荒馬と女

THE MISFITS
監督 ジョン・ヒューストン
出演 マリリン・モンロー  クラーク・ゲイブル  モンゴメリー・クリフト  イーライ・ウォラック  セルマ・リッター
脚本 アーサー・ミラー
撮影 ラッセル・メティ
編集 ジョージ・トマシニ
音楽 アレックス・ノース
マリリンのスタンドイン イブリン・モリアーティ
1961年 アメリカ作品 124分
評価☆☆☆☆☆


透き通った、はかなさ。とでもいうのか。
この映画でのマリリンの印象だ。
黒白映画だから、なおさら彼女の美しさが透き通って見えるのかもしれない。

本作には、人間のさみしさを強く感じてしまう。
マリリンの遺作、そしてクラーク・ゲイブルの遺作、さらにはモンゴメリー・クリフトも飲酒や麻薬のために暗い影を背負っていて、本作の5年後に亡くなっている。
そのような背景を知っているせいで、悲しい印象を強くするのかもしれない。

アレックス・ノースの音楽は切ない。音楽が、映画の雰囲気作りを、強力に助けていた。初めて観たときから、この音楽は忘れられない。

さみしさの雰囲気とともに感じたのは、「散漫」な感じ、だった。
どこか気が抜けているというのか。
今回も、やはりそういう雰囲気は感じた。
撮影当時、マリリンの状態は不安定で、遅刻やすっぽかしが多く、ゲイブルはじめ共演者は、何度も待ちぼうけを食っていたという。
そんな映画製作の悪状況のもとで、もしかしたら映画そのものが集中力を欠いたものになったのかとも考えたことがある。

しかし、この雰囲気が、この映画の正しい形なのかもしれないと、今回は思った。
原題は“The Misfits”。フィットしない、不釣合い、という意味だ。
主要な登場人物の誰もが、何かの心の傷を抱えている。それを抱えながら、他者との関係を探っている。
最後の馬狩りの場面での、男と女の考え方の違いについての説明は明快だが、それとは別に、まず人間としての弱さ、悲しさが映画の芯にある。

散漫に感じるのは、この映画の全編に浮き上がってきている、その人間の弱さ、悲しさのせいかもしれない、と思ったのだ。
だから、これで、いいのではないかと。
もしかしたら、映画製作が遅々として進まなかったがゆえに、一部のスタッフ・キャストに生じた散漫な気持ちが、偶然にも映画のテーマの実現に好影響を与えたのか。
それとも、やはり、すべては演技者の力量、監督の手腕によるものなのか。
私には、その両方があるのではないかと思えてならない。

脚本はアーサー・ミラー。マリリンの当時の夫である。
この脚本には、2人の私生活の反映が濃厚に漂っている。
また、クラーク・ゲイブルは、マリリンが、彼が父親だったらいいのに、と憧れていた男優だった。
マリリンにとっては、他にも、さまざまな葛藤にとらわれた映画でもあったはずで、それが、この映画にそれだけ重いムードを与えてもいるだろう。

だが、マリリンの映画には珍しい、このさみしさ、この重さ、この雰囲気を、これからも、しっかりと受けとめていきたいと思う。

うまく説明できていないけれど、ご容赦のほどを。




〔2005年10月2日(日) 文芸坐〕


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