ラース・フォン・トリアー監督は素直すぎる。表現が行き過ぎたとしても、自分の思うところを映画に留めずにはいられないのだろう。
狙って、やっているのか。そうではないと思うが、たとえ、そうであっても彼の作品を見るのはスリルだ。
結果的に、つまらなかったとしても、並みの映画とは違って、それなりに心はざわめくものがある。…または、心をざらつかせるものがある。
トリアーの過去の作品すべてを見ているわけではないが、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は見事なもので、それから注目するようになった。
ほかにはない映画。何はともあれ、その点は貴重だと思う。映画の山の中に、決して埋もれない作品群。普通じゃないから、見ておきたいのだ。
「ダンサー〜」は衝撃度はもちろん、ミュージカルとしても見過ごせないものだった。
その後、数本を経て、2009年作の「アンチクライスト」。
すぐに公開にならなかったのは、映画を観れば納得。よく日本で劇場公開してくれたものだ。
冒頭の美しいモノクロスローモーション場面で、性(生)と死、ドラマの柱になる観念が、さっそく「対称的」に提示されている。
トリアー監督は、うつ病の自己治療的な意味もこめて映画を製作したらしいが、このストーリー、彼の頭の中をさらけだしているようなものではないのだろうか。
いったい、この人は、どんなことを考えているのか、と観客は楽しめばよろしい。でも、楽しむどころか嫌悪を抱く観客もいるから、難しい。
森は恐ろしいところ、というのは、たぶん西洋ではよく言われていることだと思う。
夫は子どもを事故で失って精神的に参っている妻を、森の中の小屋に連れていった。これは…やばい、と思いましたよ。
しかも夫は、妻とまったく違って、子どもを失ったことが平気なのかと思えるくらいに普通にしているように見える。
これは、いかんのじゃないですか。妻、キレますよ? キレないまでも不信、やがて憎しみの心が生まれてきてもおかしくない。
やがて妻の仕事の研究内容がわかったり、動物がしゃべったり(このシーン好き! こういう、ハッタリ、インパクトが強いのが私は好きなのさ)、どんぐりが騒音状態で屋根に落ちたり、もう、神経、ざわめくなったって無理です。
狂気へ向かう妻。
そそりたつものを見て、阿部定みたいなことをしなかったのは男としては幸いだが、なぜ、あそこから血が噴き出したのかが、よくわからない。暗喩か?
ちょんぎらなかったのはいいが、そのかわり、ほかの部分にとんでもない痛いことをしてくれる。男を足止めしたいから、だろうけれど、その方法は、まさに常識はずれもいいところ。
そのうち、冒頭のシーンで隠されていた真実が、映像で現され、そうか、そういうことだったのか、そりゃ深刻にもなるよ、とわかる。
それで彼女は自分の性を、あれだけ嫌悪もするように…。
ラストのアンチクライストの文字、t が雌をあらわす印の♀になっていた。
反キリストならば、悪魔のようなものか。女性がキリストに敵対するものだったり、悪魔だったりするのか?
そして、下山する男と反対に、登ってくるもの。
意味深である。なんとなくわかったようで、わからないようで。
何考えてんの、トリアーさん。
でも、3人の賢者のバリエーション(?)とか、アダムとイブかい?とか、いろいろと、ちりばめられていそうな意味(寓意)を想像することもできて、刺激的だったよ。結局あんまりわかんないけど。
最後に、触れないわけにはいかない。
シャルロット・ゲンズブールさんの演技は、すごすぎる。(次回作もトリアー監督と組むって!?)