こういう終わり方ですか!
逆に意外といってもいいエンディング。
いまどきのハリウッド映画だったら、こうはしないんじゃないかなあ、という思いを抱きながら見終わった。
べつに、それが悪いわけではなくて、これもまた面白いのであるが。
不思議なムードに満ちた映画「ドニー・ダーコ」(2001年)の監督リチャード・ケリーの作品なので、興味を覚えて劇場へ。
原作がリチャード・マシスン。なるほど、まさしく彼が書きそうな話だと納得。
実際には見たことないけど、よく話には聞く、たとえば「トワイライト・ゾーン」などの、不思議な出来事を題材にしたテレビ番組のストーリーに、ぴったり。
と思ったら、調べてみたところ本当に「欲望のボタン」という題で、取り上げられていたようだ。
1976年のアメリカ。
男の子がひとりいる夫婦。家の前に置かれていた箱。
ボタンを押すと、どこかで見知らぬ誰かが死に、そのかわり100万ドルが手に入る。
究極の選択。他人の命を奪ってまで、お金を欲するか。お金はあきらめて他人の命に責任を負わないでいるか。
複雑な仕組みはない、ただの箱なのに、どうして押したか押さないかが別の場所から分かるのか。
そこには理由があって、そういう面でも話がふくらんでいくのだが、それは重要なことではないだろう。
あくまでも、この話は、他人の幸せを壊してまでも自分の欲を取るかどうか、という人間の生き方の問題についての究極形なのだ。
意地悪な話だ。
この映画では、本当に他人の命がなくなるのかどうかが、押す人間にとっては確信がないわけで、いたずらじゃないかという考えは消せないと思う。
しかも、「見知らぬ」他人、というのがミソで、知らない人間なら死んでもそれほど気は重くないと考えようとするだろうし、キャメロン・ディアス演じる妻が、死ぬのは悪い人かも、というように、ボタンを押してもOKじゃないの?という都合のいい考えが支配的にもなってくる。
すごく短いらしい原作を1本の長編映画にしたわけだから、かなり脚色があるだろう。原作とは違うエンディングとも聞く。
この脚色は、途中でよく理解できないところもあるし、ん、結局、悪あがきなわけ?(詳しくは言わないが)と思えてしまうこともあって、すっきりはしない。
キャメロン・ディアスの奥さんは教師の役で、サルトルを教えているのだが、映画中にも登場する彼の戯曲作品のように「出口なし」なドラマ展開になっていく。
「ぴあ映画生活」を見たら、現在47点。そこまで悪くは決してないと私は思うけど。
しかし、あの気味の悪い学生をはじめとして、○●○●○●○●○いる人間って、見ていて怖いぞ。