ヒューゴ、発明なんてしてないじゃん、と思ったけど、原作は「ユゴーの不思議な発明」なのでした。
私のなかでは、今まででいちばん効果的と思えた3D映画だった。
顔を突き出せば、画面のこちら側に、はみ出す勢いだし。
ふたりで映画館に忍び込んで、映画を楽しむ。
映画の創世記の功労者のような存在の人物に光を当てる。
駅のなかの人物模様にも、いろいろなドラマがある。
本作に登場する人物が行なってきた映画製作は、戦争によって、その前途を断たれてしまう。
物資も、人材も、なによりも映画を楽しむ気分も、戦争は奪う。
ただ、だからこそ、どんなときも映画という楽しみは存在するべきではないだろうか。戦争の悲惨な空気に負けないためにも。
本作は、そこまではっきりとは語っていないだろうけれど、映画の歴史を振り返り、映画への愛が、あふれるほどにあふれまくっている。
少年が暮らすのが、駅の時計部屋(?)。
時計仕掛け、機械人形、義足、手品、からくり、…映画。みんな親せきのようなもの?
おもちゃ屋の主人が少年のノートを取り上げて、「これを燃やすつもりだ」という理不尽さに、なんで? おかしいだろ、それ! と怒りながら観ていたが、なるほど、そういうことだったんだ、とわかってくる。
私は映画検定を受けたことがあるので、あー、あの人が出てくるんだ! と思ったし、映画好きの人なら知っていて損はない、映画の歴史の、ひとこま。
キートンが時計にぶら下がれば、少年も時計のところに逃げる。
列車が画面の向こうから突っ込んでくれば、実際に駅で列車が…。
そんなイメージのダブリも楽しい。
スコセッシ監督といえば、文芸ものを手がけたこともあるけれど、とくに最近では硬派な男の映画というイメージがある。
それが、こんなふうな映画を撮るとは、正直いって驚いた。
それにしても、…映画って楽しいね。