アイリス

IRIS
監督 リチャード・エア
出演 ジュディ・デンチ  ジム・ブロードベント  ケイト・ウィンスレット  ヒュー・ボナヴィル  ペネロープ・ウィルトン  ジュリエット・オーブリー
原作 ジョン・ベイリー
脚本 リチャード・エア  チャールズ・ウッド
音楽 ジェームズ・ホーナー
ヴァイオリン演奏 ジョシュア・ベル
製作総指揮 アンソニー・ミンゲラ  シドニー・ポラック
2001年 イギリス・アメリカ作品 91分
ナショナル・ボード・オブ・レビュー…助演男優(ジム・ブロードベント)賞受賞
ゴールデングローブ賞…助演男優(ジム・ブロードベント)賞受賞(ドラマ部門)
英国アカデミー賞…主演女優(ジュディ・デンチ)賞受賞
アカデミー賞…助演男優(ジム・ブロードベント)賞受賞
ロサンゼルス批評家協会賞…助演男優(ジム・ブロードベント)・助演女優(ケイト・ウィンスレット)賞受賞
ロンドン批評家協会賞…主演女優(ジュディ・デンチ)賞受賞 他
評価☆☆☆★

夫婦の愛って、人が人を好きでありつづける気持ちって、何だろう。
こういう愛情で最後まで繋がっていられるなら、結婚もいいものだ。
文字にすると、こそばゆくて恥ずかしいが、素直にそうした思いが湧きあがる。

ジュディ・デンチジム・ブロードべントという、何とも味のある2人の俳優が紡(つむ)ぎ出す、薙(な)いだ海のような、優しく深い思いやりが染みる。

この物語では、有名な作家である女性が、アルツハイマー病になる。
アルツハイマー病は、脳の神経細胞が死んで萎縮を起こす病気。平均発症年齢は52歳。男性より女性のほうに多い。健忘や空間的見当識障害(道に迷う、家の中の部屋の配置が分からない、など)、徘徊、といった症状が出て、やがて高度の知的障害(失語、失行、失認)となる。語尾の繰り返し発言が見られたり、拒食・過食になったりする。その人独自の個性が、だんだんと失われていってしまうように見えるらしい。(「痴呆症・医療情報公開のホームページ」などから)
…言葉を駆使するのが仕事である作家が、その言葉を失う恐怖は、いったい、どれほどのものだろうか。

アイリス・マードックは、イギリスの有名な作家・哲学者。夫のジョン・ベイリーは文芸評論家。2人はアイリスが37歳のときに結婚した。
この映画は、ジョンがアイリスとの日々を綴った「作家が過去を失うとき アイリスとの別れ:1」が原作。
映画の紹介文で、「イギリスで最も素晴らしい女性、と言われた」という解説を、どこでもたくさん見るのだが、それがどこから出た言葉なのか教えてくれているものには、まだお目にかからない。
ただ漫然と、「…と言われた」と紹介するだけではなくて、いつ、どこで、誰が言ったのかを教えてくれる解説や批評というものはないのだろうか。

アイリスの若い頃を演じるのは、ケイト・ウィンスレット。「タイタニック」のヒロインで有名になった女優である。オックスフォード時代の才気煥発で奔放なアイリスを生き生きと演じて、好感が持てる。個人的に久しぶりに彼女の新作を観たせいか、こんな顔だっけ、という気もした。(悪い意味ではない。)

ジョンの若い頃を受け持ったヒュー・ボナヴィルは、まだそれほど名を知られた俳優ではないが、ジョンを嫌味のない好人物に作りあげていた。彼はジム・ブロードベントと顔が似ているということでも選ばれたようだ。実際、私は、この若い頃のジョンも、芸達者なジムが演じているのではないかと、観ている間じゅう疑っていたほどだ。

ジュディ・デンチの上手さは、じゅうぶんに承知しているが、この映画でのアルツハイマー病の演技は、とても難しかったに違いない。入魂の演技と言って、差し支えないだろう。
発病への不安、戸惑い。病のなかにあって自分というものがなくなったかに見えても、ふと顔を出す、夫への愛。
ジョン・ベイリーによれば、ジュディは見かけもアイリスに似ているのだそうだ。
ちなみに、アイリスもジュディも共に、デイムの称号を受けている。デイム(Dame)は、イギリスで、女性の、社会的・文化的功労者に与えられる名誉爵位で、一代限りのもの。男性の場合はナイト(Knight)である。

さて、ジム・ブロードベントである。
私は彼を、これまでは「ムーラン・ルージュ」でしか認識していない。「ムーラン・ルージュ」での支配人ジドラー役のイメージと、この映画での初老のジョン・べイリー役のイメージは、まったく違う。ジドラーのメイクが凝りすぎということもあるが、ほんとうに、役柄による変身ぶりには、びっくりさせられる。すごい。
アイリスの看護に時々は疲れて気持ちを爆発させながらも、いつも変わらぬ愛情を注ぐという演技に対しては、まったく文句なしである。

映画は、アイリスとジョンの現在と過去が交互に描かれていく。若い頃の2人が引っ張る、躍動感に溢れた過去の場面が時々入るからこそ、現在の2人のしっとりと落ち着いた様子が際立ってくる。
このあたりは、ロイヤル・ナショナル・シアターの芸術監督を務めたという、イギリス演劇界の重鎮リチャード・エア監督のセンスが冴える。

川で泳ぐシーンでは、ケイトの自然なヘアヌードが、ちらりとある。別に下世話な意味で書いたのではない。昔と比べて、少しはボカシを入れなくなってきている日本の映倫の姿勢を、いちおう評価したかったからだ。わざわざそんな話題が出ないほどまで、規制などはしないでもらいたい。

アメリカでの公開から、ほとんど1年後の日本公開。どうでもよさそうな映画が日米同時公開されることがあるのに、この不公平さは何なのだろう。

悲しい話を大げさにではなく淡々と描くのは、よくある手段。大騒ぎするほうが真実味が薄くなる。
この映画も淡々と進む。上映時間は91分。俳優たちの演技に引き寄せられて、時間は瞬(またた)く間に過ぎる。
そうして、後で、あの場面、この場面と思い出すと、じわじわと効いてくるものがある。
上質なドラマを観る幸せとは、こういうものだろう。

評価が星4つに届かないのは、ただただ、「老い」「病気」「夫婦」に対しての実感が自分に足らないことに起因している。
〔2002年12月7日(土) シネスイッチ銀座1〕



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