸」
「番町皿屋敷」の怪談を、京極さんの解釈で、小説に!
「嗤う伊右衛門」「覘き小平次」に次ぐ、日本の有名怪談のアレンジ再生小説の第3弾。
おもしろかった。
京極堂のシリーズのように「うんちく」がないから、ストレートにグイグイ読める。(いや、うんちくがつまらないというわけではない。)
毎度の分厚い本も、なんのその、もっと厚くたって、すいすい読めるのである。
番町更屋敷について、発行元の中央公論新社の特設サイトの説明をひくと…
お菊は、「四谷怪談」のお岩と並んで知られる「女ゆうれい」。
岡本綺堂による戯曲「番町皿屋敷」で有名になった皿屋敷伝説は、実は全国に伝わっています。
バリエーションは多々ありますが、十枚揃いの家宝の一枚を割った罪で惨殺された「菊」という名の女中が、投げ込まれた屋敷の井戸の縁に夜な夜な化けて出て、「一枚、二枚......」と九枚まで皿を数え、「一枚足りない」と恨めしげに呟く......という怪談を、なんとなく知っている方は少なくないでしょう。
『数えずの井戸』も、それらの伝承と同様、彼女が井戸端で皿を数えるようになるまでを描いています。
京極さんの話からも少々。
「…井戸の周りを二人の男女がぐるぐる回っていて、回っているうちに分身の術を使って数が増えちゃって(笑)、いったい何人いるんだと数を数えるんだけど数え切れない、そういう話ですからね…」
「…登場人物のほとんどが同じ人物の複写…」
物語は、主な登場人物を「数えること」をどう感じているのかを交えながら紹介していき、(上記の京極さんのコメントを考えれば、)欲と無欲、憎しみと無垢、狂気と正気など、表裏一体の人間の多面性を描きつつ、最後の怒涛の終末へとなだれ込む。〔2012・12・18(火)〕

「対談集 妖怪大談義」
ちょっと難しげな学術的な話も出てくるが、妖怪好きの熱気充満。民俗学者の柳田國男にも時々触れていて、でも本人の著作を読んでみないと実際にはどんなものかわからないなあと思う。
わが地元の物語である「里見八犬伝」をほめてくれているのは、うれしいです。〔2015・3・26(木)〕

「ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔」
1作目の事件がどんなものだったか、まったく思いださないが、支障はなかった…。女の子たちの個性がくっきり。しかし、長い。でも、おしゃべり部分などを削ったら、つまらないのかも。〔2016・2・20(土)〕

「書楼弔堂 破暁」
本屋の主人が、あなたには、この本がよろしいでしょうと、本をすすめる相手が有名人なのがオチというか。連作シリーズ化。〔2016・11・6(日)〕


清田予紀
「シネマがおしえるオトナの心理術」
清田さんの本は、とにかく何か読んでみたかった。
なぜなら、ネット上での知り合い、ブロガー友だから。 著書のなかで、映画に関するものがあったので、それをチェック。1995年の本ですね。
心理学の目を通して、いろんな映画を語っている。
映画というものは、人間を描くことがほとんどだから、これすべて心理学といってもいいわけで、清田さんが書かれているように「心理学が理論書なら、映画は心理学の実践書」みたいなことになる。
映画「スピード」で、「異常な状況で結ばれた2人の恋は長続きしない」というのは、映画のなかでサンドラ・ブロックとキアヌ・リーブスの間で交わされていた会話なので、私も覚えていた。
たとえば、会社で同じプロジェクトにかかわって、ともに頑張った、という場合なども、男女仲良くなりがちだよね。
客観的に、頭を冷やしてみたら、どうなのか、が肝心か。
「人をほめる場合は曖昧な表現を使うこと」なんて言葉もあった。
あいまいな表現をされると、人は自分に都合のいいように解釈することが多い、というもの。そうか! 覚えておこう!(笑)
などなど、「ヤマアラシのジレンマ」という面白い用語があったり、聞いたことがある「ピグマリオン効果」「PTSD」、もちろん「プロファイリング」といった言葉も出てきた。
心理学といっても、まったく難しげではなく、そのうえ、映画が好きな人には、そちらの興味でも気軽に楽しめる本。〔2009・3・4(水)〕

「9割の相手を思いのままにする心理術」
相手の腕を触りながら話をする (…うん、彼女または彼に対しての効果はあると思う!)
…などなど。
ブロガー友だちで、ときどきお会いする清田さんの著書。
いろんな場面での心理術を、ふわ〜りふわりと気軽に読ませて教えてくれる。
テクニック、相手を思いやって、うまく使えるといいよね!
はっ! …清田さんと、面と向かってお話ししているとき、もしかして心理を操られていたのかも!
(なんか、まずいこと告白してないだろうな…笑)
内容紹介文は…
「悪魔の耳打ち」―注射のように即効性はあるが、副作用もあり得る心理テクニック。「天使のささやき」―漢方薬のようにじわりじわりと効いてくる、確実だが時間のかかる心理テクニック。あなたは、どう使い分けますか?〔2013・10・11(木)〕

「人間心理のふしぎがわかる本」
ネットで知り合って、たまにお会いもしている著者自身から新作をいただきました。いろんなネタが大量につまっていて、さすがによくご存じだなあと。ひとつだけ挙げておくと、手を洗うと決断に自信が持てる、というのは何となくわかる。洗ううちに気持ちが落ち着くんじゃないかなあ。〔2017・1・24(火)〕


桐ヶ谷まり
「生粋 マリリン・モンロー、あるいは虐待された少女の夢」

本書のカバー絵は著者によるもの。著者の桐ヶ谷さんは、お会いしたことはないが、日本マリリン・モンロー クラブの会員さんでもある。
本の発行日がマリリンの誕生日の6月1日で、私の手元に届いたのも6月1日だった。なんだか、すごい。
マリリンに人生を影響される実際の例を、これほどはっきりと読むのは初めてかもしれない。
桐ヶ谷さんは、16歳の夏に、映画雑誌のマリリン没後十年特集号に出会う。
そのなかの、(マリリンが)睡眠薬のビンを片手に死んでいるところを発見される、といったタイプの女の子だった、という記述に、自分と同じだと思い、そのマリリンが後に大統領の式典に出席するほどになったことに驚く。
『出発点が同じなのだから、それなら、私もがんばれば、何者かにはなれるのかもしれない』(『 』内は本文引用。以下同じ)
自分の人生に強く関連づいた人物なのだから、それはもう、特別な存在になるのは納得。
『マリリンが今でもこれほど多くの人に愛されているのは、この人の世の、淋しさと温もりの両方を、あの体をいっぱいに使って教えてくれたからではないだろうか』
というところは、感覚的に大いに共感した。そういう表現はいいなあと。淋しさと温もり。マリリンは本当にそれを感じさせる人。
マリリン90歳のときを想像して描写したシーンは、私もそうあってほしいなあと思うような理想。世界中のファンの夢かもしれない。
「バス停留所」の話は長く書かれていて、マリリン演じるシェリーの相手役「ボー」(私のハンドルネーム)の名前もたくさん出てくるので、なんとなくうれしい。
桐ヶ谷さんは、児童学を学んでいて、「田口理論」というものを紹介している。それによると、2歳ごろまでに重要なのが密着型の育児。
マリリンの場合、その時期には里親のアイダ・ボレンダーにかわいがられていたと推測している。
『見られて、見つめ返して、とりこにする』
『目を閉じた顔がこれほど雄弁な女優も珍しい』
なども印象的なので書き留めておく。〔2016・6・6(月)〕


桐野夏生
「玉蘭」
タイトルからすると、中国の歴史物かと思ってた。ちょっと違った。
読みは、「たまらん」じゃなくて「ぎょくらん」です。え、分かってるって?
時は1920年代から現代まで、場所は中国の上海、広東と日本を舞台にして、いくつかの男女の愛のゆくえを描く。
夢か幻のような、伯父の幽霊との邂逅。残された玉蘭。
現実ではない、夢の世界の場面がぴりりと効いている。
人が生きていく限り直面する、異性との関係。自我を持った者同士が対するから、関係が破綻することもある。ほんのちょっとした出逢いが、それからうまく運ぶこともある。ひとつの出逢いがあれば、ひとつの終わりがある。大事なのは終わりに至るまでの過程だ。
桐野夏生さんの、クールで冷徹とも思える人間観察は好きだな。
ある意味では、北村薫さんのあったかさとは対極のイメージかもしれない。
どっちも好きな私は、いったい何?〔2001・11・6(火)〕

「光源」
桐野さんの小説の登場人物は、なにかしら、物事に心をとらわれながら生きている人が多い。(つまり屈託があるということ)
すっきりしたハッピーエンドは思い当たらない。とてもクールな印象。
他に私が好きな作家に、北村薫さんがいるが、この2人、かなり対極に置かれるような気がする。
かたや、心の底では人を信じていて、あったかい。
かたや、心の底では人を信じたくて葛藤していて、クール。
まあ、たんなる印象だけど。
「光源」は、低予算の日本映画製作にたずさわる人々の人間模様。
自分が映画の中心でなければプライドが許さない主演男優、
最近ヌード写真集を出し、この映画で女優のきっかけをつかみたい元アイドル、
自分の脚本と実際の映画進行とのギャップに悩む新人監督、
寝たきりになった有名監督の夫を抱える女性プロデューサー、
以前は女性プロデューサーの恋人だった撮影監督、などなど。
中盤、男優が撮影にヘソをまげるあたりから、がぜん面白くなった。
読了する。が、この物語は完了していない。それぞれの人生は続くのである。〔2002・6・6(金)〕

「ローズガーデン」
図書館で見つけた。ラッキー! 速攻で借りた。
奥付を見ると2000年6月の発行。当時、図書館では借りようとする待ち人数が多かったから、予約もしていなかった。
女性探偵・村野ミロのシリーズで、中短編が4本入っている。
冒頭は書き下ろしで、ミロが高校生のときから付き合っていた恋人の回想。
彼女が高校生のときは、こんな娘だったんだ、という話。いまに続く「魂の孤独感」のようなものは、この頃からすでに始まっていたと分かる。
他に、マンションの幽霊騒ぎ、新宿の中国人クラブの女の話、SMクラブの女の話。
桐野さんは「OUT」で好きになった。
人の悪意や狡(ずる)さの裏側に、悲しみや寂しさにもがいている普通の人間の姿を浮き出させる視点が好きだ。
冷たくて鋭くて締まっている。
満たされなさ。
そんな感じがいいのさ。〔2003・8・9(土)〕

「ダーク」
ううううん!ハードボイルド!!
村野ミロが主人公のシリーズ4冊目(のはず)だ。
桐野さんの小説は好きだが、ミロ・シリーズは、あまり覚えていない。「ローズガーデン」は多少印象的だったが、おおむねピンとこない話が多かったのか。
だが、今回は、まさにダークである。ハードといってもいいか。
ミロがキレて起こした出来事が、どんどん彼女を抜け出せない深みに追い込んでいく。先のことなど知ったことか、という強烈な勢い。
周りの人間も、クセの強いヤツばかり、しかも、ぎらぎらとワルな部分が剥き出しになっている。いい人間など出てこない。というか、いい人間だって何かあれば、卑怯で意地悪で暗くて、なにやらべったりと濃い部分(ダーク)が出てくるよ、ということなのかもしれない。
殺し、逃亡、追跡、レイプ。悪意、憎しみ、したたかさ。寂しさ、悲しみ、弱さ。
そんななかでも、ミロはやはり、愛を求めている。生き延びる戦いの日々であっても、この純愛模様は、どうだ。
ハードな人生だからこそ、安らぎを求めたいという、逆の振り幅も大きいに違いない。
ミロの男、ジンホが、また、いいのである。
「…お前を嫌いには絶対にならへん。大丈夫や、安心し。お前が俺に愛想尽かして逃げても、俺はお前を好きや。万が一、離れ離れになっても待っている」
どんなシチュエーションか分からずに書いてみても、意味が完璧には伝わらないと思うが。
ジンホ、いいなあ。こういう純な恋愛をしたい。
この終わり方だと続編が出るはずだが、これから、どうなっていくのか、すごく興味が持たれる。
しかし、ミロって変な名前。ほんとは漢字の名前じゃないのかなあ。美路とか?〔2004・11・2(火)〕

「グロテスク」
昼間は一流会社の社員として働きながら、夜は売春婦に変貌する生活。あげくの果てに娼婦として殺されてしまったといわれている、いわゆる「東電OL殺人事件」を題材にして書かれた小説。
桐野さんの徹底的に冷徹な視線が、女たちの悲しく恐ろしい精神を、えぐり出していく。
百合子は性格的に、生まれついての娼婦。売春婦の仕事中に彼女は37歳で殺される。
後日、同じく売春婦だった佐藤和恵(39歳)が殺される。加害者は百合子を殺した男と思われた。
百合子の姉であり、佐藤和恵の女子高時代の友人だった女性が、これまでの人生を、妹のこと、和恵のことを交えて語るのが、この物語。
まず、語り手の姉からして、ひどいコンプレックスの持ち主で、美人の妹に対して敵意とあこがれを抑えることができない。
結果として、意地悪で、悪意に満ちた性格になっている。こういう人間を描かせたら、桐野さんは冴える。
姉の語り口に、ときどき登場する「違いますか。」という言葉の裏に隠れる、「押しつけがましさ」と「弱さ」は印象的。
いやはや、堪能しました。
また、会社員と娼婦の二重生活を送る佐藤和恵の日記の章は圧巻。
壊れていく精神が赤裸々に、ここまで書くかというほどに描かれる。
まっすぐに、素直すぎるほどに愚直に生きることしかできなかったのだろうか、彼女の生き方は、ひたすら、悲しい。泣きたい気持ちも忘れてしまうほどに悲惨だ。
周りから彼女を見る視線を、彼女自身は得ることはできない。自分が分からなくなってしまっているのだ。
会社では、いくら頑張っても「勝ち組」になれない。
目標にしてきたエリートの父は死に、父に依存して生きていたような母と、仲のよくない学生の妹を養わなければならない。
「何か嫌になったのね。復讐してやりたくなったというか」
(中略)…あたしは復讐してやる。会社の面子(メンツ)を潰し、母親の見栄を嘲笑し、妹の名誉を汚し、あたし自身を損ねてやるのだ。女として生まれてきた自分を。女としてうまく生きられないあたしを。あたしの頂点はQ女子高に入った時だけだった。あとは凋落の一途。あたしは自分が身を売っていることの芯にようやく行き当たった気がして声を出して笑った。(本文より引用)
限りなく落ちる。たった3000円でも、男とやる。街角に立ち、男を待つことの意味は何なのか。
「優しくされたい」
あたしはつぶやいてから、あれ、本当にそうだっけ、と考えている。あたしは商売しているんじゃなかったの。何のために、立ちんぼしているの、と。…(後略)(本文より引用)
悲しい。
百合子の息子である百合男が言う。僕は娼婦たちが偉い人たちに思えてならない、と。その理由は、彼女たちが世の中とディープに関わったから。
私自身も、その意見には同意する部分がある。娼婦を差別はしない。
なぜ、その仕事をしているのかには、さまざまな動機があるはずだが、百合男の言うように、結果的には彼女たちが体を張って厳しい世界で生きているのは事実だろうと思う。
彼女たち自身の、しっかりした責任で、そのように生きているものならば、差別することなどできない。(百合子と和恵の違いは、この点にあるが、和恵の場合は可哀想で、これも責めたくはない。)
言葉が足りているかどうか分からないが、いい、悪いは別として、ただ侮蔑するべき存在とは思わないのだ。
東電OL事件が起きたとき、昼間は会社員、夜は娼婦として殺されたことを、ことさらセンセーショナルに取り上げる必要など、私は感じていなかった。そんなことがあっても、少しも不思議じゃないと思っていたから。
ラストは、思いもよらない皮肉な展開になる。最大限に効いた「ひねり」かもしれない。こう来るか、桐野さん。とことん、行っちゃうね。素晴らしい。
事件を起こしたある宗教団体に関係した友人や、あっさりと女にいれあげてしまう祖父、百合子の売春のマネージャーになる同級生など、語り手の周囲の脇役たちも、色とりどり。
さらに、無駄に増えたページとも思えそうな、殺人犯の手記により、彼の心の中も少し窺うことができ、重層的な構成が楽しめる。
面白かったです!〔2006・8・31(金)〕

「I'm sorry,mama アイム ソーリー、ママ」
悪い心に染まった中年女アイ子の物語。
桐野さん得意の暗黒小説ですね。
娼館で育てられた少女。娼婦たちにも虐められ、愛を知らずに育った人間の典型という感じか。
アイ子は、ホテルに勤めていたときに、事故に見せかけてお客を何人も殺しているらしい。そして、金目のものを盗る。全部はとらずにおくところが狡(ずる)賢い。
自分が生きるために邪魔になった者は排除する。または、ヤバイことになったら何とか逃げようとする。
殺人鬼のようなイメージではなく、そのへんにいるオバチャンだから、一見あんまり怖くない。
自分が何をやっているのか、その罪を、意味を分かっていないのだ。
行き当たりばったりな生き方ゆえに、展開も先を読めない。作者自身も、あ、このあと、どうしようかな、と、いろいろ考えたんじゃなかろうか。
最後のほうになって「ごめんね、ママ」というタイトルの意味が分かり、アイ子の心に後悔だか疑問だかが生まれているようで、救いはある。
さあ、その後は、どうなったのか。
「グロテスク」などのように内面描写が際立っていなくて(アイ子があまり考えていないから、とも言える)、行為を中心にストレートに描いていくので、さらりと読めてしまう。
こういう犯罪者のタイプも多いのかもしれない。
ただ、アイ子が悪い女になったのが、親の血が影響しているとされているようだが、それは少し安直ではないだろうか、とは思った。〔2006・10・30(月)〕

「魂萌え!」
図書館で見っけ! 即レンタル! のパターン。
テレビドラマや映画にもなっている小説ですね。
タイトルから想像していたのは、ちょっと飛んでる系の話かと。だって、「萌え」だもんねえ。
ところが、まともな話だった。
いままで主婦として、たぶん平凡に過ごしてきた59歳の女性が、夫の急死によって、いきなり生活が変わる。
子どもとの相続の問題や、夫の秘密に直面していく。
男性との関係にときめいたり、友人や息子の嫁や夫の知人たちと新たな関係を築いたりするのが、魂の「萌え」といえるだろうか。
さまざまな出来事を経験していくうちに、精神的に強くなっていく59歳のヒロイン。
ラストの彼女の反応は意外で、それゆえに印象に残る終わり方だ。
普通は、そこまで大らかになれないと思うけど、それほどまでに、物事にとらわれなくなった、という表現なのだろう。解放されたんだなあと、爽やかさを感じた。
この小説では、魂の萌え=心の成長、と受け取ってもいいのかも。
最終章は「燃えよ魂、風よ吹け」だもんね! 困難を乗り越えてきたヒロイン、どーんとこい! 行け行け! です。
新聞の連載だったようで、だから、そんなに過激なストーリーは書けなかったというか、選ばなかったのかな、と思った。
これまで読んできた桐野作品、「グロテスク」、「I'm sorry,mama アイム ソーリー、ママ」、「ダーク」などに比べたら、普通っぽい。
とはいえ、面白さは変わらず! ハードだから、ということで桐野さんの小説を敬遠している人にとっても、読みやすいはず。
いちばんスゴイ読みどころは、妻が夫の愛人を訪ねていって対決するシーン。単行本にして17ページに及ぶ。迫力満点!
対決といっても決闘するわけではなく(当たり前か)、話し合うんだけど、火花がバチバチ散るんですねー。
でも、相手に対する単なる憎しみではなくて、同じ男と関わった仲間意識というのか、その男を失った仲間としての同情のようなものさえ見え隠れする心理。
人の心というのは複雑ですよね。
桐野夏生さんらしく、いい人らしい登場人物に見えても、簡単には、ただの善人に、しない。
立派な人と思ったら夜逃げしたり、好意をもった男性がちょっとしたウソを言っていたり。
人間、そんなものでしょう。まるで隠すことや引け目などのない聖人君子は、かえって気持ち悪いよね。
映画のキャストは、ほとんど知らないけど、そのうち観てみたい。小説のイメージを引きずらないように。〔2007・3・16(金)〕

「リアルワールド」
桐野さんの小説は、やはり、その重みが止められない魅惑かも。
受験が近い高校生たちのお話。
男子高校生が母親をバットで殴り殺して逃げる。
その際、隣家の女子高生の自転車を盗み、そこに置き忘れた彼女のケータイがあったことから、その女子高生と彼女の友人3人も、彼の逃走の様子を知る。
女子高生の一人などは、彼の顔を見てみたいと、行動まで起こす。
親殺しの男子高校生の行動と行方を知ったら、警察に届けるのが普通だと思うが、彼女たちは、そうしなかった。これは何なんだろうね。
彼女たちは、逃走を応援する気配すらある。面白がって? 自分たちからは遠い現実で、実感がない? 大人への無意識な反抗心か。
この5人の高校生が各章で、それぞれ語り手になり、各自の性格が分かってくる仕組み。
物語は、どんな結末を迎えるのか。桐野さんのことだから…ね。
思春期? 自意識過剰? 感受性の強さ?
未熟で軽率な行動。後悔。破滅。大人の不適当な対処。
この話に出てくるような感情は、私が高校生当時の環境では、思いもしなかった。受験なんて、のんきにしてたし。住んでたのが大都会じゃなかったのも関係あるのかな。
時代も違うということか。
もちろん当時はケータイも存在しなかった。ケータイなんて、便利だけど、持っていなければ持っていないで、ちっとも困らないはず。みんなが共通に持ってなければいいんだよね。
とにもかくにも、若者たちは悩める存在なのかなあと。〔2009・10・22(木)〕

「白蛇教異端審問」
著者初のエッセイ集。ふだんの暮らしがどうなのか垣間見られたし、作家としての葛藤が予想以上に大きいのが人間的で親しみをおぼえられる。〔2016・10・12(水)〕


桐生 操
「本当は恐ろしいグリム童話」
この本、流行ったような記憶がある。奥付を見ると、98年に出版されていて、5ヵ月の間に21刷もしている。すげー。
前書きによれば、「…グリム童話初版の残酷で荒々しい表現法を残しながら、その奥に隠された深層心理や、隠された意味を徹底的にえぐり出して、もっと生き生きして生々しいグリム童話を、自分なりの解釈と表現法で形作ってみた」という。
白雪姫を殺そうとしたのは、継母ではなく実の母。夫である王の愛を一身に受けた姫を見て、自分の王妃としての地位が危ういとばかりに、娘を殺そうとする。
これは父と娘の近親相姦だ。しかも姫は7歳とある!
森の7人の小人とも、姫は夜伽の相手をする。
極めつけは、母の手にかかって死んだ姫を譲り受けた王子が「病的な死体愛好症」ときた!
こうなると、本当に本当のグリム童話の初版を読みたくなる。
他には「シンデレラ」「カエルの王子さま」「青髭」「眠り姫」「ネズの木」の話がある。
フロイトみたいな性的暗示や、残酷描写がいっぱいだ。
「ネズの木」は、ビョークの映画で観ていたので、ああ、こんな話だった、と思い出した。
残酷な話で、これが「童話」かと思ってしまう。まあ、こどもってのは残酷好きだけどね。〔2003・2・25(火)〕


クラウディア・ネクロ
「さよなら、ノーマ・ジーン」
タイトルに引かれて読んだものの。
つまらなかった…。
途中から、読み飛ばし。ななめ読み。なので、あまり語る資格もないのだが。
ノーマ・ジーンとは、マリリン・モンローさんの本名。
なぜ本のタイトルが「さよなら」なのかというと、マリリンが映画界で売れていくために、権力をもつ男どもに、肉体を提供せざるをえなかった、そういう女性搾取、被害者的な女性の象徴として彼女を見ているわけだ。
私は、もうそんな生き方はしない、男に従属なんかしないのよん、というところか。
マリリンが男に隷属していたか、そうでないかは、フェミニズムの視点などからの意見も多々あるし、決めつけるのは問題があるだろうが、少なくとも、タイトルに使うインパクトはある。
(でなければ私も手にしなかったし。)
即物的な男の性の欲望を、かろやかにあしらっていく女性ヒロイン、といったふうなイメージ。
ちょっと面白いなと記憶に残ったのは、男が不完全な生き物で、頭に血が集まるか、股間に血が集まるかの、どちらかしかない、みたいなフレーズ。
よくご存知で。そういう男もいるでしょうね。
まあ、しかし、あまりノーマ・ジーンの名前を使ってほしくはなかった、つまらなさでした。〔2008・7・16(水)〕


倉阪鬼一郎
「百鬼譚の夜」
怪奇小説家を名乗る作者は、以前は私と同じような仕事をしていた人。小説だけではなく翻訳や俳句も、ものするという。
最初の2話は、かなりクラシックな怪奇話で、それほど怖い、というものではない。ほんのちょっと、じわりとする感じか。
3話目が、少し派手で、たたみかけてくる迫力がある。作者が後書きで、「よし、ここからはダリオ・アルジェントだ!」というとおり。
(ダリオ・アルジェントは、「サスペリア」などの恐怖映画で有名な監督)
最終話では、ちょっと意外な結末に。ここまで張ってきた伏線というか疑問も解決する。
おとなしめの、正統派怪奇小説かな?〔2003・5・14(水)〕


グレアム・グリーン
「二十一の短篇」
グレアム・グリーンといえば私には、まず、映画「第三の男」の原作者及び脚本家だ。最近では、1999年にジュリアン・ムーア主演の「ことの終わり」が映画化されているし、2002年にはマイケル・ケイン主演の「愛の落日」があった。後者は原題が「静かなアメリカ人」なので、去年の秋に日本公開されたのに気づかなかった…。
映画に関係する作家ということでグリーンには親しみをもち、大学でも、英語の購読でグリーンを読んだりしたものだ。
グリーンはカトリックの作家だが、それほど難しいこともなく、宗教に関することをテーマにした小説も読ませる。
この短篇集では「説明のヒント」という話が、それに当たる。
少年が、ある男に聖別されたパンを盗んできてほしい、と誘われる話だ。その行為に及ぶかどうかという、それだけの話に焦点を当てて信仰を語るところが、うまい短篇たる所以(ゆえん)だろう。
「地下室」という一篇があって、これを原作にして映画「落ちた偶像」が作られた。そのDVDを先日ゲットして、原作を読みなおしてみようかな(以前に英語の授業で読んだことがある)と思ったのが、この本を読んだ直接の動機なのだった。
これも少年が主役で、汚い(少年には、そう見える)大人の世界への反発、人が無垢なるものを失くしていく悲しみ、憐憫のようなものがある。
憐憫、同情といったものは、多くの作品に通じて流れていると思える。
他の作品は、戦時中に書かれたものは、戦争の色が濃かったり、怪奇的な話(奇妙な味の作品、といわれる)があったり。
短篇というのは、こう書くんだ、というお手本のひとつなのかもしれない。〔2005.7.28(木)〕


小泉今日子
「小泉今日子の半径100m」
小泉さんの誕生日2月4日に発売された本。その日に買って、でも、読んだのは9月とは!
1800円は高いなあと思ったけど、小泉さんが撮った写真がいっぱい載ってるし、ま、いいか。
エッセイと写真で構成された内容というのは、以前読んだ、こぐれひでこさんとの共著「往復書簡」と同じような感じだが、今度は「In Red」2003年3月号から3年間の連載を中心にしたもの。
(宝島社のHPを見ると、いま発売中の11月号も彼女が表紙で、「小泉今日子の半径100m」後のそれから、と目次にある。ちょっと覗いてみたい。)
読んでいると、この頃の彼女がどんな仕事をしていたかが分かる。
ドラマ「私立探偵 濱マイク」、ドラマ「すいか」、ドラマ「マンハッタンラブストーリー」、舞台「シブヤから遠く離れて」、映画「空中庭園」、映画「雪に願うこと」(彼女が書いた時点では「輓馬(ばんば)」というタイトル)、舞台「エドモンド」、舞台「労働者M」。あと、読売新聞の読書委員になった話などもある。
「空中庭園」の舞台挨拶の話が書いてあったのは嬉しかった。
その場にいたんだから、私は。
彼女は、こう書いている。『初日に映画館まで足を運んでくれた人達に(しかも雨降ってた)一言お礼が言いたかったの』
彼女の住まいが、小さな庭付きの部屋、というのが何だか印象的だった。一軒家でなくても、庭付きなのかあ。いいな。
「往復書簡」でも書かれていた飼い猫、ロシアンブルーの小雨ちゃんの写真が、たくさん。飼い始めたときから、だんだん育って、デブちゃんになってるよ!
歌番組「ザ・ベストテン」で「木枯しに抱かれて」を歌う前に、「あなたは今、幸せですか」なんていう質問に「はい」と答えて、考えたら頭が真っ白になって歌詞が出てこなかった、という話は印象的だった。
だいたい、そんな質問をするほうも、するほうだし、TBSもね。
あとねえ、お酒を飲んで酔っ払う、正体不明まで飲む、なんていう話題が目につくので、彼女が、すごい「酒飲み」みたいな印象。「往復書簡」でも、そういうイメージがあったしね。ほどほどに。
小泉さんの30代最後の3年間が、彼女自身の気取らない、ふだん着の言葉で垣間見られて、ファンには(もちろん)楽しい1冊。〔2006・9・7(木)〕

「小雨日記」
小泉さんの愛猫、小雨の日記。
猫が日記を書いているのは、つまり、小泉さんが猫の小雨の気持ちになって代筆しているのである。
小雨が小泉さんに飼われた日から綴られる文章と写真。
雑誌『レタスクラブ』での連載をまとめた。
「小雨は私との暮らしをどう感じているのだろう? こんな風だったら嬉しいなぁ、という私の願望」を込めて書いた小泉さん。
ふたりの暮らしぶり、小泉さんの「普段の様子」が垣間見られて、興味深い。
女ふたり暮らし(ただし、人間と猫)。
訪問してくる友人たち。
住んでいる家も面白い。
二階なのに庭があったり、次には、海や夕日が目の前に見えるところに移ったり。
小雨さんは、ロシアンブルー。
ちょっぴり、メタボ…?
わが家も猫を飼いたいにょよ。〔2011・7・22(金)〕


「小泉今日子書評集」
小泉今日子書評集、とは、また、なんと直球な。
しかし、受けて立つ(?)、その中身は負けてはいない。
「書評」というと、偉そうに批評するイメージがあるが、小泉さんのものはそうではない。
読書感想文というのか、本の内容から喚起されて、まず自分が何を思うのか、自分のこと、自分の周囲のことに思いをめぐらせていくことが多い。
本の帯には自ら「読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい」と書いている。
この本についてのトークショーでは、書くにあたって、自分が小泉今日子であることを利用することを多少は意識した、みたいな話もあった。
つまりは、なぜ自分が書評を書くのに選ばれたのかを考えると、評論家や教授が本を客観的に批評するようなことを期待されているのではないだろう、小泉今日子という人間がその本をどう感じるのか、それに小泉今日子という人間についても少し知りたいなあ、と読者は思っている、とわかったうえで書いていたのだろうと思うのだ。
私自身は読売新聞をとっていなかったこともあり、時々どこかで記事を目にしただけだったが、まとめて本にしてくれて、ありがたい。
10年も続いていたとは改めて驚く。10年で97本の書評。
書評それぞれに、自分自身の今現在のコメントがついているのがいい。過去に書いたことを読んでみて、何を思うのか。それがあるとないとでは、読む楽しさが大違い。
巻末インタビューも興味深かった。読書委員みんなで話し合っているんだ〜、みんなで飲みに行ってたんだ〜、などと初めて知った。
装丁はシンプルで綺麗。
白くて薄いカバーから、表紙に印刷されている本のイラストが透けて見える。(これはトークショーで、小泉さんがうれしそうに言っていました。)
取り上げたほとんどが日本の作家の本。いくつかは、これから自分も読んでみたい、かもしれない。〔2015・11・5(木)〕

「黄色いマンション 黒い猫」
くっつきがちになったり離れがちになったりしながらも1982年からのファンである私だが、あのときの16歳の少女が経験してきていたことや、その後経験する一部を知った。
アイドルとして歌番組やライヴやドラマに出る忙しさのなか、えっ、ボーイフレンドいたの!? と驚いたよ。しかも、向こうが去ったの!? 私だったら…去るわけない!
彼女が忙しすぎるから、オトコとしては付き合う時間が持てずに、別れてしまうのかな。
学校をさぼったりするのは、自分だったら、ほぼ考えられないことだったし、周囲のほかの誰もそんなことはしていなかったから、それも驚き。
オトコのクルマに乗ってドライブしてラーメン食べて帰ってくる…などなど、映画やドラマでは観るかもしれないような学生時代、ほんとにしてたんだ、というのと、何も隠さない潔さ(昔からだけど)。
家族のことだって正直に書く。父、母、姉…。
家族や愛猫の死に直面した結果に得たのかもしれない、死への透徹した思い。
私自身のことを書くとしたら、ほとんど何も思い浮かばない。ドラマティックなことがないなあと、小泉さんの文章を読みながら比べてみて実感する。
いや、きっと小泉さんの感性や見方で振り返ってみたら、私の過去もいろんなことがあったふうになるのではないか? 読み物になるのではないか? その可能性はある!? かな?
2007年〜2016年までの、SWITCH連載「原宿百景」。33篇+特別書き下ろし1篇。彼女が十代の頃に住んでいたこともある原宿の町を歩き、その街並に彼女の思い出を重ねつつ書き綴った自伝的エッセイ集。〔2016・6・18(土)〕

「原宿百景」
「黄色いマンション 黒い猫」を読んだあと、こっちも。
ちゃんと、最初から最後まで読んでみた。
同じ、SWITCH連載「原宿百景」からの本なので。
字が小さい! 百景だけど、本書に収録されたのは33景? 続き、出るかな?〔2016・8・6(土)〕


小泉今日子&こぐれひでこ
「往復書簡」
小泉さんと、こぐれさんが、あるテーマについてメールでやりとりをする、という形で、雑誌「レタスクラブ」に連載されたもの。メールには、お互いに写真も添付。
こぐれひでこさんは、既製服の会社をやったり、いろいろと本を書いている人らしい。
2人の年齢差は20歳ほどもあるのだが、それを感じさせない、タメ口の仲良しぶり。
メールという形だし、友人なんだし、これくらい、くだけているほうが、それらしくていい。
小泉ファンにしてみれば、彼女の暮らしぶりとか考え方とか、ふとしたことが分かって興味深い。
たとえば、「小雨」というロシアンブルーの猫を飼いはじめたことや、寝るときはTシャツとパンツだとか。(私と同じだ!ぐふふ)
彼女が楽屋で和服姿でパソコンを打ってる写真(時代劇の服装と現代の機器がごっちゃになって、ヘンな図です)を見て、私と同じノートのVAIOを使ってる!と喜んだり。ぐふふ。
食べかけの、うな重の写真が載っていて、ああ、彼女って、こんな食べ方するのかと、面白がったり。(別にヘンな食べ方ではないよ。)(食べ始める前に写真を撮っていないというのも、肩の力が入っていないというのか、彼女らしくていいと思うのは、ファンの欲目だろうか。)
小泉さんって、照れ屋さんで、あんまり欲がない人。
いい意味で、自然に流れるままに生きている人。根本的に、根性がすわっている人。のように思える。
ひとりでは飲まないけど、誰かと一緒だと酒飲みになる、らしい。酒量には気をつけてね。
それから、タバコを吸うのは、やめてほしいな。やめられないというけれど、百害あって一利なしと知っているだろうけれど。
副流煙で周囲の生き物の健康を害するよ。歯が汚れるよ。肺が汚れるよ。口が臭くなるよ。ガンになるかもよ。
趣味はなに?というメールで、困って、仕事が趣味、なんて言っているのも、なんというか、「ふんわり」と人生、生きているなあという印象を生むのだった。〔2005・11・16(水)〕


こうの史代、宮部みゆき
「荒神絵巻」

絵が中心で読みやすいと借りてみたら、9月に読んだ「荒神」の新聞連載時の挿絵だった! 絵物語のようになって別角度からの味わいが。〔2016・10・21(金)〕


古処誠二
「UNKNOWN(アンノン)」
第14回メフィスト賞受賞作。作者は1970年生まれで、このデビュー作は2000年に出版された。若いなあ。
自衛隊基地内で、部隊長室の電話に盗聴器が仕掛けられる。防衛部調査班の朝霞ニ尉が、警戒監視隊の野上三曹のサポートを得て、捜査に当たる。
短めでテンポがいい。意外性はないが、筆力はしっかりしてると思う。


小林弘利
「HEY! スピルバーグ」
スピルバーグ監督が1938年のハリウッドにタイムスリップ! 
「オズの魔法使」「駅馬車」「風と共に去りぬ」を撮影中の夢のハリウッドで、スピルバーグが新進女優の危機を救う!
著者の小林弘利さんは映画の脚本も書いている人。本作は1988年の著作。
自転車、気球、馬車…いろいろ使って追いつ追われつ、まさにスピルバーグの冒険映画みたいな。
自転車でフワッと飛んじゃえば、どうしたって「E.T.」を思い出すし。
スピルバーグ大活躍。エイミー・アービング(最初の奥さん)との出会いやら、過去へ行けばジョン・ウェインを元気づけたり、フレッド・アステアに会ったり。
なんといっても、女優志望のノーマ・ジーンが、ちらっと出てくるんですね〜。ノーマ・ジーン、つまり将来のマリリン・モンローさん。
ただ、1938年だと、彼女は11歳か12歳なので、この創作は真実味は薄いです。
映画関係者がいっぱい出てくるし、読んでいるうちは楽しかったよ〜。
今年は「あまちゃん」関連書をずっと読んでたせいもあって、これがやっと今年2冊目。(「あまちゃん」本は読書というふうじゃないから、数に入れてない。)〔2014・4・3(木)〕


小山薫堂、安西水丸
「夢の名画座で逢いましょう」
WOWOWの「W座からの招待状」での映画紹介トークの部分。ああ、本にできるんだよね! 2014年に亡くなった水丸さんのイラストもいっぱい。〔2016・10・18(火)〕


コリン・クラーク
「マリリン 7日間の恋」
映画「マリリン 7日間の恋」の原作のひとつ。
「王子と踊子」の第3助監督として、マリリン・モンローさんと親密な日々を送ったという、コリン・クラークの回想記である。
いくつか抜き書きしておく。(訳:務台夏子)
マリリンの監視役ロジャーについて。『ロジャーはマリリンに惚れこんでいた。30年に及ぶ警察勤務のあとだけに、いまは彼にとって人生最良のときだった。彼は忠実なラブラドル犬よろしく彼女の行くところにはどこへでもついていった。』
映画を観る限りでは、どのような気持ちでいたのか分かりにくかったが、マリリン大好きだったのか!?
撮影監督ジャック・カーディフについて。『今回の現場でマリリンを仲間として扱っているのは、ジャックただひとりだった。結果として彼は、マリリンが打ち解けられる唯一のスタッフとなっていた。』『「彼女は精一杯やっているんだ。徒党を組んでやっつけるのは、まだ早すぎるだろう。彼女はわたしがこれまでに撮った誰よりも美しい女性だよ」彼はわたしに言った。「それにとっても可愛い人だしな」』
ありがとうございます。一流の撮影監督はやはり違う。カメラを通したマリリンの素晴らしさを誰よりも実感しているということでもあるだろう。
コリン本人の思い。『すると初めて、状況がのみこめた。マリリンは淋しいのだ。話し相手が必要なのだ。何も要求しない誰か、彼女にすばらしさも、華やかさも、賢さも、セクシーさも求めず、彼女自身がこうありたいと思う自分でいることを受け入れてくれる誰かが。』
川でマリリンの裸を見て。『その美しい体は純粋に健やかさと生命力によって輝いており、ティエポロの絵の、雲にすわるあの可愛らしい乙女らを思わせた。』
オリビエが、マリリンは演技ができないと言ったと聞いて落ち込む彼女に。『こんなに自信のない人が他にいるだろうか?』
友人への手紙で。『マリリンの特徴は、いくつもの顔を持っていることだよ。優しくておもしろくて無邪気な一方、タフで野心的なやり手という一面もある。…ぼくとしては、今度の映画ではマリリンは彼(注:オリビエのこと)を食っていると思う…』
映画の脚本家エイドリアン・ホッジスの話。『マリリンに関する記述には、事実を装った憶測や噂にすぎないものがあまりに多い。悲劇を食い物にするそういった本は、わたしの好みではありません。しかもマリリンの場合、それはひとつの産業と化している。今度の映画はそのバランスを是正し、彼女に実人生のひとかけらを返してあげる試みだとわたしは思っています。』
マリリンとコリンの交流も、真実なのかどうか断定はできないけれど、「王子と踊子」撮影時の物語として興味深いものだということはいえる。〔2012・4・30(月)〕


今野敏
「隠蔽捜査」
面白かった。読みやすくて、一気読み可能! おすすめ。
今野さんは、本作で吉川英治文学新人賞を受賞。
「隠蔽捜査」とは別のシリーズだけど、今野さんの原作では、いまテレビで、「ハンチョウ〜神南署安積班〜」が放送中ですね。
主役は、警察庁の長官官房の総務課長・竜崎。
ある朝、殺人事件を新聞で知り、なぜ自分に報告が来ていなかったのかと考える彼。
同期である警視庁の刑事部長・伊丹に話を聞く…。
竜崎は、いわゆる官僚だが、仕事に真っ正直な性格がユニークで、変人扱いさえされている。
事件に対するマスコミ対策は総務の仕事になるので、彼は事件に深く関わろうとする。
伊丹との関係も面白い。竜崎は小学校のとき、伊丹に「いじめ」にあっていたと認識しているのだが、現在の伊丹は、それを気にするそぶりもない。
そんな2人が連携を持ちながら、一方で竜崎の家庭に大問題が持ち上がる。
名前が似ているけど、警察を指揮監督する、お役所の「警察庁」と、警察庁に指揮監督される「警視庁」の違いが、はっきり分かる。
…だいたい、警視庁って、東京都警察のことなんだよね。警視庁っていうから分かりにくい。
次作も去年出ているそうだから、必ず読むぞ!〔2009・5・3(日)〕