うーん、なんだかトンデモない展開に…。どこかで見た感覚が…はっ! シャマラン!?
タイムカプセルから出てきた1枚の紙には、数字の羅列があり、ニコラス・刑事、いや、ケイジが、これは地球上で起きた事故のデータだと気づく。
わかりやすい数字は、やっぱり、あの出来事だったね…。
これから起きるであろう事故のデータも3件あり、あせるケイジ!
予告編で見ちゃったディザスター(惨劇)2パターンは、とにかく背筋が凍る。
結局、いちばんの視覚的見どころだったといっていいのだが、う〜ん、予告編で見ていなければ、もっと鳥肌の立つ恐ろしさを味わえたのではないかと思うと、ちょっと残念な。
あのビジュアル、光景の怖さ、現実問題として身近に、ありえないことではないだけに、その地獄絵図には、ぞっとしてしまう。
以前に、これと「2012」の予告編を続けて見たのだが、こっちは大事故、「2012」は地球の終わり、街の崩壊という大惨事シーンをまとめて見せられて、気分が思い切りダウンしたものだ。
映画だからって、こうした悲劇をスペクタクルとして作ったら、実際に本当のことになりそうで、とても嫌だ。思い込むと本当になる、ってことも。
こんなの作ってばかりいて、本当になったら、どうするのか。…と思いません?
で、本作の話に戻るが、怪しい人物が、啓示、いや、ケイジの息子に接触しようとするところから以後、どうも妙な雰囲気が。
これ、息子が危機を救う何かしらのキーポイントなのではないかと思わせたりしたのだが。
そのへんから、トンデモ感がにじみだしてきて、最後、ついに、キター!
あの絵は、そういうことだったのか! キリスト教にからんでの新解釈(よく分からんけど)。なるほど、そうなりますか。
箱舟だったりアダムとイヴだったり、みたいな。
あとから考えると、数字の羅列の紙、あの女の子が予想以上の能力を発揮して書いちゃった。それがタイムカプセルに保存という偶然なタイミングになった。それを啓二、いや、ケイジが解読しちゃった、ということかな?
怪しい人物たちの思惑とは、まったく関係ないみたいでしょ。
やつらが運転して逃げたおかげで、彼女があんな目に遭うというのも、ひどい。わりと能力に限界があるやつらなんだね。
ラストに待つ悲劇がどんなものか、ケイジが気づくのも、あっけらかんと、すぐに判明したような印象で肩透かし感を満喫!(満喫するものではないと思うが。)
ああいう事態が起きるのも、絶対ないとはいえない気がして、リアル感があり、観終わったときには、断然、断固として、楽しい気分ではない。
…最近、夏は暑いしさあ。
シャマラン監督のトンデモ感なら、なんとなく好きなんだけど、シャマラン以外で、そういう風味に出会うと、どうも、なんだか受け入れにくいのでありました。(笑)