ボストン郊外の町。3歳の娘を連れて公園に来ているサラ(ケイト・ウィンスレット)だが、そこにいる主婦たちとは、なじめずにいる。
そこへ息子とともに公園にやってきたブラッド(パトリック・ウィルソン)。彼は司法試験にチャレンジ中で、妻キャシー(ジェニファー・コネリー)がドキュメント映像作家として働いている。日中の子守りは、彼の役目なのだ。
主婦たちがブラッドのことを、こそこそと気にしながら口もきかないできていたことを知ったサラ。彼の電話番号を聞きだしたらお金をあげるわよ、と冗談まじりに言われた彼女は、主婦たちを驚かせようと、彼と抱き合い、キスまでしてしまう。
それが2人の関係の始まりだった…。
一方、子どもに対する性犯罪を起こしたロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)が町に戻ってくる。元警官のラリー(ノア・エメリッヒ)は執拗なまでに彼に対して敵意をむき出しにする。ロニーの母メイ(フィリス・サマーヴィル)は、世間の冷たい目から息子を守るが…。
これはもう、ケイト・ウィンスレット嬢が出ているから、ということで観た映画。
彼女は簡単に言えば、浮気妻の役(といってしまうと身もフタもないが)。
子連れで「公園デビュー」しても、他の奥さんたちと一緒になれない。私はあの人たちとは違うんだ、みたいな感じがあって、傍観者的に醒めている。
自分の娘との関係でも、どこか、うまくいかないところがある。
夫がネットのエロティックなサイトにハマっているのを知ってしまってからは、私も好きにするわ、とばかりに、公園で知り合ったブラッドとの仲を深めていく。
お互いに配偶者に、なにがしかの不満をもつ者どうし、接近するのは早い。
ブラッドの美人妻キャシーの姿をこっそり覗き見て、私じゃ勝てないと落ち込んでいたサラが、ブラッドとの会話の中で、「この人の奥さんのことは、そんなに気にすることはないんだ」と分かるときのケイト・ウィンスレットの表情の演技は素晴らしかった。
もうひとつの大きなストーリーは、元犯罪者の話。
その犯罪者ロニーを演じるのが、なんと「がんばれ!ベアーズ」(1976年)でバイクに乗った悪ガキを演じていたジャッキー・アール・ヘイリー。
私は映画を観た後に、それを知ったのだが、「ベアーズ」から約30年、まるっきり「オッサン」だった。
小児性愛犯罪者という役なので、観ているほうも、そういうイメージで観ているわけでもあるのだが、それが、まったく、そういうふうな人にしか見えない、というのは演技が上手いとしか言えない。まさに、怪演である。
子どもたちが遊ぶプールに潜水具を持って登場したり、母親のすすめで女性とデートしても、とんでもない行動に出たり。(これは、けっこうショッキングだ。)
絶対に、彼の性癖は直っていない。
そんななか、ラリーとロニー、ロニーの母親の間で、事件が起きる。
リトル・チルドレンとは、「小さな子どもたち」という意味だが、大人になりきれない大人たちの話、と、どこかに解説があった。
人間とは、そのまま大人であるのではなく、みな、大人であろうと努力しているのではないだろうか。
大人だから、それらしく行動しなければならない、物分かりよくあらねばならない、と。
そこを、少しく自分の欲望のままに動いているのが、この物語のサラやブラッドたちなのだ。
主な登場人物を丁寧に描写した秀作といえるだろう。
子役たちもいい。
サラとブラッドのたどったエンディング。
ああ、そうなったのか、と感慨深い。
ロニーのほうのエンディングは難しい。
性犯罪者がその性癖を捨てて更生することは可能なのか、という問題があり、映画では、まず無理である、と言っているように思える。
ロニーが母親の深い愛に触れて、今後どうなるのかは、映画の範疇(はんちゅう)外に預けられた、といっていい。結論は出ていない。
それにしても、ロニーの母の手紙の一文は、心に染みた。
これこそ、親が子に願う思いのすべて、なのではないだろうか。