1970年代後半、アメリカで初のセクハラ訴訟に勝った女性の話。
北部の田舎町(原題は、そんな感じ)の炭坑で働くシングルマザー、ジョージーを、シャーリーズ・セロンが熱演。彼女は、もう押しも押されもしない演技派女優になったね!
同僚のグローリー役のフランシス・マクドーマンド。彼女のどの映画を観ても、役にぴったりしているのには呆れるほど。上手いとしか言いようがない。どういうわけなんだろうねえ!?
セロン嬢の両親の役を演じたリチャード・ジェンキンスとシシー・スペイセク(あの超能力少女を演じた「キャリー」から、はや29年ですよ!)、弁護士のウディ・ハレルソン、グローリーの夫ショーン・ビーン、すべてが、いい存在感で好演している。
今回も内容を知らずに、セロン嬢の映画というだけで観に行ったわけだが、テーマの重さに少なからず驚いた。
炭坑という仕事場所は、確かに「男の職場」という印象がある。その男社会に、女性が進出するのだ。
きっと恵まれた職場が多くはないのであろう北部の寒々しい町で、劇中でも言われているのだが、男たちは自分たちの仕事を女性に取られてしまうのではないかという恐れも抱いている。
こんな炭坑にまで女性が進出してくるなよ、という思いが心の奥にあるに違いない。
ある男たちは、同僚になった女性に対して言葉による暴力や、嫌がらせをし、いじめることで、優位に立とうとする。自分の存在価値を維持しようとする。
彼らにとって、そうした、いわゆるセクハラ行動は、こんなことは、たいしたことはない、かえって、ここで働こうとする女のほうが悪いのだ、としか思えなかっただろう。
ただ面白がって、いじめに参加する男もいたはず。
一部の男たちのそうした行動を、こころよく思っていない者がいたとしても、炭坑という「社会」の仲間はずれになりたくないから、口は出せない。
男というものは、かくのごとく、単細胞で原始的になりがちな生き物だ。
自分たちにとって心地よいコミュニティがあれば、それを保とうとして、異物を攻撃する。排他性が大きい。縄張りを主張する。
女性のほうが、その点では、他を受け入れる包容力があると思う。
それはさておき。
炭坑で働く女たちは、仕事を続け、報酬を得るために、黙って耐えているしかない。
ところが、ここで敢然と立ちあがった女性がいたわけだ。
セクハラ問題だけでなく、同時に、ヒロインの家族関係も上手に見せているところも好感が持てる。
たとえば、母(ジョージー)の過去を知ってショックを受け、飛び出していった息子が戻ってくるところ。この、母と息子の場面は素晴らしい。内容は違うが、同じくセロン嬢の、「モンスター」でのクリスティーナ・リッチとの別れの場面を思い出すような情感が、あふれていた。
テーマがテーマだけに感動を呼びやすいともいえるが、ぜいたくを言えば、もうひとつ何か飛び抜けたインパクトがあればなあ、と感じもした。
後半の話の展開に、それほどの意外感がないのだ。
しかし、実際に、こういう出来事があったのだ、ということを見せてくれる映画としての意義は、とても大きい。
アメリカでは、暴力と言葉によるセクハラと、汚い言葉により、R指定(17歳以下保護者同伴)、日本ではR-15指定(15歳以下お断り)である。