今年の1月22日、ヒース・レジャーは複数の薬物摂取による急性中毒で亡くなった。28歳の若すぎる死。
その後「ダークナイト」の予告編で、顔に独特のメイクをほどこした、バットマンの宿敵ジョーカーを演じる彼を見て、事故死の悲劇的な事実も印象に重なり、ただならない存在感をそこに感じた。
実際、本作でのヒースは、並みの俳優の演技というもの以上に、役柄になりきっていたように思う。
顔の異様なメイクがヒース自身の顔を隠すことも、別人格を創造するのに役だったと思うが、それにしても、すごい役作り、のめり込みようだ。
彼はジョーカーという異常な人間を、この映画の中に焼きつけていった。それこそ、命の何年か分を削って、本作に注ぎ込んだのかもしれない。
渾身(こんしん)の、この演技、映画ファンなら、見なきゃウソだ。
「ダークナイト」という題名、私は「暗い夜」という意味だと思っていたが、映画のラストで間違いを知った。ナイトは night ではなく、knight であって、「騎士」なのだった。暗闇の騎士、バットマン。
ブルース(クリスチャン・ベール)=バットマンが、ゴッサムシティの新任検事デント(アーロン・エッカート)を「光の騎士」(white
knight)と呼んだこととの対比でもあった。
前もって原題を見ていれば、 knight
の文字に気づいたはずではあるが。
アーロン・エッカートも、いい。正義を行う地方検事の役をさっそうと演じ、終盤には、それがガラリと変わる。
ジョーカーはバットマンに言う。「ゴッサムの光の騎士をな、俺たちと同じレベルに落としてやった。ほら、狂気ってのは…知ってるだろ、重力みたいなもんさ、ほんの、ひと押しでいいんだ」
怒りと憎しみに支配された人間は、ひと押しの誘惑で、簡単に復讐鬼に変わることもある。
上に挙げたジョーカーのセリフからも分かるように、ジョーカーはバットマンを自分と同じような者と考えている。
悪に対する憎しみから、マスクをかぶったバットマン。自分の根底にあるのは悪ではないのか。勝手に悪を退治する自分は、ただの私的な制裁者ではないのか。
バットマンとジョーカーとデント、それぞれの複雑な関係性、結びつき。
「ダークナイト」は、映像も音も、最高の水準にできていると思う。撮影後の編集は、技術の粋(と莫大なお金)を使っただろう。
音楽は1作目の「バットマン
ビギンズ」と同じく、ハンス・ジマーとジェームズ・ニュートン・ハワードの大物コンビ。打楽器ズンズン。緊張感高まるシーンでは、弦楽器の奏でる音がグングン音程高く上がってゆくストレートな力強さが圧巻。
2時間32分の長さを、ものともしない映画のパワー。まじめすぎるほど、まじめに作った超リアルな重厚さ。
「今は、そのときではない…」
現代に、明快なヒーローは、すでにないのか。次作は、やはり、どうしても楽しみにせざるをえない。