シカゴ

CHICAGO
監督・振付 ロブ・マーシャル
出演 レニー・ゼルウィガー  キャサリン・ゼタ=ジョーンズ  リチャード・ギア  クイーン・ラティファ  ジョン・C・ライリー  テイ・ディグス  クリスティン・バランスキー  ルーシー・リュー  マイア・ハリソン  チタ・リベラ
音楽 ジョン・カンダー
追加音楽 ダニー・エルフマン
原作(ミュージカル) ボブ・フォッシー  フレッド・エッブ 
原作(戯曲) モーリン・ダラス・ワトキンス
脚色 ビル・コンドン
撮影 ディオン・ビーブ
編集 マーティン・ウォルシュ
衣装 コリン・アトウッド
美術 ジョン・マイアー  ゴードン・シム
音響 マイケル・ミンクラー  ドミニク・タベラ  デビッド・リー
2002年 アメリカ作品 113分
アカデミー賞…作品・助演女優(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)・美術・衣装デザイン・音響・編集賞受賞
ゴールデン・グローブ賞…作品・主演男優・主演女優(レニー・ゼルウィガー)賞受賞
英国アカデミー賞…助演女優(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)・音響賞受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー…作品トップ10、第2位
全米映画俳優組合賞…主演女優(レニー・ゼルウィガー)・助演女優(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)・ベストアンサンブル賞受賞
ブロードキャスト映画批評家協会賞…作品・助演女優(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)・ベストアンサンブル賞受賞
DGA(ディレクターズ・ギルド・オブ・アメリカ)賞…監督賞受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー…トップ10作品、新人監督賞受賞
ラスベガス批評家協会賞…助演男優(ジョン・C・ライリー、「ギャング・オブ・ニューヨーク」「めぐりあう時間たち」と本作の3作が対象)賞受賞
ダラス映画批評家協会賞…作品賞受賞
フロリダ批評家協会賞…楽曲賞受賞(セル・ブロック・タンゴ)
評価☆☆☆☆

これを書いている5月11日の時点で2回観ている。
1回目に観たときは、ほとんど曲を知らなかったし、どこか手放しで称賛という気になってはいなかった。
でも、魅力がある。気になる。
そして2回目を観に行った。「シカゴ」の醸し出すダークでクール(かっこいい)でセクシーでワイルドな世界にお馴染みになったせいか、話の展開の上手さも1回目より多く気がついたし、楽しめた。

DVDなども含めて10回以上観ているミュージカル映画「ムーラン・ルージュ」と比べてみて、「シカゴ」にはないものに気がついた。「シカゴ」には悲劇の要素がないのだ。泣かせる要素がない。そこが最初に観たときに感じたほんの少しの物足りなさだったのかもしれない。
だけど、それは、「ないものねだり」になる。
主役の2人は殺人で収監されるが、悲しみになんか浸っていない。利用できるものは利用して、無罪を勝ち取ろうとする。したたかに、しぶとく生きるのだ。
もう、痛快そのもの。こっちも映画のノリに乗っかっていくのが正解なのだ。
とにかく、時間は、あっという間に過ぎている。1時間53分なのだが、1時間くらいにしか思えない。それがまさに、面白いという何よりの証拠だろう。

1920年代のシカゴ。スキャンダラスな事件は記者たちの格好の獲物だ。記者が流すニュースが、新聞やラジオを通じて大衆に伝わる。
大衆は、そのニュースを楽しみに待ち、その内容に喜んだり悲しんだりする。
スキャンダラスな事件であればあるほど、マスコミや大衆は興奮し、群がり、話題にする。
そして新しい刺激的なニュースが現れると、すぐさま、そちらに飛びつき、古いニュースはあっさりと捨てられる。

殺人容疑で獄中にいるロキシー・ハートが、やり手弁護士のビリー・フリンとともに記者会見。殺人は同情されるべき状況だったのだと記者たちにうまく印象づけ、その結果ロキシーは、まるでアイドルのように大衆の人気を得てしまう。
ロキシーに似せた人形が発売されたり、彼女のファッションを真似る人が出現したり。
彼女の夫が開催したロキシーの持ち物のオーディションは、好評を博した。そのオーディションは、ロキシーの人気とりを狙った、弁護士ビリーの入れ知恵によるものだ。
ロキシーは一躍、人気者。
「もうカポネはお呼びじゃない。これからはロキシーの時代だ」

アル・カポネの指示によるといわれた聖バレンタインの虐殺がシカゴで起きたのは、1929年2月14日。(ちなみに、この有名な事件は、マリリンの傑作「お熱いのがお好き」でも描かれている。)
1920年に酒を造るな、売るな、運ぶな、という禁酒法が実施されるが、逆に、密造酒はギャングたちの大きな収入源となってしまった。シカゴはギャングの勢力争いが絶えない街だった。
1920年代、ニューオリンズから移ってきた多くのジャズプレーヤーによって、シカゴでは洗練されたジャズが発展していった。ルイ・アームストロング、ベニー・グッドマンなども活躍した。
ローリング・トウェンティーズ(roaring twenties)。激動の20年代、という言葉まであるほど大騒ぎな活気にあふれた頃。
また、1920年にピッツバーグでラジオ局が開局し、早くも1920年代後半にはラジオのネットワークが完成している。ラジオというメディアは、大衆にとって大きな娯楽だった。
劇中では、ロキシーの裁判の様子がラジオで放送されている。
そういう時代だ。

映画紹介などでよく書かれているように、この映画は、普通にドラマを語っている途中でいきなり歌いだすというミュージカルの不自然さに対処している。主役ロキシーの想像の中の出来事ということにしたミュージカル・シーンを作ったのだ。
(ちなみに私は、いきなり歌が始まっても、ちっとも変だとは思わない。そういう形式なんだと、ごく普通に思っているから。)
そうした歌の場面では、想像のミュージカル・シーンと実際のドラマ・シーンを組み合わせる編集が、とてもよく出来ている
紹介の中には、「すべてのミュージカル・シーンが想像の中」と書いてあったものがあったが、それは誤解を招くのではないか。最初のヴェルマの歌「アンド・オール・ザット・ジャズ(And All That Jazz)」は、ステージで彼女が実際に歌っているという場面だし、ラストでロキシーとヴェルマが歌うシーンもそう。このシーンが想像だとしたら、まるで違う意味のエンディングになってしまう。

脚本が上手い。話の展開に無駄がない。
イリノイ州のクック郡裁判所が扱った、現実にあった事件をもとに、まずシカゴ・トリビューン紙の記者、モーリン・ダラス・ワトキンスが原作を書く。1926年に舞台がヒット。1927年に映画化(邦題は「市俄古」。フィリス・ハイヴァー主演)。1942年にはジンジャー・ロジャース主演で再映画化(“Roxie Hart”)。そしてミュージカルの神様ボブ・フォッシー(彼は映画でも「スイート・チャリティ」「キャバレー」「レニー・ブルース」「オール・ザット・ジャズ」といった傑作を作っている)により1975年に舞台ミュージカルになる。ブロードウェイでロングラン公演。1996年に再演。
これだけの実績がある物語。面白くないわけがないというところか。
殺人犯が、無罪になるどころか、あわよくばスターになろうと画策し、弁護士が加担し、マスコミや大衆が祭り上げる。すべてのことがショーなのだ。すべての人間がキャストになって演じられるショータイム。パワフルで、スキャンダラスで、スタイリッシュな。ただひとり、貧乏くじを引いた格好のロキシーの夫でさえもショーの一員だ。
この「シカゴ」、印象としては、たとえば「サウンド・オブ・ミュージック」の、陽光あふれる外向きの健康な明るさ、のようなものとは、まるっきり対照的なものかもしれない。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズは17歳のときに舞台でミュージカル「42nd Street(42番街)」の主役を演じた実績がある。この映画でも堂々とした歌声とダンスを見せてくれる。
こんな隠れた才能があったとは驚き。ハリウッド製ミュージカルの製作はずいぶんとご無沙汰だったから、ミュージカルの才をいままで発揮できなかったのも仕方がないことだが。彼女は、立派にミュージカル女優だ。

レニー・ゼルウィガーは、甘い声が充分に魅力的。
これまでにミュージカルの経験はないようだが、役柄の上でスターのヴェルマに対して、ロキシーはまだまだの実力のはずだから、このキャストでぴったりなのだ。
アカデミー賞授賞式では、キャサリンとのデュエットを断った(式では代わりにクイーン・ラティファが歌った)が、もっと自信を持っていいと思う。
レニーが演じたロキシー・ハートのミュージカル・シーンは、ブロンドのカールした髪に、ショー用の衣装をまとっていると、まるでマリリンのように見える一瞬がある。マリリンの映画のミュージカル・シーンに似ているような場面も、それを意図したのかどうかは知らないが、ある。だから余計にマリリンをふと思わせるのだ。
そんなことがあって、逆に、マリリンがこの役を演じたなら、どんなふうになっていたかなあ、と考えた。
観てみたい。きっと、適役だったに違いない。

ロキシーは、したたかそうに振舞っていて表面にはなかなか出てこないけれども、その根本は、繊細で弱い。キャサリンの演じるヴェルマの根っからの図太さとは違うのだ。
その2人の違いは、姉御然としたキャサリンと、レニーの地ではないかとも思える繊細さによって、くっきりとしている。

リチャード・ギアは、最初の歌を聞いたときに、あまり通らない声で、伴奏の音に負けてるのじゃないか、と多少の違和感を覚えた。が、そのあとはそれほど気にならなくなった。これも慣れか?
金さえ受け取れば(そして、たぶん、弁護対象が、いい女であればなおさら)死刑が当然のところを無罪へとひっくり返してみせる切れ者、はったり屋、伊達男。リチャード・ギアは軽々と楽しげに演じている。なにしろ、タップの独演まで披露するのだから(実際は猛練習をしたようだが)。彼も1970年代に「グリース」でミュージカル舞台を経験済み。

看守長ママ・モートン役のクイーン・ラティファはラッパーなのだそうだが、からだつきも堂々たるもので、女ボスの風格ぴったり

ロキシーの夫エイモス役のジョン・C・ライリーは、お人よし丸だしで情けないほどの役だが、素晴らしい歌唱で1曲歌う見せ場を作っている。歌うときのメイクに、なんとなくグロテスクさを感じるのも、情けなさを漂わせた見事なショーアップだ。

バンドリーダーで、曲目紹介をクールに決めるテイ・ディグスは、テレビシリーズ「アリー・myラブ」のジャクソン・デューバー役でお馴染みか。昨年のブロードウェイ版「シカゴ」では弁護士ビリー役を演じたというから、今回の映画版での役割は少し物足りないかもしれない。

そして、「ムーラン・ルージュ」の中の曲「レディ・マーマレード」を歌ったユニットの1人、マイアが登場。殺人を犯した6人の女による、セクシーでワイルドで印象的なナンバー「セル・ブロック・タンゴ(Cell Block Tango)」を歌っているのに注目。

ボブ・フォッシー演出舞台の初演でヴェルマを演じたチタ・リベラが、ほんのちょい役で出演している。ママ・モートンがお目見えするシーンで、ロキシーに話しかける女囚がそうだ。

映画版「チャーリーズ・エンジェル」のひとり、ルーシー・リューも、浮気夫とその相手2人を殺した女の役で、ちょっとだけ登場。

曲については、まず印象に残るのは、ヴェルマの歌う「アンド・オール・ザット・ジャズ(And All That Jazz)」、これはもう、とても有名な曲。キャサリン・ゼタ=ジョーンズは、この曲を歌いたいがために、いちばんの主役であるロキシーではなくヴェルマの役を選んだのだという。それに、上述のマイアのところでも書いた、6人のダンスが格好良すぎの「セル・ブロック・タンゴ(Cell Block Tango)」、ビリーとロキシー、記者たちによる腹話術風ミュージカルシーンがとても面白い「ウィ・ボース・リーチト・フォー・ザ・ガン(We Both Reached for the Gun)」などがいい。
舞台版に比べると曲目の数が削られているのが、ちょっと残念。キャサリン・ゼタ=ジョーンズとクイーン・ラティファによる曲「クラス(Class)」などは、映画には使われていないがサントラには入っているから、DVDになったときには特典として収録されるかもしれない。

ミュージカルはちょっと…という人でも楽しめるという巷(ちまた)の評価が本当かどうか知らないが(なぜなら私はミュージカルがもともと大好きで、まったくのノープロブレムだから)、ミュージカル好きならば見逃す手はないだろう。映画館で観なかったら後悔する可能性かなり大である。
〔2003年4月19日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕



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