これから観ようと思っている方へ忠告。
少女が主役の可愛いファンタジーと思ってはいけません。圧倒的に残酷な戦争の現実を直視した、重い作品。
今年のアカデミー賞で、撮影・美術・メイクアップの各賞を受賞したことで、私はこの映画の存在を知った。
少女が迷宮へ行くファンタジー? 内容は分からないまま、今年いちばんといっていいほど、日本公開を楽しみにしていた。
初日初回、恵比寿ガーデンシネマは込むだろうからと、ワーナー・マイカル・シネマズ板橋に行った。空いていた。正解。
ストーリーの初めは…。
1944年当時のスペインは、自由や民主主義を許さない暴力的なファシズムで独裁政権を敷いたフランコが支配し、それに抵抗するゲリラ勢力との内戦が絶えなかった。
映画の舞台は、ゲリラが隠れ住む山中。ビダル大尉(セルジ・ロペス)率いる一隊が、彼らを掃討するために山地に駐屯している。
そこへ臨月のカルメン(アリアドナ・ヒル)と娘のオフェリア(イバナ・バケロ)がやってくる。カルメンのお腹の子はビダル大尉の子ども。再婚相手のビダルが、子どもを自分のそばで産ませるために母娘を呼び寄せたのだ…。
数冊の本を大事に抱えているオフェリア。父が戦争で死に、孤独な少女の心の支えは、本の中の世界だけだったのか。
新しく父となるビダルの、彼女に対する出迎えは、高圧的なものだった。
ビダルのあらゆる態度から、彼女は感じていただろう、この義父は私を愛していないと。
戦争に人生を翻弄される彼女は、悲惨な周囲の状況から目をそむけ、パン神の導く迷宮(パンズ・ラビリンス)のような世界に遊ぶ。もちろん、迷宮イコール安全な母親の胎内、への無意識な回帰願望と、とらえてもいい。
パン神がまた、独特の造形。善にも悪にも見えるところが、とてもいい。
オフェリアの最初の道案内を果たす昆虫(妖精?)にしても、可愛らしいとはいえない。
マンドラゴラの根は奇怪な赤ん坊のようだし、巨大なカエルも不気味。
極め付けは、のっぺらぼうのような男(ペイルマン)。動き出したかと思ったら、なんと目が…。これに追いかけられたら、気絶しそうなくらい恐ろしいかも。
まるで甘ったるいメルヘン(おとぎ話)になっていないのには、私は強烈に惹かれる。
(少女の)イマジネーションの素晴らしさ。
ファンタジー以上に、ホラー風味も存分にあるところが、いい。
一方のビダル大尉に象徴されるのは、残虐な現実世界だ。
やはり軍人だった父の遺した時計を大切にしていて、その父親のように立派な軍人として生きたいと望んでいる。
容赦なく人を殺し、拷問もする。ファシストそのものの存在であり、見る人から見れば、この世の悪魔でもある。
切られた口を自分で縫うのを、正面から撮っている場面がある。
口が裂けている映像もすごいが、痛さを堪えて縫うところを見せるとは、これまた、すごい。
この男の、底知れない怖さを表した。
ビダル大尉を演じるのは、セルジ・ロペス。私は彼の出演作では「ポルノグラフィックな関係」(1999年)を観ているが、今回の役柄とは似ても似つかない。
メイド頭(?)のメルセデスには、マリベル・ベルドゥ。「天国の口、終りの楽園。」(2001年)で、2人の青年と旅する女性を演じた人だ。
パン神とペイルマンは、ダグ・ジョーンズが演じた。彼はモンスターなどのクリーチャーに扮することが多く、最近では「ファンタスティック・フォー:銀河の危機」でシルバーサーファーになっていた。
メルセデスや医師など、信じることのために戦い壮烈に生きるゲリラ側の人間たちの描写も的確で、結果的に反戦映画にもなっているが、独特のダーク・ファンタジーの世界は、とても魅惑的。
きっと、これはギレルモ・デル・トロ監督でしか、なしえない映画の味わいなのだろう。
私は、この監督の作品は他に「ミミック」(1997年)しか観ていないが…そういえば、あれも新種の昆虫の話で、独特な風味があった。
ファシズムがはびこる社会では、無垢で自由な精神は弾圧される。
オフェリアにとっての生きる場所は、どこにあったのか。
ラストは深い余韻を残す。あまりにリアル。
実際にも戦争中には、似たようなことは多かったに違いない。
…しかし、少なくとも少女の夢の世界は、苛酷な現実の前でも、決して失われることはなかった。戦争のファシズムには負けなかったのだと思いたい。