1950年代、アメリカ・コネチカット州。ニューヨーク州のとなり、東海岸に面した州だ。
新しい生活を求めて冒険しようとした夫婦(もしくは妻)がたどった道は、どうなっていったのか。
ケイト・ウィンスレットとレオナルド・ディカプリオが夫婦の役。「タイタニック」(1997年)以来の共演だという。うん、あの映画では、まさにゴールデン・カップルだったよねえ。ほんと、久しぶり。
郊外の町の中、レボリューショナリー・ロードに住居を構えた家族。
フランク(ディカプリオ)は家から車に乗り、(どこかに車を置いてから)列車に乗って都会の職場に行く。同じようなスーツ姿の男たちが大勢。この通勤風景が、今の私などにも重なって見えた。
私は車は乗らないし、スーツは着ないけど、なんだか昔も今も、変わらないなあと。
妻エイプリル(ウィンスレット)と、しっくり行っていないせいも少しはあるのか、フランクは会社の女の子と浮気をする。(この彼女、有名なエリア・カザン監督の孫娘ゾーイ・カザン。孫が女優さんなんて、はじめて知って、びっくり。映画人の血は争えないというやつでしょうか。)
自分が所属する市民劇団の出来にも失望したエイプリルは、満たされない気持ちを引きずるが、一家でパリに移住して自分が働き、夫には、しばらく働かなくてもいいから、本当にやりたいことを探してもらう、というアイデアを思いつき、フランクに話を持ち掛ける。
彼も賛成し、2人の計画は進むかのように見えた…。
非常に濃密な、感情がぶつかりあい、離れあうようなドラマを堪能させてもらった。
いちばん、やっかいなのは、エイプリルが感じている閉塞感というのか、田舎で主婦をやっているだけで終わりたくない、という気持ちだろうか。
まわりの多くの主婦は、たとえ不満があっても、その生活を続けているのだろうが、エイプリルは違った。
今の時代だったら、都会に出てキャリアウーマンになっているかもしれない。
少し精神を病んでいるという隣人が、夫婦それぞれの思いをズバズバと言い暴く。彼は、まったくもって、そういう役どころで登場している。
エイプリルの気持ちは察することができる。このままじゃ、だめだ。なんのために生きているのか。もっと生きる充実感を得たい。などと少しでも感じたことがある人ならば、彼女に多少なりとも共感するのではないか。
ただ、子どももいる家庭を作れば、そこに生きがいを見出していくものではないかともと思うが、エイプリルはそうではなかった。フランクにも、そんな部分はある。
子どもたちが家庭内にいてもおかしくないのに見かけないというシーンの多さは、いかに夫婦の人生に子どもの存在感が薄いかを表わすものと受け取っていいのだろう。
彼女の焦燥感や葛藤も、夫としての考え方も含めた彼の思いも分かる気がする。(私は未婚なので「気がする」というところどまり。)
エイプリルは、今の生活と折り合いをつけることはできなかった。ずっと満たされないままで来た、さまざまなものが、夫との決定的な喧嘩を最後に、コップから水があふれだすように崩壊してしまったという感じか。
不動産屋の一家、隣人の友人夫婦の存在感も、お見事。
こういう、シリアスで人間の内面に踏み込んだタイトなドラマも、いいね。もちろん、出来がよければ、だが。
ラストシーンも秀逸。パーフェクト!と心の中で言ってしまったほど。
ケイト・ウィンスレットは、まずゴールデングローブ賞で主演女優賞をとったが、レオ君も主演男優賞をとって、決しておかしくないはず。2人とも素晴らしい演技だった。
どこか舞台劇の感覚に近い印象もあった。
レボリューショナリー・ロード (革命家通り)から起こった、夫婦の革命の顛末(てんまつ)。