マイケル・シェイボン
「ワンダー・ボーイズ」
つまらなかった。映画化されたものを観たあとなので話を知っていたから、というのはあるのかもしれない。ほとんど斜め読み。半分くらいしか頭に入っていないのではないか。読んだ、とはいえないか。
よく思うのだが、外国の作家の書く物語のなかには、えらく読みにくい、というか、なじみにくいものがある。
情景描写が延々と続いたり、比喩の文章がいっぱいだったり。直接、話と関係ないようなことを書き連ねて、周りから攻めていくような感じ。
だから私は、日本の作家の書いたもののほうが好きだ。
思考回路の違い、言語の違いから来るもの、文化の違い、なんだか分からないが、根本が違うようにも思う。
この物語は、マリリンがジョー・ディマジオと結婚したときに着ていた衣装が、話の中に出てくるし、映画は面白かったのだが。
マリリンの衣装に関するエピソードは、原作よりも映画のほうが、もっとアレンジされていて、原作と違う展開になっていた。
読んでるときは、映画のキャストのマイケル・ダグラス、トビー・マグワイア、ロバート・ダウニーJr、フランシス・マクドーマンドの演技を思い浮かべていた。
個人的にいちばん受けた個所は、教え子に、どんな映画を持ってます?と聞かれた教授が答える場面。
「そこに、まだ『ナインハーフ』があると思う。ケーブル・テレビから録画したやつだが」
ジェイムズは顔をしかめた。「『ナインハーフ』。勘弁してくださいよ」
私もまったくジェイムズと同感なので、これは受けた。
教授はさらにこう言う。「あのミッキー・ロークってのが好きなんだ」
あっはは。勘弁してくださいよ。(ごめんよ、ミッキー)〔2003・5・8(木)〕


マイケル・ムーア
「アホでマヌケなアメリカ白人」
大ヒットしたドキュメント映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」の監督でもあるマイケル・ムーアが、ブッシュ大統領や、金持ちアメリカ企業などをこきおろす痛快本。
疑惑の大統領選挙を思い出した。票の数え直しを中止したのも思い出した。本当はゴアが大統領だったのではないかという疑惑。
相変わらず黒人が差別されている現実。
ドラマ「フレンズ」に黒人が出てこないのは当然、ああいう白人には黒人の友人なんかいないんだから、とバッサリ斬ってみせる。
貧乏な学校に、大企業が入り込んで、教材を提供する一方で宣伝を展開する、というのには驚いた。金持ち企業のやりたい放題だ。
日本の学校は、まだここまでは貧乏ではないだろうなあ、と思ってはみたが。
フロン垂れ流しの環境汚染問題についての京都議定書を無視する、クルマ公害天国アメリカ。
無実で逮捕されることも多いアメリカ。
男子の出生率が減っているのは、自然を壊す男たちに対する自然の復讐だ、という考えに、妙に同感したりして。
皮肉や批判をユーモラスに語るスタイルが読みやすい。
しかし、なんとかしなきゃ…この世界。〔2004・1・15(木)〕


町山智浩
「トラウマ映画館」

見たらトラウマになりそうな映画を紹介。みんな見たい! ここで読んでしまってラストまでわかってしまった作品もあるが、それでも見たい。タイトルをメモして、いつか見たいと思う。ちなみに私は以下26本のうち5本しか見ていない。「バニー・レークは行方不明」「傷だらけのアイドル」「裸のジャングル」「肉体の悪魔」「尼僧ヨアンナ」「不意打ち」「愛と憎しみの伝説」「悪い種子」「恐怖の足跡」「コンバット 恐怖の人間狩り」「早春」「追想」「戦慄! 昆虫パニック」「去年の夏」「不思議な世界」「マンディンゴ」「ロリ・マドンナ戦争」「ある戦慄」「わが青春のマリアンヌ」「妖精たちの森」「かもめの城」「かわいい毒草」「マドモアゼル」「質屋」「眼には眼を」「愛すれど心さびしく」〔2017・7・28(金)〕


松浦理英子
「親指Pの修業時代(上)(下)」
真面目な小説ですが、とにかく、性のことに関連する話なので、以下、そのつもりで読まないにしろ、読むにしろ、ご注意ください。
タイトルにあるPとは男性性器のこと(この日記では不適切といわれた言葉なので書けない)。かなり以前に発表された作品で、タイトルの意味を知ったときから、ずっと興味はあった。いったいどんな話なのか、と。
古本屋で2冊105円という破壊価格(?)で見つけたので買ってみた。
まず驚いたのは、文章。
セリフの末尾に句点を付けているのだ。
「ああ、驚いた。」
みたいなものですね。
私が小学生のころあたりには、普通に最後は「。」を付けて書いていたものだが、いつの頃からか、最後の「。」は見かけなくなった。だから、いまそういう文を見ると新鮮なのだ。
著者が、昔の文章に愛着があるのか、何かのこだわりなのか、ただのスタイルなのか。
話は、エッチではなく、すごく文学的。話題が話題だから、男性性器の呼び名もよく出てくるが、ちっともエロではない。
若い女性の足の親指が、突然×××のような姿になる。形だけの話で、射出機能はない。だから、話を進めるうえでのシンボルのようなものだろう。
(ただし、大きくなると17センチにもなる、というので、私は嫉妬と羨望に苛まれた。とんでもないPだ。著者は男に喧嘩を売っているのか。笑。)
文庫版には著者の話も収録されていて、物語の狙いも言及されているのだが、とにかく、「男性器と女性器のつながり」、という視野の狭いセクシュアリティから解放されて、それ以外の愛情表現も追求しようという意図が、ひとつ、あるのだろう。
私自身、ただ抱き合ったりしているのだって、幸せで嬉しかったりするしね。
セックス面での畸形もたくさん登場する。それゆえの悩みもあるが、みんな頑張って生きている。そういういろんな人たちを見せることで、読者の頭は、多少変なことでも優しく容認できるように柔らかくなっていく。
主人公は、とてもニュートラルで、ふわりんと自然に生きているような女性。親指Pができなかったら、彼女は、ありふれた人生を送っていたのだろうな。〔2004・6・7(月)〕

「セバスチャン」
うーむ。よく分からない。
「セバスチャン」とは、殉教した聖セバスチャンから取ったタイトルで、その殉教図には、殉教のマゾヒスティックな感性や、皇帝が聖セバスチャンに対して求めた同性愛的気配があると作者は言う。(本編の後にある対談に書いてある。そうでなきゃ、まるで知らないで終わるところだ。)
つまり、マゾヒスティックや同性愛が、話の中にあるわけだ。
主人公の女性は、ある女性と、支配と服従という精神的SMのような関係にある。
この主人公は、男と関係してもほとんど何も感じていない。(その関係にしても、支配者たる女性に命令されたから、したまでのことだ。)
対談を読むと、「自分が女であるかどうかわからない、世界の中に投げ出された、ただの肉体である」「性的に未分化な、混沌とした状態の人物である」と著者は言っている。
対談を読んで、やっと、なるほど、と思った。
対談で、かなり著者の考えが分かるけど、難しいです。
実際に、自分が女性であるのか、何が「女」ということなのか、ということに、疑問を感じている人は、いるような気はする。(よく分からないけど。)
それは、女(男も同様だが)とは何か、どうあるべきか、というように、決めつけられることに問題があるのではないかと思う。
その前に、人間としての個性が許されるべきではないか、まあ、抽象的だが、そんな感じ。難しいので、ここまで。
対談での、両者の噛み合わないところが面白かった。
女性である著者に、対談相手は、男性。著者は、(対談相手の男とは)「現状認識が違う」と漏らしている。対談相手は、どこか、根本で分かっていないみたいです。
私も、理解は、あやふやです。〔2004・6・16(水)〕

「ナチュラル・ウーマン」
松浦さんを「親指P」ではじめて読んでから、この人は何者なんだ?と、とにかく他の本も覗いてみようというわけで。
女性同士の、肉体関係を伴った恋愛の姿を描いているが、「女性同士の」という前提を取っても通じる話ではないか。
好きな相手と結びつこうと努力しても、それは簡単ではない。
そのうちに別れることになる、という逃れられない結果しか来ないのではないかと恐れて、前に進めなくなる。
好きな相手を遠くから眺めているかぎりは、心ときめき、相手は、ただ魅惑に満ちた素晴らしい存在だ。
それが、手のうちに収めて、じっくり探索してみると、アラが見えてくる。
アラが見えなくても、いったん手にしてみると、もう欲しくなくなったりする。
マリリンも歌っているではないか。“After You Get What You Want You Don't Want It”(あなたって、欲しいものが手に入ったら、もう欲しくなくなるのね)という歌で。
この子たちは、まっすぐすぎるのではないか。設定が19歳から25歳あたりなので、若いせいもあるのかもしれないが、この調子だとずっと同じかも。
女性同士、いわゆるレズといわれる関係。男たる私は、このままでは分からないので、さて、男同士だったらどうなのだろう、と置き換えて考えてみたりした。
だが、もういけない。男同士など気持ち悪くて考えたくない。
まあ、物語を考えるのに、男同士ではどうか、というふうに展開するのは方向性が違うのかもしれないが。
男と関係しても感じない女が、女とは感じる、というのは、つまり自分の女性性に疑問を持つ、ということになるように思うし、そうした女性たちにとっては、共感できるところがあるのではないだろうか。
少なくとも、人間と人間が関係性をもつ難しさ、それは分かる。〔2004・10・14(木)〕


松本侑子
「偽りのマリリン・モンロー」
若い日本人女性の写真家が、マリリンのそっくりさんと過ごす日々を描いた小説。
そっくりさんは、マリリンになりきり具合が半端じゃない。まるで、彼女自身というものがないかのように、彼女はマリリンを真似る…。
面白い切り口からマリリンに迫っていると思う。
そっくりさんとはいえ、抱きしめたくなるような可愛さや精神の不安定さはマリリンそのものを彷彿させ、暖かな気持ちや悲しい気持ちを呼び起こす。
マリリン・ファンにとってはスイートな作品だ。私は、最後はハッピーエンドだと想像する。
写真家の「私」は、そっくりさんに、本当のあなたを見せて、あなた自身の未来を見つけて、と言う。
それはマリリン自身もそうではなかったのか。映画女優のマリリン・モンローは本当の自分ではない。ノーマ・ジーンはマリリン・モンローではないのだ。
解説は、(去年のマリリン忌で残念ながらお会いできなかった)亀井俊介先生。〔2004・5・21(金)〕


まつもとよしお
「マリリン・モンロー大研究」
いまごろ帰省中に読んだ本のことを書くか。書くのだ。
著者に初めてお会いするときに本を買っていって、サインをねだったという、ずうずうしい野郎は、私である。
まつもと氏は、大学の先生であり、マリリンのHPやミニコミ紙も手がけている。
とても気さくな先生で、サインに加えて、マリリンのハンコ(!)まで押してくださった。
ユニークな図表による分析がいくつかある。パッと見て面白いと思えるのは、それが文章ではなく、図表で示してあるからなのだなあ、と面白く思った。
マリリンに関わる、いろいろな人物を多岐にわたって紹介してくれる。
マドンナやダイアナ妃(どこが関係あるんだと思うかもしれないが、あるのだ)から、曽野綾子、野坂昭如、荻野アンナなど、マリリンに関係する文学作品を書いた作家まで幅広い。
気さくなお人柄同様、時にはユーモラスに、マリリンへの愛情いっぱいに書かれていて、愛すべき本です。〔2003・8・15(金)〕


みうらじゅん
「そこがいいんじゃない! みうらじゅんの映画批評大全 1998−2005」
オレはそれをエロ話でくるんだ映画修行と呼ぶね。
ほんとに、お下劣で、B級映画いっぱいで、もう中身を忘れたよ。
…そこがいいんじゃない!
みうら氏、「ごちそうになっている身分なのにまずい、とは礼儀として言えないでしょ」という理由から、必ず劇場に行ってチケットを購入して観ているらしい。
そこは偉い!
ていうか、小心者か?〔2012・7・25(水)〕


みうらじゅん、リリー・フランキー
「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」

ふたりの対談。人生のいろんなテーマを力を抜いて(バカ話を交えて)おしゃべり。まあ、こんなもんじゃないの、という感じがいい。リリーさんより、みうらさんのほうが大ざっぱな印象が。笑〔2016・2・1(月)〕


三浦しをん
「まほろ駅前多田便利軒」
便利屋の男が昔の同級生に出会い、行くところがない彼は、事務所に転がり込んでくる。
仕事で、いろんな出来事にかかわっていくなかで、ふたりの関係や事情が分かってくる。
しかし、これが直木賞受賞? ファンには申し訳ないが、とりたてて面白くもない、ふつーな小説な気がした。
このときは、森絵都「風に舞いあがるビニールシート」が同時受賞。
他の候補作には、伊坂幸太郎「砂漠」、宇月原晴明「安徳天皇漂海記」、古処誠二「遮断」、貫井徳郎「愚行録」。
ラストの、生みの親かもしれない家族の様子を知りたい、という依頼に、便利屋が異常に拒否反応を示すのが、よく分からない。
自分との関連はあるけれど、それほど嫌がることなのか、不思議だった。そう読者に思わせるところで、難あり、ではないのか。
著者のことは知らないし、他の作品を読んだこともないが、駅伝の話を書いた本が原作の映画が公開中、「まほろ〜」の続編?も発売で、他のは面白いのかもしれない。〔2009・11・13(金)〕


三崎亜記
「となり町戦争」
本のタイトルは聞いたことがあったので、ためしに借りてみた。
なぜか隣の町と戦争が始まる。町役場で説明があったりする。政策として行なうらしい。戦闘をする区域や日時もあらかじめ決められるような?
政策として戦争をする、はっきりした理由がわからない。
住民が従順に戦争に参加するというのも、どうなんだろう。なぜ戦争なんだ?と声をあげる若者が、ひとりだけ出てはくるけれど。
アイデアは面白い。
主人公はスパイのような任務を帯びて、隣町に住むことになる。町役場職員の女性と夫婦を装って。
この2人の関係が、話の大きなウエイトをしめる。
彼は戦争が行なわれている実感がないまま過ごすが、やがて…。
言いたいことが、どうも、はっきりしないような感じを受けながら読んでいた。
時々わざとらしい書き方に思ったり。
偉そうに批判するわけではないが、これは感じたままのこと。
あとで作者プロフィールを見ると「小説すばる新人賞受賞作」とあった。あ、新人さんなのか。ちょっと、なるほどと腑に落ちた。
最後のほうで、人は認識していないけど多くの人間の死の上に人生を生きている、みたいな文があって、言いたいのはこれかな? とも思った。
世界のどこかで戦争があっても実感がない、ということを描くには、少し話が遠いような気がするし。
映画では、江口洋介、原田知世が主演だったようだが、江口だと、がっしりしすぎているようなイメージ。


ミシェル・シュネデール
「マリリン・モンローの最期を知る男」
マリリンについて書かれた本を読むとき、いったい、どこまでが真実なのかと考えることがある。
書き手がマリリンと一緒に暮らしたり仕事をしたりするなど、身近にいたのでない限り、彼女のことを書いても真実味は薄い気がするのだ。
しかも相手はマリリン。興味本位だったり、本を売るために誇張して書いたり、うそを書いたりする確率も大きいはず。
この本は、マリリンの最後の精神科医となったラルフ・グリーンスンを中心にして、彼とマリリンの関わりをつづったもの。
グリーンスンは、マリリンが亡くなったことを警察に知らせた人物とも言われている。
この本、印象としては…あまり好きじゃない。
一見ノンフィクションみたいなフィクションとしては、以前記事にした、ジョイス・キャロル・オーツ著「ブロンド」(上)(下)のほうが、はるかに感動的だった。
前書きで、この著者は、『彼らの話、メモ、手紙…(中略)…などからの引用は、彼ら自身の言葉だ。』(訳:長島良三、以下同)と書いたそばから、『私は贋作者だから、…(中略)…でっちあげたりしている。』『…一連のイメージが必ず疑問符で終わるよう願っている。』などと言う。
つまり、セリフは真実だが、ほかは創作もあるということですね? あやふやな小難しい文を書かないでほしいのですが。こっちは頭悪いんだから。
セリフは真実だといっても、そのすべてが真実のわけがない。どうしたって、その場にいた人間しか知ることができない言葉も多いわけだから。そのへんが贋作者、でっちあげ、と言ったことか。
そうすると、先に書いたように、「どこまでが真実なのか」を、より一層疑うわけである。
とはいえ、マリリン周辺の事柄や関係人物が出てくると興味深くなる。
知らなかったことでは、マリリンが精神分析で有名なフロイトの娘アンナ・フロイトに診てもらったことがある、ということなど。
マリリンは結局、グリーンスンを含めて4人のフロイト派の医師に、かかっていたんですね。
それに関連して、ジョン・ヒューストン監督が、「フロイド/隠された欲望」(1962年)に、患者役でマリリンの出演を考えていた、というのは初耳だった。結局、その役は、スザンナ・ヨークが演じている。この映画は、いつか見てみたい。
全体に、作家トルーマン・カポーティと、写真家アンドレ・ド・ディーンズがよく登場してくる印象があった。
カポーティがマリリンをイメージして書いた「ティファニーで朝食を」を、マリリンがカポーティ本人の前で演じてみせるシーンがある。これも真実かどうかは知らないが。
ハリウッドは、ヒロインに、『…ブルネットで、聡明で、官能的なところなど微塵もないオードリー・へプバーンを選んだ。』
映画での終わりと違って、『…小説ではホリーは反対のことを言う。「あたしニューヨークが好きよ。この町はあたしから離れて行くから」これこそカポーティが彼の分身、彼の《白い天使》マリリンによって言われたことのある言葉なのだ。』
私はへプバーンが嫌いなわけではないが、あまりにマリリンと対照的な存在で、しかも日本ではへプバーン人気が高くて、その人気差がありすぎるのに不公平感を思うのだ。マリリンについては、彼女の映画を食わず嫌い(見ず嫌い)な人が多いのではないかと思う。
マリリン最後の精神科医ラルフ・グリーンスン。最終的には、マリリンは彼の家族の一員のように暮らし、1日に何回もカウンセリングを受けたという。
だが、2人の関係がマリリンに及ぼしたものが何だったのか、何かあったのか、そのあたりがどうも分からない。
ならば、この本は、いったい何だったのか。何を目指したのか。
訳者は後書きで、『マリリンは医師に隷属し、医師はマリリンに隷属する。この狂気じみた、異常な関係の行きつく先は破綻である。』と書いているが、それは必ず、そうだろうか。それこそ精神分析医じゃない私なので、よく分からない。
さて、再読したら、何か理解できるのかな?〔2009・1・15(木)〕


三谷幸喜
「清須会議」
映画にもなった、書き下ろし作品。秀吉が信長の後継者として誰を推すのかで、えっ!?と思ったが、なるほどそういうことかと。
柴田勝家が不器用(よく言えば実直な武士だが)に描かれすぎて、かわいそうになってきてしまう。
映画では、どう作ってあるのか、確認してみたい。〔2015・4・2(木)〕


三谷幸喜 清水ミチコ
「むかつく二人」
三谷幸喜さんと清水ミチコさんのラジオ番組での、おしゃべり。
図書館で見つけた本。
もう1冊、おふたりのおしゃべりを載せた、似たようなタイトルの本があって、どっちが先に発売されたのか、本の奥付を見て、先に出たほうを借りた。
カバー絵が、和田誠さんだ!
三谷さんがボケ、清水さんがツッコミという、漫才みたいなトーク。
電車のなかで読んでいると、ニヤニヤ笑ってしまうので、ちょっと人目が気になって困る。
おふたり、1歳しか違わないそうだ。清水さんが子年生まれ、三谷さんが丑年生まれ。
でも、清水さんが早生まれ(水がめ座だって。子年の水がめ、私と同じだ!)なので、学年でいうと2つ違うことになり、三谷さんが世代が違います、なんて話をすると、清水さんが1歳しか違わないでしょ、などと返したりしていた。
内容はもう忘れてしまったけど、読んでいて楽しかったのでOK。
続編は…気が向いたら読む。 〔2010・8・27(金)〕


ミッチ・カリン
「タイドランド」
テリー・ギリアム監督の大傑作「ローズ・イン・タイドランド」の原作本。
いつか読もうと思っていた。
読みながら、映画の場面を次々に思い出した。まるで映画のストーリーを追いかけて、この本の中の物語が語られているかのように。
そういうわけで、新鮮味はなかったのだが、それはつまり、映像化がそれほど見事だったということだろう。
ジェライザ=ローズが持っているバービー人形の頭について説明があったので、忘れないように抜き書きしておく。
マジック・カール・バービーは金髪。
ファッション・ジーンズ・バービーの右目はだれかに刺されて穴が空いている。
カット・アンド・スタイル・バービーの額と目は黒のペンで落書きされている。
クラシック・ベネフィットボール・バービーは植毛のまつげがついている。
ジェライザ=ローズのお気に入りは、クラシックで、多くの場面を2人で冒険している。植毛のまつげだから豪華っぽいよね。
ベネフィットボール・バービーを検索したら、ちっとも画像が見つからなかった。品物自体、売り切ればかりのようでもある。
本当に、現代の(不思議の国の)アリスといってもいいと思える。ただし、断然、孤独だ。でも強い。少女の、空想と現実の世界。
マリリンについて触れた文章があった。
『ハロウィンのとき、ロサンゼルスに幽霊がいるかどうか、父さんにきいたことがある。父さんは、あまりいないといった。死んだ映画スターばかりで、マリリン・モンローやファッティ・アーバックルなんかが出るそうだ。』(70ページ)〔2010・2・18(木)〕


湊かなえ
「告白」
映画を観てから読んだが、だいたい基本は同じという印象。
あれっ?と思ったのは、先生の告白の間、映画では、生徒がうるさかったけど、原作では生徒がどうだったのかは書かれていないのだ。
先生の話す言葉しか書いていないので、生徒の描写は一切ない。
うるさかったかもしれないし、もしかしたら、静かに話を聞いていたのかもしれない。
なるほど、原作に描かれていなくても、映画というものは映像になる部分は作らなければいけないのだ。
先生の話を聞くときに、こんなにやかましいクラスがあるのか、と思ったものだが、映画での創作だったわけだ。
母親の日記については、原作では母親の娘が見つけて紹介する形。映画では母親が日記を書いているところを直接、映している。
ラストは映画よりも、スパッと突き放して終わった。
原作を先に読んでいたら、もっと感慨深かっただろうと思うが、映画でのインパクトが上回っていた。
原作を読んでみて分かる、いかによくできた映画だったか、ということにもなる。文庫本には、映画を監督した中島氏のインタビューが載っている。
この本に出てくる人間が、みんな本当のことを言っているとは限らないだろう、と出演した子どもたちに話したら、子どもたちは「え、なんでですか」と驚いたという。
私も、「告白」として語られることなんだから本当だ、と信じて読むけれど…甘いんだろうかなあ、それは。〔2010・7・1(木)〕


宮部みゆき
「堪忍箱」
宮部さんは現代物だけじゃなくて、時代物もたくさん書いている。
この本は、短編8編。
江戸の庶民の生活を生き生きと描いているし、なんといっても、読みやすいのがいい。
しんみり、ほんのりと、胸がきゅんとしたり、ちょっと悲しかったりする。
人生の機微の、その、ほんのちょっとしたところがいい。〔2003・1・15(水)〕

「あやし〜怪〜」
中扉には、透ける紙に障子の絵が描いてあり、次ページの人影が浮かんで見える。
うーん、あやしいぞ。
短編9編から成る。雑誌「怪」などに掲載された時代物を集めた。
怖い怖いと思っていると、そのとおりの「お化け」を見る。
妹を守る姉の魂。人を呪ってしまった悔やみの末。鬼と棲む。行方不明だった子と、親との不思議な縁。火鉢に潜む魔物。
など、バラエティに富んだ話が江戸の町に展開して、楽しめる。〔2003・1・30(木)〕

「初ものがたり」
最近なぜか図書館で宮部みゆきさんの本が借りられる。
ふつう、たいていの本が貸し出し中になっている作家なのだが。
これも、最近続けて読んできた、時代物の作品。
本所深川の岡っ引、回向院の茂七が主人公の、連作短編6本収録。
2001年に、NHKの金曜時代劇で、高橋英樹主演で放送されていたそうだ。ちっとも覚えてない。高橋英樹じゃ、かっこよすぎると思う。もっと四角いゲタみたいな顔の親分さんがイメージなのだが。
著者によると、「季節感を織り交ぜて、捕り物もある人情小説を」書きたかったという。
謎の屋台のオヤジが登場して、屋台にしては見事な料理が出てくる。
このオヤジの正体は最後まで分からず、これは、続編がなければ困る。
内容は、トリックを扱ったものから人情話まであって、いつもながら読みやすく楽しめる。
捕物帳といえば、なんといっても、岡本綺堂の「半七捕物帳」。岡っ引の捕物帳を読むと、なんとなく「半七」を思ってしまう。〔2003・2・18(火)〕

「夢にも思わない」
主人公と、その友人が、中学生1年生にしては、しっかりしすぎだと思った。(とくに友人のほう)
自分の中1時代なんて、まるっきりのガキで、こどもだったと思うが、この話の中1は偉い(笑)。高校1年生というなら分かるよ…。
いまの中1は、こんなに「ませてる」ってことなのかな。
好きな同級生の子の身辺に起きた殺人事件。
事件は解決するが、思わぬ「おまけ」が残っていた。ここがこの物語の「キモ」だ。これがなかったら、たいした話ではない。
自分が主人公の立場だったら、どうしただろう。
中1の彼だからこそ、純粋すぎて許せないのだろうが。
それを受け入れられるかどうかが問題。
自分だったら…難しいな…この問題は。
だけど許したい。
(ネタばれしたくないので、話を知らない人にはよく分からないこと書いてるね…)〔2004・3・4(木)〕

「理由」
いやあ、厚い本だった。
宮部さんの本は、貸し出し中が多いので、図書館で見かけたら速攻で借りているが、この本は分厚い。持ち運びでカバンがふくらんでいた。なんせ570ページくらいある。
でも、さっさと読める。やはり書き方が上手いのだろうと思う。
宝島社の「このミステリーがすごい」1999年国内で第3位になった作品。
ミステリーで引っ張るのではない。事件自体の謎解きは主眼ではない。
事件に関わった人々の、それぞれの生活を丹念に描いている。
インタビューで関係者の話を聞く、という形式も混ぜている。
ひとつの事件ではあっても、それに関わった人間は多い。その人間の家族にまで広げると、ほんとうに、たくさんの人間が登場するわけだ。
その多数の人間を描いて、疲れさせずに読ませるだけでも、たいへんなものだろうと思う。
そのかわり、主役といえる人物はいない。集団劇?みたいなものか。
それぞれの事情が合わさって、事件になる。
たったひとりでも事情が違っていたならば、同じ展開には、ならないのだろうなあと思う。
それは運命と言っていいのだろうか。
事件の重要なポイントで「占有」が出てくる。
不動産関連の用語だが、私は以前、宅建(宅地建物取引業ですね)に関わる仕事をしたことがあるので、なんとなくこの言葉を知っていた。
で、今回の本で、よーく分かった。有難う。〔2003・4・16(水)〕

「クロスファイア(上)(下)」
面白かった! 新書版で上下巻2冊の長さなのだが、いつもどおり会社帰りの電車内だけで読んで、1週間かからず読み終えた。
主人公は、火を発生させることができる能力(念力放火能力=パイロキネシス)を持つ。ちょうど「X-MEN2」で、火を操るパイロというミュータントを見たばかりで、似てるなあと思った。
主人公の淳子がパソコンの音声識別に「ファイアスターター」と入れるのだが、これはスティーブン・キングの書いた作品のタイトルだ。
読んではいないのだが、やはり火を扱う超能力者の話。
淳子は、幼い頃には自分の能力をうまく制御できなかった。自分の意思に反して、人に火をつけてしまうこともあった。そのときの苦しみは心の奥に残っている。
大人になった今、彼女は、悪人を自ら追い詰め、処刑する。
悪を問答無用に排除するために、巻き添えが出てもいいのか。正義を行なうとはいったい何なのか。
異能を持った主人公の悲しみが伝わって、いい作品だった。本当に悲しい話だけれど。
クーンツやキングにも似た面白さを感じた。〔2003・5・26(月)〕

「蒲生邸事件」
最後の数ページを残して、駅に着いてしまい、電車を降りた。
ふつうは電車の中でしか読まないが、こういう場合だけは、帰ってからも読む。
予想していたことだが、電車のなかで読みきらないでよかった。泣けてしまったのだ。
帰ってくるまでの間、どういう結末をつけるのだろうと考えていた。こういう終わり方もある、ああいう終わり方もある。けっきょく、作者次第なんだよなあ、と思った。
しかし、宮部さんは読みやすい。読みやすいことイコール、おもしろいということになるはずだ。
タイトルだけ知っていて、屋敷で殺人が起きる推理物かと思っていた。
だが、読んでみて、おお、こういう手を使ってる話か、と意外な展開を楽しむことができた。
この主人公、めったにできない経験(そりゃそうだ。読んでみれば分かります)をして、ものすごく成長したに違いない。
SFと歴史(と推理)の融合作品だ。そして、ほんのりとした恋。これがいいよ、これがなきゃ。後味がぜんぜん違うでしょ。〔2003・6・4(水)〕

「鳩笛草」
超能力ものの中編を3篇収める。
登場するのは、「予知能力」「透視能力」「念力放火能力」。
この中の1篇「燔祭」は、「念力放火能力」を持った女性、青木淳子の話。先日読んだ「クロスファイア」の女性である。これは「クロスファイア」の前日談なのだ。
燔祭(はんさい)というのは、牛や羊を焼いて捧げる宗教的な儀式のことで、献身ということをも意味するようだ。世の中のために、正義のために(と彼女は思いたい)、悪人を火で焼き尽くす、という話にぴったりの題だね。〔2003・6・10(火)〕

「あかんべえ」
PHP研究所の雑誌「歴史街道」に連載していた当時は、仕事で、たまに読んでいた。でも、読んでいない回のほうが多かったので、話の展開具合がよく分からなかった。
図書館の、返却されたばっかりの本が置いてあるコーナーで発見、即レンタルである。(図書館でレンタルとは言わないか。)
江戸時代、深川の料理屋で起きる、お化け騒ぎ。
料理屋の娘、おりんは、あることがきっかけで、お化けの姿を見ることができるようになる。そのお化けたちは、恐くない。ただ成仏できずに、そこにいるだけだ。
おりんと仲良くなったお化けたちが、なぜ成仏できないのか。そのワケを探りはじめた、おりん。しかし、いいお化けだけではない。悪い心の亡霊も登場してくる。
そして、その大元ともいえる、悪い心の人間も。
おりんが気丈で、かわいい。親思いな、いい子で泣けてくる。たとえば…
「おさきおばちゃん」
しっかりした声が出せた。嬉しかった。
「よくわかったよ。あたしね、本当によくわかったよ」
おりんが微笑むと、入れ替わりにおさきが泣き出した。…
読んでるこちらも、涙が、だあーー、である。
描写も、いきいきしている。
お化けたちとの交流がユーモアがあって楽しい。
そのうえに、人の暗くて恐ろしくて悲しい部分も、しっかりと描かれる。
宮部さん、素晴らしい。いい物語を読ませていただきました。ありがとうございます!〔2003・9・17(水)〕

「日暮らし(上)(下)」
宮部さんの、江戸・深川を舞台にした時代小説。
単行本で上下巻2冊という量なのだが、文字も大きいし(笑)、それでなくとも、宮部さんのあったかくて、しみじみとする人情時代劇は、どんどん読みたくなる。
この「日暮らし」、「ぼんくら」という本の続編だというのを、読み始めてから知ったのだが、先を読みたくて、途中で止められるものではなく、読了した。
同心・井筒平四郎、超美形の甥・弓之助、おでこの三太郎、佐吉、お恵、お六、岡っ引・政五郎など、みんな生き生きと息づいている。作者の温かみや、基本的な品の良さ(人の良さか?)が大きく反映しているのだろうか。
連作短編が続いたあと、比較的長い話で締めている構成。
前作「ぼんくら」を読んでいたら、もっと感情移入できたかも。でも、これだけでも上等な作品。
いちばん良かったところを紹介してみる。平四郎は、ぎっくり腰なので、釣り台(板でしょうかね?)に乗せられて運んでもらっている。
『…それにしてもいい気分だ。釣り台の乗るのは癖になる。寝っ転がって、青空を仰いで、どこへでもぶらぶらと運んでいってもらえるのだから。
みんな、毎日をこんなふうに暮らせたらいいのになぁ。
でも、そうはいかねえんだよなぁ。
一日、一日、積み上げるように。
てめえで進んでいかないと。おまんまをいただいてさ。
みんなそうやって日暮らしだ。
積み上げてゆくだけなんだから、それはとても易しいことのはずなのに、ときどき、間違いが起こるのは何故だろう。
自分で積んだものを、自分で崩したくなるのは何故だろう。
崩したものを、元通りにしたくて悪あがきするのは何故だろう。…』(本文より引用)
のんびりとした平四郎の性格が、ほのぼのさせるし、地道な暮らしで生きていって、それでも、うまくいかないことがある、そんな人生に思いを至らせる文章。
「日暮らし」に縁のないような、たとえば、苦労のない金持ちなんかには分からない話かもね。〔2006・11・21(火)〕

「R.P.G.」
3か月前に読んだ本なので、記憶が…(笑)
図書館で見かけてレンタル。宮部さんの本は、見かけたら借りることも多い。これは薄めで手軽だったし。
殺人事件で父親を亡くした女子高校生が、容疑者の取調べに立ち会う。立ち会うといっても、相手からは見えない場所で容疑者を見るのだ。見覚えがある顔が、そこにあるかもしれないという理由もあって。
父親は生前、三人の容疑者たちとともに、インターネットで擬似家族を演じていた…。
ワン・アイデアで、すらっと書いてみた、というところでしょうか。
最後は、おお! そう来たか! ということに。
軽く楽しめた。
宮部さんの「クロスファイア」と「模倣犯」それぞれの小説に出てきた2人の刑事が、この事件で協力しているところも、お楽しみ。(この2人を知っていればですが。)
2003年の夏に、後藤真希さんの主演でドラマになっていました。〔2009・1・23(金)〕 

「名もなき毒」
宮部さんの小説で、おもしろくなかったというのは今まで私にはない。
これも図書館で見つけて(題名だけは聞き知っていたが)、ひょいと借りてみたけど、おもしろかった。
いつも書くけど、まず読みやすい。小難しくない文章なんだろうね。話がうまいのも、もちろんのこと。
毒殺事件と、世間とうまくやっていけない人間、それに住宅地の土壌に染み込んだ毒。いくつかの「毒」についての話が語られていく。
とくに、人の心に住み着いた「毒」の怖さ、やっかいさは、現実の事件にも見られることだが、考えさせられるし、やりきれない気持ちにもなる。
重要な関係者が1か所に集まるクライマックス。読ませるよねえ。
主人公が少し前に関わった事件のことが何度か話題にのぼっているので、もしかしたら何かの続編なのかもと思って調べたら、以前に「誰か Somebody」という小説があるそうだ。
仕事は会社員なのだが、探偵になったら? みたいなことが最後のほうに書かれているから、次回作があったら、この主人公は探偵になっているかも!? 次回作、出てますか?
第41回吉川英治文学賞受賞。〔2009・12・9(水)〕

以前読んだのを忘れていて2回目(苦笑)。これはシリーズ続編だが、1作目がドラマになったのを、最初だけ、ちょっと見たことはある。宮部さんは読みやすいうえに中身もしっかりしているから、人気があって当然。他人を傷つける人間についての考察。すぐ近くに危険や落とし穴がありそうなのが怖い。〔2015・2・3(火)〕

「パーフェクト・ブルー」
宮部さんのデビュー長編。
高校球児が、ガソリンで火だるまになって死んだ。
家族経営の蓮見探偵事務所は、亡くなった球児の弟・進也とともに、事件の謎を追うことに。
事件の裏側にあるものは…?
探偵事務所に飼われている元警察犬“マサ”の視点で描く、青春ミステリー。
長編デビュー作品ということで若々しい印象。
最後の告白のあたりが、え、そういうことか? と多少思ったけど。
宮部さんのは、当然、デビュー作でも読む価値じゅうぶん、だね。
犬が語り手になって、ちょっと、ヒネリを利かせてる。〔2011・2・11(金)〕

「チヨ子」
ホラー&ファンタジー5編を収録した一冊。ホラーといってるけど、怖くはない。
いちおう幽霊話、で短いのが2編あり。「雪娘」「オモチャ」。
表題作の「チヨ子」というのは、ウサギのぬいぐるみの名前。着ぐるみをかぶると、何かが見えて…という話。これが、なかでは一番ファンタジックで、あったかい感じで、いい。
「いしまくら」は、ある事件を調べるうちに意外な展開に。
ラストの「聖痕」は中編で、犯罪者、ネット社会、神…といったことを取り上げている。
いろんなストーリー、楽しめます。〔2013・11・28(木)〕

「レベル7」
初期作品だからなのか、こういうことするか、言うか?と思うところが、たまにあって、そこは拙(つたな)い気がする。(偉そうに。自分じゃ書けないけどね!)
はじめはSFのような謎から引っ張り、どんどん読めるが、最後にわかってみると、そんなに手の込んだことをするかね、とも。
カップルを手助けする男・三枝については、私は鶴見辰吾のイメージを思い浮かべていた。「梅ちゃん先生」でヤミ市の世界で生きていた役があてはまっちゃったんですねえ。〔2015・3・20(金)〕

「おそろし 三島屋変調百物語事始」
袋物屋を営む叔父夫婦の元で暮らす、17歳の娘おちか。客のふしぎ話を聞く相手をつとめることが、自分の過去のつらさへのリハビリのようにもなっていく。宮部さんの時代ものには「思いやり」のあたたかさがあって好きです。この1冊では5話。百物語にするには、この先が途方もないけれど、どうするのだろう。
去年の夏、NHKで波瑠さん主演で放送していたのか! 見てみたかったな。〔2015・11・28(土)〕

「あんじゅう」
〈三島屋変調百物語〉のシリーズ2冊目。南伸坊の挿絵がすべてのページにあって楽しい。4話収録。おもしろい。〔2016・5・4(水)〕

「荒神」
時代物か、と思い、え、SFかよ、と思い、おー、そういうことにしたんだ、と思い。ヒロインが、ああなるから、当然、私は不満。〔2016・9・18(日)〕

「過ぎ去りし王国の城」
絵の中の世界を冒険する中学生の男子と女子。と、もうひとり。かつてのNHK少年ドラマシリーズにありそうな雰囲気。宮部さんは、こういう少年少女ものも上手い。〔2017・3・17(金)〕

「泣き童子」
副題は「三島屋変調百物語参之続」で、シリーズ3巻目。なかでは、表題作が断然こわい。〔2017・11・1(水)〕


明星編集部
「『明星』50年 601枚の表紙 カラー版」
雑誌「明星」の表紙をズラリと集めた本。
解説は、橋本治。1952年10月号の創刊から、2002年10月号までの表紙が載っています。
でも私は、なんてったって、小泉今日子さん目当てです。
キョンキョン初登場の表紙は1982年8月号らしい。
8月号というのは、6月か7月に発行のはずなので、3月のデビュー後、わりとすぐに表紙になったのですね。
このあと、1983年に5回、1984年に3回、1985年に3回、1986年に2回、1987年に1回、1990年に1回、1993年に1回、の合計17回、表紙になっています。(2002年11月号以降は、本に掲載されていないので不明。)
1985年5月号では、チェッカーズと一緒で8人にもなっているので、表紙が顔だらけです。(笑)
同年10月号は、とんねるず、風見慎吾と一緒。とんねるずが表紙に出るとは!
1993年1月号は、キョンキョンひとりだけの表紙! さくらももこさんとの対談があったようです。〔2012・10・29(月)〕


武良布枝
「ゲゲゲの女房」

NHKの朝ドラになった原作。印象的な部分などは、ちゃんとドラマにも取り上げられていたな〜と思いながら読んだ。
結婚してから、愛をはぐくんでいく、という「見合い結婚」も、いいものですね。布枝さん、素晴らしい生き方を記録しておいてくれました。
今の時代は、いろんな環境が変わって、生活のしかたも違っているのかなあと。〔2015・4・6(月)〕


モーリス・ルブラン
「怪盗紳士ルパン」
アルセーヌ・ルパン。
小学生の頃から大好きで、南洋一郎さんが訳したポプラ社発刊のルパン・シリーズを揃えるのが楽しみだった。
「奇巌城」「813の謎」「虎の牙」「三十棺桶島」「黄金三角」「青い目の少女」…。タイトルを思い出すだけでも懐かしい。
今年はルパン生誕100周年ということで、映画「ルパン」が公開され、文庫でも新訳が出始めた。
この機会に、子ども向けに翻訳されたものではない原作を読んでみよう、と思い立った。
ルパンがこの世に出た初めての作品は、なんと彼が捕まる話だった。
しかしルパンたるもの、捕まって獄中にいてさえも泥棒ができるのではないか、と思われるほど。何かをやらかす雰囲気があるのだ。
手下を使って、世間を騒がせたあと、けっきょくは堂々と脱獄してのける。
他には、若いときの失敗談、子どもの頃の話、そしてシャーロック・ホームズを相手にする話など、興味ある冒険譚が盛り沢山。
謎解きがあっても、簡単明快なものが多く、ミステリーとは違う。冒険物といっていいのではないか。
狙うのは金持ち、小気味よく、かっこいい、気の利いた、頭のいい、そういう男を主人公にした、痛快な物語だ。庶民には人気が出て当然なキャラク
ターに思える。
ルパンは、新聞社を手中に収めていて、警察の代わりに事件を解決したときなど、それを新聞記事にして世間にアピールする戦略は、すごい。
見事な自己宣伝、自分のファンを増やす世論誘導である。
シャーロック・ホームズが好敵手になっているが、じつはルパンのほうが一枚上手として書かれているのが面白い。ルパンの著者が書くのだから当然といえば当然。
原文では、ホームズの綴りが Herlock Sholmes (ヘルロック・ショルメス、かな?)になっている。一応、ホームズのことだと確定はせず、ぼかしているわけだろうか。
そういえば、ホームズの物話は、友人のワトソンが書き手だが、ルパンの物語も、友人が書いている設定になっている。〔2005・11・5(土)〕

「ルパン、最後の恋」
未発表のままだったルパン最終作。2012年に発刊。知らなかった…。子どもたちがルパンの下で動くあたりは、乱歩の少年探偵団を思った。ルブラン自身の推敲が完全ではないようで粗い印象だが、最後は素敵に締めくくられた。〔2015・9・3(木)〕


物集高音
「赤きマント【第四赤口の会】」
作家の名は(もずめ・たかね)と読む。ちなみに、この本のカバーには、MOZUNE TAKANEとあった。間違ってる。。。
この人の作品は、仕事上で初めて読んだのだが、それは、昔風の文体に凝ったりするところがユニークな不思議ミステリだった。
今作は、現代ものだから、文体は普通。月に1度、第四赤口(しゃっく)の日に集まって「奇(あや)し物」についての例会を開く人々…。
怪人赤マント、魔女のホウキ、歌う骸骨、肉付きの面、それぞれの謎を解明していく、民俗学的ミステリ。
なるほど、実は、そういうことだったのかあー。と、なかなか面白い。
感動、とか、考えさせる、とは無縁だが、すいすいと楽しめる。〔2003・4・24(木)〕


森博嗣
「冷たい密室と博士たち」
現役工学部助教授の作者が描く、犀川助教授と、学生の西之園萌絵コンビ、第2作。今回は純粋な密室殺人の謎を解く。
この後、何冊もあるけど、貸し出し中が多いのだ。〔2001・12・1(土)〕

「笑わない数学者」
オリオン像が消えて、また出現する! そして像の足元には死体が!
論理的思考で、すべての謎は解けるのか?〔2001・12・18(火)〕

「詩的私的ジャック」
人気ロック歌手の曲の歌詞に類似した殺人が起きる。しかも被害者は、その歌手とつながりがあった…。萌絵ちゃん、またまた事件の渦中に。〔2001・12・25(火)〕

「封印再度」
壷のなかに、鍵が入っている。その鍵は、箱を開ける鍵。壷の細い口から鍵を取り出すことは不可能に思える。50年ほど前、その壷と箱を前にして、持ち主が胸を刺されて死んでいた。そして、今度は…。
はい、見事に騙されましたとも。ほんと、おもしろいです。キャラクターにおなじみになると、愛着がわいてくる。犀川助教授の脳細胞はさえまくるし、萌絵ちゃんときたら、もう可愛すぎです。〔2002・1・4(金)〕

「まどろみ消去」
短編集。萌絵ちゃんと犀川助教授も一部、出てくる。なんだ、これは?という話もあり、森助教授の頭のなかは不思議だ。〔2002・1・26(土)〕

「幻惑の死と使途」
世紀のマジシャンが箱抜けマジックの舞台上、観客の目前で殺される。そして彼の葬儀の場でも奇跡の大マジックが…。
うーん、萌絵ちゃん、危ないことはやめてよー。(^_^;)
今回のタネは、警察が関係者を捜査するうちに気づくはずだと思うが。。。〔2002・2・5(火)〕

「夏のレプリカ」
いつもとは趣を変えて、今回の主役は、萌絵の友達の簑沢杜萌。里帰りした彼女。ところが、帰ったその晩に、彼女の一家は奇妙な誘拐に巻き込まれていた。
結末が切ない。〔2002・2・18(月)〕

「今はもうない」
また、だまされた。まさか、そういう話だったとは! 事件のトリックとは別のところで。〔2002・2・27(水)〕

「数奇にして模型」
萌絵ちゃんは、無謀すぎる。いつでも、ひとりで危ない状況のなかへ入って行きすぎる。まったく犀川助教授も大変だよ。いよいよ次作「有限と微小のパン」で、このシリーズ、クライマックス。明日から読むぞ。〔2002・3・22(金)〕

「有限と微小のパン」
西之園萌絵、牧野洋子、反町愛の友達3人コンビが、有名ソフトメーカーの運営する、長崎のテーマパークへ遊びにくる。
だが、そこには、なんと第1作に登場した驚異の天才プログラマ、真賀田四季が、彼女たちを待ちうけていた!
犀川は、そのことを知り、ひそかにテーマパークへ急行する。
案の定、萌絵たちの前で、不可思議な殺人が連続する。はたして真賀田四季がしくんでいるのか?
犀川・萌絵コンビのシリーズ10作目。いちおう最後なのかな?
続編が出ないと、ものたりないところがありそうな…特に○×△のことが。(ネタばれするからね)
今回もまた、してやられました。オチじゃないけど、そんなあ…って感じ?
このシリーズ、英語のタイトルも遊んでる。
四季が登場した今回は“THE PERFECT OUTSIDER”なのだが、前に登場した1作目は“THE PERFECT INSIDER”だった。これは、単なる文字遊びだけでなく、物語とも、なんとなく合っているのだ。
前も書いたけど「封印再度」が“WHO INSIDE”というのもある。
森さんの場合、英語のタイトルのほうが、日本語タイトルより先に思いついているらしい。
それに「章だて」にも凝る。
同時期に起きた2つの事件を、それぞれ1冊にして、片方は第1章、第3章…という奇数章に、もう片方は第2章、第4章…にして遊んだりする。
章のネーミングに統一性をもたせたり(いま手元に本がないので具体的に書けないが、たとえばすべての章が、○○の○○というネーミングになるとか)。
「有限と微小のパン」では、すべての章の英題が“PAN”で始まっていた。
たとえば“Pandora's Box”“Pantheon”など。拍手!
こういう遊び心を持ってるの、好きだなー。〔2002・4・3(水)〕

「そして二人だけになった」
英語タイトルは“Until Death Do Us Part”。
死が二人を分かつまで、という意味ですね。
ジョン・ディクスン・カーの推理小説に「死がふたりをわかつまで」というのがあって、原題は“Till Death Do Us Part”だった。
ダニエル・キイスの「眠り姫」の原題が、まったく同じ“Until Death Do Us Part”だけど、話の関連はないようですね。
この言葉、結婚の誓いの言葉として、おなじみだし、だから本のタイトルにも使いやすいんだろう。
森さんの本作は、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」というタイトルに掛けている。
そして、そのクリスティ作品同様、限定された状況で限定されたメンバー内での殺人が展開し、ひとりずつ減っていき、しかも、同じくマザーグースをネタとして使ってるのだ。
やってくれますね。〔2002・4・12(金)〕

「女王の百年密室」
森さんの話は、密室ネタが多いが、この作品での犯罪現場の密室は、たいした密室ではない。
それがポイントではないからだ。
近未来を舞台にして、生と死(神、殺人、復讐など)の問題を考えている。
女王がいる町自体が、外界から遮断された密室でもある。
意欲作だと思う。
英語題は GOD SAVE THE QUEEN。神は女王を救いたまう。〔2002・5・16(木)〕

「地球儀のスライス」
短編集。犀川・萌絵コンビも2編で登場。〔2002・5・24(金)〕

「黒猫の三角」
著者によれば「Vシリーズ」(キャラクターの瀬在丸紅子のVか? べにこ、なら、Bだけど)の1作目。今年中に10作目が出て、完結らしい。
登場人物が、ちょっと変わったキャラ揃い。
事件は一応、密室。今回は、これしかないだろうという形が、ほぼ真相で正解。
殺人がなぜ起きるか、について、ひとつの例(犯人像)を提示していることのほうがポイントで魅力的ではないか。〔2002・8・2(金)〕

「人形式モナリザ」
瀬在丸紅子、保呂草潤平、小鳥遊練無、香具山紫子(読めないかもよ、凝った名前で)の4人が訪れた、長野県蓼科で起きた事件。
ラストに、どんでん返しというより、実はね…という「落とし」あり。
みなさん、クセありすぎのキャラ。
森さんの文章は、すいすい読めるね。〔2002・8・12(月)〕

「月は幽咽のデバイス」
今回のトリックは無理があるような…というか、そんなことするなら、○○ないように、ちゃんと対策とれよな、と言いたい。
あれは謎の○○○のままなんだね。。。〔2002・8・15(木)〕

「夢・出会い・魔性」
出ました! 得意の言葉遊び。著者の作品には、いつも英語タイトルも付いているが、今回は“You May Die in My Show”。「私のショーのなかで死んでね」みたいな意味だが、英文を声を出して読んでみましょう。はい、ユーメイダイインマイショー。ユーメーデーアーインマショー。夢で会いましょう。夢・出会い・魔性。ほら!
今作は面白かった。
小鳥遊練無と香具山紫子の、漫才のように軽快な、ポンポンとしたやり取りは、まさに絶好調。
小鳥遊という名字を何と読むのかについて、鷹がいなければ小鳥が遊べるから、「小鳥遊」と書いて「タカナシ」と読む、ということも分かった。
また以前、瀬在丸紅子(せざいまる・べにこ)のイニシャルだと、このシリーズは「Vシリーズ」じゃなくて「Bシリーズ」ではないのか、と書いたが、今回、紅子本人が「イニシャルはV・Cです」と言っている。それはそれで不思議だが、本人が言うのだから、しかたあるまい。
著者の特徴のひとつとして、「性別トリック」とでも言うべきものがある。
今作でも、それが重要なミソである。ええっ、びっくり、である。
シリーズが回を重ねてくると、主役たちに感情移入してくる。それがまた、次を読みたくなってしまう媚薬なのだ。〔2002・8・27(火)〕

「魔剣天翔」
気にいらない。
関根杏奈の扱い。(読んでる人でなきゃ分からない話だが)
これは絶対に気にいらない。不賛成。
トリックも、実行するには、かなり際どい場面があるはず。
今回は、保呂草が、ちょっとハードボイルドだ。〔2002・9・4(水)〕

「恋恋蓮歩の演習」
れんれんれんぽのえんしゅう、と読むらしい。
「蓮歩」とは、美人の歩みのこと。辞書を引くと、金で作ったハスの花の上を美人に歩かせた、中国の故事による。
最初から、タイトルどおり、恋模様が描かれる。
紫子の恋もあるし、作品のなかに「恋」を探したら、いっぱいあり。
「恋の演習」がそこかしこにある。
英題は“A Sea of Deceits”。
計略の海、って感じか? sea(シー)とdeceits(ディシーツ)で、同じ「シー」の音を入れてるところは、音韻踏み遊び、みたいなものでしょう。
計略、ぺてん、といえば、物語も「ぺてん」だ。物語の書き手が、保呂草という探偵(一応)で、彼自身が事件に絡みまくるので、記述は作為的だ。謎を楽しむために、事後再構成して書かれているわけだ。
ハーレクインみたいな恋愛劇(そんなに読んだことはないし、程度は違うが、まあ、似てるかも、ってこと)の前半、豪華客船を舞台に2つの事件が起きる後半。
こうなんじゃないかな、え、違うのか、と、思考が揺れる終盤。
考えてみれば、人が何かをする原動力の大きなものとは、それは恋する気持ち。
自分が恋するだけじゃない。他人の恋を感じることや、個人ではなくもっと大きな恋(これは「愛」といったほうがいいのか)を感じること。
そう、この作品は、たとえ良からぬ意図から始まっていたこともあったとしても、けっきょくは、多くの「恋」によって成り立っている話だった。〔2002・9・12(木)〕

「今夜はパラシュート博物館へ」
短編8本を収録したもの。
紅子さんシリーズの小鳥遊練無&香具山紫子と、犀川・萌絵シリーズの西之園嬢が出会う「ぶるぶる人形にうってつけの夜」に注目。
ここで登場する西之園嬢は名字だけで名前が出ない。
もしかしたら、萌絵の叔母さんかもしれないぞ。とすると、紅子さんシリーズは、時代的に、ちょっと前か。〔2002・9・21(土)〕

「六人の超音波学者」
瀬在丸紅子たちのVシリーズ第7作。今回はそんなに面白くない。
刑事の祖父江七夏(そぶえ・ななか)、大学生の小鳥遊練無(たかなし・ねりな)のキャラが目立つ。
話もシンプル。英題もそのまま。韻は踏んでるけど。〔2002・10・7(月)〕

「捩れ屋敷の利鈍」
西之園萌絵(S&Mシリーズ=犀川と萌絵の頭文字だよ!以下Sと書く)と保呂草潤平(Vシリーズ、以下Vと書く)という組み合わせ。
違うシリーズの2人が正面から顔合わせする興味で読ませた。
そして、瀬在丸紅子(V)と萌絵(S)は、血縁関係にあるのではないか、という疑惑が私のなかに生まれた。
紅子と萌絵の性質や仕草の類似は、保呂草の記述で何回も示される。
以前読んだ短編で、西之園嬢(S)と小鳥遊練無(V)が出会っているが、このときは西之園萌絵ではなく、彼女の叔母ではないか、と考えた。
そう思ったきっかけは、どの場面か忘れたが、Vシリーズでの何かの描写で、少し前の時代を、ふと思わせたからだ。借りて読んでるから確認できないのが残念。
とすると、萌絵は紅子の孫だとか?
紅子には息子がいたよなあ…彼が萌絵の父親…にはならないか?
そうなると、萌絵と会ったときの保呂草は60歳くらいだったのではないか?
今回、小鳥遊くんが出ないのも、もういい年で女装しないから?
うー、もう少し考えてみるか。
保呂草は、引退するまでは秘密を語らない、と書いている。
つまり、最後の作品で明かされると思っていいかもしれない。
こういう疑問は、森さんのHPで書かれてるのかな?
英題は“The Riddle in Torsional Nest”。ねじれた家の謎、という感じか。
nestは巣の意味だが、心地よい隠れ家のような雰囲気もあるらしい。巣は心地いいからね。あのメビウスの建物は、いかにもそんなふうだ。
riddleは「リドル」と読むから、「利鈍」になったわけだ。〔2002・10・11(金)〕

「朽ちる散る落ちる」
Vシリーズ第9弾。7弾目の「六人の超音波科学者」の続編的なお話。たまにシリーズ内で、話が関連しているから、刊行順に読んだほうがいいのだ。
このシリーズは、謎はシンプルなもので、キャラクターの面白味で引っ張る。
さあ、いよいよ次は、出たばかりの第10弾「赤緑黒白」だ。予約しても読めるまで時間がかかるかもしれない。〔2002・10・24(木)〕

「スカイ・クロラ」
スカイ・クロラとは、訳すと「空を這う人」。
主人公は飛行機乗りだから、這うというより、クロールして気分良く空を泳いでいる感じがする。
ふわふわと空を泳ぎまわる。
日本の近未来(たぶん)。戦闘機で戦争を戦っている主人公。そして仲間たち。
謎解き(これがどんな世界で、どんなわけで戦争しているのか、主人公はいったい何なのか)は最後のほうに少しだけ出てくる。
夢のように綺麗な。と思った。この話にそういう表現は一般的なのかどうか分からない。冷静で感情の少ない記述と言っていいかもしれないし、でも悲しさは充分に読み取れる。
“Cool!(クール!)”って感情表現にも近いかもしれない。
そう、警句のごときクールな表現にも、しばしば出会った。格好いい。
詩的だと思った。おとぎ話、寓話の世界でもあり、SFでもあり、哲学的でもある。
この子どもたちは、なんなのだろう。この悲しい存在は。
未来の世界はこうであってはならないのは確かだと思う。
読んでいる間は、かなり好きだった。
涙が浮かぶ場面もあった。
不可思議な世界だが、魅力的だ。
間を置いて、読み直してもいい話だ。
どの本でもそうだが、森さんの書き方で、ひとつ気になるというか、ひっかかることがある。
それは、「いい」という言葉を「良い」と書くことだ。
「良い」と書かれると「よい」と読みたいのだ。ふつうなら「いい」と書きそうな場面でも「良い」と書かれている。
「良いよ」などは、「いいよ」のほうがいいのにな。〔2002・11・27(水)〕

そういうわけで(どんなわけだ?)、「スカイ・クロラ」を再読。
8日に感想を書いた「ラ・バ・テア」は、「スカイ・クロラ」の続編ではあるが、内容的には「スカイ・クロラ」の前日譚だったのだ!
私の場合、2年半も前に「スカイ・クロラ」を読んでいたので、人物名を覚えていなくて関連性がつかめず、「ラ・バ・テア」のほうが後日譚だとばかり思っていた。失礼。
「ラ・バ・テア」のヒロイン、パイロットの草薙水素(クサナギスイト)は、「スカイ・クロラ」の時点では、小隊長になっている。
「スカイ・クロラ」は、草薙と、パイロットの函南優一(カンナミユーヒチ)の関係がメインストーリーだ。
で、これって…最近話題になった2本の洋画でも扱っているテーマがあるじゃないか! いやー、驚いた。
独特の空気感(浮遊感?)は、やっぱり好きっぽい。
森さんのサイトを見ると、「スカイ・クロラ」は森博嗣の本質に近い作品、と書いている。この人の本質って、いったい何だろう?
シリーズ3作目は「ダウン・ツ・ヘヴン」(Down to Heaven)。6月25日発売である!「天へ落ちていく」…地に落ちるんじゃない。逆なんだよね。また凝ったタイトルを…。中央公論新社の宣伝コピーによると、
「人間って、空から墜ちてきたものかもしれない。それじゃあ、死んだら、上がっていく?――戦いを生きる子供たち。著者渾身のシリーズ第三弾 」
ということです。早く読みたいが、図書館じゃ予約いっぱいだろうなあ…。高い単行本は買わない主義だし。図書館予約して待つしかないか。〔2005・6・16(木)〕

「奥様はネットワーカ」(コジマケン・イラスト)
雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載されたものに書き下ろしを加えた。
タイトルから森氏の奥さんの話なのかもと、なんとなくイメージしてたが、ぜんぜん違った。
話の最後に来て、今回も、だまされた。単純なんだから、だまさないでよ〜。
コジマケン氏のイラストが豊富。カラーページも多い。
この作品の特徴は、まさに、それだろう。
話としては、まあ、とりたてて…(自分じゃ書けないくせに、ごめんなさい〜)
でもさ、タイトル、「ネットワーカー」でいいじゃん。何でネットワーカ、「カ」で止めるん?
…体言止め?(ぜんぜん、まるっと、違うよっ!)〔2002・12・3(火)〕

「墜ちていく僕たち」
小説誌に不定期連載された5編の中篇をまとめたもの。
あんまり意味ない話で、文体も軽いノリなので、かるーく読み飛ばしていいのではなかろうか。実際、3時間かからず読んだ。〔2003・1・4(土)〕

「工学部・水柿助教授の日常」
ちょっと日記で真似してみたのは、この本の文章でした。
カッコ書きを多用して、とぼけたユーモラスな(同じことか)おかしさで、肩の力の抜けた(といっても、著者は必死に書いていたかもしれない)、エッセイっぽいお話。
助手時代、助教授時代の、学会やら研究やらにまつわる話、試験についての話、奥さんとの話など、楽しく読める。
水柿(みずかき)って、何を意味してる名前なんだろう?〔2003・3・5(水)〕

「赤緑黒白」
このシリーズ、これで最終話だったのか! 
最後のあたりまで気づかなかったよ。
そして、犀川・萌絵シリーズとの関連が明かされる!
といっても、私は読んだあとも分からなかったのだ。あとでいろいろ検索してみて分かったという、ヘタレ読者であった。
紅子さんが、○○の○○だったとわっ!
林さんの○○が○○だったとわっ!
そして、今回の事件のウラには、なんと○○○○○がいたとわっ!
このタイトルが、なんと○○のことだったとわっ!
いやはや…
犀川・萌絵シリーズ10作、紅子シリーズ10作、読みなおすと面白いかも。
どんな伏線が張ってあるのか。
でも紅子シリーズのほうが時代が古い、という予想は当たってたね。〔2003・3・12(水)〕

「虚空の逆マトリクス」
久々の森作品を読む。
短編集なので、いろんなテイストの話が入っているが、萌絵・犀川コンビの話が1つ、最後にある。
2人の仲は、いったいどうなってるのだ? という疑問に、ストレートパンチを食らったような展開である。
なにしろ、「おおおー!」とばかり目を見開いて、にやけそうな、こっちが照れそうな、べたべたのラストなのである。
でも、お兄さんも、うれしいよ。(誰がお兄さんだ)
あとは、アメリカのハードボイルド小説風だったり、回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ、ってやつね)が、あふれるほど登場してくる話があったり。
森さんが全部自分で考えたわけじゃないよなあ。
「根が面食いさ、浅井君メガネ」なんてのは短いけど、本に書くと5行にもなる回文があるんだよ〜。
回文を作るのにも、きっと、工学部助教授という作者の、(たぶん)数学的頭脳が才能を発揮するんだろうなあ。〔2004・2・27(金)〕

「迷宮百年の睡魔」
サエバ・ミチルとウォーカロン(人造人間といっていいか?)ロイディのコンビが活躍する、「女王の百年密室」の続編。
心と体が分離しているようなミチルの危うい存在感が全編を通して特徴的に語られる。ミチルと、感情がなく論理的な思考をするロイディとの会話が面白い。
エンジニアリング・ライターとして、ある島の取材に出かけたミチルたちだが、そこで殺人事件が起きる。追っかけのアクションもあり。すいすい読めるのは森作品のいいところ。
明かされる秘密は、もうSFといってもいい、驚きのもの。人間とは、生きるとは、何なのか。自分とは何なのかというアイデンティティの問題にもなってくる物語。
英語タイトルは、“Labyrinth in Arm of Morpheus”で、モルフェウスの腕の中の迷宮、といった意味。モルフェウスはギリシャ神話の眠りの神だ。
思わず泣けた場面を引用してみる。ミチル(僕)と、女王メグツシュカの会話。
「良いですか? 私があなたに言えることは、ただ一つ」メグツシュカは僕に顔を近づける。「人間としての誇りを持ちなさい、ミチル」
これだけでは何ということもないが、ミチルの感情や思考を読んできたあとの、この言葉は、効いた。〔2004・11・27(土)〕

「ナ・バ・テア」
森博嗣先生の本、図書館で見つけて、ろくに確かめもせずに、ソッコーレンタル。
「ナ・バ・テア」って何だ?と思いつつ。本の体裁から、「スカイ・クロラ」の続編に違いない、とは思っていた。
あとでゆっくり表紙を見たら None But Air と書いてあって、ああ、これを読むと「ナバテア」だ、と分かった。森先生らしいイングリッシュ遊び的なタイトルだよなあ。
「何もない、でも、空気。」ということ…じゃない。「空さえあれば、いい」って感じかな。
主人公は戦闘機乗り。基地を転属してきて、尊敬すべき先輩と出会う。
前作の「スカイ・クロラ」は好きだった。HPにある感想文を読み返してみると、はや2年半も前。続編があることは、借りるときまで知らなかった。
今回は前ほど好きというわけではなかったが、飛行機に乗って空にいるときが幸せな主人公の心象風景が、すうっと染み入ってくる。
作者の森さんもヒコーキ好きか。
空にいれば幸せ。自由。飛行機乗りの心理かな。
文章は読みやすいし(紙面に余白も多いし)、さあーっと読めるのがいい。
リズムがいい。雰囲気で読む。
ただし文句もある。空中戦で、「ラダーとフラップで機首を向け」とか、「すぐにループ」「スロットル・ハイ」「ラダーとエルロンを逆に切る」「エレベータを引く」「ロール・アップでターン」などと書かれていて、これが何のことか分からないのだ。
分からないまま雰囲気で読んでもいいし、それで充分に浮遊感というか、一緒に飛んでる感はあるのだが、でもやはり、どんな状況なのか、分かったほうがいいなあ。
読者が分かってなくてもいい、ということなんだろう。雰囲気で行けば。
でも、それでいいのか、とも思う。それって、説明不足で、不親切とも取られるんじゃなかろうか?
〔2005・6・6(月)〕

「ダウン・ツ・ヘヴン」
発売前に図書館で予約してみた。受け容れられた。さっそく入庫の電話が来た。取りに行った。読んだ。
買わないで、こんなに早く読むことができて、なんだか申し訳ない。
さて「ダウン・ツ・ヘヴン」。これは「ナ・バ・テア」の続編といった位置付けになる。
クサナギが主役の物語。自由に空を飛んで戦っているときだけが幸せ。地上では不安定な存在。
純真な魂は、嫌らしい大人の社会に触れて、徐々に不自由になっていく。
ぼくたちが純粋に生きることのできる場所は、地上には、ないのか。そして空中には…?
森さんのサイトでのコメントによれば、あと2作続くのだそう。たしかに、まだクサナギとカンナミの関係は語り終わっていないはず。ティーチャも、また出てくるかもしれないし。
最後の100ページ少々、全体の3分の1ほどを、帰りの電車に乗っていた1時間弱で読み切った。
本当に、飛行機に乗って風を切るがごとき疾走感とともに、読めてしまう。
もっと、じっくり読むべきなのかもしれないが、それは、また後日、気が向いたら。〔2005.7.7(木)〕

「四季 春」
森さんの以前の作品「すべてがFになる」で初登場した天才科学者、真賀田四季(まがた しき)の物語。
4部作で、春夏秋冬ある。この「春」は、彼女の5歳から8歳あたりの物語が中心。
論理的に考えると、よく分からないところがある。どうも、説明がつかない。それとも、こっちの頭が悪いのか。
だから、四季は何でもできる、神に限りなく近い存在なのだ、と思ってみる。
そう、考えてみれば、四季は、すべての季節。彼女は「すべて」なのだから。
この天才が、子ども時代に、どんなことを考え、行動していたのか。
そして、天才ゆえの、喪失、孤独。
天才であることの代償は、心の歪み(ゆがみ、ひずみ、読み方は、どっちでもいい)なのか。
彼女の姓は、「まがった」という言葉のイメージを、初めから、植えつけている。
「正しく」は生きられないのか。
天才の孤独?
かえって凡人の我々のほうが幸せなんじゃないかと、四季を見る。
S&Mシリーズ、Vシリーズの、おなじみのメンバーが出てくるのが嬉しい。
2つのシリーズは、お互いに、こういう時間設定だったのか、と分かる。
新書版の232ページ。文字と余白で、矢印を作っているように見えるのは、考えすぎ? やっぱり偶然かな?(矢印に意味ないしね。)
著者の森さんの頭の中が、いちばん天才っぽくて、よく分からない。〔2005・11・30(水)〕

「四季 夏」
四季、13歳から14歳のときの物語。
「すべてがFになる」に出てきた真賀田(まがた)研究所が、妃真加(ひまか)島に出来あがっていく。
四季は、こっそり、叔父と2人きりで遊園地に行ったり、ドライブを楽しんだりする。
叔父は奥さんがいる身なのだが、四季に惹かれる気持ちを打ち消すことができない。四季のほうも、叔父を誘っているかのように見える。
お、「夏」の巻は、あぶないラブアフェアの話か。四季も、やっぱり女の子なんだ、好きな男がいるんだ、と思いながら読んでいた。
…ところが、そこでショッキングな事件が起きる。
正直言って、どう理解すればいいのか分からない。なぜ、こんなことが…と思うばかり。
「すべてがFになる」を、しっかり覚えていれば、そんなに、びっくりしなかったのかもしれない。
後から振り返ってみると、四季の叔父に対する感情は何だったのか、謎のように見えてしまう。
続く2作「秋」「冬」を読めば、彼女の考えていることが、少しは理解できるのだろうか。
ただし、これだけは言える。四季の進んだ道は間違っていると。そうでなければいけないはずだ。〔2005・12・8(木)〕

「四季 秋」
四季33歳。「夏」の巻から20年近く経っている。
今回は、萌絵と犀川の活躍する「S&Mシリーズ」のうちの1作だと言っても、おかしくないほど、この2人が活躍する。
2人の仲が、どうなっていくのかという、シリーズから引き続いている興味の点でも楽しめるし、そればかりではなく「春」の巻と同じく「Vシリーズ」の、あのメンバーも…!
真賀田研究所に残されたメッセージを解こうとする犀川。
はたして四季の真意は?
犀川と儀同世津子の母親が誰なのかが分かる!
やっぱり! そんな予感はしていたよ。予想は半分当たっていた。
ラストでは、萌絵が犀川の母親と会う。いい場面です。
この「秋」の巻は、四季はほとんど出てこないが、萌絵&犀川&○○&○○で楽しめる。
「S&M」「V」の2つのシリーズを読んできた人には、その後日談としても、やはりチェックしてみたい話である。
いくつか、印象的な文章を挙げておく。
『我々のモラルと、真賀田博士のモラルが違うのは、その基盤が、人間社会にあるのか、それとも彼女自身にあるのか、その差だ』
『孤独とは、淋しいものではない。自分がここにいる、という位置を、その足許の確かさを、見つめること』
『何かの答えを得たような気がする。何だろう? どんな問題だったかしら? 解けてしまったときには、問題も消えている。それが、本来の問題だ。消えたあとに、優しい気持ちが残る』
〔2005・12・14(水)〕

「四季 冬」
「四季」の最終章、「冬」。
抽象的な文章が多く、はっきり言って、内容は、よく理解できない。哲学的と言ってもいいのかもしれない。
「冬」では完全に、真賀田四季が話の中心に戻っている。
叔父との最後の思い出、犀川との会話など、さまざまな過去もフラッシュバックする。
そして、そう、「百年」シリーズを読んでいる読者は、この「四季」シリーズも読むべきだ。
森さんは過去のシリーズを書いていたときに、ここまで全体の構成を考えていたのだろうか。
それとも、あ、ここは、こうすれば面白いなと、書きながらアイデアが浮かぶのか。
なにしろ、ここまで森さんの各シリーズが関連してくると、もしも読んでいない本があった場合、全体像が欠けてしまうことになりかねないような気がしてきてしまう。
まあ、欠けていても、それぞれの話を読むぶんには困らないのだけれども。
ラストも、びっくりである。あ、これって、どの本にあった内容だったっけ、覚えがあるぞ!?と思うのだが、森さんの本は図書館で借りたものばかりなので、調べられない。
内容はあまり理解できなくても、ざっと再読していたら、なぜか泣けてきた。
四季の、さみしさ、悲しさが、詩のような文章の間に浮いているからなのか。
透明な、さえざえとした文章(それはあくまでも私だけのイメージであるけれども)の、なせる業(わざ)なのか。
彼女は犯罪者ではある。何かが欠如している。それは否定できないが、彼女も人間なのだ。天才という孤高の存在の心の空虚さは、いかばかりだっただろう。
頭で完全には理解できないけれど、それでも、感情が心に染み入ってくる部分がある。不思議なものだ。〔2005・12・27(火)〕

「φは壊れたね」
「S&Mシリーズ」の西之園萌絵が再びシリーズものに登場する、「Gシリーズ」の1冊目。(何がGなのか知りません…。)
φは「ファイ」と読みます。関数とか空集合とかのことで、決まった数値ではないということです。数学不得意な私には分かりません…。
このシリーズは現在、すでに4巻出ているけれど、やっと読み始めましたよー。
新シリーズについて、森さんのホームページに書いてある言葉を引用させてもらうと、
「ミステリィについて自分なりに見直し、あまりトリッキィなものではなく、どろどろしたものでもなく、真正面から誠実に、シンプルできめの細かい作品を書きたいと思うようになりました。また、矛盾しているように感じられると思いますが、一方では書かなくても良いことを極力書かない、という当たり前の素直な方針を掲げ、ナチュラルでアキュラシィな作りをなんとか目指したいと今は考えています。」
とのこと。アキュラシィとは「精度」「精密」の意味。
すっきり、自然で、精密に。なるほど。
本作にある密室トリックは、分かってみれば、あっけないほど簡単なもの。だけど、たいてい、そんなものでしょう、密室というのは。
動機も面白い。そんなことも有り得るの? うん、変わってるけど有り得ないことではない。キーワードを加えれば「奇妙」が入るか。
ひとつの事件の謎を追って解決していて、あまり横道にそれていないし、確かにシンプルな印象。
西之園萌絵さんは大学院の博士課程。主な登場人物は、C大学の大学院生、山吹早月(やまぶき さつき)、C大学の学生、加部谷恵美(かべや めぐみ)と海月及介(くらげ きゅうすけ)。それに国枝(くにえだ)助教授と犀川(さいかわ)助教授だが、犀川さんは今回は出てこない。西之園さんの話の中でだけの登場。
そのかわり、犀川2世ともいうべき頭脳を持つキャラクターがいるのです!
相変わらず、森さんの作品は、すいすーいと読めるし面白い。ほとんど大学生が主役なので、会話部分も軽いノリ。
いかめしげな刑事が、西之園さんが久々に現場にやってきたら、手のひらを返したように嬉しそうにしているところも、おかしい。
西之園さんは、学生たちにとっては先輩に当たるので、ちょっと大人っぽい。
犀川さんが出てこないから、彼に甘える場面もないしねえ!
英語タイトルは、Path connected φ broke という。意味はよく分からない…。
続きが楽しみになった。さっそく図書館に予約しよう!(買わないのかい!)〔2006・7・14(金)〕

「θは遊んでくれたよ」
さっそく読んじゃったシリーズ2作目。
今度は、飛び降りが相次ぐ。飛び降りて死んだ人のどこかには、θ(シータ)の印が残されていた。
インターネットの、新興宗教めいたサイトに関わる自殺なのか?
西之園萌絵の親友、反町愛(そりまち あい)が再登場! 西之園さんは、彼女を「ラヴちゃん」と呼ぶ。かわゆいねえ。
このラヴちゃん、言葉使いが、ちょっと面白い。男っぽい。「僕」って言うし、ときどき「〜だわさ」とか「〜だがね」「〜だがや」とか。
研修医のラヴちゃんが、事件に関係する口紅の分析を頼まれている、という状況なので、親友の西之園さんが深く関わってきて、彼女の活躍度が上がっている。
(ちなみに今シリーズでの森さんの文章は、彼女のことを「西之園」と書いている。「萌絵」ではない。そのあたりも、シリーズによる違いだ。)
今回の解決案も見事。
こう考えれば、何もかも辻褄(つじつま)が合う。与えられた情報に対して、「もしも、こうならば、すっきりと解決できる」と考えることが可能な頭脳が素晴らしい。
しかも、それは、ちょっと見方を変えるだけで得られる結果なのだ。ただ、そこに気づくのが難しい。
印象に残った文章を挙げておく。
「…事実とはこうしてあとから形成されるものだ。しかし、人の心の中の、そのときどきの葛藤は、二度と正確に再現されることはない。たとえ、本人の口が語ったとしても、その言葉は明らかに虚構である。理由も動機もすべて、光が当てられたときに現れる影に過ぎない。…(中略)…ただ、それがあった、存在していた、ということを仄めかしているにすぎない。人が事実として認識している概念は、その程度のものだ。あるいは、ないに等しい、といっても良いだろう。…」
犯罪に至る瞬間に犯人の頭の中にあったことは、その瞬間だけのものであって、あとから本人が説明しようとしてさえも正確ではなく、いわんや、第三者には、決して正しくは伝わらない、ということか。
だから、推理した、そのあとは書いていないのでしょうか、森さん?
英語タイトルは「Another Playmate θ」。もうひとりの遊び友達θ、って感じ?〔2006・7・25(火)〕

「τになるまで待って」
「τ」は「タウ」と読みます。
映画ファンなら、オードリー・ヘップバーン主演の「暗くなるまで待って」を思い出すタイトルですね。
ただし、英語タイトルは“PLEASE STAY UNTIL Τ”で、「暗くなるまで待って」の“WAIT UNTIL DARK”と同じ形にはならない。
森さんの小説のほうは、STAYを使っているから、「待つ」というより「とどまる」感じが強くなるだろうか。
今回は「伽羅離館(がらりかん)」という建物の中で起きる事件。
ページの初めのほうに、建物の平面図が載っている。建物を舞台にしたミステリを読むと、よくあるよね、平面図。こういうのって、なんか嬉しい。
出演メンバーは、お馴染みの、山吹・海月・加部谷のトリオ。それに赤柳という探偵。この赤柳さんの正体には興味津々。赤っていうと、Vシリーズの「紅子さん」を思い出す。絶対、人間関係のつながりが、何かある。だって、変装してるらしいし!(指摘したのは、なんと、○○さんです!)
部屋のトリックと、密室?トリックの2つが取り上げられていて、今度もまた、シンプルこのうえない。とくに密室のほうは、こんなのありか!?と文句を言う人がいるかもしれないほど、あっけない簡単さ。
でも、それが分からなかったら、解決しないんだから、文句を言うことではあるまい。
西之園萌絵と犀川さんコンビも、少し登場。西之園さんの活躍が少ないのが、ちょっと、つまらないかな。〔2006・8・11(金)〕

「どきどきフェノメノン」
フェノメノン? んーと、映画があったよなあ「フェノメノン」? 「フェノメナン」だっけ。ジョン・トラボルタ主演の。ツボにハマって、やたらに泣けた映画だった。
てことで、「現象」っていう意味だよねえ、と思いつつ。
どきどき現象、ときどき現象?
森さんの小説には英語タイトルがついていて、“A phenomenon among students”とある。学生の間にある現象、ですか。
ヒロインは、窪井佳那。大学院のドクターコース在籍中。ん、これは、同じく森さんの某シリーズの、われらが西之園萌絵さまと同じ境遇ではないか。
ま、いいや。大学教授だった森さんお得意のパターンだよね。
この佳那クンが、ご多分に漏れず、教官にトキめいてみたり、はたまた、イタズラ心満載で、友人と後輩の男子をくっつけたりしちゃうのだ。
酔っ払うと記憶が飛ぶし。
つまり、そういう、ちょっと変わった学生の、トキメキ・ドキドキ、な、お話である。
親父の存在も謎だ。知り合いが訪ねていくから、飯を食わせてやってくれ、なんて、佳那に電話が来るし。なんなんだ?
帰りの電車1回分(1時間足らず)で100ページほども読めてしまう、軽い内容です。
言葉遊び横溢。オヤジギャグと言われそうなものもあるけど、若い女子が発すると、そういう汚名は着せられないんでしょうか?
テンポがいいわけ。たとえば…
『きい! という声が、佳那の胸の中でスパイラル。…(中略)…まったく手応えなしのマシュマロ。…(後略)』
なんて、ほとんど、するすると、あんまり考えなしに出てくる言葉だよね。そういうノリ。
いちばん可笑しかったのが…
『それをするっとかわして、なるべくその勢いを保ったまま、柔道の巴投げのように、水谷を美保へ目がけて投げ飛ばしたい。』
という文章。
佳那が後輩の水谷に想われているんだけど、佳那は水谷が好きじゃなくて、友人の美保が水谷を気にいっている、という状況でのセリフ。巴投げで、水谷が美保のほうへ飛んでいく様子を想像をしたら笑えた。
というわけで、息抜きで楽しめるような感じの、かるーい小説でした。
単行本がノベルスになったのが、最近、書店に並んでます。〔2006・11・9(木)〕

「εに誓って」
Gシリーズ第4作。「ε」は「イプシロン」と読む。
英語タイトルは“SWEARING ON SOLEMN ε”。solemnは「厳粛、儀式」といった意味で、solemnがなければ、そのまま「イプシロンに誓って」という訳になるが…。
イプシロンの団体が、宗教とまではいわないけれど、自殺願望のグループなのを、厳粛な儀式っぽいムードとして英題に加えたのだろうか。
今回は、バス乗っ取り事件。
山吹早月と加部谷恵美の凸凹(でこぼこ)名(迷)コンビ(カップル?)が乗った夜行バスがジャックされ、同時に、都市部に爆弾を仕掛けたという犯行声明文が出される。
調べてみると、乗客の中に「εに誓って」という名前の団体が。ネットで集まった自殺のための集団らしい。
乗っ取られたバスでは、なぜか、乗客が携帯電話で外部と話すことが許される。
バスはどうなるのか? 仕掛けられた爆弾は?
警察に顔が利く西之園萌絵さんは、自分ができる限り動いてみるが、ジャックされたバスについては、やはり、どうすることもできない。
山吹の友人の海月及介や、知り合いの探偵である赤柳初朗にしても同様だ。乗っ取られたバスが走る映像を、テレビの中継で見守るばかり。
そんな中で、事件にショッキングな進展が起こる…。
自殺を考える人たちが出てくる話でもあり、バスには、一緒に死のうと思っているカップルが乗っている。第4章の13には、この2人が生きる希望を灯していくことになる感動的な描写がある。
彼の目から涙がこぼれ、躰(からだ)が熱くなっていく…。そこに生まれるのは、生きるための力。
他の場面でも、森さんは書く。
『だけど死のうと考えることは、きっと自由なのだ。
それを考えることは、人間の尊厳の一部。
考えても良い。
考えるべきなのだ。
そして考えても死なないことに、価値があるのではないか。
結果として、死ななかったことに、価値があるのではないか。』(本文より)
社会的に自殺が目立っていた頃に読んでいたので、自殺問題を取り上げている部分の印象が強かったのだ。
「生きていれば必ず、いいことがあるから」と、よく言われる。
それは少し違うと思う。
「生きていれば、いいことがあるかもしれない」ではないか。
死んだら、「かもしれない」可能性もなくなる、ということだと思う。
さて、本作、ちょっと納得が行かないところがある。
ネタばれになるので、知りたくない方は、以下、飛ばしてください。
萌絵さんの説明で、「プラカードを持ってイプシロンの団体はあちらと誘導」とあるが、そんなことをすれば、犯人が気づかないわけがなく、犯人もそちらのバスに乗るのでは?
また、「犯人ではなさそうな人間をそちらに乗せた」「きっと、この人が犯人だ、というのは一目見て判断がついたでしょう」って、どうして、そういう判断ができるのかが分からない。
それから、最後のほう、山吹が「姉に叱られる」というが、なぜ叱られるのか。頼まれた本は無事なわけですよね。分かりません。
説明できる方、おりましたら、教えてくださいな。〔2006・11・28(火)〕

「λに歯がない」
Gシリーズ第5弾。 「λ」は「ラムダ」と読みます。
研究所で発見された4人の射殺死体。
そして、出ました、お得意の密室!
「λに歯がない」と書かれたカード。
章立ては、第1章が「歯のない4人」、第2章が「懲りない3人」というふうに、「2人」「1人」と減っていく、お遊び精神が発揮されてます。
殺害された4人の歯が抜かれていたのは、なぜなのか。
セキュリティのしっかりした部屋に、どうやって入ってきて、どうやって密室状態の部屋から犯人が出ていったのか。
そのあたりが事件の興味としては、焦点になる。
探偵の赤柳と接触する謎の女。これは…どこかで登場したはずの女性だぞ。たぶん、Vシリーズで。
裏で、保呂草や、他の誰が動いているのか、興味津々。
山吹、加部谷、海月の3人は、またしても、事件の推理で、あーだこーだと盛り上がる。(これが「懲りない3人」でもある。)
気になる、萌絵と犀川の関係も、あまり進展はしないが(こういう感じで進んでいくんだろうなあ)、なんだか、ずっと見守ってあげたい。本の中では昔からの付き合いだから、萌絵さんのことは、他人と思えないもんね。
事件の真相は意外な方向に。そう来ましたか。(ニヤリ。)
密室の解明も納得。ある意味、なーんだ、という結論ではあるが、いつもながら、実際は、そんなものだろう。
このシリーズ、1冊ごとの事件は、たいしたことはない。事件に対して、重きを置いていないのだ。シリーズ全体を通して、何が現われてくるのかが見たい。
また、以前のシリーズを読んでいないと分からない登場人物がいるところは、読者を限定するかもしれない。
森さんは、そうしたことをもちろん承知の上で、今度のシリーズを完成させようとしているわけだ。
酷評されることが多いシリーズだが、私は、とても面白いと思う。
どんどん、先の話を読みたいよ。
…今度も10巻で終わるのかな。〔2007・2・3(土)〕

「ηなのに夢のよう」
Gシリーズ6作目。「η」は「イータ」と読みます。
涙が止まらなかった。こんなこと書くなんて、もう、やめてくださいよ、森さん!ってもんです。それでなくとも、そういうのには弱いんだから。
ただ、その場面は、西之園萌絵さんの心の成長と、ひとつの区切りを象徴的に表わしてもいるように思えて、そうした点でも泣けてしまって、しかたがなかったのだ。電車の中で読んでいたが、やばいと思って、しばしストップしてしまったほど。
思い出すたびに泣けて、夜寝るときにも、ふと思い出して、まさに言葉通りに枕を濡らしてしまった。枕を濡らすなんてのは、久しぶりだぞ。
その場面の描き方は素晴らしすぎる。展開が絶妙。
(あくまでも、これは私の感じ方なので、これから読まれる方は、話半分に聞いたほうがいいでしょう。)
今回は、奇妙な状況での首吊りが多発する。
一連の出来事に、萌絵さんの親友ラヴちゃん(反町 愛さん)まで巻き込まれてしまう。実際、彼女が出遭った状況は、私には、かなり怖かった。読んだあと、夜、アパートに帰るときに、まず外から窓を確認したくらいに。森さんの作品で、私にとって、こんなに怖かったことも今までにない。
(これも、読む人によるでしょうけれど。)
このシリーズのテーマは、ここまでのところを見ると、読んだ人は皆感じているだろうけれど、「死」についてだと思う。それは半面、「生」を語ることでもあるだろう。
カバーの表にも紹介されている一文は、
「死ぬことって、それほど特別なことかしら? そうじゃないわ。本当に、身近なことなんですよ。」
(これを語っている女性が本編に登場してきたことには、私は、びっくりしました。まさに、キター!って感じ。)
犀川助教授と萌絵さんも、死について話し合う。萌絵さんの両親の事故死についても新展開が起こる。
もちろん、人が死ぬ出来事が、ずっと起き続けているわけで、「死」の匂いは濃厚。
私が以前ブログに生きることについての記事を書いたのも、人間の生と死を、とろい頭で考えさせられていたからなのだ。
死を冷静に語る森さんの言葉を読むにつけ、ふと、もしかして、この人、血も涙もないんじゃないかと思ったりもした。
だが、はじめに書いた、大泣きの場面に出会ったとき、きっと、そうじゃない、「生」というものは、限りなく、いとしいと思っているのだと感じた。だから、さらに、なおのこと泣けたのに違いない。
もうひとつ大きいテーマがあるとすれば、現代のインターネット社会。
大きなところでは、「εに誓って」のバスジャック事件。これはネットという手段を使って、自殺志願者が集められた。
他にも、些細なことも含めて、コンピュータ・ネットワークを使って何かをしていることが、なんと多いことか。
ネット社会ということが、物語の重要なものにつながっていくのかどうかは、今のところは分からないが。
ネットは真賀田四季の得意分野でもあるから、ひんぱんに出てくる、というわけかもしれない。
「あの人」も「この人」も登場してきて、萌絵さんの将来にも変化がありそうで、一気に風雲急を告げるのだろうか。
登場人物たちの動向が楽しみだ。
とはいえ、森さんの次作は、別のお話らしい…。
ええっ!?〔2007・2・7(水)〕

「ZOKU」
「ZOKU」というタイトルなので、暴走族か何かの話かと思っていたら、ぜんぜん違った。
「ZOKU」は悪の組織。といっても、人騒がせ程度の事を起こすだけ。彼らを阻止しようとするのが「TAI」。
「ZOKU」のメンバーには、ロミ・品川、ケン・十河(そごう)、バーブ・斉藤なんてのがいる。少し年配の方なら知っていると思うが、ロミ山田やバーブ佐竹という人は実在した。どうしたってパロディですね。(ケンは何だろう。)
このロミ・品川のキャラが素敵だ。ケン・十河という部下をもっている姉御である。アニメ「ヤッターマン」のドロンジョ様を彷彿させる。(知らない人は調べるなり、なんなりと。)
「TAI」のアイドル・キャラである10代の永良野乃(名前からしてアイドル的でしょ)に、対抗心というか敵対心を燃やす。でも、ロミ・品川は30代らしいから、年齢的には無理。憎まれ口が捨てゼリフ的だったりして、ギャグがまぶしてあって笑わせる。
野乃と品川の舌戦は、とても面白い。
森さんの作品としては、先日読んだ「どきどきフェノメノン」と同じく、軽〜い笑いをもって読むお話だ。
「ZOKU」が黒いジャンボジェット機、「TAI」が白い機関車を本部(?)にしているのも、もしもアニメにしたら、いかにもふさわしげな設定だし、機械好きな森さんらしい。
野乃ちゃんが仲間の研究員に、ほのかな恋心を抱く、という展開も絡めて、毒にも薬にもならないけれど、ライトな楽しいストーリー。
続編を書いてほしいなあ。それとも、ロミ・品川と永良野乃を主役にした話を。〔2007・2・23(金)〕

「フラッタ・リンツ・ライフ」
森さんの小説「スカイ・クロラ」を、押井守がアニメ化するという。脚本は伊藤ちひろ。完成は2008年。
今回読み終わった「フラッタ・リンツ・ライフ」は、シリーズ4冊目だ。(「スカイ・クロラ」は1作目。)
久々に「本」というものを読んだ。2か月半ぶりほどになるだろうか。映画検定のために読書断ちして、その後は雑誌や漫画を読んでたから。
ブランク(?)の後、読み始める気が少し起きなかったが、ひとたび読み始めたら、あっという間に読み終わった。通勤電車帰りに読んで3日。
森さんの本、とくに、このシリーズは、詩を読むような空気があるから、読むのも速い。
物語としては、それほど話に大きな展開があるとはいえないが、詩的、哲学的(といっても難しくはなく、考えようと思えば考えさせられる、ということ)、無駄な部分を削(そ)ぎ落としたシンプルな死生観、戦闘機同士の空中戦の浮遊感・疾走感(ここもまた詩的なのだが)など、いつもながら心地よく読ませてくれる。
こんなに、すうっと切れのある文章を書く人は、作家といえども、そうそう、いないのではないか。
ここぞというところで、短い文章を連発して、たたみかけていくのが、とくに詩のように感じるところ。
最終刊5冊目の「クレィドゥ・ザ・スカイ」は、なんと、あさって25日に発売とか! これは…続けて読みたいなあ! 単行本だけど…買う?
ところで、森さんの日記を見たら、シリーズ全5冊の時系列順の説明があった。
「ナ・バ・テア」「ダウン・ツ・ヘヴン」「「フラッタ・リンツ・ライフ」「クレィドゥ・ザ・スカイ」「スカイ・クロラ」という順。そうか、「スカイ・クロラ」が最後の話なのか。
他の3作を読んだのが2年前なので、覚えていない部分が多くて、今回の話との関連も、ちょっと、あやふや。むずがゆい気分を何度も味わってしまった。
5冊そろえて、通して読んでみたい気がするシリーズなのだった。
ひとつ文句を。“Flutter into Life”を「フラッタ・リンツ・ライフ」とするのは、どうかと思う。「フラッター・イントゥ・ライフ」でいいじゃないですか。別に、実際の発音に近い言い方をしなくても。それはシリーズ全体に言える。
かっこつけてるみたいにも見えるから、あんまり好きではない。
ついでに言えば、森さんは「ティーチャー」を「ティーチャ」、「エレベーター」を「エレベータ」などと書く。普通に書いたらいいのに、と思うが、これも、作家の「こだわり」なのでしょうか。〔2007・6・21(木)〕

「クレイドゥ・ザ・スカイ」
シリーズ5冊完結。
とはいえ、先日読んだ「フラッタ・リンツ・ライフ」はシリーズの3番目、本書は4番目の順番になる。
「フラッタ・リンツ・ライフ」から続く話で、主人公が病院を抜け出すところから始まる。
第1章は、娼婦のフーコとともに逃避行のようなことになる。電車の中で、私は泣きながら読んでいた。電車の中だから、じつに困った状態である。
どうも私は、気のいい娼婦、というような存在に弱いらしい。映画でも本でも。薄幸そうな部分に泣かされるのか。
このまま、共に逃げて幸せになりたいというフーコの気持ちが、痛いほど感じられてしまう。でも、どこかで、諦(あきら)めも持っている…。
彼女と一緒に泣いていた。なんでだ? 森さんに、こんなに泣かされるとは。
『…昔の話ではなくて、これからさき、どんな生活がしたいのか、ということを彼女は話した。どこかで、小さな喫茶店をしたい、という夢だった。たぶん、素敵に似合っているだろう。たぶん、それは実現するだろう、と僕は考えた。』(第2章から引用)
ここを読んだとき、救われたと思った。こういうふうにしてくれて、ありがとう、森さん、と本当に感謝した。そういう未来を、彼女のために書いてくれたことに。
きっと、そうなるだろう。
そして物語は進み、「僕」は科学者の相良を頼る。
「僕」に対する追跡の手が、しだいに伸びてきて…。
エピローグ。新聞社の人間の言葉に、読者は驚かされる。
本作の「僕」とは誰なのか。え、もしかして…? なんて思うけど、分からない。
…これは、もういちど時系列順に続けて読まないと、分からないかもしれない。(そうしても分からないか?) 〔2007・7・25(水)〕

「イナイ×イナイ」
森センセイの新シリーズ。
美術品鑑定業の椙田(すぎた)の事務所に勤める助手の小川令子と、真鍋瞬一(こちらは芸大生だが、事務所の留守番などを手伝っている)コンビの活躍。そこに探偵の鷹知祐一朗が絡む。というのが、第1作の形だった。
椙田は、ほとんど事務所を空けていて登場してこない。
ある人物がラストで、森さんの他のシリーズでお馴染みの、ある人物を見かけると、コソコソと隠れている!
来ました!
やっぱり、このシリーズも他作品との人物的な関連があったぞ!
森さんは自分のサイトで「Gシリーズの途中に、このシリーズをスタートさせるのも、当初から計画していたこと」と言っているので、もしかしたら「Gシリーズ」と関係があるのか?
事件は、地下道や地下室での惨劇や冒険で、江戸川乱歩の作品に、地下を舞台にしたものがあったような…と考えていた。うろ覚えだが。
森さんのコメントは、「少々レトロなものを書きたいと思います。ノスタルジィでしょうか。」
根本のトリックに、またかよ!?と思えるものがある。
何なのだろう、森さんの趣味?
もしかして、人間存在の、あいまいさを言いたいのだろうか。
今まで理数系の人物が探偵だったりする場合が多かったが、今度は芸大生。
でもアタマの回転が理詰め!
このシリーズ、2作目「キラレ×キラレ」、3作目「タカイ×タカイ」が、すでに出ているが、まだ未読。
1作目は、初お目見えのご挨拶、というふうなので、シリーズ全体の感触は、先を読んでみないと分からず。
2007年に読んだ合計14冊のうち、森作品が6本も。〔2007・10・26(金)〕

「ZOKUDAM」
「ZOKU」の続編。(シャレではない。)
続編というより、前日談か。説明がないけど、前作では、すでにパートナーだったロミ・品川とケン・十河が初対面だし。
それに前作では悪の側だったロミさんたちが、今度は正義の味方。
なるほどね。これって結局はSFドラマみたいな正義の味方と悪の対決を…(あ、ネタばれするので、やめておこう。)
ホントに軽い。軽い読み物。で、笑える。ノリが、おじさんに傾きつつある気がするけど、読んでてニヤけてしまうことも多い。
両陣営がロボットで(一応)戦うまでの話だが、実際の科学は、もしかして、これを現実にできそうなところにあるのかもしれない。分からんけど。
ところどころ、うならされることもある。(具合が悪いわけではない。)
たとえば、以下のようなこと。
ロボットが近くにあって、それに触れていると、だんだんと、それに乗って戦いたいと考えるようになる。空母や戦闘機の訓練を受けている兵士たちも同じで、そういうアイテムに囲まれていれば、自然に戦士ができあがる。
つまり、戦争になる環境になれば、人は戦争をしがちになる、ということでもある。怖いことだ。
それはそれとして、ゆる〜いお話を楽しめる一作。〔2008・1・24(木)〕

「キラレ×キラレ」
Xシリーズ第2作。
電車の中で、軽く背中を切られる事件が続く。
探偵・鷹知祐一朗に手伝いを頼まれた、美術鑑定業助手・小川令子。
2人が捜査をするうちに、殺人事件が起きてしまう。
森さんのコメントでは、『こういったものが、これまでなかなか書けなかったのですが、今回は機が熟したというか、いろいろな面で、「書けるようになった」ということです。 』とある。
このシリーズは「レトロなものを書きたい」との言葉通り、本作は身近にありがちな恐怖を取り上げている。
そのぶん、普通のミステリじゃないか、という不満の声も多いようだ。
普通だけど、その、そこらへんに普通に住んでいる人間の怖さがある。
ラストの「アクション」は、映画みたいにイメージして読んでいた。
映像化したら、ちょっと、ブライアン・デ・パルマ監督の昔の映画みたいにもなりそう。
テレビの2時間サスペンスドラマにしても、ちょうどいいんじゃないでしょうか。
そして、またしても、あの方が登場。しかも、令子さんと会話しますよ!
XシリーズのXって、「クロスオーバー」の意味?(タイトルに×ってあるけど、これはXじゃなくて×だし。)〔2008・3・10(月)〕

「レタス・フライ」
森博嗣さんの短編集。
というか、9編中2編は、やや長め、7編は、ごく短い。
長めの2本は、これまでの森作品で知っている人物がメインキャラクター。
1編は、途中で、あ、あの人!?と気づくし、1編は最初っから西之園萌絵さんと彼女の叔母・佐々木睦子さんのコンビ、「Gシリーズ」の山吹・海月・加部谷トリオが出てくる。
ごく短い7編のほうは、うーむ?というふうな感想で終わってしまうものもあるが、よく分からないけど、なんか、いいんじゃない?というものも。
きっちりオチがつくというものではない。
西之園さんが出てくる話は、まだまだ最後のほうでサプライズが。
書名は、レタスのフライ。どんな意味を込めたんだろう。中身が何層にもなって(9層くらい?)、でも、サクサクと行けるみたいな?〔2008・6・5(木)〕

「タカイ×タカイ」
不思議に見えるものほど、じつは、たいしたことではないのかもしれない。
高いポールのてっぺんで人が死んでいる、という、この話のミステリーを知って、あれ? 前にも森さんの小説で、高い木の上で死んでいる話があったなと思いついていた(「ηなのに夢のよう」)。
しかし、この物語の中でも、その事件のことが言及されているし、安易な繰り返しではなかった。
今回も読みやすいこと、この上ない。通勤帰り2回で、ほとんど読んだ。
事件の解釈も、わりと、あっけないが、現実というものは、えてして、そんなものではないか。
作者・森さんのHPでのコメントは、
『Xシリーズの第3弾。これも、今まで書こうと発想して書けなかった類のものです。「書けるようになった」というのはどうしてでしょう。たぶん、文字どおりポテンシャルの問題かと。 』
とある。
古典とされるような推理小説でも、タネを知ってしまえば、なんだ、そんなことかと笑ってしまうようなトリックがある。
不可能に思えるものでも、結局は、可能だから出来た、ということだ。
犯罪の動機も興味深かった。人間のさまざまな感情が、すべての起因なのだと、あらためて人の複雑さを考えた。
本作にはマジシャンが出てくる。読んだあとに少し検索したら、どうやらS&Mシリーズの「幻惑と死の使途」の登場人物と同じらしい。
気づかなかったなー。そもそも、以前にマジシャンが出る話があったのを忘れてた!
西之園萌絵さんは東京の大学に赴任してきていて、このシリーズでも活躍。貫禄も出てきたね。〔2008・10・1(水)〕

「目薬α(アルファ)で殺菌します」
Gシリーズ、第7弾。
ある特定の目薬に劇物が混入する事件が発生する。
その目薬の銘柄は「α」の文字がついていた。
ギリシャ文字に関係する出来事の続きが、またしても…。
西之園萌絵さんは東京に行ってしまったので、こちら那古野では出番が減りそうかも。
シリーズの主役のひとり、加部谷恵美が死体を発見。
探偵・赤柳初朗が調査を始め、彼の身にも危機が…。
殺人も起きるが、これまでどおり、謎解きには力を入れていない。
インターネットを使って、ゆっくりと進行していく何かの実験のようなことがメイン。それは何か、もっと先にならないと分からないようだ。まだまだ完結せず、連続ドラマ(?)の感が。
加部谷と「彼」との進展もあり?
私は楽しんで読んでいるが、全然ケリがつかないので、気に入らない読者もいるでしょうね。
企んでいるのは、「あの人」なのか? いったい何をしようというのでしょうねえ。〔2008・12・27(土)〕

「スカイ・イクリプス」
スカイ・クロラシリーズの短編集であり、最終巻。
8つの物語を収録し、そのなかの4作はWebでの連載、1作は「C★N25」に掲載、3作は書き下ろし。
シリーズでの脇役たちも主役にしてのサイドストーリー。
本編の記憶が薄れているので、これは誰の話なんだろう、たぶん、あの人だよね? などと、はっきりしないことも。
ただ、フーコの話は、なんだか、よかった…。…気がする。(やはり3か月前の読書のせいで、記憶の薄れが! メモしときゃよかった。)
サイドストーリーというのは、本編(このシリーズは5巻あり)を頭に入れていないと、面白みが減るよね。本編も借りて読んでいて手元にないから、どういう関係になっているのか確認できないし。
かといって、また5冊を読み直すのは、ちょっと大変。やってみたい気はあれど、他の本も読みたい。
「スカイ・イクリプス」の感想を書いたブログでは、断片的に、いろんな相関関係が分かるけど、どこかに、この本の8編と、本編5冊との関係を一気に解説したサイトやブログがないものか?
イクリプスとは、日食とか月食の「食」の意味。とすると、「スカイ・イクリプス」は「空食」か。
空が見えなくなる。空の子どもたちの話の終わりとしては、ぴったりかも。〔2009・1・27(火)〕

「ゾラ・一撃・さようなら」
うーん、なんじゃ、このタイトルは。
と思ったら、暗殺者ゾラが仕事を終えたときに、置き土産として残した手紙の文面だった。
“from Zola with a blow and goodbye”
“From Russia with Love”(007 ロシアより愛をこめて)に似てないか? 関係ないね?
森さんの単発もので、作者が言うようにハードボイルド風。
「天使の演習」を取り戻してほしい、という依頼が美女から探偵に。
「天使の演習」っていうから、さっぱり分からなかったけど、あとでネットの書評や感想を見たら、「エンジェル・マヌーヴァ」なんだって!
それなら、森さんの他の小説で出てきたのを覚えているぞ!
美女と探偵が惹かれ合うが、甘い結果にはならない。やっぱりハードボイルドでしょう。全体の雰囲気は重くはないけど、いいんじゃないでしょうか。
いいよ、この美女。うまく映画にしたら魅力的。
利用され、踊らされる探偵だが、ラストは救い(?)もある。
図書館で森さんの未読書を見つけると借りてくるのは、おなじみなのもあるが、読みやすいという理由が大きい。
今回も、通勤の帰り3回分で読んじゃった。
読みやすいイコール軽い、という面もあるが、それでいい。
エピローグを除く各章の最後に少しだけ入る、女性の言葉。これは、誰でしょう。〔2009・7・31(金)〕

「ZOKURANGER」
図書館で見つけて、うん? ZOKUなんとかって、いままで2冊読んでたぞ。また続編か? と手に取った。
借りて読んでみると、おなじみのメンバーが出てくる。
しかし! これまでの話とは、まったく状況が違うのだ。
舞台は大学。
大学の、ある委員会のメンバーには、なぜかユニフォームがあった。
揖斐(いび)が准教授で、ユニフォームが「レッド」。
バーブ・斉藤が准教授で、ユニフォームが「グリーン」
ロミ・品川が准教授で、ユニフォームが「イエロー」。
ケン・十河が助教で、ユニフォームが「ブルー」。
永良野乃が助教で、ユニフォームが「ピンク」。
いったい、これは?
木曽川教授、黒古場教授も出てくるし。
舞台を変えた、全体スピンオフ?
パラレルワールド?
まー、毒にも薬にもならないけども、各自のキャラクターで楽しませる、お遊びな一編。
森さんによれば、「Zシリーズ」の第3弾だが、これで終わり。登場人物が共通しているだけなので、3冊のうち、どの巻から読んでも関係ない、とのこと。〔2009・9・30(水)〕

「カクレカラクリ」
コカコーラ発売120周年で書かれた小説。
図書館で見かけて借りるまで、そんなことは知らなかったけれど。
1か月ほど前に読んだので、記憶のままに書いておくが…。
男子大学生2人が、知り合いの女子大生とともに、彼女の故郷へやってくる。
男子2人は廃屋のマニアで、彼女の地元にある工場跡を見にきたのだ。
しかし、120年の時を経て、今年、姿を現し動き始めると、古くから伝わる「隠れからくり」の話を聞き、その謎にも興味をもつ。
その「からくり」は、どんなものなのか。
女子大生の妹の高校生も加わって、彼らは謎を解くことができるのか。
コカコーラ120周年で、小説ができたとは驚き。
活発な高校生の妹が、コーラのボトルを首に下げている、という妙な光景の描写は確かにあり、そのことと、120年後に動く「からくり」、売店でコーラを買う、というあたりで「コカコーラ120周年」とリンクしている。
パッパと読みやすいのは相変わらずの森作品。
軽さはライトノベルに近い?
2006年9月にテレビドラマになっている。
主演は、加藤成亮、平岡祐太、栗山千明、星井七瀬。〔2010・4・9(金)〕

「ジグβは神ですか」
ひさしぶりのGシリーズ。一気に登場人物たちの世界の雰囲気に戻れた。
シリーズの第8作。「ジグベータは神ですか」と読むんでしょう。
前作の「目薬αで殺菌します」から4年2か月が経っている。
ちなみに、GシリーズのGは、ギリシャ文字(Greek Alphabet)の頭文字のことらしいが。
読む前は、んーと、このシリーズは誰が出てたんだっけ…なんて考えるほど忘れてたけど(ネットで調べたりはしないのだ)、読み始めて、主要なメンバーが出てきたら、すぐに思い出した。
みんなでキャンプに行った先で遭遇した事件。探偵役も、ちゃんと配置されて。
他シリーズでもおなじみの面々が登場するのが、楽しさを増す。
謎解きは、いつものパターンで済ませる。
ちゃんと謎解きをする小説に対するアンチテーゼなのかも? とも思ってしまうが…。
圧倒的なものや、身をゆだねたいものを前に、隷属してしまう人間がいるとして、そういうことが宗教を生むのだろうか。なんてことを考えた。
男女の境界線のあいまいさもそうだし、トリックもそうだが、ものの見方を変えることで、固定概念を壊すイメージも感じた。
シリーズは続くので、全体像は、まだ見えない。〔2013・3・24(日)〕

「キウイγは時計仕掛け」
γは「ガンマ」と読みますね。加部谷恵美、雨宮純、山咲早月、海月及介に加えて、西之園萌絵、犀川創平、国枝桃子といった面々に会えるのは楽しい。事件は相変わらず、あ、こんなもんだよね、実際も。という感じ。ミステリを求めるべき物語じゃない。1作ごとを読んでいても、みんなのキャラクターで飽きないが、最終的には、シリーズを、どのようにまとめるのか、が興味。 〔2015・1・26(月)〕

「ムカシ×ムカシ」
『…でも、だいたい、穏やかで優しい人は、感情が激しいんじゃないかと思います』
激するところは激するよね。私も。そう思いました。
事件よりも、人間関係のお話、会話が軽くて楽しいと思う。いつもながら。
英語副題のReminiscenceとは、回想、思い出、などのこと。〔2015・3・11(水)〕

「ヴォイド・シェイパ」
新渡戸稲造の「武士道」が引用されて、武士が主人公だとは! ミステリもので有名であろう森さんなので、まさかと思ったが。
シリーズものの1作目。「虚空をかたちづくるもの」とでもいう意味でしょうか。
山から下りて、他人とかかわりはじめた武士が、どう生きていくのか。〔2015・4・27(月)〕

「ブラッド・スクーパ」
用心棒のように、ある家に滞在することになったゼン。森さんによると、まずは「とにかくメッタ斬りをしようと」ということだったらしい。そのシーンで、斬った敵が自分の血をすくう描写を「ブラッド・スクーパ」というタイトルにしたのだろう。「スクーパー」でなく「スクーパ」と、「ー」を入れない英語発音の日本語表記のこだわりは相変わらずで、そこは好きじゃない。
世の中のことを知らないゼンの目を通して、さまざまなことを観察してみると、そうだよね、知らなかったらそう思うよね、と新鮮。ほのかな恋心もあるし、すっきりした文体は読みやすいし、読んで面白い。〔2015・5・14(木)〕

「サイタ×サイタ」
Xシリーズの5作目。今回は「尾行」というものを読んだなあという印象が。3人で組んで尾行すれば、交代制にできるとか、ひとりが車で先回りして、などの策を練られるんですね。
登場人物はおなじみなので、親しみをもって読める。事件はあいまいなまま…というのが現実にもそうであることのほうが多いと思うので、これはこれで好き。〔2015・5・18(月)〕

「スカル・ブレーカ」
ヴォイド・シェイパ シリーズの3作目。ついに、ゼンの生い立ちが分かる。若い女性が巻き込まれて命を落とすところは、電車のなかで読んで涙を流してた。彼女が語った言葉が本のカバーにもなっているんだろうなあ。ラストのノギさんで再び泣いた。安物の兜(かぶと)などでは役に立たない、ということで、頭蓋を叩き割るのが、タイトル名かな?〔2015・5・23(土)〕

「フォグ・ハイダ」
壮絶な斬り合いに助太刀としてかかわる主人公ゼン。シリーズ第4作。無駄のない清廉な文章は、純粋な侍ゼンにふさわしく、魅力的なシリーズになっている。〔2015・8・14(金)〕

「神様が殺してくれる」
森さんの単発もの。美少年の後輩が殺人に関わっている? トリックとしては、いかにも森さんらしいというか。最後までポイントを明かさないのはどうなのかとも思うが、明かしたらおしまいだから、しょうがないのか。〔2015・9・14(月)〕

「赤目姫の潮解」
意味わかんねー。ふたたびトライして理解できる日があるだろうか。〔2016・3・12(土)〕

「相田家のグッドバイ」
たんに、親の話が続いて、つまらないなーと読んでいたが、やがて、死に方についての話なのかなとも思えてきた。ある家族の話。〔2016・7・29(金)〕

「マインド・クァンチャ」
シリーズ5作目で、とりあえず落ち着くところに落ち着いたが、自由な生活が失われるのは複雑な思いだし、彼女の気持ちもなんとかしてあげたいんだけど。〔2016・8・18(木)〕

「χの悲劇」
エックスじゃなくて「カイ」の悲劇。真賀田研究所で働いていた島田文子さんが主役。クイーンの「Xの悲劇」を踏襲して、乗り物内での殺人が起きる。その場に居合わせてしまった彼女が巻き込まれる冒険のその果ては? 驚きとともに静かな感動の余韻が。〔2017・10・9(月)〕

「ダマシ×ダマシ」
小川令子さん中心の探偵事務所メンバーの活躍。結婚詐欺を調査。Xシリーズ最終話なのが寂しいが、ほかのシリーズでメンバーの誰かが出てくるかもね。〔2017・11・17(金)〕


諸田玲子
「帰蝶」

濃姫、他の呼び名を帰蝶とも。織田信長の正室、斎藤道三の娘。ほとんど知られていない彼女の人生を構築してみせる。そして、本能寺の変の舞台裏には京の商人が?〔2017・1・15(日)〕


モンゴメリ
「赤毛のアン」
なぜ読んだか。朝ドラ見てたから!
ドラマは9月で終わっていて、ずいぶん遅くなったけど。
まず本を手に取って思ったのは、おもいがけず、厚い! 本の厚さ。文庫本で520ページありますね。
読んでみると、アンの描写は、赤っ毛が二本の編み下げ、顔は白く、やせていて、そばかすだらけ。あごが大変とがって、目は大きい。
イメージと違う、と思って、すぐ、あ、私が考えていたのはアニメのハイジじゃないか!と気づいた。
そうか、アンは、やせっぽち。孤児でクスバート家にやってきたんだから、やせていても不思議じゃないか。
彼女は「eのついたつづりのアンで呼んでください」(「 」内は村岡花子・訳。以下同)と言う。「Annはひどく感じがわるいけれど、Anneのほうはずっと上品に見えるわ」
そこで私は思いました。マリリン・モンローさんのファーストネーム、ミドルネームは、ノーマ・ジーン。ジーンはJeanと書かれたり、Jeaneと書かれたりする。それと同じじゃないかと。
それが何だと言われれば、それだけのことだが。ファン心理というものである。
うん、Jeaneのほうが、上品というか、おしゃれだと思うよ、私も。
養父となるマシュウの口癖。「そうさな」なんですねえ。ドラマでは花子のおじいちゃんの口癖になってました。
「曲がり角をまがったさきになにがあるのかはわからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」というのも、ドラマで時々出てきたところですね。これは小説のほうではラストちかくにあります。
「腹心の友」も出ました! アンの言葉に、養母のマリラは「ふく―なんだって?」と聞き返してしまうくらいだから、めずらしい言い方だったんでしょう。ダイアナという友達が腹心の友になります。よかったね、アン。
アンはおしゃべりで、文庫本1ページぶんくらいは、余裕でしゃべりまくりますね。
お菓子つくりに失敗したり、屋根から落ちたり、髪染めに失敗したり、乗ってた小舟が沈んだり、いろいろやってくれます。
でも、憎めない、いい子で、上の学校を受験するころになると一気に大人っぽくなりますね。
それで、最後は感動することがあって…これ、続きの話もたくさんあるんですねえ。ちょっと読みたい気もする…。〔2014・10・30(木)〕