ルナシー

SILENI (LUNACY)
脚本・監督 ヤン・シュワンクマイエル
出演 パヴェル・リシュカ  ヤン・トジースカ  アンナ・ガイスレロヴァ  ヤロスラフ・ドゥシェク  パヴェル・ノーヴィ
撮影 ユライ・ガルヴァーネク
2005年 チェコ作品 123分
評価☆☆


今年の1本目は「ルナシー」。最近は1年の初めに観る映画は、なるべく映画館で、と考えて実行している。
 
「ルナシー」というタイトルを聞いたときに思い出したのが、音楽のほうのグループだったのは言うまでもない。
どうして同じ名前をつけるのだろうかと、いぶかりながらも映画を観て、観たあとも当然のように解決せず、先ほど英和辞典をひいて、やっと分かった。
lunacyは「精神異常、狂気」という意味だった。映画の中では文字通り、精神病院が舞台にもなるし、ヤン・シュワンクマイエル監督の意図にも、ふさわしい単語だろう。
音楽のグループはLUNA SEAで、「月と海」の意味。ただ、インディーズ時代にはLUNACYという名前だったようで、あながち、この映画とも無縁ではなかった。
 
シュワンクマイエル監督の映画は以前テレビで「悦楽共犯者」(1996年)、「ファウスト」(1994年)を観ていて、よく分からんなりに、シュールで面白いイメージの記憶があった。それまで見たことがないスタイル。
それで新作にも期待したのだが…期待したほどには面白くなかった。なぜか睡魔と戦うハメにもなってしまった。
 
あとから思うに、まともにストーリーを作りすぎたのかもしれない。そこからして、唯一無二の地位から、少しく普通に堕してしまったような印象。
 
強迫神経症気味の男が、知り合った侯爵や若い女の奇矯(ききょう)な振る舞いに翻弄される。
マルキ・ド・サドやエドガー・アラン・ポーから着想を得たということで、それらしき展開があり(私には、あ、これは「早すぎた埋葬」だな、くらいしか、はっきりとは分からなかったが)、キリスト批判や、正義の仮面をかぶって行なう精神病患者への残虐行為など、言いたいことは少しは分かる気はする。信じていた女が淫蕩だったりするのを見ても、ここには「不道徳」が満ちている
まともに見える世の中は、実はめちゃくちゃなんだよ、と見てもいいのかもしれない。
それとも、すべては単なる監督の「遊び」の芸術なのかもしれない。
 
画像は、特典の「13の体罰カード」。1つのシートに3枚収まっている。
冒頭で監督は、芸術は死んだ、という。そうではあるまい。「これから見せる映画は(一般的ではないが、)私が見せる芸術」と言っていると同義に思える。監督一流の「お遊び」である。
ただし、見せてくれた芸術が、私にとっては面白くなかったのだ。
もっと、わけが分からなくてもいいから、キレのある印象がほしかった。
 
しつこいくらいに挿入される、肉片(舌?)が這いずり回る映像。何の意味なのか分からない。肉片イコール人間で、ただ這いずり回る人生を送るのが人間なのか。肉片イコール肉欲でもあるのか。(肉片には、そういう生々しさがあるし。)
監督は、観客に、どのように意味を取られても構わないのだろうか。もともと意味はないのか。
肉片が這うのが、ただ面白い、深い意味がある、と見ることができる人はいいが、そうでなければ見ていて何も面白くない。その繰り返しには、うんざりするだけだろう。
 
他にないユニークさを含んだ映画作家であることは認めるが、本作には、いまひとつ乗れなかった。




〔2007年1月7日(日) K's cinema〕


映画感想/書くのは私だ へ        トップページへ