トゥモロー・ワールド

CHILDREN OF MEN
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 クライヴ・オーウェン  クレア=ホープ・アシティー  パム・フェリス  ジュリアン・ムーア  マイケル・ケイン  チャーリー・ハナム  ダニー・ヒューストン  ピーター・ミュラン
撮影 エマニュエル・ルベツキ
原作 P・D・ジェイムス
脚本 アルフォンソ・キュアロン  ティモシー・J・セクストン
音楽 ジョン・タヴナー
編集 アルフォンソ・キュアロン  アレックス・ロドリゲス
2006年 イギリス・アメリカ作品 109分
ヴェネチア映画祭…オゼッラ賞(技術貢献)(エマニュエル・ルベツキ)、ラテルナ・マジカ賞(アルフォンソ・キュアロン)
サターン賞…SF映画賞
評価☆☆☆☆


なんといっても衝撃的だったのは、主演のクライヴ・オーウェン、ジュリアン・ムーアたちが襲われる場面。(ネタばれになるので詳しくは書かないが。)
多くの観客の意表を突くであろうストーリー進行で、唖然としてしまった。
これまでに、そういう類の映画がなかったわけではないが、私は夢にも思わなかった…。ありがちな映画ではない、非常にリアルな展開とは言える。

クライヴ・オーウェンとジュリアン・ムーア主演のSFということ以外は何も知らずに観た。
好意的な映画評を目にしたことが、劇場に足を運ばせた理由だ。

原作は、P・D・ジェイムス(フィリス・ドロシー・ジェイムス、女性作家です)の「人類の子供たち」で、映画の原題は、その通り。邦題も、そのままでよかったのに。

時は2027年。すでに18年間も子供が生まれていない世界。女性の不妊の理由は不明。
そして今、世界でいちばん若い子供が殺されたというニュースが流れている。これは、いったい、どんな世界なのかと考える間もなく、いきなり、店が爆発。テロか。
セオドール・ファロン(クライヴ・オーウェン)は、爆発した店のすぐそばにいたが危うく難を逃れる。観客は、すさまじい爆音に驚き、このありさまを目のあたりにして、荒涼たる気分になる。
ここで映画のタイトル、CHILDREN OF MEN が画面に入ってきて、瞬間の沈黙。
巧い。
ここで早くも、これから何を見せてくれるのかと期待が持てた。

ジュリアン(ジュリアン・ムーア)とセオ(セオドールの略称ですね)は、かつては夫婦だった。現在のジュリアンは、反政府組織のリーダー。
セオは彼女から協力を頼まれる。セオの兄のコネを使って、ある人物のための通行証を手に入れてほしい、というのだ。
セオは否応なく、事態に深入りしていく…。

以前のセオは平和活動の闘士だったが、いまでは、その情熱もない。そんな彼が、ジュリアンたちの計画に関わってからの変わりようといったら!
巻きこまれた形とはいえ、いろんな出来事が重なっていき、必死にがんばることになるセオ。直接的には彼女のためであり、最終的にはそのベースには、昔の闘士だった時代の精神があり、それがよみがえったともいえるのだろう。

子供が生まれなくなり、人間の精神は病んでいったのか、世界は崩壊しつつあり、イギリスだけが持ちこたえている状態。海外からの入国者は厳しく制限され、収容所行き、果ては殺される者までいるようだ。人権無視の虐待がある。
この終末的な世界観がリアル。暴動が起きる危険は絶えない。

そんな世界の中で、セオが立ち寄る、心休まる隠れ家の主、ジャスパーを演じるのがマイケル・ケイン。
70年代ファッション的な長髪で、ある時期のジョン・レノンのよう。
私は、彼がセオと別れの挨拶を交わすところまで、マイケル・ケインだとは分からなかった。ううむ、やられた…。
この、まるでヒッピーなジャスパーの登場シーンで、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」が流れるのが嬉しい。キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」もあるというが、私は詳しくなくて、どの曲だったのか特定できない。

戦争のような市街戦からエンディングまでは、息をつくヒマもない。
あとでいろいろレビューを読んでみると、ある場面において、撮影をカットせずに長く撮り続けていく、という長回し撮影だったようで、言われてみれば、そうか、と。(笑)
主人公を、途切れることなくカメラで追い、まるで自分が戦場にいるかのような緊迫感とド迫力。このシーンを観るだけでも、かなりの価値があると思う。

(追記:記事を書いたあと、本作のワンカット長回しはワンカットではない、ということをひたすら映画を観まくる日記アルティメット・エディション様の記事で発見しました! それはそれで、すごい!)

ヴェネチア映画祭で、技術貢献の功績に贈られるオゼッラ賞を、撮影監督のエマニュエル・ルベツキが受賞している。

そして、あのシーンには泣けた。そう、あのシーンですよ。
命の大切さを訴える荘厳な瞬間だった!
だが…分かっていても、人類というものは、争いを止められないのだろうか。そのことも、すぐその後に考えさせられる。

映画は、そこで終わらない。まだ、「とどめ」がある。また泣けた。
誰かのために、自分が信じたことのために、精一杯生きることができる、ということが、いかに幸福なのか。そこに人類の未来があるのかもしれない。




〔2006年12月2日(土) 日劇1〕


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