大門茂行
「思い出のマリリン・モンロー」
著者は、京都出身の内科医師。
マリリン・グッズ集めにも熱心で、マリリンが表紙になった「ライフ」誌その他の雑誌や、LP、CDなどのコレクションの写真が、この著書に載っているところが、いかにもマリリン・ファンで、微笑ましく思えてしまう。(かなり年上の方に失礼ですけど。)
出版されたのは1993年。マリリン没後30年の1992年には、日本でマリリンの映画が上映されたり、外国ではマリリンに関する本の出版も多かったようで、その熱気を引き継いで、自分のマリリンに対する思いをまとめた、という部分もあったのではないか。
前半は伝記風にマリリンの人物像をまとめたあと、出演映画ごとの解説がある。
ああ、このときは、あんなことがあったんだよなあ、と自分がマリリンについて知っているところの知識を呼び起こしながら、マリリンの生きていった順番に、確認したり、新しいことを知ったりしつつ、読んでいける。
ビリー・ワイルダーが監督した「七年目の浮気」と「お熱いのがお好き」を論じたり、肉感的なマリリンとは対極に存在したと思われるオードリー・ヘップバーンが、人気投票の結果ではマリリンと比べてどうだったのか、などを取り上げた章もある。
そして、死の疑惑、語録と続く。
マリリンのことを知るためには、分かりやすくまとめられていて、読みやすい1冊ではないだろうか。
マリリン・ファンとしては、もし、こうした本を自分も書けたら、すごいことだよなあ、と思うのであった。〔2005・8・19(金)〕


高峰秀子
「にんげんのおへそ」
先日、高峰さんの展示会を見たこともあって、どんなことを書いているのかにも興味をもった。
読んでみると、とても文章が読みやすくて上手だと思った。
ユーモアもある。
癇性の強い義母と暮らした環境や、子どものときから女優をやっていたせいだろう、人間観察に鋭いところもある。
面白く読めるのは、すべてが自分の経験から書かれているからかもしれない。
私が書いている日記なんて、自分のことではないことも多くて評論家然としているようで、たいして面白くない。
ふだんは会社へ行って仕事して帰って、となるから、話題がないのでしょうがない面もある、と言い訳しておこう。
高峰さんが、映画女優という仕事が好きでなかったと書かれていたのは初耳(といっても、いままで彼女のことは何も知らなかったわけだけど)。
ちょっと引用させていただくと…
『…人嫌いで反抗精神の塊のような私は、「スター」という一見華やかな虚名を持つもう一人の自分についてゆけず、ひそかに「女優をやめること」ばかり考えていたからだった。ロクなことを考えない女優にロクな演技ができるはずもなく、仕事はいつも投げやりで数をこなすのがやっとだった。』
ロクな演技ができない、というのはまったくの謙遜だろうけれど、スターの実像と虚像の差に苦しむのは、大スターにありがちな、たとえばマリリンなどの場合と同じようなものだったのかなあと思った。
義母のことを書いた話は、がめつい義母との確執や、どういう経緯で女優になり、女優の生活を過ごしていたかが分かり、これは読んでよかったと思わせる話だった。〔2004・10・20(水)〕


滝本誠
「コーヒーブレイク、デイヴィッド・リンチをいかが」
一部のデイヴィッド・リンチ・マニアの間で、リンチの名前を「デイヴィッド」と表記することに決めた、などという話を、「マルホランド・ドライブ」の公開のころに聞いたことがある。
ことほど左様に、リンチ・マニアは深い。…ようだ。
この本の著者、滝本誠さんは、その真っ只中にいる。
著者自身が「リンチ浮遊」というように、本書は、デイヴィッド・リンチについて縦横無尽に語る。
映画「マルホランド・ドライブ」、「インランド・エンパイア」から、テレビシリーズ「ツイン・ピークス」はもちろん、幻の脚本(?)「ロニー・ロケット」やら、ウェブアニメ “DumLand”、テレビドラマ「オン・ジ・エアー」など、まったく私が知らなかったモノまで、雪崩のように出てくる。
そのマニアぶりには、完全には理解できないまでも、興味のある部分を拾って、なるほど、と知識を得ることができる。
リンチがコーヒー好きゆえに、「マルホ」で、あんなコーヒーのテイスティングのような場面があったのか? とか。
目からウロコだったネタを挙げておく。
「マルホランド・ドライブ」で、ナオミ・ワッツさんが、前半と後半で、まったく違う印象の女性になっている素晴らしさについて、前半はテレビのパイロット版で撮影していて、後半のほとんどは2年近く後に追加撮影したからだ、と知ったこと。
そうだったか! テレビ版がポシャって、のちに映画として再開されたのは知っていたけど、そういう仕組みになっていたのは考えつかなかった。
テレビ版がボツになったケガの功名というべきか。〔2008・11・18(火)〕


太宰治
「人間失格」
自由に貸し出しOKの本を集めた棚を設置している地下鉄の駅がある。
社用で五反田に行ったとき、そんな棚を発見。「地下鉄五反田文庫」と、本の最終ページに判が押してある。
ちょうど読む本がなかったので、見渡してみて、太宰治の「人間失格」を借りた。
太宰治の小説は今まで、たぶん、まともには読んだことがない。そういう意味でも、いいチャンスだと思った。この本は、すぐ読み終わりそうなほど薄いし!
さて、読んでみて…なんにも残らなかった。衝撃的でもない。
たぶん、小説の発表と、著者の入水自殺が同時進行だったことは、すごくスキャンダラスなニュースだったろう。
とくに当時は、太宰治は、文学をかじった者なら、多かれ少なかれ、存在感のある人だったに違いない。
でも、今、現在、しかも彼に興味がない私には、何も特別ではない作家だとしかいえない。
だいたい、この主人公、人間失格だと言いながら、女には、ずいぶんモテてるじゃないか。冗談じゃないよ。それで満足しないで、グズグズ言ってるなんて、ぜいたくだよ。自分の不幸と、モテるのは別のことだ、なんて言わせない。言わせたくない。
喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこ遊び、なんてのも、いかにも、カッコつけた文学青年みたいで、いやらしい。
悲劇名詞(そんな言葉はないが、悲劇を思わせる名詞、ということで主人公が創作したのだ)を「トラ」(悲劇を意味する英語、トラジェディの略)、喜劇名詞を「コメ」(コメディ)と言ったりするのも、ほんとにカッコつけていて、いやらしい。
こんなふうに書いていると、同情を知らない、いかにも冷たい人間みたいに思われるかもしれないが、そんなことはない(と思う)。
この話には同調できないだけのことである。〔2005・11・22(火)〕


タチアナ・ド・ロネ
「サラの鍵」
昨年、大感動した映画「サラの鍵」の原作本。再び、原作でも感動した!
今年に入ってから、読書時間をとらずに過ごしてしまい、やっと1冊目だ。
月に2冊は少なくとも読みたいと考えていたのに、この、ていたらくは!
1942年7月16日、パリとその近郊で13152人のユダヤ人が一斉に検挙され、屋内競技場に押し込められた。そのなかには、子どもが4115人も含まれていたという。
6日間も競技場に留め置かれた末、ほぼ全員がアウシュビッツに送られた。生還できたものは約400人…。
しかも、この検挙は、ナチス・ドイツの意向をくんだ、フランス警察の手で行なわれたのだ。
途中までは、サラとジュリアの話が、並行して交互に書かれている。
(これは、映画でも、同じように踏襲されていた。)
サラの話を読んでいると、泣けてきて、しょうがない。電車の中で読んでいて泣いてるんだから、周りの人は「なんだ、なんだ?」と思ったかな?
ストーリーは映画で知っていたから驚く部分はないが、映画よりも詳しく描かれるところは、やっぱり、ある。
子どもを産むことを決めるジュリアの思いについては、原作のほうが、より納得できるのではないかと感じた。
夫の一族が「真実」に直面して、それぞれがどう反応したかも、原作には書いてある。
また、ジュリアの娘・ゾーイの存在感は、原作のほうが大きい。
この本は、本棚にずっと置いておきたいくらい、素晴らしいなあ。(…いつもは、置いとかないのか?)〔2012・4・23(月)〕


立花珠樹
「若尾文子 “宿命の女”なればこそ」

「若尾文子映画祭 青春」の会場である角川シネマ新宿で購入。書店に並ぶ前に入手したのかもしれない。映画祭での若尾さんのトークショーの司会者が本書の著者。映画祭でどの映画を観るか決めるのに、この本を読んで参考にしようとも思い、実際、参考にしている。インタビュー形式だから読みやすいし、フィルモグラフィーもついている。〔2015・7・12(日)〕


ダン・シモンズ
「夜の子供たち」
チャウシェスク政権崩壊直後のポーランドを舞台に、ドラキュラの一族を継承する運命の赤ちゃんを救おうとする女医さんと神父。
以前、ダン・シモンズの小説で面白いのがあったので、他の作品を読んでみたのだが、いまひとつでした。
文庫で上・下巻だから、長く感じた。〔2001・11・20(火)〕


チャールズ・ウェッブ
「『卒業』Part2」

あの2人はその後どうなっているのかという興味があったが、お話として、おもしろくはなかった。あれから11年後。子どもたちを学校ではなく家で教えているエレインとベンジャミン。そこへミセス・ロビンソンもかかわってきて…。〔2015・9・17(木)〕


ディーン・クーンツ
「真夜中への鍵」
クーンツは以前から何冊か読んできている。面白くて、「正義、いい人間が勝つ」展開が多い(いままで読んだのは、すべてそうだった)のもあって好きな作家だ。
図書館で、たまにはクーンツを読もうかと思って、そのなかで日本を舞台にしたものがあったので、興味をもって借りてきた。
私の感覚では、クーンツは、スティーヴン・キングと似たような位置にいる気がする。といいながら、キングはそれほど読んでいないのだが。サスペンスとホラー、スーパーナチュラル風味も時々?
探偵のアレックスは、休暇で日本の京都に来た。彼はナイトクラブで歌うジョアンナを見て驚く。
十数年前、アレックスは行方不明になった上院議員の娘を探していたが、ついに発見できなかった。その娘に、ジョアンナは、そっくりだったのだ。
一方のジョアンナは、毎夜いまわしい悪夢に襲われて苦しんでいた。彼女の過去に何があったのか…。
1979年に、リー・ニコルズのペンネームで書いたものを、クーンツは自分で書き直している。
終盤がクーンツにしては、いまひとつ普通な盛り上がり方かなと思ったが、若い頃の作品と考えれば、じゅうぶん楽しめた。
二条城や、鮨(すし)や、歌舞伎や、東京の日劇ミュージックホールや、いろんな日本文化が出てくるので、クーンツは日本に来たことがあるのかと思ったら、後書きに、行ったことはなくて、すべて調べて書いた、とあった。
それでも、だいたい好意的に書いてくれているので、文句はありません!〔2009・8・18(火)〕

「デモン・シード [完全版]」
むかーし、映画でも見たことがある「デモン・シード」。
映画は、1977年に、ジュリー・クリスティさんの主演で作られた。
ロバート・ヴォーンがコンピューターの声をやっていた。
今回、完全版の形になった原作を読んでみたが、映画の細かいところは覚えていないので、違いはわからない…。
コンピューターが女性に惚れて(?)、彼女との間に子どもをつくろうとするという…。
コンピューターの語りによって、物語が進んでいく。
便利になるのはいいけど、制御できないような脅威をつくるのは考えものですね。
以下、内容紹介を引用。
『スーザン。彼女こそわたしの希望、わが運命の女性……「恋」という感情に覚醒した人工知能プロテウスは、コンピュータを通してひとりの女性を監禁し、愛を求めた。そしてさらには、彼女とのあいだに新たな生命の創造を……! クーンツが愛着深い出世作を四半世紀ぶりに全面改稿した、傑作ホラーSFの完全版!』〔2014・5・19(月)〕


デニス・ルヘイン
「ミスティック・リバー」
読んでみて、映画はかなり原作に忠実だったと思う。
ただ、どうしても小説のほうが心理描写が詳しく説明できるので、映画では伝わってこない、人物の心情がはっきりと分かる。
ラスト近くの、ジミーとデイヴが対峙するクライマックスは、デイヴの気持ちが、はっきりと書かれている。これは、映画で表現しきるのは難しい。心の中を映像にはっきりと出すのは難しいから。実際、映画で観たときは、デイヴの心の中が、どうだったのか、いまひとつ曖昧だった。もしかして、自分の気持ちが混乱して訳がわからなくなっているのかとも取れたのだ。
それが小説では、はっきりしている。
小説のこの場面は、デイヴの心情が胸に迫ってきて、緊迫感満点だ。
最後の場面も、映画と微妙に違う。セレステが、はっきりと犯罪を告発している。ショーンの立場もはっきりしている。
映画では、どのようにも取れる感じに、ぼかしてあった印象なのだが。だから私が映画で受けた印象は、原作の話の流れと違っている。
ただ、うがった見方をすれば、小説でこのように締めくくったとしても、その後に、また現実がどう変わってくるかは分からないかもしれない。
読んでいて、いちばん違った印象を受けたのは、デイヴの心の闇の描写。彼が事件を起こした時の、彼の心の動きは、映画では推定しにくいのではないだろうか。これは大きなポイントで、映画で受けていたデイヴの印象が、少々違うものになる可能性が大だ。
また、映画ではローレンス・フィッシュバーンは同僚だと思ったのだが、小説では部長刑事で、ショーンよりは上の階級だ。
映画では、3人が落書きしているときに怪しい男が現れたが、小説では、それは喧嘩をしているときだった。
それに、ショーンと妻の関係が映画よりは詳しかった。ショーンの両親も登場していたし。(映画には出てこない。)
3人の子ども時代の描写も、小説のほうが詳しい。
映画は短くまとめないといけないから、原作をどう削るかが、いちばんの仕事なのだということが、よく分かる。
映画を観たあとに読んだので、ストーリーは分かっているわけで、インパクトは少なかった。が、やはり、映画よりは深い。〔2004・1・3(火)〕

「シャッター・アイランド」
1954年のある日、連邦保安官テディ・ダニエルズは、相棒のチャック・オールを伴って、ボストン沖にあるシャッター島にいた。 島には、精神を病んだ犯罪者の病院がある。女性の囚人が逃げ出し行方不明になり、彼らが捜査のために派遣されたのだ。
だがテディには個人的に、より大切な、ある別の目的があった…。
私立探偵パトリック&アンジーのシリーズ(「ゴーン・ベイビー・ゴーン」は、その一編からの映画化)や、「ミスティック・リバー」などのデニス・ルヘインによるミステリー。
島にやってきた男が、行方不明者を探すうちに、異様な雰囲気のなかで危機に陥るのは、映画「ウィッカーマン」に似ていると思ったが、それは、この単行本の最後に載っていた解説でも指摘されていた。ルヘイン自身も強く影響を受けたと言っているようだ。(ただし、その映画は、リメイクではなく1973年のオリジナル版。)
精神病的な妄想のような描写が時々出てきて、いったい何だろうとも思うが、読み終わってから考えると、すべてに納得がいく。
この単行本の最後の章は、なんと袋とじになっていて、いかにも「謎解き!」お遊び感あり。(図書館で借りたから、最初から切ってあったけど。)
当時の精神病治療の恐ろしさとともに、人間の深い心の闇がパワフルに描かれるのは、さすが、ルヘインらしい重さがあって、読み応えがある。
この本では、ウォルフガング・ペーターゼン監督で映画化される予定、と書かれているが、監督はマーティン・スコセッシに変更され、主演はレオナルド・ディカプリオ。共演には、マーク・ラファロ、ベン・キングズレー、ミシェル・ウィリアムズ、エミリー・モーティマー、マックス・フォン・シドー、ジャッキー・アール・ヘイリー、パトリシア・クラークソンなど。
私は短い予告編をすでに観たが、レオが部屋の様子を見て、ここから逃げ出せるはずがないと、恐れおののく場面だった。
でも、公開は来年2月とか? ずいぶん先だ。〔2009・9・6(日)〕

「スコッチに涙を託して」
今年最初の読書は、アンジーとパトリックの探偵コンビ。
デニス・レヘインが創造した「探偵パトリック&アンジー」。
映画「ゴーン・ベイビー・ゴーン」で私は初めて知った。
この映画が、いい感じだったので、いつか原作も読んでみようと思っていた。
本書がシリーズ第1弾。
ふたりはアメリカ・ボストンに探偵事務所を持つ。
上院議員からの依頼は、書類を盗んで逃げた掃除婦を探してほしい、というもの。
単なる人探しですむかと思いきや、この事件が発端となり、やがて街はギャングの争いに。ふたりの命も危険にさらされる。
これがデビュー作品のようで、はじめは、時々どことなく素人っぽい書き方を感じたのだが、だんだんとハードボイルドな世界に入り込んで読んでいた。
そう、これは、かなり、ハードボイルド。
パトリックは、幼い頃に父親に暴力を受けていた。
アンジーは現在、夫に暴力を受けている。
そんな背景は、映画「ゴーン・ベイビー・ゴーン」を見た限りでは分からなかったことで、このあたりがレヘインらしい人物造形なのかなと思えた。デビュー作には作家の特徴が出るもの、とも言われるし。
これなら、続きも読んでいいかな、と考えている。〔2011・1・7(金)〕


テレビライフ編集室(編)
「日本科学技術大学教授 上田次郎の どんと来い、超常現象」
図書館で見かけて、つい、つい、借りてしまった…。
ご存じない方のために書いておくと、上田次郎とは、テレビドラマ「トリック」の主演キャラクター。阿部寛が演じている。この本、ドラマで上田教授と山田奈緒子(仲間由紀恵)のコンビが解決(?)した事件のことを、上田教授が執筆するという形。
まるで上田教授が、すべての事件を解決したかのように書いているところがミソ。というか、そういうプライドの高いホラ吹き&強がりキャラなんだけど。
他に、上田教授が語る(眉唾ものの)華麗なる生い立ちの話もある。
読んでいて、ああ、こういう事件があったっけ、と思い出すけど、よほどドラマのファンでなければ、読んでよかったなー、とはならないはず。
文字は、めちゃめちゃ大きくて、キャラクターに似て暑苦しいとも言える。(笑)
ささっと読める、ひまつぶし本。
この本では役立たずとコキ下ろされている、山田奈緒子のほうでも本を出していて、「超天才マジシャン・山田奈緒子の全部まるっとお見通しだ! 」というのだが、こっちは逆に、山田が事件を解決して、上田は役に立っていなかった、という内容なのだろうか。そうなんだろうなあ。〔2005・12・20(火)〕


典厩五郎
「マリリン・モンロー計画(プロジェクト)」
マリリン来日の裏に隠された重大な秘密とは…?
1954年の来日、在韓兵士慰問から着想を得たフィクション。
ちょうど「ディマジオとモンロー」で、マリリンの来日・訪韓について詳しい内容を読んでいたので、今度は「その裏にあった、もうひとつの物語」のような気分にもなって興味深かった。
以下、「BOOK」データベースより、あらすじを抜粋、手直し。
作家・早崎雅彦は、ある事件の真相を追い、九州・博多で隠遁生活を送る日系米国人デビッド坂田を訪ねた。
坂田は当時、米大使館員として、婦警だった早崎の亡母・絵馬亜沙子とともに、新婚旅行で来日したマリリン・モンローの世話係を務めていた。
坂田の話は衝撃だった。マリリン来日に前後して国内で起こった怪事件には、いくつかの国の思惑が絡み合い、マリリンの訪日自体に驚愕の陰謀が隠されていたという…。
身辺警護の名目でマリリンとともに過ごすことになった亜沙子は、スターらしからぬ、マリリンの優しさ、心配りなどに感じ入ってしまう。
彼女が恋人に語るセリフは、マリリンにセクシーイメージしか持たない世間にモヤモヤした気分を抱いているマリリン・ファンにとっては、うれしいものだ。たとえば…
マスコミこぞってマリリンを水爆にたとえるものだから、このところ怒り心頭だったの。
マリリンほどスクリーンの印象とかけ離れた女優さんて、たぶんいないと思うわ。
見た目だけのことじゃないの。性格美人というか、人柄がすばらしいの、マリリンて。あれほど気持ちのやさしい人はいまどき見たことがないくらいよ。ほとんど驚異といってもいいわ。
マリリンはだれにでもわけへだてなくやさしいのよ。
そう、スクリーン上の女優は、「演じている」んです。
しかし、水爆なみの威力の女優って。「水爆」が当時の流行りっぽい表現だったんでしょうか。
メガトン級、なんていう言い方もありますね。
それにしても、ああ、マリリンの身辺警護につきたかった! (いや、あんた警官じゃないでしょ、しかも当時生まれてないしっ!)〔2014・4・26(土)〕


ドストエフスキー
「カラマーゾフの兄弟」
産経新聞の記事を引用させていただくと、この作品は、「物欲の強い父と、性格や生い立ちが異なる3人の息子、そしてもう1人の私生児が繰り広げる愛憎劇。父が他殺体で発見され、兄に嫌疑がかけられ裁判となる。人間の悪魔性、神性をえぐり出す長大な思想小説で、フョードル・ドストエフスキー(1821〜1881)の最高傑作といわれる。」とある。
読書感想は、今年に入ってからの分は、ずっと書いていなかったが、決して読んでいなかったわけではない。
映画やらなんやらを書くので手一杯だったのと、この「カラマーゾフの兄弟」をどう書けばいいかと(多少)考えていたからだ。
読み終わったのは、とっくの昔、1月2日である。
もう中身を忘れた、なんてことはないが、多少薄れた印象をたどって、内容について一生懸命書くのは、やめておく。ちょっと面倒だしね。
後で(3か月後くらいに)、ちょっと何か書きたいな、とは思うが。
去年、文庫になって、読みやすいと評判になり、ずいぶん売れたらしい。
私はドストエフスキーについては、ずいぶん以前に「罪と罰」を読んだことがあるが、ほとんど覚えていない。きっと文章は難しかったんだろうな…。
「カラマーゾフの兄弟」を読んだ、いちばんの動機は、マリリン・モンローさんが、グルーシェンカを演じたい、と言ったから。
私が読んだ文庫では、表記は「グルーシェニカ」としてあるのだが、彼女が、どんな女性なのか知りたかった、という理由が大きい。
そんな動機であっても、読むきっかけになれば素晴らしいではないか。(自画自賛)
読んでいて面白かった。どんどん読めた。
いつか再読したら、また違うものが見えてくるかもしれない。〔2008・1・2(水)〕


トルーマン・カポーティ
「ティファニーで朝食を」

ホリー・ゴライトリーの「ホリー」は、どうやら「ホリデー」であり、本名は、ルラメー・バーンズ。
出てくる日本人の名前は、I・Y・ユニオシ。ミドルネームまであるのが笑える。
ホリーの描写は、『いかにも上品に細かった』『健康な雰囲気』『口は大きく、鼻は上を向いていた』。カポーティはホリーをマリリンに演じてほしかったとも言われるが、細さの点ではオードリー・へプバーンのほうが合っている。
語り手が彼女に出会ったとき、彼女はあと2か月で19歳。
ギターをつまびくときは『しゃがれた、割れがちな声』。これも、オードリーが歌った「ムーン・リバー」は、まさにそんな感じだった。
ティファニーに関してのホリーのセリフは、『いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの』『(ティファニーに行くと)とたんに気分がすっとしちゃうんだ。その店内の静けさと、つんとすましたところがいいのよ。そこではそんなにひどいことは起こるまいってわかるの』
訳は村上春樹による。〔2016・3・31(木)〕


ドロシイ・セイヤーズ
「箱の中の書類」

おもしろくなかったー。事件が起きるまでが長くて退屈したし。〔2017・7・19(水)〕