ぼくを葬(おく)る

LE TEMPS QUI RESTE (TIME TO LEAVE)
脚本・監督 フランソワ・オゾン
出演 メルヴィル・プポー  ジャンヌ・モロー  ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ  クリスチャン・センゲワルト  ダニエル・デュヴァル  マリー・リヴィエール  ルイーズ=アン・ヒッポー
撮影 ジャンヌ・ラポワリー
音楽 バランティン・シルベストロフ
編集 モニカ・コールマン
2005年 フランス作品 81分
バリャドリッド国際映画祭…シルバースパイク(銀)賞、主演男優賞
評価☆☆☆★



「死」というものに、真正面から真摯(しんし)に向き合った映画。
31歳の写真家に突然訪れた、がんの宣告。余命は僅か。
彼は自らの死に、どう対するのか。

フランソワ・オゾン監督の「死についての3部作」の第2作。
公式ホームページにあるオゾン監督の言葉を借りれば、第1作の「まぼろし」は、愛する者の死を描いた涙なきメロドラマで、今回は、自分自身の死を取り上げる。(そして第3作は、子どもの死を扱うことになるだろう、ということだ。)
また、男性のメロドラマは珍しいので挑戦してみたこと、女性の目で見てほしいから女性の撮影監督を起用した、ともいう。
たしかに、繊細なカメラ視線が感じられる映画だ。

原題は、この世を去る時、という感じでストレートだが、邦題としては珍しく洒落ていて、いい。「葬る」を「おくる」と読ませるのも、うまい。

映画が始まって早々に、彼は病に倒れる。展開が早いなあ、と思ったが、映画が語りたいのは、死に直面した人間のことなのだから、余計なことは要らないのだろうと考えた。
医師は彼に真実を告げたが、これが日本なら、どうなのだろう
彼がひとりで検査を受けたから、伝えるのも家族にではなく、彼しかいなかったわけだろうか。
それはともかく、助かる可能性は極めて少ないと知った彼は、治療を断る。

そこからは、父母、姉、祖母、恋人と、どう関わっていくかという話が続く。


祖母には、50年以上のキャリアがある名女優ジャンヌ・モローが扮している。
彼女は1928年生まれだから、この映画では77歳くらい。お元気です。
顔のシワが、味のある年輪のごとくになる女優など、それほど、いるものではない。
初めて予告編を観たときから、そこにジャンヌ・モローが存在していたことで映画に重みが加わっていたのが分かった。
オゾン監督の映画は、どの映画でも、彼独自の感覚が強く感じられて、そこが好きで興味があるので、それだけで、観ることは決まっていたようなものだが、なんとジャンヌ・モローが出ているとは!ということで、この映画は楽しみだったのだ。

さて、そのジャンヌの登場場面。決して長くはなかったが、やはり印象は深く残った。
なんと素晴らしい。女優というより、人間の貫禄としてのオーラが出ているよう。
素敵です、この、おばあちゃんは!(タバコは吸ってほしくないけど。)

主人公は同性愛者なのだが、ある女性に見込まれて、頼みごとを持ちかけられる。
この女性を演じるのが、前作「ふたりの5つの分かれ路」に主演していたヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。彼女、監督お気に入りになったのかも。
死にゆく一方で、この世に彼が自分の「生」を、どう残すのか、という問題が語られていく。

静か。全体的に、とても静かな映画
死に直面した、ひとりの人間の残された日々を見つめ続けた、その率直さ。
淡々と演じたメルヴィル・プポーは好演。

残された生の時間を、どう過ごすか。それを描く、いろいろな映画があって、いろいろな過ごし方がある。
たとえば、「死ぬまでにしたい10のこと」では、死ぬ前にやりたいことのリストを作って、前向きに生きていこうとする。「みなさん、さようなら」では、寂しくないようにと病床に友人や家族が集まってくる。
死の迎え方は、さまざまだ。
本作はオゾン監督流の、ひとつの解釈であり、ひとつの回答であるだろう。

ラストシーンは、「ふたりの5つの分かれ路」を少し思わせるが、もっと、すごい。
映画ならではの表現で、荘厳でもある。

「死」は「生」の完成形なのだろうか。




〔2006年4月29日(土) シャンテ シネ1〕


映画感想/書くのは私だ へ        トップページへ