まずは、上映時間が長い。157分。観ている途中で「長いなあ」と思ってしまう映画は、たいてい退屈しているわけだから、本作も少なからず退屈を感じたことになる。
それに、映画館で観なくてもよかった、とも思った。アクションの派手さも、特撮のすごさもないから、テレビの画面で見ても一緒だったかも、と考えたのだ。
殺人の場面は怖くて、その冷酷さや痛さに心が凍ってしまうほどで、観るのも嫌なくらい。殺人事件を扱った映画だから、それを描くのは仕方がないのかもしれないし、このくらい大したことはない、という人もいるだろうが、観ていて面白いものでは決してない。
ふと考えたのだが、殺人鬼を取り上げた映画であっても、たまには殺人現場を描かない作り方をしてみることはできないものだろうか。
少しだけ遺体を映してから、場面を変えて、刑事が犯行状況を話して説明している、というような。犯人の残酷さを視覚的に見せるインパクトは減るだろうけれど。
ギレンホールが独自の捜査を始めて、怪しい人物と接触する場面のサスペンスは、映画中で最も盛り上がったシーンだろう。
刑事たちが犯人候補(?)にひとりに話を聞くところもいい。だんだんと、この男が犯人ではないかという情報が見えてくるあたりのスリル。刑事の目の前にいる、その男が犯人だとしたら。ここは面白かった。
長いと感じた一因に、途中から映画の展開が変わることがある。
ジェイク・ギレンホールは新聞社のイラスト(漫画?)係で、最初から事件には興味をもっているが、もちろん担当記者ではない。それが、担当記者や刑事が半ばリタイアするところから、代わって彼が事件を追うことになる。
いわば、映画の第2部に入ったかのようで、えー、まだ、ここから、なんだかんだとあるのかよ、と感じてしまったのだ。
事件を追っていく全体の調子には、メリハリは少ない。
事件そのものを正確に描いたから、映画的な作り物の面白さをプラスすることが困難だった、ということなら、これはこれでもいいのかなという気もするが…。
ゾディアック事件のあらましを知ることができたことは、一応、収穫。
ゾディアック事件からヒントを得た「ダーティハリー」を、新聞社や警察の事件関係者が複雑な気分で映画館で観ているシーンは、おかしかった。これ、ユーモアのつもりなのか、マジに描いたのか、よく分からないぞ。
新聞社の2人(ギレンホールとダウニーJr)、刑事(ラファロとエドワーズ)が事件に、どう関わっていったか、それぞれの生き方は興味深いし、それぞれ好演ではある。
ダウニー・Jrの記者がアルコールにおぼれてしまうのが、なんだか実際の中毒人生にリンクするようで微妙な感想をもった。
地味めで、事件を丹念に追った、長い映画を苦にしないなら、おもしろいと感じる人もいるでしょう。
何にも期待せずに観たわりには、悪くはなかった、というところ。