地獄の黙示録・特別完全版

APOCALYPSE NOW REDUX
脚本・監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 マーティン・シーン  マーロン・ブランド  アルバート・ホール  フレデリック・フォレスト  サム・ボトムズ  ローレンス・フィッシュバーン  ロバート・デュバル  クリスチャン・マルカン  オーロール・クレマン  デニス・ホッパー  ハリソン・フォード  スコット・グレン
脚本 ジョン・ミリアス
撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
2001年 アメリカ作品 203分
評価☆☆☆★

ベトナム戦争。カーツ大佐(マーロン・ブランド)は所属するアメリカ軍の統制を逃れて、カンボジアのジャングルの奥に自らが支配する私兵集団を作り上げて君臨する。
ウィラード大尉(マーティン・シーン)はカーツ大佐抹殺の密命を受け、彼の王国を目指して巡視艇で川をさかのぼる。

1979年の公開時より53分も長い。結果的にみて、その部分は、あったほうがいいと思った。
特に、フランス人家族の農園でのシーン。
彼らは、フランスがインドシナを植民地化したことの非など棚に上げて、ここは俺たちの土地だからここに残るのだ、とうそぶく。
それはそれで、戦ってでもこの土地に残ろうとする理由は見出せるわけで、ではアメリカは何の関係もないのに、なぜ、しゃしゃりでて戦争してるんだ、という疑問が浮き彫りになる。
ここでは、ウィラードが未亡人(オーロール・クレマン)とつかの間の愛を交わすことで、話の彩り、アクセントを生み、ウィラードの人間くささをも感じさせる。

キルゴア中佐(ロバート・デュバル)のサーフィン・ボードをウィラードが持ち逃げして、キルゴアがヘリコプター上から、ボードを返すようにしつこく呼びかけるところも面白い。

好きなサーフィンをするのに最高の波があると聞いて喜び勇んで、配下のヘリコプター部隊で村を襲い、森を焼き払い、海岸を確保するキルゴア。平気で大きな破壊をもたらしているくせに、現地人の子供がけがをして手当てを乞われると、ヘリコプターに乗せて病院へ連れていくように命じる。彼は自分の好きなように戦争をしているのだ。
やっつけて、ぎゃふんと言わせろ、というのが戦争だ。だから、思想はどうであれ、やっつければいいのだ。考えかたがクレイジーでも、敵をやっつけているかぎり、キルゴアは許される。

そんなキルゴアこそが狂気じみていると感じつつ、カーツの経歴を知るにつれて、ウィラードはカーツが反乱を起こしたからというだけで暗殺を命じた軍上層部やクレイジーなキルゴアよりも、カーツのほうがまだ「まし」なのではないかと考え出す。

1979年版を観た当時は、カーツ大佐に会ってからの話が思ったより地味で、よくわけがわからないで終わったものだが、今回は私も多少成長したものか、少しはわかった気がする。
カーツが行きついた闇は、アメリカの行う無意味な戦争の虚しさに気がついたこと。
無意味な戦争の場で、人は迷走し、逸脱する。
アメリカから逸脱して、川の奥、闇の奥、思想の奥、すべての深奥に、はまり込んでしまったカーツの精神に、出口はない
そしてアメリカは逸脱を許さない。
カーツの未来はひとつしかなかった。
彼はウィラードを待っていたのだ。
カーツに会ったウィラードも、それを感じた。

「マトリックス」のモーフィアス役、ローレンス・フィッシュバーンが巡視艇の乗組員で出演しているのに注目。彼はこのときまだ10代だ。
「スター・ウォーズ」で売れ始めたハリソン・フォードも少しばかり出演している。
また、マーティン・シーンの前には、ハーベイ・カイテルが主役の予定だったが、降ろされたそうだ。
そのマーティン・シーンも、撮影中に消耗性熱射病で入院したという。
コッポラ監督が私財まで投じ、途方もないカネと時間を費やしてできた作品。その存在そのものに価値があると考えてもいいだろう。

個人的に好きなのは、ヘリコプターの登場するシーン。
劇場で四方から聞こえてくる、あの音は、いい
〔2002年2月9日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕



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