京極堂シリーズの原作を読んでいる身としては、映画のキャストが発表されたときには、そりゃ違うでしょー、堤真一が京極堂? 永瀬正敏が関口? 阿部寛が榎木津? 宮迫博之が木場? まるっきりイメージと違って、目の前が、くらくらと、それこそ眩暈坂を歩いてでもいるように、卒倒寸前なのだった。
20ヵ月もの間、子どもを身ごもる女の謎。産院から赤ん坊が次々に消える謎。密室から行方不明になった男の謎。元看護婦の死の謎。憑物筋の家系の謎。こういった謎に、祓い屋でもある古書店主、作家、刑事、探偵などが立ち向かっていく。もっとも、古書店主と作家は、いつも「巻き込まれ型」であるが。
まあ、しかし、原作が強力で人気があればあるほど、それだけ多くの人々のイメージと合わないキャストになってしまうのは仕方がないだろう。
それで、こわごわ観てみたら、思ったほど違和感は、なかった。
いちばん合ってないと思った宮迫くんも、いかつい感じで演じていて無難だった。もうちょっとガタイが、でかければいいんだけどなー。
堤さんは冒頭で、京極堂お得意の長ゼリフを披露。脳に関する「うんちく」です。京極堂が、こういう奴だ、というのが予備知識のない観客にも多少分かって、いい展開じゃないでしょうか。個人的には、堤・京極堂には、もうちょっと鋭さが欲しいけれど、いい線いってるかも。
脚本的には、あの長い話を、うまくまとめていると思う。どうしても原作を割愛して、謎解きの論理的な説明に多くの時間を割かざるをえないのは、2時間の映画では、避けられないこと。
途中で分かりづらいところもあったが、これでも、できるだけ分かるように作っているんだろうなあ、と感じられた。
この話は、関口の恋心が切ないんですよ。
関口自身が、夢かうつつか、というような、ぼうっとした世界の住人だから、この淡い恋も夢うつつの中に包まれているのだ。そのあたり、永瀬くんの頼りなさげな演技は、うまくいっていた感がある。
すごかったのは、いしだあゆみ。予告編でも披露していた、猫ふんじゃったような叫び。あれは、憑物系ゆえのヒステリックさを含んでいたのか。
ある場面で彼女が話しはじめたとき、えっ、これ、声が違うよ、と驚いた。…やはり憑物系ゆえの演技なのか?
だいたい、お顔自体が、メイクなのだろうけど、やつれていて怖いくらいなのだ。出番は少ないが、インパクト賞受賞の怪演!ですね。
紙芝居屋の三谷昇。彼が言うセリフは重要です。聞き逃さないように!
それから! 猫のザクロ。黒白の猫で可愛いぞ。京極堂の家だけじゃなくて、眩暈坂にも登場してくる、出たがり猫です。
原作者の京極氏も映画に、ちゃっかり登場。エンドクレジットでは、たしか「傷痍軍人(水木しげる)」という役になっていた。紙芝居で「墓場の鬼太郎」(「ゲゲゲ」だったかもしれないが覚えてない)がちらっと出てくるのは、お遊びでした。
でも、もうちょっと痩せたほうがいいです、京極さん。
京極堂の家や、久遠寺医院などがリアルなビジュアルで目の前にあるのは、映画ならではの感慨。
エンドクレジットが終わったあとに、堤・京極堂の決めゼリフあり。たいしたことないけど、観たいなら、最後まで座っていましょう。