クローバーフィールド/HAKAISHA

CLOVERFIELD
監督 マット・リーヴス
出演 ジェシカ・ルーカス  マイケル・スタール=デヴィッド  T・J・ミラー  リジー・キャプラン  オデット・ユーストマン  マイク・ヴォーゲル
脚本 ドリュー・ゴダード
撮影 マイケル・ボンヴィレイン
編集 ケヴィン・スティット
音楽 マイケル・ジアッキーノ
2008年 アメリカ作品 85分
サターン賞…SF作品賞
評価☆☆☆★


この映画に初めてお目にかかったのは、映画館での予告編だった。
若者たちが集まっていて、遠くで爆発のようなものが見える。何か分からないが、大変なことが起きたらしい。

これは何だ?と見ている観客に思わせ、しかし予告編にあるはずのナレーションも、字幕もない。映画の予告編なのかすら、はっきりとはしない。
もやもやした気分にさせつつ、記憶に残す。うまい宣伝だった。
それが「クローバーフィールド」の予告編だったということは、その後の広告、宣伝で分かってくる。
インターネットサイトで偽のニュースを流したりしたのは見ていないが…。
興味をもつには、じゅうぶんの効果の前宣伝。

巨大な何ものかが、突然ニューヨークの街を破壊しはじめる。
送別会の様子をビデオカメラで撮っていた人物が、自分たちと人々のパニックを記録として、そのままカメラを回し続ける、という設定。

パニック発生前の送別会などの場面が多少長い。人間関係を説明するところなので必要だとはいえ、ここは長いなあと思ってしまう。
果ては、ビデオ係が、恋愛でゴタゴタしている2人を追いかけて撮る軽薄さを見せるが、若さゆえのおバカと思えば腹は立たないし、この後に続く、何でも撮ってやろう的な精神だったのか!と、後から納得しようと思えばできる。(笑)

ほとんどすべての映像が手持ちのビデオカメラ映像なのが特徴で、臨場感がある。有名な俳優が出ていないのも、本物の出来事らしく見せるのに役立っている。

パニックのはじめ、自由の女神の首が飛んできて落ちる場面は、がくぜんとするほどのインパクト。自由の女神ですよ。象徴ですよ。その首が。映画とはいえ、いいのかねえ、こんなことして。と思うほどの出来事じゃない?

逃げればいいのに女の子を助けに危険の中へ向かうのは、映画的に、ありふれているといえばいえるが、ドラマ作りのためでもあるし、好きな娘のためにそうしてしまうかもしれない気持ちは分かる。特に、直接助けを求められているならば。

ひとつ気に入らないのは、敵が巨大な何ものかだけではなかったこと。
いったい、どんなわけでそうなったのか。まったく本作では明かされない。
いきなり都合よく、こんな敵かよ!と思う気持ちが強かった。これじゃ純粋な怪獣映画じゃないよ! エイリアンプラスかよ! である。

ビデオカメラによって、怪物の姿が断片的に捉えられ、終盤にはあっと驚く、正面素顔バッチリスクープ映像だ!
…怖いよ。対面したら。

プロデューサーのJ・J・エイブラムスは、日本の怪獣ゴジラから着想を得たらしい。
destroyerを日本語で何と言うのか知人に聞き、HAKAISHAというサブタイトルを日本用につけたのだという。
「クローバーフィールド」は、事件のコードネーム。その名前がついたのは、映画の製作会社バッドロボットがクローバーフィールド通りにあるから、のようだ。

エンドクレジットで、マイケル・ジアッキノ作曲による、ROAR! (Cloverfield Overture)という、「クローバーフィールド序曲」が流れる。
roarとは、吠える声ですね。この映画では、怪物の咆哮(ほうこう)だ。ん、あいつ咆(ほ)えてたっけ? なんにしても、聴き応えのある曲だった。
後で他の方々のブログ記事を読んだら、ゴジラ調の音楽だということで、いわれてみれば、そうかとも思った。
この曲は、YouTubeでも見つかりますよ。いま現在は。

本作の終わり方からして、当然のごとく(?)続編があるという話。
今度は、どんな形で見せてくれるのかは、楽しみだ。

あ、カメラの揺れで酔うというウワサだけど、私は大丈夫だったよ。
内容としては普通(☆☆☆)だが、ユニークさに星半分(★)プラス。




〔2008年4月5日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 板橋〕


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