おお、けっこうイケるじゃないか。
前作「007/カジノ・ロワイヤル(2006年)」が、我が家で2006年度ワースト作品賞に輝いたのに、こりもせずに観に行った結果である。
つい先日観た「君のためなら千回でも」のマーク・フォースターが、今度の007を監督したわけだが、「君のためなら千回でも」が感動の文芸作!みたいな映画だったので、まるで方向性が違う娯楽アクションで、どんなものを見せてくれるか、多少は楽しみでもあった。
前作の1時間後から、この続編は始まるとかで、いきなりカーチェイス。
最近の映画のアクションシーンで時々不満に思うことが、ここでも起きた。何が何してどうなって、ああなったのか、よく分からないのだ。
分からないのは私だけではあるまい。
それは、続く人間同士の追っかけでも同じだった。建物から2人で落ちてガラスを割って、なんだか不安定な土台(?)があって、ひもから、ぶら下がったりして(うまく説明できず、すまん!)、どう動いて、ああなってこうなって? それが、はっきりと理解できない。
分からないのは私だけではあるまい。
そういう見せ方でいいのか?
カットの切り替えが速いうえに不親切。追っかけの当事者をAとBとすると、そのAとBが、どういう位置関係にあって、そのとき何をしているのか、理解が追いつくように、うまく見せてくれないと、観客には分からないと思う。
そんな不満はあるが、総じて言えば、悪くはなかった。
ワーストだった前作、くそ真面目な話のくせに、うそくさい都合の良さ、理解できない展開、ありきたりなところ。(いまは覚えていないが、当時の感想を読み直してみると、そう思っていたんだな、ということである。)
今回悪くないというのは…慣れ?(笑)
アクションが派手で観ていて、なかなか面白かったのと、シリアスなボンドも、まあいいかなと。まさか今後、任務を続けるうちに、くだけたキャラに変貌するとか!? ショーン・コネリーが演じたときのキャラの、その以前は、こうだったんだという説明だったのか!?(爆)
ボンドガールも良かったです。
メインのボンドガール、カミーユ(オルガ・キュリレンコ)ちゃんは、いきなりボンドの前でクルマを止めて一言、“Get
in.”「乗って」。
2回目も「乗って」。ボンドがちゅうちょしていると、“I said get
in.”「乗ってって言ってるでしょ」ですから。(…それが何か? いえ、何でもないです。記憶にあるだけのことで。)
クールでいいです。かたきを討つ執念に燃えるところはボンドの同志的な存在。
もうひとりのボンドガールは、ストロベリー・フィールズ(ジェマ・アータートン)。名前がストロベリー・フィールズって…(笑)。
「007/ゴールドフィンガー」の金粉へのオマージュもありました。これは知ってたら、ニヤリです。
また、ボンドのボス役がジュディ・デンチという大物女優なせいか、彼女の出番もけっこうあって目立つ。彼女の家庭の中のシーンで、夫の声が聞こえるところは、なんだか「クィーン」を思い出した。イギリス、女性のボスといえば、クイーン、女王さまみたいなものだしね。
陸=クルマ、海=モーターボート、空=飛行機と、ひととおり律儀にバラエティに富んだアクションを入れたサービス品。
敵役はマチュー・アマルリック。「潜水服は蝶の夢を見る」の主演が見事だった人だが、今回は悪党。怖さはないが、現代のワルって、こんなふうじゃないかなとも思える。
最後は情けなくて、よかった。
雑誌「TV Taro」によると、次作タイトルは「BOND23」? 23作目だから仮タイトルか?
今回のボンドガール、オルガちゃんが続投するとか。ニューヨークが舞台で、Mの秘書マネーペニーと、秘密兵器開発担当のQの復活も有り得る?
美人秘書のマネーペニー。いまのお話の設定ではMは女性だけど、マネーペニーを登場させるなら、はたして美人女性秘書で行くのだろうか。…行ってほしい。
原題のQUANTUM OF SOLACE。SOLACEは慰め、QUANTUMはネット辞書で「量子」と出た。原作では、最低限必要な慰めがあれば救われる、といったような意味の記述があるらしく、「ほんの少しの慰め」があればいいのだ、という感覚に思える。邦題では、「報酬」の言葉が微妙に頭にクエスチョンマークを生む。
個人の復讐心と決別するラストは、かっこいい。