ミシェル・ウィリアムズさんの演じるマリリン。
期待以上に、うまくスクリーンに「マリリン・モンロー」と「ノーマ・ジーン・ベイカー(マリリンの本名)」を刻みつけてくれました。
横顔などの、ふとしたときにマリリンに似ているなあと感じることもあり、しかし何よりも、マリリンの繊細な内面を、物真似ではなく、ミシェル自身の解釈と演技で見せてくれていたことが、マリリン・ファンとしては、とてもありがたく思います。
マリリン・モンローさんという大きな存在を映画に描くには、表面的な見かけや仕草や喋り方を似せようとはしても、彼女の感情の複雑で微妙なあたりをしっかり描くのは難しいことでしょう。
この映画は、その点でも、かなりいいところをつかんでいたと感じます。
ミシェルはメイクをしてみれば、マリリンに全く遠い外見というわけではないのも幸いでした。そのうえでマリリンを研究していけば、もっと似てくる。
彼女はマリリンの映画を見たり、声をiPodで聞いたり、振付師について動きを訓練したりもしたようです。
いっしょけんめいにマリリンを研究して理解して演じようとすれば、見ている観客もミシェルのなかにマリリンを見るように感じてくるのです。
ただ、ミシェルは喋り方、声のトーンは変えていないのではないかなと思います。そこまでは真似しなかった。どこまでやるか、の見極めは成功しているのではないでしょうか。
パンフレットには、こう書かれています。
「(略)不安は無視することにして、私らしいマリリンの姿を演じようと思ったの。(略)ひとりの友人のような感覚でアプローチしたの」
マリリンを演じるということが、女優にとって、どれほどの重圧なのか。ミシェルの挑戦意欲には素直に敬意を払います。
どうもありがとう!
Thank you very much, Michelle !
映画が始まると、ピアノの美しい旋律が流れてきます。アレクサンドル・デスプラ作曲の「マリリンのテーマ」を弾くのは、ラン・ラン(郎朗)!
そして、マリリンがスクリーンのなかで歌っているシーンへ。
ここでは、“When Love Goes Wrong”と“Heat Wave”がミシェルによって歌われていますが、前者は「紳士は金髪がお好き」、後者は「ショウほど素敵な商売はない」からの曲であり、マリリン自身はこのように歌ったわけではありません。この映画の創作です。
まず導入部として、マリリンの魅力のひとつであるミュージカルシーンを、ガツンと持ってきて、それを観て楽しんでいる人々、これからマリリンにリアルに恋をすることになるコリン・クラークという青年を含む観客との関係を端的に見せた、上手なやり方だと思います。
原作は、「王子と踊子」撮影時、第3助監督だったコリン・クラークによるもの。
いったい、どこまでが真実の話なのでしょうか。
当時、コリンの周辺にいた人たちに話を聞いてみたとしても、マリリンと彼との秘め事は(あったとしても)詳しくは分からないでしょうし…。
ただ、マリリンが、そばでうろうろしていた若い男に心の慰めを求めたことは、じゅうぶんに可能性はあります。
彼女はアメリカからイギリスに乗り込んできたところ。アメリカにいるときでも不安定な気分だとしたら、異国の地で撮影に臨む、それだけでも不安感はあるでしょう。
撮影に入れば、演技方法で食い違ったり、自信のなさ(クスリや酒、体調もあったかもしれませんが)ゆえに遅刻したりで、オリビエとはうまくいかず、みんなが敵のように見えてしまっています。
精神的に落ち込んでしまったマリリンは、様子を見にきたコリンに聞きます。
「あなたは、どっちの味方なの?」
率直すぎる質問に、コリンが「あなたです」と答えた瞬間から、マリリンは彼に心を開き、コリンは、はっきりと彼女を恋します。
コリンは衣装係のルーシー(エマ・ワトソン)と付き合い始めていますが、やはり昔からスクリーンのなかで観てあこがれの気持ちもあっただろう美しい大スター、マリリンの魅力にはかなわない、ということなのですね…。
ちなみに、映画の原題は「(私の)マリリンとの1週間」という意味で、「マリリンの恋」ではないのです。
マリリンのコリンへの気持ちは恋といえるのかどうか。そこまでは行っていないように思えます。
邦題は単純に、マリリンの恋、なら「それっぽくて、お客集めにもいいんじゃない?」という気分が見えるようでもあります。そのまま、「マリリンとの1週間」でよかったのではないでしょうか。
オリビエとの衝突では、原因のひとつに「メソッド演技」という言葉が出てきました。
マリリンはニューヨークのアクターズスタジオのリー・ストラスバーグのもとで演技を習っています。
そのストラスバーグが教えたのが、メソッド。
劇中でマリリンが言っていますが、役柄が理解できないと演技に支障をきたすようです。役柄に、なりきって演じる。
オリビエは、こんなのは軽いコメディなんだから、なんとかやり過ごせ、というわけです。理解できなくてもいいから、わかったふりをしなさい。
オリビエはメソッドを嫌っています。なぜ、そんなオリビエと共演したのか。
自分のプロダクションを作り、イギリスまで来て、オリビエという大物との映画を成功させて、演技のできる女優として認められたい。
演技方法の違いは、それほど重く考えていなかったのか、それともオリビエがメソッド嫌いなのを知らなかったのか。
マリリンのそばには、いつも専属コーチのポーラ・ストラスバーグがついています。彼女はリー・ストラスバーグの奥さんであり、女優であり、メソッドの先生です。
マリリン専門の監督のようなポーラの存在にも、オリビエはムカムカしています。俺のほかにも監督がもうひとりいる、と。
ついにオリビエが、マリリンに対して、セクシーであればそれでいいんだ、と暴言を吐くと、マリリンは
「リーを呼んで!(I want Lee!)」
と叫びます。ここは分かりにくかったのではないかと思います。
字幕では「リー・ストラスバーグ」とフルネームで出しましたが、今度は「それ、誰のこと?」と観客が思うことになりそうで、難しいところです。まあ、ポーラ・ストラスバーグがいますので、身内の誰かだろうとは思い当たるかもしれませんが。
監督のサイモン・カーティスはテレビ界出身で、映画の長編はこれが初めてなのだそうです。
素直で分かりやすい演出に、映画界の優れたスタッフやキャストが加わって、いい作品になったと思います。
次は、キャスティングを見てみましょう。
ミシェルについては、すでに、たくさん触れましたので、それ以外の主要キャストを。
マリリンに恋する男コリン・クラークを演じた、エディ・レッドメイン。
私が見た映画の中では、「ブーリン家の姉妹」などに出ていたとのことですが、記憶なし。過去のブログ記事を読んでも、彼の名前は書いてありません。
映画界に入りたての「使いっ走り」(彼のポジションの第3助監督って、テレビで言えばADみたいなもの?)を、さわやかに、そばかす顔で演じていました。彼の目線でマリリンや周囲を映し出すという役目としては、彼自身の存在が邪魔くさくもなく、ちょうどいい感じで、とても良かったです。
ロジャー・スミス役の、フィリップ・ジャクソン。
よく見る俳優だなあと思っていましたが、あとで調べたら「名探偵ポワロ」のジャップ警部なのでした! ロジャーはマリリンの監視役。でも、マリリンに頼まれてコリンとの連絡役までするはめに。深入りするなよ、ってコリンに言っていました。監視役なのに、階下で寝ているときに2階でマリリンが騒いでも、起きませんでしたけどね。(笑)
ローレンス・オリビエ役は、ケネス・ブラナー。
オリビエもブラナーもシェークスピア役者で、監督経験もあるという共通点があります。オリビエは、スクリーンでマリリンが輝いているのに対して、自分は…と、がっかりしてしまいますが。
終盤で、マリリンを讃えるセリフを言うのは、映画としてはそうあるべきなのかもしれませんが、実際はどうだったか、あまり信じられません。撮影終了直後は、まだまだ怒ってたんじゃないですか?
ヴィヴィアン・リーを演じたのは、ジュリア・オーモンドさん。
この映画にヴィヴィアン・リーが出てきて驚いた方も多いと思います。オリビエの奥さんで、1951年には映画「欲望という名の電車」で再び注目されました。マリリンが主演する「王子と踊子」は、もともとの舞台劇はヴィヴィアンとオリビエが共演していたということで、映画では自分の役を若いマリリンに取られた形のヴィヴィアン。複雑な気持ちでしょう。
ジュリア・オーモンドさん、この当時のヴィヴィアンと3歳ほどしか違わないはずです。
アーサー・ミラー役に、ダグレイ・スコット。
マリリンの3人目の夫、著名な作家であるミラー。マリリンと結婚したら、自分は作品が書けなくなってしまった、と言います。…彼女のお世話が大変だから? 冗談じゃないですよ。私だったら、書けなくなったらマリリンのマネジャーになるとか、主夫になってもいいかな…ぐだぐだ言うならマリリンの夫の資格は、なしです。
ミルトン・グリーンには、ドミニク・クーパー。
グリーンはカメラマンで、マリリンの有名な写真も多く撮っています。マリリンと共同で、マリリン・モンロー・プロを設立しました。この映画では、何かとマリリンに薬を与えつづけているような印象です。何錠飲んだかも知らないぞ、みたいな、もはやマリリンは手に負えないという雰囲気ですね。
クーパーといえば、私にとっては、なんといっても、「マンマ・ミーア!」です!
デイム(男性のナイト〔騎士〕に当たる称号です)・シビル・ソーンダイクを演じた、ジュディ・デンチさん。
映画「王子と踊子」では、オリビエ扮する大公の母親役。撮影所のマリリンを励まして、オリビエにさえもビシッと意見を言います。貫禄ある役柄は、デンチさんにぴったり。私には、最近は007の上司Mという印象ですね。
ルーシー役は、エマ・ワトソンさん。
映画の衣装係で、コリンが目をつけて(笑)、デートにこぎつけます。コリンのマリリンへの恋との対比的な位置づけで、いい彩りになっています。
ハリー・ポッター・シリーズを卒業して、いよいよ、いろんな映画に活躍しそうな予感。
ポーラ・ストラスバーグには、ゾー・ワナメイカーさん。(左)
映画「ハリー・ポッターと賢者の石」のフーチ先生とのことですが、まったく記憶にありません…。もしも撮影でエマ・ワトソンさんと会ったなら、昔話でもしていたかもしれません。
さて、この映画を観ると、改めて、マリリン・モンローさんの、スターになったゆえのつらさを思ってしまいます。
なぜ、マリリンが、あれほどの人気を得ることになったのか。
まず、圧倒的にスクリーン上の彼女が可愛くて魅力的なのは間違いありません。
色っぽい、というのは当たらないと思います。私は彼女が色っぽいと思ったことはありません。世間のイメージでは「色っぽい」なのかもしれませんが、彼女の映画を見たり、写真を見たりしていくと、きっと「可愛い」になるのです。
色っぽいイメージは、あのスカートがまくれる「七年目の浮気」のシーンから、ただ、それだけではないでしょうか。
演じるときの彼女の恐れについては、映画で少し触れられていましたが、結果的にフィルムに焼きつけられた「マリリン・モンロー」の輝きは、観客の心を惹きつけてやまないものでした。
彼女は、求められる「マリリン・モンロー」を演じつづけなくてはなりませんでした。
周囲も彼女をほうってはおきません。たしか、映画のなかで、取り巻き連中が彼女のファミリーだ、みたいなことをミルトン・グリーンが言っていましたね。
本来、マリリンのために働いている人々であっても、当の彼女がしっかり働いてくれなければ、自分たちも困ってしまう。だから、クスリなども、どんどん与えてしまいます。そうすると、彼らがマリリンを食い物にしているように見えるわけです。
マリリンが、ガシガシ働いて自分から引っ張っていく人だったら、周囲のパートナーたちも何の苦労もなかったでしょう。それどころか、それほど重要なパートナーは不要だったかもしれません。
彼女の両親や、自身が育ってきた環境については、この映画でも、ごく、さらりと語られていましたが、彼女の精神、性質は、たぶんそうした生い立ちから理解しないとわからないものではないかと思います。
彼女の性質の一面を言い表わすのには、英単語でfragileという言葉が、かなりピッタリすると、私は感じます。
辞書には「こわれやすい」「もろい」「かよわい」「はかない」などとあります。
ミシェル・ウィリアムズさんは、そんな雰囲気も、よく出していたと思います。
もしもマリリンと付き合ったら、振り回されたり、束縛されたりしそうで、面倒くさいだろうな、と思っている男性諸氏も多いのではないでしょうか。
それは…そうかもしれません。
たぶん、彼女は自分を認めてくれたり愛してくれる人が、いつも必要で、どんなときも相手の男性は、無償の愛を彼女に与えなければならない…のでしょう。
でも、それでもいいのです。
彼女は、特別な存在なのですから!
…と、なんだか映画とは離れてしまいましたが。
本作の中で撮影されている映画が「王子と踊子」(1957年)。
「マリリン 7日間の恋」では、ジュディ・デンチさん演じるシビルさん、ケネス・ブラナー演じるオリビエと、ミシェル・ウィリアムズさん演じるマリリン、3人での撮影シーンがありました。
「王子と踊子」での、マリリンが酔っ払う場面は、「マリリン 7日間の恋」では終盤に試写室でのシーンにあります。当然ながら、ミシェルも、ちゃんとお酒のボトルを持って演じていました。
この、ボトルを持ちながらの酔っ払いシーンのほかにも、「ひとりダンス練習」の場面や、“I
Found a Dream”を歌うところなど、印象に残る、うまい場面を「マリリン 7日間の恋」は選んでいると思います。
「王子と踊子」のマリリンのアップ写真を見てみると、ミシェルのマリリンと見比べても、あまり違和感を感じません。
読売新聞の記事にありましたが、ミシェルがマリリン役を引き受けたあとに、マリリンとは、まるでイメージが違う私なのに、と不安になって、ある女性監督に聞いたところ、彼女は「いいじゃない。私が監督するのだったら、姿が見えるような配役は面白くない。でも、あなたがマリリンを演じているのはまったく想像できない。だから、私はいいと思う」と答えたといいます。これは面白い見方ですね。
「マリリン 7日間の恋」を観る前でも、観た後でもいいので、「王子と踊子」を見ると、ああ、このシーン、あったあった! と楽しめると思います。
「マリリン 7日間の恋」のオープニングは、コリンが映画館でマリリンを観ている場面でした。
そして、エンディング近く、今度は試写室でコリンはマリリンを見ています。
フィルム上では、マリリンとオリビエのラブシーンで、マリリンがセリフを言います。
ところが、彼女は言い終わったあと、スクリーンのこちら側のコリンのほうに視線を向けるのです! まるで、この言葉は、あなたに言ったのよ、と伝えるかのように!
最後は、マイクの前で歌う“That Old Black Magic”。
これは「バス停留所」(1956年)でマリリンが歌った曲です。
マリリンが演じているのは安酒場の歌手なので、わざと、きれいには歌っていません。ミシェルも似た感じを出しています。
なぜ、この歌をラストに持ってきたかというと、たぶんそれは、歌詞の最後が“love”だからなのでしょう。
「愛」こそが、マリリンが、いや、ノーマ・ジーン(本名)が心から欲しかったもので、しかしそれは幻のように…。
この映画をきっかけに、ひとりでも多くの人にマリリンの「映画」を見てもらいたいと思います。
マリリン・モンローさんは「映画女優」なのですから。