8人の女たち

8 Femmes
監督 フランソワ・オゾン
出演 ダニエル・ダリュー  カトリーヌ・ドヌーヴ  エマニュエル・べアール  イザベル・ユペール  ファニー・アルダン  ヴィルジニー・ルドワイヤン  リュディヴィーヌ・サニエ  フィルミーヌ・リシャール
原案 ロベール・トマ
脚本 フランソワ・オゾン  マリナ・デ・ヴァン
撮影 ジャンヌ・ラポワリー
衣装 パスカリーヌ・シャヴァンヌ
音楽 クリシュナ・レヴィ
2002年 フランス作品 111分
ベルリン国際映画祭…銀熊賞最優秀芸術貢献賞受賞(主演8人全員に対して)
評価☆☆☆☆

この文章を書くにあたっては、リンクしているサイト「Virginie Ledoyen's Interviews」様の記事も参考にさせていただいた。このサイトは、「8人の女たち」の関係者のインタビューなど魅力的な記事が盛りだくさんなので、興味のある方は、ぜひ訪れてみることを、お勧めしたい。
今回は、感想に加えて、この映画についての情報の覚え書きという感じにもなり、多少長くなった。

さて、「8人の女たち」だが、ベルリン国際映画祭で8人全員が特別賞を受賞したことや、この映画を観た人のいい評判はたくさん聞いていた。
だが、予備知識としては、カトリーヌ・ドヌーヴが出ている程度のことしか知らないまま観に行った。

公開してしばらく経っているうえに、土曜の朝9時という早い時間なのに、客席はかなり埋まっていた。
客層は女性がほとんどのようだ。しかも大人の。銀座だからというより、大人向けのフランス映画という内容によるのだろう。

オープニングで、画面に一輪の花が映る。そこに出演者の名前がひとつ。次に違う花が映し出されると、出演者の名前も変わる。そのようにして次々に出演者の名前が出てくる。
この花がこの女優の役柄のイメージなんだよ。と言っているのだろう。誰が何の花だったかはよく覚えていないのだが、最初から、お洒落とも、ちょっぴり意地悪ないたずらとも取れる監督の視線が感じられて、ニヤニヤしてしまう。

雪の降りしきるなか、ひとりの娘が実家に帰ってくる。ヴィルジニー・ルドワイヤン演じるスゾン(シュゾンヌ)だ。ヴィルジニーは、このとき25歳くらい。なぜ25歳「くらい」と書くのかを説明すると、映画を撮っていたときが誕生日の前だったか後だったかによって1歳勘定が違ってくるわけだが、実際どうなのかを私は知らないからである。(うわー、我ながら細かい話だなー。でも勝手に断定できないでしょ。)
女性の年齢を明かしてしまって失礼。しかし、以下もどんどん明かしまくるので、ここでまとめて謝っておきましょう。ごめんなさい。

私はヴィルジニー・ルドワイヤンを意識して観るのは初めてだ。1995年の「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」に出ていたというが、思い出してみても、どの役だったのかはっきり分からない。
「8人の女たち」での彼女の外見は、1950年代のクリスチャン・ディオール調ファッションのせいもあり、完璧にオードリー・ヘップバーンを意識したものになっていて、それが一目で分かる。「麗しのサブリナ」などのオードリーがいちばん近いだろうか。

帰ってきたスゾンを迎えるおばあちゃんのマミーが、ダニエル・ダリュー。なんと、「84歳くらい」。
1950年代に「輪舞」や「赤と黒」「奥様ご用心」などに出演していた美人女優だ。ジェラール・フィリップなどとも共演している名女優なのだ。元気に顔を見せてくれて、驚きとともに、嬉しい気分になる。

スゾンの母ギャビーに、カトリーヌ・ドヌーヴ。彼女はまさしく大女優。少し太めだったが、58歳くらいだってのに、いつまでも美しい。

ギャビーの妹オーギュスティーヌが、イザベル・ユペール。これがまた、メガネをかけて、未婚のオールドミス46歳くらいの扮装で現れて、びっくりぎょうてん。彼女の役は、ベティ・デイビスが参考になっているそうだ。

スゾンの妹カトリーヌには、リュディヴィーヌ・サニエ(22歳くらい)。私は彼女は初めて観る。フランソワ・オゾン監督のお気に入りのようで、本作こそ、当初予定した女優がNGになってピンチヒッター的起用だったようだが、2000年の「焼け石に水」に出演し、オゾン監督の次回作にも出るらしい。
彼女は、こまっしゃくれたティーンエイジャー風。どこかの映画紹介に、レスリー・キャロンのイメージと書いてあった。レスリー・キャロンは1950年代の、「巴里のアメリカ人」「恋の手ほどき」などのミュージカルに出演した、可憐な女優さんだ。ボーイッシュで元気な若い娘というところが同じというわけだろうか。

家政婦シャネルが、フィルミーヌ・リシャール(年齢は分からず)。彼女はテレビでの活躍が多いようで、私の知らない女優さんだった。

そして、メイドのルイーズに、エマニュエル・べアール(36歳くらい)。先ほど例に出した映画紹介では、ジャンヌ・モローの「小間使の日記」のイメージとされていた。「小間使いの日記」はよく覚えていないのだが、確かに同じメイドの役だし、色気が滲み出す雰囲気はあったと思う。

その色っぽい正体をだんだんと現わしてくるところは、エマニュエル・べアールの面目躍如だ。妖艶ではあるが、性格的には、かなり複雑なものを持っている役に思えた。
また、彼女が演じるルイーズが持っている、以前に仕えていた女主人の写真は、ロミー・シュナイダー(「ルードウィヒ 神々の黄昏」「夕なぎ」などに出演。1982年に43歳で亡くなった)なのだそうだ。私は観たときには分からなかった。

エマニュエル・べアールがカトリーヌ・ドヌーヴに向かって、あなたにあこがれて奉公したのです、と言うのだが、カトリーヌも色っぽい役をさまざまに演じてきた女優。色っぽいエマニュエルが「あなたにあこがれて」と言うのは、現実にもダブる台詞のように聞こえて面白かった。

最後に登場するのが、ギャビーの夫の妹ピエレットを演じるファニー・アルダン、52歳くらい。
彼女が歌うときに長手袋を脱ぎ捨てるシーンは、何かの映画の真似だとは気づいたのだが、あとで調べたところ、リタ・へイワースの「ギルダ」らしい。全体的には「裸足の伯爵夫人」のエヴァ・ガードナーの雰囲気。「バンド・ワゴン」のシド・チャリシーや、アイダ・ルピノも参考にしているという。

そのように、往年の女優の真似で遊んでいると分かってくると、カトリーヌ・ドヌーヴのゴージャスなブロンド美人は、マリリン(・モンロー、のことであるのは言うまでもない)を想像させもするし、実際、フランソワ・オゾン監督は、カトリーヌが毛皮の肩掛けをしているのは、マリリンへのオマージュだと言っている。歌う場面では、マリリンの「紳士は金髪がお好き」での歌のシーンも参考にしているようだ。

フランソワーズ・セゾン監督は、出演している女優たちに、往年の名女優たちを演じさせることで、演じた女優自身をも、監督の遊びの材料として楽しんでいるのではないか。

口やかましいオールドミス役で驚かされたイザベル・ユペールには、後になって、またまたびっくりのシーンが用意されている。
私はイザベルの役が、意外さもあって、いちばんオイシイ役だと思った。

主役の8人が全員、歌を歌うのも気にいった。
まずトップバッターでリュディヴィーヌ・サニエが、うちのおとうさんはズレてるの、と歌うのだが、バックでカトリーヌ・ドヌーヴやヴィルジニー・ルドワイヤンが振りをつけて踊って(というより動いて?)コーラスをつけているのだ!
このシーンを観ただけで、もう楽しい楽しい。ミュージカル大好き心が全開放!
しかし、歌い手たちはミュージカル女優ではないので、すごく上手いといえる歌ではないし、実際に歌うほうにしてみれば大変な仕事だっただろうけれども、台詞の延長として、ちょっと歌ってみた、というふうに見えるものなので、ミュージカル映画というには少し違う。

リュディヴィーヌ・サニエのお次は、イザベル・ユペールがピアノで弾き語り。彼女の前作「ピアニスト」に引っ掛けた洒落ではないのだろうか。そう思わせるのも、また楽しい。
1人ずつ歌っていくうちに、これは全員が1人1曲歌うに違いない、と気がついて、これも楽しみになった。しかも、それぞれが歌う歌は、それぞれの性格を際立たせる役目もしているのだ。
最後に残った大トリの歌手は…さあ、誰でしょう?

色彩も美しい。衣装やセットの色が綺麗でカラフルで楽しい。役柄のイメージに応じて、衣装の基本の色味が決まっている場合もあるように思えた。
フランソワーズ・セゾン監督や出演者たちなどのインタビューに、「ダグラス・サーク監督」という言葉がよく出てくる。サーク監督は、テクニカラーのはっきりとした色彩でメロドラマを作っていた人だ。「8人の女たち」がサーク監督の映画を意識して作られているのが分かる。

ちなみに、私には、ダグラス・サーク監督というと、「風と共に散る」(1956年)がすぐに頭に浮かぶ。この映画は、ロック・ハドソンやローレン・バコールなどが出ている、ベタベタの大メロドラマだが、ドロシー・マローンという女優がとても印象的だったのだ。彼女を見て、面影がマリリンに似ているなあ、と思い、ずっと記憶に残っている。(ドロシー・マローンは、「風と共に散る」でアカデミー助演女優賞を受賞している。)

映画自体は、舞台劇といってもいい。雪に閉じ込められた家の中でのみ、物語が進む。
そのなかで殺人が起き、疑心暗鬼でお互いを探り合ううちに、実はこの人には、こんな秘密があるんだよ、と次々に分かってくる。その面白さと怖さ。
表面は綺麗な女性も、一皮剥けば、いろんな欲望や感情が隠れ渦巻いていると、いまさらながら(?)思わされた。
きれいなものにはトゲがある。皮肉が利いているドラマだ。

事件が収束して、苦い空気の漂うなか、やがて、互いの秘密をさらけ出したうえに、罪を共有した女たちの連帯感のようなものが生まれている。しかもそれは、おばあちゃんから孫までの世代にわたる。ラストは、まさしく舞台劇なら、こう締めたら面白い、と思えるような終わり方で、余韻を残した。

男は、ギャビーの夫が出てくるだけ。しかも、せいぜい後ろ姿しか見せない。女だけに視点を集中した、女だけの物語。

豪華な顔合わせを、監督自身もじゅうぶんに楽しんで生かした、お洒落で、粋で、綺麗で、楽しく、ほろ苦く、ちょっと怖く、ちょっと意地悪で、とても素敵な映画だった。
〔2002年12月21日(土) 銀座テアトルシネマ〕




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