彩藤アザミ
「サナキの森」

25歳の新鋭「さいどう あざみ」さんによる第1回新潮ミステリー大賞受賞作。祖父の手紙に導かれて、遠野の旧家での過去の事件を探る娘。旧家の中学生女子がイマドキな雰囲気。切ない(?)恋心もあり。祖父の小説部分が旧字体の漢字を使っていて、やはり読みにくくはある。〔2017・4・12(水)〕


佐久間康夫
「シェイクスピア 人生の名言」

どんな言葉があるかと思って読んでみた。メモもしなかったので忘れたけども、たくさん取り上げられていたね。〔2016・11・17(木)〕


酒見賢一
「周公旦」
作者の作品では「陋巷に在り」が面白いので、他の本を読んでみた。
こちらも中国もの。「陋巷…」は娯楽色が強いので、すっとばして読めるが、こちらは真面目なので、最初のうち、読むペースに乗るまでは、少し苦労する。
こういう本を読んでよかったと思うのは、登場人物が何をした(と思われている)人物なのかという知識を得られること。
周公旦は、周の武王の弟。若くして逝った武王の幼い子を補佐して、治世に力を尽した。
有名な、太公望呂尚が、周の臣下であり、その見事な戦争の計略の一端も、面白く読めた。
また、中国の南の地方は、北方の周などから見ると、野蛮で得体の知れない地方だったことなども興味深い話だった。〔2002・9・30(月)〕

「陋巷に在り 12 聖の巻」
「ろうこうにあり」と読みます。これは面白いですよ! 保証します。
小説新潮に連載されて、1年かけて、やっと単行本1冊分になる。
しかも、それから本になるまで、8ヵ月くらいは平気で時間をかけてるのではないだろうか。もしかして、単行本にするときに著者が書きなおしたり、書き足してるのかもしれない。(そんなことは明記してないが)
今年5月に完結したらしい(小説新潮は読んでいないから知らないのだ)が、いったいどんな終わり方だったのか、早く読みたい。でも、本になるのは来年なんだろうなあ…。
紀元前770年から続く中国の春秋時代。
孔子の弟子である顔回子淵(がんかいしえん)が物語の主人公。
ちなみにこの顔回は、41歳(没年は諸説あり)で夭折している。そのとき師の孔子は70歳。
孔子は、魯(ろ)の国で政治の手腕を振るっている。政情安定をはかるために3つの城の破壊をすすめる。しかし、最後に残った成城には孟孫(もうそん)家の忠臣、公斂處父(こうれんしょほ)が籠城する。
處父は、孔子に敵対する少正卯(しょうせいぼう)の手下・悪悦(あくえつ)の勝手な悪だくみに乗り、孔子の心をかく乱しようと、孔子の故郷であり、強大な呪術の力を持つ顔氏(がんし)の里・尼丘(じきゅう)を攻撃する。
中国ものなので、ちょっと難しいところもあるが、気にせずに読み飛ばせばいい。
妖術合戦のような面白い場面もいっぱいある。
孔子が大男で偉丈夫に描かれたり、悪役もさまざま、色っぽい悪女も登場する。
ほんとに、ていねいに書かれたエンタテインメントなのだ。
文庫本で完結したら、最初から読みなおそうっと。〔2002・5・30(木)〕

「陋巷に在り 11 顔の巻」
こないだ12巻目を読んだのだが、どうも話が飛んでいる気がしていた。
よくよく確かめてみると、11巻目を読んでいなかったことが判明したのであった。
一冊飛ばしても分からないほど、話の進みが悠々としてるとも言えるな。それに、続刊が出るまでの期間が、ものすごく空くので、細かいことを忘れちまうだよー。(言い訳してみた。こんなもんでいいかな)〔2002・6・17(月)〕

「陋巷に在り 13 魯の巻」
孔子と、孔子の評価が最も高かった弟子・顔回の活躍を語ってきた、大長編もお終いだ(泣)。
この巻では、孔子・顔回師弟が、悪巧みの元締め?小正卯(しょうせいぼう)、魯(ろ)の国を色気で傾けてしまう女楽(じょがく)の一行と、それぞれ対決し、最後は孔子の出魯(魯を去ること)で終わる。
この物語のアイドル的存在の「よ」(「女へん」に「予」と書く)が、神がかって巫女のごとくに話す場面もあったりする。しかし、かわいいなあ、「よ」ちゃん。
顔回は「受ける」器が大きい。だが、攻めることには難があると孔子は言う。
「…お前はよく受けてしまう。大きな長所ではあるが、それは偏りでもある。寄ってくるものがあれば、受け容れるだけではなく、こちらも能(よ)く与えねばならぬ。…」
中庸とは、バランスが取れていることであり、揺らぎなく最強な状態。孔子と顔回の2人でバランスが取れていたならば、これぞ最強のコンビだ。お互いのマイナスの部分を補い合う存在。だからこそ、孔子は弟子の中でも顔回を重く見たのではないか。
中庸…そうありたいなあ。
最後の場面、よかった。
(以下ネタばれ)
孔子とともに魯を出国する車上にある顔回。
<にわざくらのはな ひらひらとひるがえる そなたをおもわぬわけではない そなたの家が遠いのだ>
という詩を孔子が詠み、顔回に、この意味が分かるな、と問う。
顔回が、はい、と答えると、孔子は、はいと澄ましていられるなら、それは間違っている、
「思いがまだ足りないだけなのだ。思っておれば何の遠いことがあろうか」
と言う。顔回は、はっと気づいて、見送りにきていた「よ」の元へ駆け寄る。
いいよ、いい!
顔回は、いま、受けるだけでなく、与える側に回ったのだ。
顔回は、孔子とともに放浪生活に入る。そこでの「よ」の存在は、いかなるものだったのか。
魯の地で別れとなったのか、何かのつながりをもっていたのか。
続編が読みたい。作者は、補記に、続編を書くかどうかは不明と書いているけれども。〔2004・11・18(木)〕

「泣き虫弱虫 諸葛孔明」
こんなにおかしい話になっているとは思わなんだ。まるでギャグ!
笑える笑える。楽しいよ!
Amazonの紹介ページにあった文章が、なかなかいいので、お借りする。「BOOK」データベースによると本作は、
『口喧嘩無敗。いざとなったら火計(放火)の策。神算鬼謀の大軍師か? 自堕落、色欲三昧、ヤクザ以下の変奇郎か? 諸葛孔明の虚像に迫る、酒見版「三国志」登場。「ほんとうの孔明は、こんな人じゃなかったと思う」(作者談)』。
諸葛孔明をタイトルにした物語を読んだのは、映画「レッドクリフ」で盛り上がった(かもしれない)三国志ブームに乗ったからでは決してない。
著者の作品「陋巷に在り」が面白くて、今度の作品も絶対に読む気でいたのだ。それが、やっと図書館でゲットできた。
タイトルに、泣き虫弱虫とあるが、1冊目(続刊あり)を読んだところでは、それほど弱虫には見えない。泣き虫というのは、劉備に三顧の礼を受けたときに、泣きじゃくる劉備に対抗して(?)、負けじと泣きまくった例はあるけど…。(笑)
劉備は、過剰(無駄)に義理人情に厚い男に描かれていて、いちばん笑える。
劉備、関羽、張飛、趙雲といったスーパースターちっくなメンバーの一党は、まさに「劉備一家」。熱い義侠は、日本なら、清水の次郎長一家と似たような感じ?
計画性なしの、いきあたりばったりで、戦いに負けても負けても、なんだか生き残ってきた連中が、軍師・孔明を得たら、どうなるか。
とはいえ、1巻目は、孔明の嫁取り、劉備のもとでの徐庶(孔明の友人というか、同じ師匠をもつ弟子仲間)の働きぶり、劉備が孔明を軍師として迎えたいとして孔明の家を三度訪問する、いわゆる「三顧の礼」までで終わる。
全編ユーモラスなのだが、とくに「三顧の礼」のくだりは笑える。
前・軍師の徐庶や、孔明の先生・司馬徽(しばき)の親分(?)である?徳公(ほうとくこう)に、孔明を推薦された劉備だが、ちまたの噂では孔明は臥竜(がりょう)=寝ている竜と自ら称し、変人、凶悪(?)と、すこぶる評判が悪い。
気が進まないけど、とにかく一度は行ってみべえ、といった気分で向かってみれば、こましゃくれた小僧が留守番していたり、めっちゃ気弱な弟の諸葛均が泣きながら対応したり。?徳公の策略で、司馬徽の弟子たちが、やたらに孔明をたたえる歌をうたっていたり…。
しかし、著者は史書としての「三国志」と、娯楽的な要素を加えた小説「三国志演義」を基本に書いていて、両方の変なところを検討しつつ、話を進めている。著者の解釈を、おもしろおかしく披露しているのが楽しいのである。
三国志ファンの方には、ちょっと変わったアプローチの話として、おすすめ。ファンでなくても、おもしろいので、おすすめ。とにかく、結局、おすすめ。(笑)
というわけで、いまは、続いて「第弐部」(第二部)を読書中。(ラッキーなことに、1巻目を返した日に、「第弐部」が図書館にあったのだよ!)〔2008・12・4(木)〕

「泣き虫弱虫 諸葛孔明 第弐部」
「泣き虫弱虫 諸葛孔明」に続く、乞うご期待の、さても第二部でございます。
晴れて(?)劉備の参謀となった孔明。しかし、軍師としての仕事はあまりなく、劉備に勧めた天下取りの第一歩のための献策は実行されないまま。
これでは、関羽も張飛も自分のことは認めてくれまい。そんななか、曹操の大軍勢が進撃してくる。
劉備一家は大勢の民を引き連れて逃げ出すように南下を始めるが、やがて曹操軍に追いつかれる。
「長坂坡の戦い」である。
映画「レッドクリフPartT」では、しょっぱなの戦闘シーンとして描かれていた、あの戦いだ。趙雲や張飛の大活躍もある。
この第弐部は、後半の半分近くが、長坂坡の戦いのお話。なんと、ていねいな!
劉備が逃げるのに、なぜ民衆がたくさん、ついてくるのか? という謎を、何度も作者は口にしている。
まじめに考えれば、まことに不思議。真実ならば、それほどに劉備がカリスマだったとしか思えないね。
1巻目と続けて読んだので、やや新鮮味に欠けるという、ぜいたくな悩みのほかは、間違いなく面白いと(私は)思うのであった。〔2008・12・20(土)〕

「泣き虫弱虫 諸葛孔明 第参部」
ひさしぶりに続編を。孔明が呉に乗り込み、魏との決戦を誘導する。ほとんど他人同士を戦わせる策、これが赤壁の戦いに! やがて呉の名将・周喩は孔明抹殺を計る。大長編になってるけど、とてもおもしろい。続けて第四部も読もう。〔2015・9・30(水)〕

「泣き虫弱虫 諸葛孔明 第四部」
関羽も張飛も死す。曹操も。劉備までも。劉備が困ったときに発する「むぬーん。」みたいなセリフが好きだったのに。時は流れる。〔2015・10・16(金)〕


佐々木恭子
「戀戀シネマ 早起きアナウンサーの、シアワセの素。」
フジテレビアナウンサー佐々木恭子さん、映画好きだったんだねえ。
小泉、深田と、「キョウコ」は大好きな私。ササキョンは…普通かな。
映画関係で軽めの本を読もうかと、図書館で見つけたもの。
題名は「れんれんしねま」と読む。「戀」というのは、「恋」の旧字(昔の字体)。なんでまた旧字なのか、雑誌連載時は説明があったのかもしれないけど、本を読んだだけでは不明。雰囲気?
いちばん好きな「主役」が「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のヘドウィグだという。
2004年に発行された本なので、そのあと、どうなったかはわからないけれど。
同じフジテレビアナウンサーの映画好きとくれば、「男おばさん」ペア、笠井・軽部アナの話もある。
インタビューや仕事で会った人々(トム・クルーズ、北野武、ロザンナ・アークエット、八千草薫、メグ・ライアンなど)とのことも。仕事柄、会えるのは、うらやましいな。
「ロスト・イン・トランスレーション」のラストシーンについて書かれていた。これは私も好きな場面。こういうふうに自分の思いとリンクする文章があると、一気に、うれしくなるよねっ!
最後に、中学校の国語の先生との思い出が語られる。心に残るエピソード。いい先生と出会えるって、幸せだなと思う。結婚の話が時々出てくるけど、現在では、もはや再婚、出産まで進んじゃったね! お幸せに。〔2010・6・3(木)〕


佐山和夫
「ディマジオとモンロー」

副題は「運命を決めた日本でのニ十四日間」。
マリリン・モンローさんが来日したときの詳しい足取りがわかる本がないのかなあと思ってたが、ちゃんとあったのだった。
1995年の発行。やだなあ。あったんなら、教えてよ〜、みんな。
彼女の日本での行動が、かなりのところ分かって、ありがたかった!
引退はしたが、優れた野球選手だったジョー・ディマジオと、人気沸騰中の、世界一優れた女優マリリン(私は「モンロー」と書くのは嫌だ。親しみが感じられないから。)の簡単な紹介のあと、ディマジオらの野球教室開催を兼ねたハネムーン来日のことが書かれている。
現役時代に来日して大人気だった日本へ行って、ほら、こんなに人気があるんだよ俺、と妻のマリリンに見せたい気持ちがディマジオにあったのではないかということは、じゅうぶん以上に考え得る。
ディマジオの選手デビューは、サンフランシスコ・シールズという野球チームで、そこの監督だったのがフランク・オドウル。
東京の陸軍病院(現在の聖路加病院)に勤務していた、元大リーガーのボビー・ブラウンを誘って、ディマジオ、ブラウン、オドウルの3人でプロ野球チームの野球指導をすることになった。
しかし、日本ではマリリンと一緒にいると、彼女にばかり注目が集まって、ディマジオは気分を悪くする。
ついには自分が注目されるべき野球教室の場(球場)に、マリリンがやってきて人気をさらわれる。
ホテルに戻ったあとディマジオが怒ったのか、彼女が泣いているのが目撃されたのだそうだ…。
のちに彼女は友人のノーマン・ロステンに、「わたし、ハネムーンで泣いたのよ」と言った。
ディマジオは、妻は家庭に入ることを基本に考えていたらしいから、それだけでも、マリリンとの結婚は、すごく難しいことだったはずだ。
結局、来日から、わずか8か月後の10月3日、マリリンは離婚訴訟に及ぶ。〔2014・4・12(土)〕


ジェームズ・フィン・ガーナー
「政治的にもっと正しいおとぎ話」
PC(Political Correctness)とは、「政治的に正しいこと」という意味だが、つまりは、差別的な表現を避けることになる。
この本は、差別的だと批判されることがある、おとぎ話を、そういう表現を避けて書いたら、いったいどんな変な物語になるか、を実行した。
「ヘンゼルとグレーテル」「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」などを取り上げているので、なじみはある。「眠れる森の平均以上に魅力的な人」は、「眠れる森の美女」のこと。「美女」は(逆)差別なのだねえ。
heroic(英雄的)は、女性の場合は“he”ではなく“she”roic (訳は「英女的」)になる。
肌の色については、「肌の色素沈着度が濃い、薄い…」、顔が悪いことについては、「容貌が不自由…」とか。
でも、もとの話がどう書いてあるかわからないので、どう違ってるのかが楽しめないなあ。〔2002・8・7(水)〕


ジェフリー・ディーヴァー
「エンプティー・チェアー」
リンカーン・ライムとアメリア・サックスのコンビ3作目。ちなみに1作目は映画にもなった「ボーン・コレクター」。
これでもかとばかりに、ことごとく予想を裏切り続ける展開の妙味。
この2人の関係はどうなる? 続編は今年書いてくれるのかなあ。〔2002・5・7(火)〕

「悪魔の涙」
映画にもなった「ボーン・コレクター」の著者、ディーヴァーを久々に読了。
「ボーン・コレクター」の主人公リンカーン・ライムは、四肢麻痺の科学捜査専門家。「悪魔の涙」のパーカー・キンケイドは、文書検査士。どちらも面白い設定だ。
しかも、本作ではキンケイドが助言を得る形で、リンカーン・ライムが特別出演である。ライムのシリーズを読んできた読者としては、ニンマリしてしまうところだろう。 
ワシントンでマシンガン乱射殺人事件が発生、市長あてに脅迫状が届く。支払いがなければ4時間置きに無差別殺人が続く、という。
FBIのチームに参加して、脅迫状を鑑定し、犯人に迫ろうとするキンケイド。
親権争いに揺れる家庭状況、FBIの女捜査官との淡い恋情を絡めながら、狡猾な犯人との知恵比べがスリリングに展開する。
ディーヴァーらしく、二転三転のヤマがある。けれども、素直に読んでいったほうが驚きが大きいので、ひねくれて先読みなどしないで読むのが、おすすめ。
キャラ的に強烈なのは、やっぱり別シリーズのリンカーン・ライムのほうで、キンケイドはごく普通なので損をしている。でも人間的ではある。
ただし、文書検査士が銃撃の現場に出動していくのは、どうかと思うよ。
自分にディーヴァー作品に対する慣れがあるのか、なんとなく新鮮味はなかった。
ディーヴァーでは、以前読んだ「静寂の叫び」が最高に面白かったかな。〔2005・5・2(月)〕

「獣たちの庭園」
ディーヴァーの、シリーズ物以外の作品。
図書館の文庫本コーナーで偶然見つけて、内容も知らずに借りた。
ナチスドイツ、つまりヒトラーが台頭してきた頃の話。
アメリカ人の暗殺者が、ヒトラーではなく、その有力な部下を殺す指令を受ける。
時あたかもベルリンオリンピック。彼は選手団とともにドイツに入国する。
読み始めたときは忘れていたが、ディーヴァーといえば「どんでん返し」の名手。ことごとく予想を裏切る展開にもっていく。(あんまり予想はしてないけど、それでも読んでいて「おおっ!」と思うことが多い。)
主人公は暗殺者なんだから、少なくとも使命を果たすまでは目立っちゃいけないのだが、ドイツの国民が親衛隊か何だか忘れたが、彼らに暴力を受けているのを見ると、それを助けてしまい、追われる身になる。
人間味あふれる人物造型もおもしろい。
ふだんは通勤の「帰り」にしか読まないのに、クライマックスのあたりは「行き」にも読んでしまった。
ストーリーテリングの巧さで、まったく飽きさせない、ディーヴァーの持ち味は健在だ!〔2008・2・7(木)〕

「石の猿」
蛇頭(中国から外国への密入国を、ビジネスとして行う者)の手引きでアメリカ密航をはかった人々を乗せた船が沈んだ。
その蛇頭であり、殺し屋である「ゴースト」は、国際指名手配犯。
生き残った密航者たちを、なぜか付け狙うゴーストを、ニューヨーク中国人街に、リンカーン・ライムのチームが追う。
シリーズ第4弾。
ひさしぶりに、リンカーン・ライムのシリーズを読んだ。
ライムといえば、相棒になった女性警官アメリア・サックス。
四肢麻痺で動けないライムの代わりに手足となって鑑識活動をしたり、犯人を追ったり。
今回は、沈没船を調べに、海底へ潜ったりも。彼女には、閉所恐怖があるのに…。
2人の個人的な関係にも注目。
本作では、中国人の刑事の活躍が印象深い。ライムと友人にまでなる、この男。
石の猿とは、孫悟空のこと。お守りである。
どんでん返しのディーヴァーらしさは相変わらず。安心して楽しめる。
中国に関しての内容も興味深く、よく調べるものだと感心する。〔2008・2・27(水)〕

「魔術師 (イリュージョニスト)」
「石の猿」に続く、リンカーン・ライム・シリーズ第5弾。
音楽学校での殺人事件。2人の警官の前から姿を消した犯人をマジック経験者ではないかと考えたライムは、マジック見習いの女性カーラを民間相談役に迎える。
面白かった。シリーズ中でも評判はいいらしいが、私はどれも面白いと思っているわけで、これも面白い。
とくに、素人のマジシャン(エンターテイナー的な意味で、イリュージョニストというと、かっこいい)であるカーラの存在が効いている。
彼女の生き方、師匠や入院中の母親との関係も描かれている。
マジックを使える人間ならば、犯罪を犯して逃げることに、いろいろなワザが使えるので、ライムにとっては強敵となる。
マジックには、ミスディレクション(誤導)がつきもの。それはディーヴァーの小説手法(どんでん返しなど)にも通じるから、彼の作風にはぴったりな内容になっている。
マジックは、肝心なところから観客の目(注意)をそらすことが大切、など、種明かしも面白い。
トリックというものは、効果(エフェクト、客の目にうつるもの)と手段(メソッド、マジシャンが裏でやっていること)から成り立っている、という定義らしいことも分かったし、ためになりますね。いや、べつにマジシャンになろうとはしてませんが。有名なイリュージョニストとして、プリンセス・テンコーやシルク・ド・ソレイユの名前が出たり、ディーヴァーの別の小説でのキャラクターがちょっと出てきたりするのも楽しい。〔2008・4・16(水)〕

「12番目のカード」
リンカーン・ライムのシリーズ第6弾。
ニューヨーク・ハーレムの高校に通う16歳の少女ジェニーヴァ。彼女が博物館で、先祖について書かれた資料を調べていると、男に襲われそうになる。
リンカーン・ライム、アメリア・サックスらのチームが捜査を始める。
犯人が残した遺留品のなかには、タロットカードの「吊るされ人」があった…。
相変わらず読ませる。
「どんでん返し」が特徴の作家だと思っているが、今回も、また。
「えっ!? そうなの!?」と思う場面が、大掛かりなもので少なくとも4回。小さいものを入れたら、もっともっとある。
読者を「おおっ!」と驚かせたくて、しょうがない作家なのだろう。サービス精神満点というべきか。
少女の命をつけねらう犯人、共犯者との攻防に加えて、黒人の権利に絡んだ140年前の謎なども出てくる。
1作目の「ボーン・コレクター」は、デンゼル・ワシントン、アンジェリーナ・ジョリー主演で映画化されたが、その後、映画化はない。
また映画にしてくれないものだろうか。
射撃の名手アメリア・サックス刑事を演じるアンジーを見たいものだが…。
アメリアを演じるより、今だったら「ソルト」の続編になるのかなあ。〔2010・10・8(金)〕

「ウォッチメイカー」
リンカーン・ライムのシリーズ。
今回の敵は「ウォッチメイカー」。
拷問のしかたを書いた本を参考にして、殺人を犯す。現場にはアンティークな時計が置かれていた。
ライムとアメリア・サックスらのチームは、尋問の専門家キャサリン・ダンスの力を借りながら、犯人に迫る…。
本作の特色は、なんといっても初登場のキャサリン・ダンスの活躍。
人の話を聞いて、何が本当で何が嘘か推測し、時には、その人の出身地なども当ててしまう特技をもっている。
だから、容疑者の尋問には、ぴったりなのだ。すごいもんだねー!
あっと驚く「どんでん返し」は毎度毎度のことなので、もはや、そういうことがあるよ、と書く必要もないくらい。
いつも、いつも、おもしろい!
アメリアについては、ウォッチメイカー事件と並行して、別の事件を手がけるのだが、刑事の仕事を続けていくかどうか、という重大な問題が発生する。
前作から彼女のアシスタント的立場になっている若い刑事の存在感も増してきた。
次作は、いったい、どんなことになるのかな?〔2010・10・28(木)〕

「クリスマス・プレゼント」
クリスマスには1週間早いよと、早とちりしないように。
本の名前です。
どんでん返しのクライム・サスペンスの名手、ジェフリー・ディーヴァーの短編集。
長編がおもしろくても短編ではそうでもない作家もいるのだろうけど(そもそも得意でなければ短編を書かないかも)、ディーヴァーは、お見事。
どんでん返しも短編のなかだから、一発勝負みたいに(?)、ぴりっと輝く。
リンカーン・ライムとアメリア・サックスのコンビの話も1編あり。
読んでから2週間以上たったので、全体に印象が薄れてきちゃった。
おもしろいけど、私には一般的には短編より長編のほうが合ってるみたい。〔2010・11・28(日)〕

「スリーピング・ドール」
リンカーン・ライム・シリーズの「ウォッチメイカー」でゲストとして活躍したキャサリン・ダンスが主役。
彼女はカリフォルニア州捜査局捜査官。
人間の所作や表情を読み解く「キネシクス」分析の専門家だ。
カルト集団のトップで服役中の男、ダニエル・ペルの聴取に当たったキャサリンだが、彼との応答のなかに何か引っかかるものを感じていた。
その矢先に、事件は起きる…。
どんでん返しの名手ディーヴァーにとって、私という読者はもっとも扱いやすいに違いない。
ええっ、そうなるのか!と、思わせ放題、だまし放題なんだから。
キャサリン・ダンスと、リンカーン・ライム、アメリア・サックスが電話で会話をする場面がある。
「ウォッチメイカー」事件以来、連絡を取り合っていて、とくにサックスとは親密度が増しているようだ。
犯人側のダニエル・ペルの行動、心理描写もキャサリンに負けないくらい多く、双方の思惑、攻防が楽しめる。
楽しみなシリーズが増えた。
〔2011・12・16(金)〕

「ロードサイド・クロス」
キャサリン・ダンスのシリーズ第2作。
宣伝文は…
「嘘を見抜く達人キャサリン・ダンス。「このミス」第5位に選ばれた『スリーピング・ドール』に続き、彼女が予告殺人に挑む。人を轢(ひ)き殺したとして有名ブログで吊し上げられた少年をバッシングした者が次々に命を狙われる。ダンスは失踪した少年をリアル世界とネットの両面から追う! 犯罪計画の見事さ、結末の驚愕、そしてキャラ小説としての面白さでディーヴァー史上でも屈指の傑作。」
「屈指の傑作」は、宣伝の、うたい文句でオーバーに言っていると考えてもいいし、読んで実際そう思う人もいるかもしれない。
私は、犯罪の動機が、いまひとつ、ん?って感じなんですけど…。
ダンスをめぐっての三角関係っぽいあたりは、どうなることやらです。
事件についての書き込みが載った「ブログ」が、犯罪の重要アイテムになっているのは、ブログをやっている者としては、考えるところがありますね。
へたなことは書けない…とかさ。
ディーヴァーは、読み始めたら、どんどん読みたいタイプの面白さで、休日の空き時間2日で読んじゃった。数時間で一気に読むほうが楽しい。〔2013・1・2(水)〕

「007 白紙委任状」
ディーヴァーの書いた007、おもしろかった。土日で一気読み。
リアルなスパイ作品です。いまの映画版ダニエル・クレイグのマジ路線に合うんじゃないかと思う。
飛行機から飛び降りたり、宇宙へ行ったりはしない。
ボンドが関わる人物は多彩で、おなじみの面々も登場するし、「ボンドガール」も複数!?
ディーヴァーに、007の続編を書くことを依頼してきたのは、007の生みの親イアン・フレミングの版権を管理する「イアン・フレミング・エステート」と、「イアン・フレミング・パブリケーション」という団体だったそう。
本の話WEB(http://hon.bunshun.jp/)によると、ディーヴァーは、こう語っている。
『わたしが第一に果たさなくてはいけないことは、ディーヴァーらしい小説を書くことで何百万人もの読者を満足させることに尽きます。つまり、非常にテンポが速く、さまざまな事柄について面白い情報が満載で、プロットが何度も反転し、ドンデン返しが連続するような小説。しかもこれらすべてを緊密に凝縮しなければなりません。』
そうなんだよね、彼の作品に読者が求めるのは…。
『そして同時に、007のファンもちゃんと満足させなければならない。映画のファンも原作のファンも両方ですね。』
並みの作家なら尻込みしそう。
ボンドはアフガン帰りの元軍人で、年齢は31歳くらいだそうだ。
ディーヴァー自身もボンド役者には、ダニエル・クレイグが気に入っているようだ。
『原作のボンドにルックスがいちばん近いのはショーン・コネリーでしょうが、キャラクターとしていちばん近いのはダニエル・クレイグだと思います。オーストラリアの俳優ガイ・ピアースでもいいですね。』
来日時、宿泊先のホテルニューオータニの部屋で、窓の外の夜景を見ながら最後の数行を書いた、という。
これ、映画化してほしいな。かなり省略されそうだけども。〔2013・3・11(月)〕

「ソウル・コレクター」
リンカーン・ライム、シリーズ第8作目。
なんだけど、これが、1月2日に読み終わったもので…細かいこと覚えてないから、書けないのだな〜。
シリーズの1作目が「ボーン・コレクター」というタイトルで、今回も似ているのだが、原題は“The Broken Window”。
なんと、著者自身が、日本でのタイトル案をいくつか出して、そのなかのひとつが「ソウル・コレクター」なのだそう。
個人情報を把握して、犯罪に悪用する犯人、だったかな。情報管理社会は怖いな、と思ったですよ。〔2014・1・2(木)〕

「バーニング・ワイヤー」
リンカーン・ライムのシリーズ9作目。
電気を使った犯罪が目新しい。少しの油断もできない、感電の危機は怖い。
アメリア・サックスはじめ、おなじみのメンバーと会える楽しみも継続。ラストはライム自身にも、ある変化が!?〔2015・4・18(土)〕

「シャドウ・ストーカー」
若手の人気カントリー女性歌手にストーカーが。そして、彼女の周辺で殺人事件が起きる。キャサリン・ダンスのシリーズ3作目。リンカーン・ライムとアメリア・サックスも登場! 犯人はあいつだろ、いや、そう思わせといて…と、やっぱり面白い。物語に合わせて、ディーヴァーが作詞して、トレヴァ・ブロムクイストが歌う「XO THE ALBUM」というアルバムまで出ている!〔2015・6・30(火)〕

「ゴースト・スナイパー」
ライムとサックスたちの相手は、国の機関! 容疑は暗殺! 証拠を消しにかかる男との闘いが始まる。あいかわらず読ませる。〔2016・2・29(月)〕

「ポーカー・レッスン」
短編集。意外な展開のディーヴァー節の連続。〔2016・5・18(水)〕

「追撃の森」
森の中の別荘で襲撃事件が。女性警官たちが犯人たちから逃げる! 期待を裏切らず面白いぞ、ディーヴァー!〔2016・11・30(水)〕

「限界点」
証人などを守る警護官の活躍。一人称の主観から書かれているせいか、ディーヴァーにしては珍しく、話に入り込みづらかった。〔2016・12・25(日)〕


重松清
「エイジ」
そう、おとといの読了なのだ。映画賞のことを書いていて遅くなった。印象が薄れてしまいそう…。
エイジというタイトルだけ知っていたときは、英語のage(世代)のことかと思っていた。そしたら、名前だった。ただ、エイジの親は、ageの意味も込めて名づけたようなので、考え違いということもない。
エイジは中学2年。近所で、自転車で歩行者の後ろから近づいて、なぐる、という通り魔事件が起きる。
その事件を中心に、エイジから見た学校生活や家庭のことを描く。
いろんなことに、じたばたともがき、突っ張り、へこみ、明快な答えが出ないまま、日々は過ぎる…。
山本周五郎賞受賞作。
重松さんは、以前、「さつき断景」という小説を、本になる前の段階から読んだことのある作家。「さつき断景」は、阪神大震災と地下鉄サリン事件のあった1995年から、2000年までの6年間の、それぞれの5月1日(記憶が正しければ)という日に、3つの家族が何をしていたかを描くという、面白い切り口の作品だった。
いまの時代を、社会との関わりのなかで、どう生きてるのか。個人を描いてるのだが、けっきょく社会派という感じでもある。
でも、「エイジ」の場合は中2の感情を書くわけだから、30代後半の著者には分かりきらない部分というのは、あるのじゃないだろうか、とも思う。〔2003・3・24(月)〕

「セカンド・ライン エッセイ百連発!」
1991年〜2001年のエッセイを集めたもの。重松さんは、ずっとフリーライターをしてきたのだという。はじめて知った。
1992年から雑誌『女性自身』の「シリーズ人間」のアンカーマン(取材記事をまとめて文章にする役目)をしていたのだそうだ。読んだことないから分からないが、ペンネームで書いてるのだろうなあ。今も書いてるかどうかは知らない。
新聞、雑誌のエッセイや、本のページの後ろに載る解説文など100編。
あんまり面白くなかった。小説のほうがいい。〔2003・4・3(木)〕


篠田節子
「美神解体」

ばりばりの恋愛小説か、と思い、あれ、これ角川ホラー文庫だ。ホラー小説かよ、と思い、美容整形の美女の思いって、どうなんだろ、と思い。〔2016・9・29(木)〕


篠田正浩
「監督、撮らずに観る」
篠田監督。私が邦画をあまり観ないせいもあるが、監督の作品で、観たものはほとんどない。
だが、「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」(1969)には、かなり心の芯から泣かされた記憶がある。
新作は「スパイ・ゾルゲ」が来年に控えている。
奥さんは女優の岩下志麻さんですね。
この本は、監督がLDなどをホームシアターで観て、その作品について書いたもの。
かなり難しいことを書いていた。普段から、そういう難しい思考回路なのかなあ、と思ってしまった。
監督が「お熱いのがお好き」について書いた個所を少しご紹介。
まず、アメリカ人気質を代表していると思われる作曲家アーヴィング・バーリンが、帝政ロシアからの亡命者であることを語り、ビリー・ワイルダー監督も生粋のウィーン育ちだ、とつなげる。
だから、真正のアメリカ映画は多様な文化の混沌によって成立している、と論じるのだ。
モーツァルトの「フィガロの結婚」を連想させ、心から笑いつづけることのできた唯一の作品だ、と監督は言う。
マリリンについて。
頽廃(たいはい)と滑稽(こっけい)という2つの味が溶け合って開花したのがマリリン演じるシュガーだ、と書いている。
「…シュガーは、一片の暗黒もみせない喜劇のヒロインの理想型を示している。いかに彼女(マリリン)がコメディの才能に恵まれていたか、を証明する演技の展開ぶりなのである」
ヒップを振り振り歩いてきて、汽車の蒸気を「きゃっ!」という感じで避ける、一目で男の心を捉えてしまうような有名な登場シーンについて、
「…彼女の鮮やかな媚態は、天性であると同時に、自らを計算した冷静な演技者のそれである…」
と書く。
私には、「天性」なのか「冷静な演技」なのかは謎である。
「天性」がかなり多くの部分を占めているとは思うが。〔2002・10・18(金)〕


澁澤龍彦
「高丘親王航海記」

ジュゴン、アリクイ、バク、鳥の下半身の女性、真珠、生まれ変わり…。端正に、奔放に、人生の旅は夢か。〔2017・6・24(土)〕


ジム・トンプスン
「ポップ1280」
トンプスンは、「ゲッタウェイ」「グリフターズ/詐欺師たち」の原作、キューブリックの「現金に体を張れ」「突撃」の脚本でも有名な作家。
ばかなふりして、頭を働かせ、邪魔者を殺しながら、他人を煙に巻き、うまく立ち回る、小さな郡の保安官を描く。神の摂理にまで言及するクライム・ノワール。〔2001・9・1(土)〕


ジャック・フィニイ
「マリオンの壁」
内容が映画に関係した話だというので、貸してもらった本。
まるで知らない作家&本だった。
「ノスタルジック・ファンタジー」と紹介されている通りの印象。
ある夫婦が、入居した部屋を改装するために壁紙をはがしていくと、そこに現われたのは口紅で書かれたメッセージだった。
「マリオン・マーシュここに住めり。1926年6月14日。読んで泣面かくがいい!」
この訳は、あまり気にいらないが。(とくに「住めり」とか「泣き面〔なきつら〕かくがいい」というのが、どうもね。)
関係ないが、マリリンが生まれたのは1926年。マリオン、マリリン、1926年…やっぱり関係ないか。
マリオンは女優の卵で、端役で1本の映画に出たが、自動車事故で亡くなってしまった。そのときに撮影中だった作品は、彼女のシーンが削られて代わりに無名時代のジョーン・クロフォードで撮り直した、という設定。
夫婦が、マリオンの出た映画をテレビで観て以来、夫婦とマリオンの間に不思議な関わりが生まれてくる…。
そのあとの話は、もしも、どなたかが今後読むなんてときに、ネタばれで詰まらなくなるので割愛。
ダグラス・フェアバンクスとかグレタ・ガルボ、エリッヒ・フォン・シュトロハイムなんていう昔の俳優、監督たちの名前が出てくる。出てはくるけど…そこまで昔の人じゃないからねえ、わたしゃ。いまいちノスタルジックにならない。
古き良きハリウッド、奔放な女優の魅力、ラストは映画のシーンのように劇的な終焉となる。
マリオンは素敵だった。もう一歩でスターの座を得られたかもしれない女優。切ないねえ。〔2005・5・18(水)〕


ジャン=ドミニック・ボービー
「潜水服は蝶の夢を見る」
「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を観たとき、必ず原作本を買ってでも読もうと思った。実際、買った。
手にとってみると、それほど長い内容ではなかったこともあって、すぐに読めた。
だが、著者のジャン=ドミニック・ボービー(映画では、ジャン=ドミニク・ボビー)が、まばたきの繰り返しのみによって言葉を伝えたことを考えれば、この本は途方もない作業量の結晶なのだ。
映画と原作本の両方をチェックすると、映画のほうが物足りなく思えてくることがある。
映画と本は別物だと思うようにしているが、どうしても、本のほうが中身が詳しいし、心の動きが文字で書かれているから、はっきり伝わってくることもあるだろう。
だが今回は、原作本を読んだあとも、映画の素晴らしさは色あせなかった。それほど、映画もよかった、ということになる。
プロローグと28の短いエッセイが、いくつも並ぶ構成。書き手に語り出す前に、すでに彼の頭の中で文章は完成されていたという。
父親のヒゲを剃る話や、ルルドに行ったときの話、病院に来た家族と皆で浜辺に行った話、言葉を伝える彼専用のアルファベットの話…。映画の場面が思い浮かぶ。
彼が入院する日のことを書いたエッセイは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」という題がつけられている。
「人生の、ある一日」。ビートルズの曲だ。(つい、きのう書いたネタのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の最後に入っている曲でもある。)
カーラジオから、この曲が流れてきたのだという。
『僕はこの曲のアレンジが好きだ。特に、オーケストラ全体がクレッシェンドでのぼりつめていって、最後の一音で爆発するあの部分が。あたかも高層ビルの六十階から、ピアノが落ちたかのように』(訳・河野万里子)。
あの劇的なエンディングが、ジャン=ドミニックの悲劇と重なるようだ。
高校生のときに「ペニー・レイン」を歌ったエピソードも書かれていて、『いつもビートルズだった』とある。彼はビートルズ世代だったのか、とビートルズ好きな私もうれしくなったのだった。〔2008・3・24(月)〕


ジョイス・キャロル・オーツ
「ブロンド」(上)(下)
上下巻合わせて1300ページ近く。1日に50ページほどしか読まないので、読了まで1ヵ月少々かかった。
力作であり、見事な文学作品だと思う。
オーツは、アメリカではノーベル賞に最も近いと言われる女流作家。
この小説は、ノーマ・ジーン(マリリン・モンローさんの本名)(1926〜1962)の一生を追っているように読めるが、あくまでも伝記文学であり、作者の創造(想像)した部分が多い。
前書きに、『「ブロンド」はフィクションという形を借りて「人生」を徹底的に蒸留したもの』とあり、『一部で全部を表す「提喩」が本書の基本原理』と言っている。
つまり、ノーマ・ジーンのことを書いてはいるが、じつは、それは「女優」の話なのであり、「女」の話であり、「人間」の話である、ということなのか。
ノーマ・ジーンの一生は波瀾に富んだものであり、そこに作者の奔放で力強い描写力が加わって、ストーリーに迫力と緊迫感を与えていく。
その力量は、ノーマ・ジーンの心のうちを、息苦しいほどに、同じように読者に体験させようとする。
いかにもノーマ・ジーンが、このように生きてきたのではないかと思わせる説得力が充分にある。いや、ありすぎる。
序盤の、母親グラディスとの場面は強烈だ。精神を病んでいたグラディスと2人で暮らすノーマ・ジーン。そのことがノーマ・ジーンの心に及ぼす影響は計り知れなかっただろう。幼い頃の体験が大人になったときの性格を決める、とはよく言われるが、本書を読むと、そのことが、うなずけてしまうほど。
ノーマ・ジーンが子どもを生めなかったこと、とくに「劇作家」の子を流産したことが、彼女の人生に大きな影響を与えたように、読んでいて感じられた。
彼女には妊娠中でも、いつも、自分は子どもを持てないのではないかという強迫観念があったのではないか。
母親になることを強く望み、母親になることを同様に強く恐れていたのではないか。
このあたりの彼女の気持ちは想像するしかないが、やはり、とても悲しいものがある。
ノーマ・ジーンが日本に来た時に、群集が、モンチャン、モンチャン、モンチャンと叫んでいたという記述があった。
来日時に日本人が彼女のことを「モンちゃん」と呼んでいたのは知っていたが、改めて、こうやって書かれていると、昔は変な呼び方をしていたんだなあと思ってしまう。
彼女は、ホテルの外に押しかけてきた日本人たち、みんなに向かって言うのだ。『わたしがモンチャンです。ナガサキのことを許してください! ヒロシマのこと、許してください! 愛してます』
ああ、なんという無垢な優しさに満ちた女性であることか!
各章のタイトルには、彼女が映画で演じた役名も使われている。それは、ノーマ・ジーンの人生の中からオーツが選んで書いた部分でもあるわけで、すなわちそれは、オーツがノーマ・ジーンの人生にとって重要であるとした映画なのかもしれない。
つまり、「アンジェラ」は「アスファルト・ジャングル」、「ネル」は「ノックは無用」、「ローズ」は「ナイアガラ」、「シェリー」は「バス停留所」、「踊り子(ショーガール)」は「王子と踊子」、「シュガー・ケーン」は「お熱いのがお好き」、「ロズリン」は「荒馬と女」。
登場人物は、実名のものと、名前を変えているものがある。
たとえば、マリリンのエージェントだったジョニー・ハイドは、「I・E・シン」となっているし、マリリンを見出して写真を撮ったカメラマン、ヌードカレンダーを撮ったカメラマンの名前も違う。
プロデューサーや監督の名前は、頭文字のアルファベットで書かれているし、ジョー・ディマジオは「元野球選手」、アーサー・ミラーは「劇作家」となっている。
実名を使った場合と使わない場合の区別は、何だったのだろう。
また、チャールズ・チャップリンの息子とエドワード・G・ロビンソンの息子とノーマ・ジーンの3人で恋愛関係にあり、ノーマ・ジーンは妊娠した、とされているが、これは、まったくの創造なのだろうか。分からないが、興味のあるエピソードだった。
「ブロンド」は2001年に、4時間のテレビドラマになっている。主演はポピー・モンゴメリー(Poppy Montgomery)という人。そして、なんと、アン=マーグレットさんがノーマ・ジーンの祖母デラ・モンローを演じている。他には、エミリー・ブラウニング(「ゴーストシップ」「ケリー・ザ・ギャング」「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」)さんが、ノーマ・ジーンの孤児院時代の友人フリース役。
このドラマ、日本では以前にどこかの局で放送したのだろうか。もしも、まだであれば、NHKあたりで買い付けてほしいものだ。
(ポピー・モンゴメリーのノーマ・ジーンは、下のURLに映像があります。リンクはしていませんので、コピー&ぺーストして、見てください。そんなに似てはいないですね。)
http://us.imdb.com/gallery/hh/0599889/HH/0599889/Poppy2.jpg?path=pgallery&path_key=Montgomery,%20Poppy
普通の人間には滅多に訪れない人生の大波に、否応なく流されていってしまったノーマ・ジーン。
作者は彼女のことを、よく調べていると思う。
とにかく、ノーマ・ジーンが可哀想で可哀想で仕方がなかった。
マリリン暗殺に動いた情報提供者の「R・F」。オーツが考えていた、この人物は誰なのか、とても知りたい。
電車の中で読んでいて、泣けてしまい、読むのを中断してしまった個所がある。最後に、その部分を紹介しておこう。
大統領に捨てられたあと(この大統領のことは、マリリンについての、いろいろな本を読むたびに、大嫌いになっていく。)、心も身体もボロボロになったノーマ・ジーンが、何年もの間、誠心誠意、彼女のメイクを担当してきたアラン“ホワイティ”スナイダー(1914〜1994)に言う。
『(前略)…そしてノーマ・ジーンは、震えるようなマリリン・モンローの声でこう彼に言った。冗談でもないし、面白半分に言うのでも、ふざけて言うのでもないの。とても真面目な話なの、だから、ここだけの話よ。「ホワイティ、約束してくれる? わたしが」―彼女は死んだらと続けるのを躊躇(ためら)った。ホワイティの繊細な心を考えると、いなくなったらという言葉さえ言えなかった―「そうなったら、マリリンにメイクしてくれる? 最後のおつとめに?」
ホワイティはこう答えた。「ミス・モンロー、約束します」』
ここだけ抜き書きしても、どうということはないが、ずっと読んできたあとでは、もはや、泣くのを我慢することはできなかった。
(以上、引用の訳は、古屋美登里さんによる。) 〔2006・3・5(日)〕


ジョーン・G・ロビンソン
「思い出のマーニー」
映画が気に入ったので、原作も読んでみた。
当然のごとく、映画と比べてしまうが…。
原作では、マーニーが出てこなくなってからが、けっこう長い。
屋敷に引っ越してきた一家と、アンナが仲良くなる。そのあたりの描写が、しっかり書かれている。
映画では、マーニーが出てこなくなってから、早いテンポで、真実がわかり、エンディングに向かう印象。
それは映画の作り方としては正解だと思う。
いらない部分は削って、サッサッとまとめるほうが、インパクトがあるはずで、実際、その効果が出ていた。
逆に、原作のほうは、アンナが他の子たちと仲良くできるようになったことも、ゆっくりと描いていて、これはこれで素晴らしい。
マーニーのことは、じんわりと、あったかく、なつかしく、思い出す感じ。〔2014・9・14(日)〕


ジョゼ・サラマーゴ
「白の闇」
傑作小説だと思う。
私の読書歴は、たいしたことはないから、傑作の設定レベルが低いかもしれないが…。
突然、人々の目が見えなくなる。ふつう、目をつぶってみると、光の加減にもよるが、暗めの闇を感じる。だが、この小説では、白い闇になる。
見えなくなった人たちが、まとめて一つの施設に入れられる。施設といっても、使われていない病院。政府の方針によって、そこに押し込められたのだ。
ある部屋のメンバーの中に、本当は目が見えるのに、見えないふりをして夫についてきた女性が、ひとりいた。彼女が見えることは、夫しか知らず、部屋の他のメンバーにも隠し通している。
いまや、見えるということは、強大な力だ。
さまざまな場面で、彼女は、それとなく皆をリードしていく。
やがて、食料の配給を、力ずくで奪おうとするグループが現われて…。
後書きにあるが、作者は、もしも、すべての人の目が見えなくなったら、どうだろう、というアイデアを思いつき、次には、なんてことだ、目が開いていたって、私たちは見えていないも同然じゃないか! と、がく然としたという。
この本を読んでも分かるが、目が見えなくなると、他人がその弱みにつけこんだり、見えなくなった本人が自暴自棄になったり、どうせ誰も見ていないんだからと、つつしみを忘れたりと、醜い人間の本性が出てくる。
収容所の管理を担当する軍隊も、感染するのではないかと恐れて、ろくに世話などしない。外に出てこようとする人におびえて、銃を撃とうとするほどだ。
食料を奪おうとするグループは、つまり独裁者、ファシストなどに置き換えて考えてもいい。簡単に、こういう者たちは出現するのだ。今の世界でも同じ。
見えなくなって出現する醜い世界だが、見えている世界でも、さまざまに同様の醜いことは起きている。たとえば戦争による一連の悲劇。
作者が、がく然とした理由は、そういうことでもあろう。
目が見えても、世の中は良くならないじゃないか。
すべての人の目が見えなくなる現象は、いまのところ現実にはない。
つまり、この物語全体が寓話(教訓や風刺を含んだ作り話、みたいなもの)なのだ。寓話ゆえに、登場人物に名前はない。
人々の目が見えない世界があったら、きっと、こうなるだろうと、人間の本質の部分をさらけ出していく語り口は素晴らしい。
人それぞれに考え方が違い、生き方が違う。その描写も小説として面白い点だ。
見えない不安のなかで、生きていこうとする彼ら。彼らの先頭に立ち奮闘する、見える女。
読んでよかった、と強く思った本は、めったにないが、これはまさしく読んでよかったと、心から思えた小説だった。
文体は特徴がある。
セリフに「 」を使っていなくて、その部分で改行もしない。
最初は、おや?と思った。たまに、これは誰が言っているんだ?と考えたところもあるけれど、慣れてみると、それほど困ることもない。
作者は1998年にノーベル文学賞を受けている。「白の闇」は1995年の作品だが、これだけでもノーベル賞の価値はあるのではないかと私は思う。
続編も書いているようだが、日本語訳はされていない。ぜひ、早く出してほしい。
外国の作家に、たまにある、表現の分かりづらい、意味がとりにくい、長めの文章。これは多少あった。
説明の仕方や、比喩などの、考え方の回路が、日本人とは違うのかと思ってしまうのだが。
物語の中に作家が出てくるが、これは作者自身のように思える。彼の目が見えなくなったら、どうなのか、どう考えるのか、ということを、登場人物にして書いてみたのではないだろうか。
この小説を原作にした映画「ブラインドネス」が11月に公開される。
映画については、次の記事で書いてみるつもり。〔2008・6・16(月)〕


ジョン・ダニング
「死の蔵書」
大の本好き刑事が、古書バイヤー殺人事件を調べる。
捜査の過程で、ある男の手から若い女性を助けるが、男は彼女につきまとい、刑事はそちらの事態の面倒も見るはめに。
やがて刑事の人生は大きく変わることになる…。
作者が本の世界に携わった経験があることから、本を売ってもうけるという商売のことが興味深く描かれている。
とくに初版本は値打ちがある、など。
身近な話では、スティーヴン・キングの本が、たいしたものでもないのに高く売れる、というのが、なるほどとも思えて面白い。
クーンツがキングの後追い、とされていたのは、クーンツ好きの私には苦笑。
日本の書籍で、値打ちがあるのは、どんなものだろうか。
サイン本もよさそうなことが書いてあったけど、私が持っている北村薫さんのサイン本は?
本屋を開きたいとまで思っている刑事、という設定は珍しいのかもしれない。
本の商売で生活する人間たちとの交流、謎めいた美女との関係…。
登場人物の個性が、くっきりとしているし、面白く読むことができた。
読者に対してフェアだと評価されるミステリに贈られる賞であるネロ・ウルフ賞を受賞。
1996年の、「このミステリーがすごい」第1位、「週刊文春」の傑作ミステリー海外部門第1位。
本好き人間たちが大勢登場する内容も、読書人に受けたのだろうか。
「死の〜」というタイトルは、安直で好きじゃないのだが、原題が“Booked to Die”、つまり「死ぬべく予約される」みたいなことなので、しょうがないか。〔2009・10・11(日)〕


スーザン・ストラスバーグ
「マリリン・モンローとともに」
マリリンを語った本をすべて読んでいるわけではないが、私が読んだなかでは、もっとも素晴らしいものだと思う。
なによりも、著者のスーザン・ストラスバーグには、身近にマリリンがいた、マリリンと暮らしているも同然の状況にあったという強みがある。
スーザンは女優であり、父親はアクターズスタジオの先生であるリー・ストラスバーグ、母親も演技指導をしていたポーラ。
マリリンはアクターズスタジオに入門し、ストラスバーグ家に頻繁に出入りしていた。夫のアーサー・ミラーとけんかしたりしたときも、マリリンはストラスバーグ家に来て泊まっていたりしたのだ。
だから、本書の副題「姉妹として、ライバルとして、友人として」のとおり、スーザンとマリリンは、とても近い関係にあったのだった。
『…近寄っても彼女(マリリン)は彼女自身によってかがやきつづけていた。たまらなくセクシーなのに、とても無邪気に見えた。なぜそんなふうにできるのか、不思議だった。…』(以下すべて、訳:山田宏一)
『…(マリリンが)もう30歳に近いことなども忘れてしまった。最も親しく、最も年齢の近い女友だちのひとりのような気がした。しかも、友だちより少しばかり楽しくて、自由で、ずっとおもしろかった…』
『…マリリンがカッとなると、じつに苛酷で容赦なく、すべてが白か黒か、どちらかだった。…(中略)…自分の敵ではないかと疑いを抱いただけで、ひどく疑い深くなり、半狂乱になった…』
マリリンがお酒や睡眠薬におぼれたり、精神的に複雑な状態にあるところも、はっきりと見ていたスーザン。
『…彼女は何かにつけて「こんちきしょう(ファック・イット)」と口走る。プロ意識にも欠けていた。遅刻もした。睡眠剤を飲み、酒をたくさん飲んだ。現実との接触を失い、何をしでかすかわからず、癇癪持ちで、衝動的で、すぐに取り乱した。…』
『…マリリンは薬の生き字引だった。自分の飲む薬はもちろん、薬という薬について実によく知っていて…』
『…彼女はわたしたちみんなが放棄した幼児性という重荷をまとめて背負い込んでいるように見えた。…』
アクターズスタジオでマリリンが、ユージン・オニールの「アンナ・クリスティ」を演じたとき。
『…アンナ・クリスティの絶望をとおして、マリリンは光を発していた。彼女の演技は気取らず、実感があり、自然の発露そのものだった。…(中略)…役に完全に同化した彼女の感情の深みを感じることができた。…』
アクターズスタジオでのマリリンの演技は素晴らしかった、という話は、よく言われている。見てみたかったなあ…。
スーザンの観察力、文章力はすごい。作家も顔負け。
『…マリリンは子供が大好きで、子供たちのそばにいるとのびのびしていた。…(中略)…子供たちは彼女をあるがままにうけいれ、彼女のなかの子供の部分を引き出すからなのだろう。…』
『…薬物中毒以上に、マリリンは大衆中毒だった。他のひとたち、友だち、大衆、ファンからつねにエネルギーをもらわなければ生きていけないスターだった。…』
『ねえ、わたしが自分の中身をすべてさらけだしたら、きっともう誰も二度とわたしと話なんかしてくれないわ。わたしはね、爆発するの、ヒロシマみたいに。そして誰かを殺すかもしれない…おそらく自分をね。…』
『自分の感情に内側から蹴っ飛ばされ、世間には外側から蹴っ飛ばされたら、わたしはどこへ行けばいいの?』
スーザンの友人ステフィ・シドニーの証言で、驚くものがある。
『…マリリンが癌だとは、わたしは知らなかったわ。あの時代は癌になっても、誰もはっきりそうとは言わなかったから。…』
これは本当なのだろうか!?
スーザン・ストラスバーグが間近で見た、マリリンという女性。
ここにはネガティブなことばかり挙げているように見えるかもしれないが、愛情をもって、真摯にマリリンの思い出を書き上げた一冊だ。
ちなみに、マリリンが日本で買った真珠のネックレスは、のちに、ポーラ・ストラスバーグに贈られたそうだ。〔2012・7・17・(火)〕


助川幸逸郎
「小泉今日子はなぜいつも旬なのか」

そうなんだろうなあ、そうかなあと思いつつ。
ネットで、キョンキョンを論じる文章の連載があった。マリリン・モンローさんも話に出てくるというので、マリリンファン仲間の間でも話題に出たのだった。
そもそもが、小難しい話は好きじゃないのだけれど、大学の講義のように(?)小泉さんを論じる、という試みは珍しくはあるので、いいと思うが、同意できそうなことも、そういうふうに考えるんだ〜と思うところも。
私の場合は、そんなに理論的に(?)考えたことがないから、「へー」と思うだけだったり。
そう考えてもいいけど、絶対的に正解かどうかわからないよね、と。それは文系的な論文の場合は、すべてそうなのかもしれないが。
本人でさえわからないことは多いのではないかとも思うし。〔2015・11・14(土)〕


スコット・フィッツジェラルド
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
私などに言わせれば、映画のほうを先に思い出すが、有名作家の著作なのであった。原作本は短くて、すぐに読み終わる。淡々としていて、読み手が考えなければ、何もなく終わってしいまいそう。〔2017・10・2(月)〕


鈴木善博
「ノーマ・ジーンの店で…」

おわっ! こんな本が!
図書館で、この薄っぺらな本を見つけたとき、心の中で声を上げた。
ノーマ・ジーンとは、我が家のペットではなく、もちろん、マリリン・モンローさんの本名(ファースト&ミドルネーム)であり、店の名前だ。
中身は、ラブストーリー。
若者同士の恋愛が、中年上司に邪魔されて、その結果は…というもの。
小品ゆえに、単純だけど、すいっと、まとまっているというか、悪くはない。
そんなに、うまく行くもんかい(恋愛が)、とも思うけどね。
お話ですから。
店のマスターは閉店間際に、エルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」を歌う。
ノーマ・ジーン(マリリン)のことを歌った曲。
お店は脇役の存在で、それほど話の中には出てこないが、登場人物たちが集う、象徴的な場所になっている。〔2009・5・14(木)〕


スタンリー・バックサル、ベルナール・コマーン編著
「マリリン・モンロー 魂のかけら―残された自筆メモ・詩・手紙」
翻訳:井上篤夫。
本書の名前のとおり、マリリンが残したメモや詩などに、日本語訳がついて、本になった。
メモ書きが本になるなんて、書いた本人にしたら、やめてほしいかもしれないなと思いつつ、でも、そういうところに彼女の本質が出ているのではないか、ファンたる私は興味本位ではなく、きちんと向き合いますから、許してね、という気持ちも抱きながら、本書を手にする。
原書が出たときには、こういうのが日本で出版されないものかと思っていたのだが、今回は実現したのだ。
発行に踏み切った青幻舎さんには、拍手喝采を送りたい!
見開きの左ページに、マリリンのメモなどの写真を載せ、右ページに日本語訳が載っている。
日本語訳のページは、原文に沿ったレイアウトがされていて、なかには、斜めに数行が印刷されているところもある。矢印が曲線で入るところもある。よく、こんなふうに刷れるものだと感心する。
中身の見本は、青幻舎による本書紹介ページで見られるので、興味をもたれた方は、ぜひチェックを!
こういうメモを書いたりすることが彼女にはあったんだな、と改めて分かって、ちょっと驚く。
私などは、ほとんどメモなんてしないから。
構えて書いた「詩」ではなく、メモ書きの詩のようなものを、ここに見ることができる。彼女は詩が好きだというけれど、なるほど実物を見れば納得。
彼女は、いつも自分に自信がなく、精神は常に葛藤していた。彼女が書き残したものを読んで、そうした内面に触れて、少しは、また彼女のことを知ったような気にもなる…。
文章にあらわれてくる真摯で複雑な人間としての内面を知れば知るほど、彼女が一部の映画で演じたり、求められたイメージで演じたりした、色っぽいだけの、オツムの弱そうなブロンド娘は、彼女が演技でつくりあげたものでしかなかったことが理解できる。
写真も多く掲載されていて、本書の内容に合わせたのか、マリリンが本を読んでいるショットも多数。〔2012・11・25(日)〕


スティーブン・キング
「グリーン・マイル」
図書館で「グリーン・マイル」を借りて読んでいる。
スティーブン・キングの作品で、トム・ハンクス主演で映画化もされた。
6回に分けて毎月出版されたという、珍しい方式で発表されたものだが、借りたのは、1冊にまとめた、分厚い本。
電車で読むので、持ち歩きに重くてしょうがない。
私のハンドルネームのジングルズは、この小説に登場するネズミの「ミスター・ジングルズ」から付けたもの。
文中にジングルズの文字を見たときは、嬉しくて、にんまりしてしまった。
へえー、と思ったのは、ミスター・ジングルズという名前が付けられる前、このネズミは看守たちに「スチームボート・ウィリー」と呼ばれていた、と知ったとき。
ミッキー・マウスがはじめて映画になったのが、邦題「蒸気船ウィリー」つまり「スチームボート・ウィリー」で、ミッキーは当時その名で知られていたのだ。
やっぱり、原作は読んでみないと、どんな発見があるか分からないですね。〔2001・8・9(木)〕

「図書館警察」
「借りた本を期限内に返さないと、こわ〜い図書館警察が家まで押しかけていくぞお〜」
という話と、
「あるポラロイドカメラで写真を撮ると、必ず恐ろしい表情の犬が写り、撮るたびに犬が近づいてきて、そのうち目の前に出てくるぞお〜」
という話の2編。
読んだのは、キングが1990年に発表した“Four Past Midnight”(真夜中4分過ぎ)の中編4編を、2冊に分けて2編ずつ収録して発行されたうちの1冊だ。内容は「図書館警察」と「サン・ドッグ」。
four(4)というのは、4分という意味と、4編という両方の意味があるかも。
私は図書館警察に会いたいとも思ったけど、ちゃんと期限ぎりぎりで返却しました!
怖いのは「サン・ドッグ」のほう。撮るたびにコマ送りみたいに近づいてきて、カメラから出てくるなんて。
かわいい犬ならいいけど、凶暴なんだもん。
なかなかのキングである。やっぱりキング、さすがのキング。怖楽(こわたの)しい。
もう1冊には「ランゴリアーズ」「「秘密の窓、秘密の庭」を収録。〔2009・11・27(金)〕

「ランゴリアーズ」
表題作「ランゴリアーズ」と、ジョニー・デップ主演映画(「シークレット ウインドウ」)にもなった「秘密の窓、秘密の庭」を収録。
「図書館警察」とのコンビ(?)本。
「ランゴリアーズ」は、けっこう長いのだが、めちゃくちゃ面白かった!
フライト中の飛行機で、数人を残して乗客乗員が消滅した。残された人たちの運命やいかに?
という話で、登場人物の中にアブナイ奴が交じっていることもあって、ハラハラドキドキ。
いままで読んだキング作品(数少ないけどさ)のなかで、文句なく一番おもしろい。
おもなキャラクターの描写も必要十分で、個性が浮き立つ。
彼らが協力しながら危機を切り抜けていく物語は、まったく飽きることがない。
過去と未来の時間の描写が、また面白い。
ただ、死んでほしくない人が死ぬのは、いやだ。
「秘密の窓、秘密の庭」は、俺の作品を盗んだ、とある男に責められる作家の話。
作家の精神状態が、だんだん追い詰められていく様子が怖い。
恐ろしいのは、やっぱり人間の心ですね。〔2009・12・28(月)〕

「夜がはじまるとき」
猫を殺すことを請け負った殺し屋が、車の中で逆に襲われる「魔性の猫」がおもしろかった。猫、好きだけど、殺されたくない。全6編入りの中・短編集。〔2016・9・3(土)〕

「ジョイランド」
前半、主人公の友人が幽霊を見るまでは、おもしろくなくて、しょうがなかった。がまんして読んでよかった、ということもあるもんだ! 後半は泣けるほどの甘酸っぱい青春ミステリーになった。ホラーではない。〔2017・5・30(火)〕


セオドア・ローザック
「フリッカー、あるいは映画の魔」
厚い単行本で2段組で文字がびっしり。
通勤電車でしか読書しない(しかも帰りだけ)私が読むには、2週間以上かかってしまった。
つまり図書館の返却期限オーバーだ。すいません。
映画に関連した話で、「このミステリーがすごい!」の1999年ベスト1作品ということが記憶にあって、いつか読もうかなとは思っていた。
図書館で目の前に見かけて、つい手に取って受付カウンターに、ふらふらと持っていったのであった。
マックス・キャッスルという映画監督の作品を再発見していく男の話で、キャッスル監督のフィルモグラフィが巻末にあるので、実在する人かと思った。読んでいる間、この人をネットで調べてみようと思いつつ、調べなかった。読了後に調べたら、該当者なしだった…。
オーソン・ウェルズが、「市民ケーン」にキャッスルが協力していたこと、「闇の奥」(「地獄の黙示録」の原案になった小説)の映画化を2人で一緒に企画したことを語る。
ジョン・ヒューストン監督が手紙で、「マルタの鷹」にキャッスルが関わったことを認める。
このように、映画関係のネタが出てくるところは楽しい。
主人公がキャッスルを研究するうちに、その映画の奥に隠された恐ろしい企みを知ったり、キャッスルの後継者ともいうべき少年が登場し、話は映画から宗教がらみへ変化していく。
シオン修道会やらオプス・デイなんかが出てきて、「ダ・ヴィンチ・コード」(本は読んでない)を思い出したりして。
はては、思いがけないところに、話は着地していくのであった…。
ある集団が、セックスを流行らせないようにする病気を作り出した、なんてのは、エイズを意味した作り話なんでしょうね。
虚実を織り交ぜ、本当と嘘の境目がよく分からない大ボラ話。(そこが面白いのかも。)
細切れでなく、一気に読む時間が取れたら、もう少し楽しめたのかもしれない。
映画好きにとっては面白いところがあるけど、読むのに疲れます。〔2006・12・14(木)〕


瀬川裕司
「ビリー・ワイルダーのロマンティック・コメディ」
ビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」「昼下りの情事」における監督術を解説。
当然ながら、マリリン・モンローさん主演の「お熱いのがお好き」があったから読んだのであるが。
マリリン演じるシュガーが、
「母はピアノの先生で、父はコンダクターだったの」
というセリフがある。そのあと、
「どこでコンダクトしてたの?」
と聞かれて、
「ボルチモア・オハイオ」
と答えるわけだが、コンダクターは「指揮者」と訳がついていると、このやりとりのどこが面白いのか分からない。
母がピアノの先生なら、父が「コンダクター」と言われれば、聞いているほうは当然「指揮者」だと思い込む。
で、「どこで指揮してたの?」と聞く。
ところが答えは「ボルチモア・オハイオ」。
日本人たる我々は、なんのことか分からない。
ところが、この本の解説によれば、「ボルチモア・オハイオ鉄道」というものがあり、つまり、父親は「車掌」(コンダクター)だった、というオチだ。
それが分からないと、おもしろくない会話だ。
セリフによるジョークはむずかしいねえ。〔2012・8・7(火)〕


セバスティアン・コション
「マリリン・モンロー 最後の年」

マリリンの「取り巻き」12人それぞれを、章ごとに「主役」に取り上げて語るのがユニーク。
マリリンの晩年に、彼女の近くにいた人物たち。
家政婦:ユーニス・マリー(マレーの表記がおなじみだが本書ではマリー)、メイク係:アラン・“ホワイティー”・スナイダー、秘書:シェリー・レッドモンド、マッサージ師:ラルフ・ロバーツ、会計係:イネス・メルソン、演技コーチ:ポーラ・ストラスバーグ、ヘア・ドレッサー:アグネス・フラナガン、スタンドイン:イヴリン・モリアーティ、助手:メイ・リース、精神分析医:ラルフ・グリーンソン、写真家:ローレンス(ラリー)・シラー、広報担当:パトリシア(パット):ニューカム。
12の章ごとに各人物を主役にして話を進める。この人は、どういう人なのか、何をした人なのかを知ることができるのは、ありがたい。
マリリンの言動についても、多々書かれているので興味は削がれない。
「最後の年」の彼女の周囲の状況について知るには良い本だと思う。
ただ、マリリンについて書かれた本で、よく思うのは、誰がどう考えたのかなど、著者が知っているのか? インタビューでもしたのかい? ということだ。
調べたことから想像して、物語的に作っているのかもしれないが、どこまで本当なのか、わからない。しかし、それは仕方がないことともいえるのかもしれない。
本作の著者は、紹介文によれば『作家、コレクター、マリリン・モンロー研究者。フランスのテレビ局「アルテ」や「キャナル・プリュス」で働いた後、フランス映画を海外で展開する機関「ユニフランス」で広報活動に従事している』とあり、ローレンス・シラーとパトリシア・ニューカムにはインタビューしたようだが。
訳文で気になることがあった。「〜(する)だろう」という文章が時々出てくる。普通なら「〜することになる」とか「〜になるのだ」などになるのでは、と思った。いまでは、すでに結果が分かっている内容なのだから。
原文が、そのようになっているのかもしれないが、文章にクセのある部分だった。〔2017・6・30(金)〕


妹尾河童
「少年H」
妹尾河童(せのお・かっぱ)さんの「少年H」を読んだ。
Hというのは、妹尾さんの本名、肇(はじめ)である。
妹尾さんは神戸で少年時代を過ごし、太平洋戦争で空襲にも遭っている。この本は、戦争下で、たくましく生きる少年の姿を描いていて、一気に読ませる。
いやな先生には徹底的に反抗したり、アメリカ兵の似顔絵を描いて稼いだり、こっそり映画を観に行ったりと、面白いエピソードも多い。
中学生ほどの年で、いろいろと、しっかりしているのには感心してしまう。
元気のない父親を励ましたり、空襲時に母親を先導して逃げたり。
空襲の被害や不利な戦況について、新聞がなぜ本当のことを書かないのか、不利な戦争を無謀にも推し進める指導者とは何なのか、という不満と疑問。
また、彼は、貧しい一家のことを考え、中学卒業後すぐに独立を考える。
戦争という厳しい状況のもとで生きなければならなかったことが、たとえ子供であっても、いやでも精神的に大人へと成長させることがあるのだろうと思う。
自分の少年時代を振り返っても、これほど、物語になるようなエピソードがないのは、平和で、平凡な日常だったからだ。
それは、幸福なことだったのだろうが、私がまだまだガキなのは、そのせいでもあるのだろう。〔2001・8・3〕