なんといっても衝撃的だったのは、主演のクライヴ・オーウェン、ジュリアン・ムーアたちが襲われる場面。(ネタばれになるので詳しくは書かないが。)
多くの観客の意表を突くであろうストーリー進行で、唖然としてしまった。
これまでに、そういう類の映画がなかったわけではないが、私は夢にも思わなかった…。ありがちな映画ではない、
非常にリアルな展開とは言える。
クライヴ・オーウェンとジュリアン・ムーア主演のSFということ以外は何も知らずに観た。
好意的な映画評を目にしたことが、劇場に足を運ばせた理由だ。
原作は、P・D・ジェイムス(フィリス・ドロシー・ジェイムス、女性作家です)の
「人類の子供たち」で、映画の原題は、その通り。邦題も、そのままでよかったのに。
時は2027年。すでに18年間も子供が生まれていない世界。女性の不妊の理由は不明。
そして今、世界でいちばん若い子供が殺されたというニュースが流れている。これは、いったい、どんな世界なのかと考える間もなく、いきなり、店が爆発。テロか。
セオドール・ファロン(クライヴ・オーウェン)は、爆発した店のすぐそばにいたが危うく難を逃れる。観客は、すさまじい爆音に驚き、このありさまを目のあたりにして、荒涼たる気分になる。
ここで映画のタイトル、CHILDREN
OF MEN
が画面に入ってきて、瞬間の沈黙。
巧い。ここで早くも、これから何を見せてくれるのかと期待が持てた。
ジュリアン(ジュリアン・ムーア)とセオ(セオドールの略称ですね)は、かつては夫婦だった。現在のジュリアンは、反政府組織のリーダー。
セオは彼女から協力を頼まれる。セオの兄のコネを使って、ある人物のための通行証を手に入れてほしい、というのだ。
セオは否応なく、事態に深入りしていく…。
以前のセオは平和活動の闘士だったが、いまでは、その情熱もない。そんな彼が、ジュリアンたちの計画に関わってからの変わりようといったら!
巻きこまれた形とはいえ、いろんな出来事が重なっていき、必死にがんばることになるセオ。直接的には彼女のためであり、最終的にはそのベースには、昔の闘士だった時代の精神があり、それがよみがえったともいえるのだろう。
子供が生まれなくなり、人間の精神は病んでいったのか、世界は崩壊しつつあり、イギリスだけが持ちこたえている状態。海外からの入国者は厳しく制限され、収容所行き、果ては殺される者までいるようだ。人権無視の虐待がある。
この
終末的な世界観がリアル。暴動が起きる危険は絶えない。
そんな世界の中で、セオが立ち寄る、心休まる隠れ家の主、ジャスパーを演じるのがマイケル・ケイン。
70年代ファッション的な長髪で、ある時期のジョン・レノンのよう。
私は、彼がセオと別れの挨拶を交わすところまで、マイケル・ケインだとは分からなかった。ううむ、やられた…。
この、まるでヒッピーなジャスパーの登場シーンで、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」が流れるのが嬉しい。キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」もあるというが、私は詳しくなくて、どの曲だったのか特定できない。
戦争のような市街戦からエンディングまでは、息をつくヒマもない。
あとでいろいろレビューを読んでみると、ある場面において、撮影をカットせずに長く撮り続けていく、という
長回し撮影だったようで、言われてみれば、そうか、と。(笑)
主人公を、途切れることなくカメラで追い、まるで自分が戦場にいるかのような緊迫感とド迫力。このシーンを観るだけでも、かなりの価値があると思う。
(追記:記事を書いたあと、
本作のワンカット長回しはワンカットではない、ということを
ひたすら映画を観まくる日記アルティメット・エディション様の記事で発見しました! それはそれで、すごい!)
ヴェネチア映画祭で、技術貢献の功績に贈られるオゼッラ賞を、撮影監督のエマニュエル・ルベツキが受賞している。
そして、あのシーンには泣けた。そう、あのシーンですよ。
命の大切さを訴える荘厳な瞬間だった!
だが…分かっていても、人類というものは、争いを止められないのだろうか。そのことも、すぐその後に考えさせられる。
映画は、そこで終わらない。まだ、「とどめ」がある。また泣けた。
誰かのために、自分が信じたことのために、精一杯生きることができる、ということが、いかに幸福なのか。そこに人類の未来があるのかもしれない。