どうしてこんなに恋愛は難しいんだろう。
晴れてカップルになっても、浮気、嫉妬、猜疑心、打算、妥協、さまざまな感情に揺れ動く。
本作のテーマは冒頭のナタリー・ポートマンのセリフ
“Hello,stranger”(「ハロー、ストレンジャー」=こんにちは、見知らぬ人)
に尽きるのではないか。人間関係は、見知らぬ他人、心のうちを知ることのできない他人との出会い。
「クローサー」は、4人の男女による、そんな恋愛模様のケーススタディ、つまり事例研究(?)みたいな映画。
私はナタリー・ポートマンが好きでこの映画を観たようなものだが、ひいき目ではなく、彼女の存在が効いている。ポイントである。
キャストに彼女が必要だったわけが納得できる。成熟した女と少女の中間にいる小悪魔的な奔放な存在。「大人」なジュリア・ロバーツとは好対照で、絶対にナタリーのほうが魅力的で得な役だ。
男2人はどうでもいいのだが、ついでに言えば、へんなところで繊細っぽいジュード・ロウ&どこかケモノっぽいクライブ・オーウェンも役柄に合っている。
この4人が、くっついたり離れたりするわけで、すべて、この4人だけで物語は進行する。
演技者4人のシンプルな舞台劇にもできそうだ。と思ったら、原作はすでに舞台でヒットしたものなのだそうだ。
4人の会話だけで話を展開するスマートさ。
場面が変わったときに、どのくらいの時間が経過しているのかも、会話によって観客に知らせるという知的な構成だ。
洒落たセリフも、ちりばめられている。
監督のマイク・ニコルズは、1967年に作った名作「卒業」でも映像表現の斬新さは際立っていたが、年齢による衰えを知らない新鮮で締まった演出には驚く。
観終わってから、それぞれの生き方を考えてみた。
なんでこんなことするんだろう、あんなふうになってしまうんだろう、と思うが、結局は、そうなっていくことを各自が選択していくのはそれぞれの性格上、避けられないのだろうか。特に男たちが情けないったらない。
そんな中で、ナタリーの役は…それは観てのお楽しみ。
自分の場合は、もっと簡潔にストレートにお互いに「好き」が持続する関係を望みたい。切に。この映画を観て、そう思った。
セックスサイトでチャットをする場面があるのだが、英単語をこういうふうに略して書くのか、と勉強になった。
to を2と書くとか you を U 、for を4、と書くのは、洋楽の曲名で使われたりもするので知っていたが、他にもたくさん、発音上同じ音で、もっと簡単な別の単語に置きかえる、というパターン(?)などがあった。
長い単語を 「’」記号を使って省略するのも見かけた。
長い英単語を書くのがめんどくさいし、キーボードを打つのにスピードアップにもなり、しかもチャットが、くだけた雰囲気になるんだろうね。
それにしても、私の彼女ナタリーの、カットされたというストリップシーン(ストリッパーという役柄ゆえ)は観てみたかった。DVD特典に加えてほしい。無理っぽいけど。
その場面、ナタリー自身の希望でカットしたという話もあるが…。月間誌 TV Taro でのインタビュー記事によれば、「あまりに美しすぎて観客の注意を物語から逸らしてしまうから(笑)」。はい、私についていえば、当然その通りです。ナイスな返答だよ、ナタリー!
その画像がネットに登場したら?の質問には、「ヌード・セレブ・ドットコム? 全然、平気よ!」。おー、いいじゃない! でも、観てみたら、案外たいしたことないのかもしれない。
さて、カットの理由の真実は、いかに?
ハーバード大学を卒業し、いまはヘブライ大学大学院で中東問題を研究中という彼女。頭脳もセレブである。でも、そんなに出し惜しみしなくてもいいのになー。
ちなみに、その TV Taro に載る、最近のナタリーの写真は、ハッとしてグッとくる(古いね)ほどのインパクトである。
一見、彼女のように見えない写真もあったりして。これは彼女の偽者じゃないのか?と思うほど。でも、そんなわけない。偽者なんかいないって。…「スター・ウォーズ」のアミダラ女王じゃないんだからさ!