あんまり面白くなかった。
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1981年)のジェシカ・ラングのように、テーブルの上でジョシュ・ハートネットとエッチをするスカーレット・ヨハンソン。
このシーン、食事が並んでいるテーブルから食べ物を払い落とす。もったいないし、床は汚れるだろうし、皿は割れるかもしれないし。マジでそんなことするかね、と思うよ。あまりに現実離れした性欲アニマル!(苦笑)
考えてみると、ジョン・ヒューストン監督の「マルタの鷹」(1941年)、ロマン・ポランスキー監督の「チャイナタウン」(1974年)などの
探偵ものの名作といわれる映画は、私は面白く観ることがなかったんだよねえ。
あっちは探偵、こっちは警察という違いはあるが、雰囲気的には似ているような。定義的に合っているのか知らないが、ハードボイルドというのか。
そういう映画とは合わないのだろうか。
ブライアン・デ・パルマ監督だから、という理由だけで観た。
「ミッション・トゥ・マーズ」(2000年)を観たときには、トンデモ映画を作る監督になっちゃったか、とも思った人。
「キャリー」(1976年)、「愛のメモリー」(1976年)、「フューリー」(1978年)、「殺しのドレス」(1980年)あたりの、独自の面白さをもった作品群は忘れられない。ヒッチコックの再来なんて言われていたこともある。(ヒッチコックとは違うと思うけど。)
「ファム・ファタール」(2002年)は、主演のレベッカ・ローミン=ステイモスが素敵だったからいいのだが、この「ブラック・ダリア」は、それほどの魅力を発揮した女優もいなかったねえ。
ジョシュ・ハートネットの相棒アーロン・エッカートが熱くなってる理由もよく分からなかったし(あとで思い出したが、クスリをやってたみたい)、最後の謎解きで、よく分からん男がいるのも、それこそ謎だった。私が話をよく理解してないというか、
映画を観ていても、理解できにくいんじゃないか?
スカーレット・ヨハンソンの役柄が、どうにも中途半端な気がする。悪女ではない。
結局、2人の男を愛して、その間で揺れ動く女ということなんだろうが、そこにいて、あまり輝いていないように思える。
ヒラリー・スワンクのほうが存在感があった。
ブラック・ダリア役のミア・カーシュナーは、私は初めて見るが、「24 TWENTYFOUR」ではテロリストのマンディを演じているとのこと。
猟奇的未解決事件として有名なブラック・ダリア事件について知ることができたのが収穫か。
最近の映画には珍しくエンドクレジットが短かったのも、映画そのものに、あっけない印象を感じさせてしまった。
映像的に、おおっと思ったのは、遺体発見現場(女性が、わめいている)からカメラが、ぐっと大きく引いていき、近所で主役2人の刑事が張り込みをしている場所まで含めて
俯瞰(高いところから見下ろし眺める)になるところ。
このシーンは見事。撮影監督は、ヴィルモス・ジグモンド(有名です)なんだよね。