映画は「裏マリリン・モンロー」といわれた伝説のモデル、ベティ・ペイジを、彼女のモデル時代を中心にして描く。
「裏マリリン・モンロー」とは、私は初めて聞いた言葉だ。不勉強なのかもしれないが、もしかして、この映画のために、ほんの一部でいわれていたのかもしれないフレーズを大きく取り上げたのか、などとも考えた。(違っていたら失礼。)
「裏マリリン」という言葉について考えると、ベティがモデルとして活躍したのは1951年頃から1957年まで。時期的にマリリンと重なっている。
ベティがボンデージ(拘束に代表されるSM風なファッション)写真や短編映画による人気も得たために、アンダーグラウンドな雰囲気を帯びた点は「裏」といえるし、マリリンが西海岸のハリウッドで名をあげたのに比べてベティは東海岸のニューヨークで活動していたのも「裏」といえるかもしれない。
雑誌「PLAYBOY」1月号(集英社)に載ったベティのインタビューによれば、彼女は孤児院に入ったこともあるという。それはマリリンとの共通点になる。
映画の中では1シーンだけ、マリリンと関係するセリフがある。
モデルになった後のベティに対して家族が、マリリンと会ったことある?と聞くが、ベティは、彼女はハリウッドにいるわ、と答える。
また、ベティがスタニスラフスキー理論を教える演技学校に行っていたのを映画で知って驚いた。
マリリンが通ったリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオも、スタニスラフスキー理論を実践する学校なのだ。
前述した「PLAYBOY」1月号の、2006年に行なわれたベティのインタビューで、彼女はマリリンがらみの話として、演劇学校の件も語っているので、紹介してみる。
(マリリンと会ったことはないか?という問いに答えて)
「いいえ。彼女がニューヨークで通っていたアクターズ・スタジオは、私の演劇学校のすぐそばにあったのにね。マリリンの映画は好きだった。彼女は自殺なんかしていない。ケネディ家の手下に殺されたと思う」(小林千枝子・訳、以下同)
なぜマリリンの死因についてまで話が広がったのかは分からないが…。
このインタビューで、マリリンに関する話は他に、もうひとつ。
映画に出るためにマリリンは映画会社の重役と寝たというけど、もし私が彼らと寝ていたら、私は1940年代のスターになっていたはず、ともベティは言っている。
ついでにいえば、このインタビューでベティは、映画について、かなり文句を言っている。
主演のグレッチェン・モルについて、「私はあんなふうに目をしかめたりしなかった。体つきもいいとは思わない。背が高すぎるし。顔はきれいだけど」。
映画はウソだらけで、大まかには合っているが細かい部分は、でたらめ、という。
確かに、伝記映画などというものは、本人に詳しく聞かない限り、かなりの差異が出るのだろう。
映画に戻って…ベティは大学進学に失敗、結婚生活も短期間に終わったあと、悪い男たちの罠にはまって性的な屈辱を受けるのだが、そのことが彼女に及ぼした影響が、その後の映画の展開で出てこないのは不満。
彼女が信じやすく、気のいい女だということをいいたいだけとは思えないのだが…。
ただし、このことについても、ベティはインタビューで「レイプされかかったけれど(されてない)」と言っている。
コニー・アイランドで彼女は偶然、カメラマンに声をかけられて、モデルとしてのキャリアをスタートさせる。
おでこが広くて、写真を撮ると光るから、前髪を下ろしたらいい、とカメラマンに言われて、彼女の特徴のある前髪になったというエピソードは、おもしろい。
映画は、ほとんど白黒の画面で、ときどきカラーになるのだが、いちばん初めにカラーになった場面が素晴らしい。
具体的には言わないが、ベティがモデルとして生き生きと華やかに活躍する状況が的確に表現された、とてもおもしろい工夫のあるシーンだ。
彼女が参加したボンデージ風撮影は、陰湿ではなく、笑いの起きるような楽しい雰囲気だったという。
だが、時代は1950年代。当時のアメリカの性表現の規制は甘くなかった。
ベティ自身は、自分の仕事が悪いものとは思っていなかったらしい。その点では、彼女は世間の動きに敏感ではなかったともいえる。
上院議員が公聴会を開き、ポルノの害毒を声高に主張しはじめる。
少年がSM的な衣装のまま死に、彼がベティの写真を持っていたこともあり、ベティは公聴会に呼ばれる。
映画では彼女が、自分が話を聞かれる番を座って待つ場面がある。
しかし、長い間待たされたあげく、彼女は帰っていいといわれてしまう。
ここで、彼女が、いかに社会的に軽く見られているかが分かる。悲しいことだ。
前にも書いたが、この映画、ベティを演じるグレッチェン・モルに尽きる。
じつに魅惑的なモデルになりきっている。(ヘアヌードも辞さず!)
実際のベティ・ペイジの写真をネットで検索して見るなどしてから、映画を観ると、その再現ぶりが分かって、興味深いはず。
私にとっては、ベティ・ペイジという人のことを、かなり知ることができたことは収穫。なんたって、マリリンに多少は関係する人だし。
彼女がモデルとして関わった部分の風俗など、その当時の世相を見ることができるのも、おもしろい。
ただし、感情面の深みについては、いまひとつかなとも思う。
エンドロールの音楽は、ジュリー・ロンドンの歌。他にも、懐かしい感じの1950年代の女性ボーカルが聴ける。
原題は、「悪名高きベティ・ペイジ」。
notorius(悪名の高い)
という単語は、アルフレッド・ヒッチコック監督作品「汚名」(ケーリー・グラント、イングリッド・バーグマン主演、1946年)の原題としても有名。