評判のいいミュージカル映画だが、私はそれほど感激もしなかった。
アカデミー賞で助演女優賞をとったジェニファー・ハドソンが歌う場面では、そのあまりのパワフルさに感動して泣けてしまったのは確かだし、エディ・マーフィって歌えるんだ!?と驚きつつ観ていたのも事実だ。
だが、感心したのは、そのくらい。
歌曲として覚えているのは、ひとつもないし、私にとっては、心に染みるストーリーもなかった。
ダイアナ・ロスとシュープリームスをモデルにした話ということだが、音楽に、それほど乗れないのであった。
シュープリームスの“Stop ! In the Name of Love”なんて、けっこう好きなんだけど、この映画の中の曲については、どうもいけない。何回か聴いていれば、変わってくるのかもしれないが。
とくに今回は、普通なら会話すべきところを歌にするのがヘンだ、という、いわゆる「ミュージカルの違和感」を経験してしまった。
本作、歌う場面はステージだけ、という形で進んでいったところが、途中でいきなり、会話の場面に歌が入ってきたのだ。そこで違和感が…。
私の頭の中で、この映画は歌のステージの部分だけがミュージカルなんだな、と決めつけていたのだろう。
なんでミュージカルって、会話が歌になるんだよ?という異論について、なるほどなあ、と感じてしまった。まったくもって遺憾である。
とにかく、ジェニファー・ハドソンの歌のパワーは圧倒的。他の人の1.5倍はありそうな体が、楽器のボディと同じように、その声の深い響きと力を生み出しているのではないかと思えるほど。
体の奥底から絞り出すような感情を込めた歌唱は、ここまでやるか!というほどの、すごさである。
途中から、フロントに立って歌うことになるディーナを演じるビヨンセも決して悪くない。けれどもジェニファーの前では、どうしても、迫力負けしてしまう。力を抜いて控えめともいえる演技は、逆にジェニファーとの対比で、成功しているのではないか。
中盤までは、メインボーカルでもなかったから、ほんとに脇役っぽかった。
映画ではマネージャーが、歌のうまさよりも見かけの美しさを重要視してメインボーカルを交代させ、グループを売り出していこうとしたわけだが、実話のほうは、もっと、どろどろしていたようだ。ジェニファー・ハドソンが演じた役のモデルであるフローレンス・バラードは、シュープリームスを脱退したあと、アルコールに依存し、若くして亡くなったという。
ダイアナ・ロスも、舞台劇になった「ドリームガールズ」を決して見なかった、という話も。
監督は「シカゴ」の脚本を書いたビル・コンドン。最近では「愛についてのキンゼイ・レポート」(2004年)がある。また、「ゴッド・アンド・モンスター」(1998年)は、「フランケンシュタイン」(1931年)を監督したジェームズ・ホエールの晩年を描いた、知る人ぞ知る一作。私はホエール監督の「魔の家」(1932年)を観たことがあるが、面白い云々とは別に、独特のムードのある怪奇映画だった。
…それはさておき、この映画は私にとっては、ジェニファー・ハドソン70%、ビヨンセ・ノウルズ20%、エディ・マーフィ5%、その他5%のミックスでした。
物語は…1962年、アメリカのデトロイト。歌手をめざすエフィ(ジェニファー・ハドソン)、ディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)の3人組は、あるオーディションでカーティス(ジェイミー・フォックス)に認められる。ジミー(エディ・マーフィ)のバックコーラスからスタートした彼女たち。やがてカーティスはメインボーカルをエフィからディーナへと代えて、グループの更なる人気アップを図る…。