まず記録しておきたいのは、これが「
映画感想/書くのは私だ」の400本目の映画だということ。
10年もやっていれば、1年に40本で400本に到達するのは当然だが、「400」というのは、多少、感慨深いところもある。
さて、映画について。
この感じ、好きだよ!
ヴァンパイアものは、もともと好み。怪奇と幻想と、女性が絡んでくればロマンやエロスまで生まれてくる。
しかも主人公の男の子が12歳で、思春期に入ったとき。同じ年齢の頃の子と出逢う。
ところが、その子はヴァンパイアだった!
2人の関係の部分と、ヴァンパイアの怖い部分が、うまく、くっついて、ひとつの魅力ある物語になっている。
男の子が、いじめられっ子であることも、性に目覚める頃の年齢であることも、その容姿も、
設定としてパーフェクトではないだろうか。
ヴァンパイアの子の、12歳といえば12歳、しかし、どこか老成した感もうかがえる顔立ちにも感心。(メイクの力のせいか?)
「200歳」とタイトルにあるけど、映画の中では言っていない。「12歳くらい」と、その子が自分で言ってはいるが。
多少はホラーのようなシーンがあるけれど、必要最小限にとどまっているし、遊び的な感覚でもあり、ホラー好きには楽しめるといっていい。(私はホラー好きとはいえないけど、楽しい。)
ヴァンパイアの子(年齢としては「子」じゃないけど、見かけ上として、以後「子」と書いておく)が人を襲って血を吸うシーンは、視覚的にも、うまい。上から覆いかぶさったり、見せなかったり。
なかでもいちばん私の好みなのが、建物の上層階の窓際で血を吸って、そのあと相手が落ちていくというもの。これは血を吸う相手にも驚かされるし、ヴァンパイアの子は上の階の窓まで飛んできた(!)わけだし、
見た目も怖くて、だから美しい。
怖いから美しいというのは、ラスト近くのプールのシーンも同じ。本当は、とても恐ろしいことなのだが、主人公の2人に感情移入しているせいか、美しさすら感じてしまうのだ。
いちばん最後のシーンも、私は、
ああ、よかったね、と思ってしまう。その先は苦難があるかもしれないけれど。
この作品は2人の子の関係が基本。
ヴァンパイアの子にとって、生きていくのは大変なこと。助けてくれる人間がいるに越したことはない。ただし、その人間が裏切ったら、それは即時に自分の死を意味する。信頼できる者でなければいけない。
男の子との出逢いは、しかし、そうした打算はなく、男の子のほうもヴァンパイアの子との「きずな」を大事にして、しっかり守ってあげるのだろう。この子は彼にとって、たぶん初めての大切な、心を通わせた相手なのだから。
…と書いてきたが、映画を観た直後の思いを、一部、引っくり返すような事実を、あとで知った。
問題は、ヴァンパイアの子の股間が映り、「ぼかし」が入ること。
私は、あとで調べて「真実」を知ったのだが、もし本当ならば、
これを知ると知らないとでは、大違いなのだ。原作では、こうなっている。パンフレットには、こう書いてある。という話がネット上にあり、私はそれを知って驚いたものだ。
感想文も、注意して書いてきた。
「ぼかし」の下にあるものを知らず、また、それが何なのかを調べずにいると、この映画は大きな部分で
誤解されたままの感想をもってしまうことになるらしい。
「それ」は、日本の映倫の判断では映せないようなものなのか。本物ではなく作り物であっても? 映画の意味を曲解させることになっても?
ただ、それを知っても、映画の「好き度」は変わらない。
原題は「正しい者を入らせなさい」(?)
ヴァンパイアの子が、男の子の家に入れてもらえないと、体じゅうから血を噴き出すというインパクトのあるシーンが出てくる。ヴァンパイアは招待されないと家に入れない、という。
その意味も多少、かけてありそうだし、大きな意味では、(他人にとっては正しくなくても、)自分にとって正しい者、味方になる者を受け入れる、そういうことを指しているような気がする。ヴァンパイアの子にとって、味方を作る(引き入れる)ことは大切なことでもあるし。