ひとりの石油採掘人の強烈な生き方を描く。
ダニエル・デイ=ルイスの演技のうまさと、ポール・ダノのうさんくさい存在感。
デイ=ルイスは、彼が演じているダニエル・プレインビューという役柄の人物そのものとしか思えなくなってくる。
しかし、そんな怪物級のデイ=ルイスに立派に対抗していたのが、ポール・ダノ。
どこか子どものような、ぺろんとしている顔立ちの表情の中に隠された、嫌悪感をもよおすような俗物性。
聖職者づらの陰で、金と、カリスマ性をまとった支配力を求める神父を演じるとき、彼の顔立ちが、見る者に、どんな感情を呼び起こさせるか、ということを計算したのなら、見事なキャスティングといえる。
全編を通して、2人の確執は続く。神職の仮面をかぶった偽善と、それを嫌悪する者。
ポール・ダノ、どこかで見たぞと思っていたが、「リトル・ミス・サンシャイン」の、口をきかない息子じゃないですか! なんとまあ。
ダニエル・デイ=ルイスと1対1の演技場面も多いので、彼に負けじと頑張ったことが、ダノの「怪演」とも見える結果を生んだのかもしれない。
なにしろ、エンディング間際の、ボウリング・レーンのある部屋での2人の対決といったら、鬼気迫る迫力だ。
デイ=ルイスの憎しみの感情のほとばしり、それを受けるダノ。
そして、いくつかの意味にとれる最後のセリフ、締めくくりの鮮やかさは、この物語が考えうるベスト・エンディングのなかのひとつだろう。
それにもまして素晴らしいのは、音楽。
スタートから、不協和音のような音楽が緊張感を高める。
不安な胸騒ぎをかもしだすような音に彩られて、ドラマは格段にランクを上げた。
作曲はジョニー・グリーンウッド。ロックバンドのレディオヘッドのメンバーだという。今後も、絶対に要注目!
エンドロールなどでは、ブラームスのバイオリン協奏曲第3章も使っていたらしい。
カリフォルニアで油田を採掘していた、ということは、恥ずかしながら認識していないことだった。
個人が掘り当てれば、それは個人の財産になったわけか。
ダニエル・プレインビューは、金を掘り当て、資金を得る。彼はチャンスをつかんだ。こういうことが、アメリカはチャンスの国(だった)、と言われるゆえんだろうか。
プレインビューは資本家であり、労働者を雇い、油田採掘をする。資本家と労働者、分かりやすい資本主義の構図だ。
人を信用しない生き方は、きっと、それまでの彼の人生経験からも身についてきたことなのだろうが、愛の存在しない社会的成功は、やはり、むなしい。
日本公開時についたタイトルは、原題のとおり。直訳すると「血があるだろう」。(?)
雑誌で、「血が流れるだろう」という意味だというふうな映画評を見た。血がある、というのは、流血がある、つまり、血が流れる、ということなのだろう。
もちろん、文字どおりの、流す「血」のほかに「血縁」もあるだろう。そして原油も「血」のようなものと見ていいのだろう。
ダニエル・プレインビューやイーライ・サンデー神父の性格も、その「血」の為せることだったともいえる。
プレインビューに共感を持つには、悪者的な部分が強烈すぎるのか、人間的な弱さが見えにくいのが少し惜しい気がする。
だが、原油の炎が地下から天に向かって噴き上げるパワーの強烈さに象徴されるような、演出と演技の力強さには、ぐいぐいと引き込まれる。
圧巻だった。