キンゼイといえば、「キンゼイ・レポート」。
人間の性に関する報告書として、その名前はよく聞く。
でも、その中身やキンゼイ博士自身についてのことは、まるで知らなかった。
その一端を知ることができただけでも、この映画の価値はあるといってもいいかもしれない。興味のある人にとっては。
キンゼイ博士は大学の教授だった。ある種のハチの研究の権威という立場から、人間の性行動の調査へと彼の興味は移る。
映画は、妻クララとの関係、助手たちとの関係、仲を修復できないままの父親との関係などを絡ませながら進む。
キンゼイは、妻との性生活がうまくいかずに医者を訪ねる。そのへんから、性に対する、彼の学者としての興味は大きくなりはじめているわけだろう。
彼が研究していたハチは、一匹として同じ姿のものがなかった。「多様性」である。
キンゼイは、人間の性行動も、それと同じく多様であって、人々の性のあり方を知るには、数多くの例を収集する必要があると知った。
たとえば、自分だけが変な性生活をしているのかと悩む人にとっては、同じことをしている人が大勢いるというデータがあれば、安心できるわけだ。
キンゼイが調査を始めたアメリカの1940年代は、キリスト教右派を中心に、性について閉鎖的、保守的だった。セックスに関することは忌み嫌って、なるべく隠そうとしていたらしい。
(それどころか、この映画の制作中にも、ニーソンなどの関係者には、映画制作を止めるようにという声があったようだ。)
当時は、間違った性知識も蔓延していた。
世間が、まるで腫れ物であるかのように触れようとしない部分を、堂々と刺激しはじめたキンゼイに対して、一部の社会は当然反発し、キンゼイに圧力をかける。
やがて世間の冷たい風にさらされた彼は精神的に参ってしまう。
それを救う、ある出来事があるのだが、その場面は感動的だった。ああいうことが一度でもあると、キンゼイにとっては、これで報われるという思いになるに違いない。
ここは、たぶん多くの観客が、いいシーンだと思うところに間違いない。
まじめに書いてしまったが、映画自体がまじめなのである。まじめで、いい映画。
だが、もうひとつ食い足りない気がする。面白みが足りないのかな。淡々としているのは、それでもいいのだが…。派手さがないのは、こういう話だからしかたないよね。
しっとりとした夫婦愛で心地よくラストを締めているのは、とてもよかった。
考えてみれば、キンゼイの妻クララは、とても進歩的で強い女性。ヤワな女じゃキンゼイの奥さんは、やってられませんね。
でも、演じるのがローラ・リニーだけに、もう少し前面に出てきてほしかった。活躍の場が足りない感じ。ファンだからそう思うだけか?
助手のひとりにピーター・サースガード。同性愛の気があって、キンゼイとも微妙な関係。その色眼鏡で見るせいか、彼の目が、いやにアヤシイのである。
これが演技ならば、なんというか…役者やのう! と言っておこう。
おかげで、クリス・オドネルなんて、ほとんど目に入らなかったよ。
脚本・監督が、「シカゴ」のビル・コンドンというのも注目点だった。
伝記ドラマとしては、よくできたものといえるのだろう。
男女の性器がボカシなしで映る、というので話題にもなったが、たいしたことはない。
大学の教室で、スライドとして見せる、この場面。学術的であって、エロくはない。アップ画面にもならないし。
キンゼイの教授としての純粋さというか愚直さを示したのか、それとも逆に、挑戦的な態度を示したのか、よく分からないが。
これがボカされたら、かえって、いやらしい。映倫も頭よくなってきたね。
ピーター・サースガードが脱いでいるシーンのほうが、よほどエロかったぞ。
他に「ロッキー・ホラー・ショー」(古いか?)のティム・カリー、「エイリアン」(これも昔になっちゃったね)のベロニカ・カートライト、バネッサ・レッドグレーブの妹リン・レッドグレーブなど、脇役にも注目。