ターミネーター3

TERMINATOR 3 : RISE OF THE MACHINES
監督 ジョナサン・モストウ
出演 アーノルド・シュワルツネッガー  クリスタナ・ローケン  ニック・スタール  クレア・デインズ  デビッド・アンドリュース
撮影 ドン・バージェス
音楽 マルコ・ベルトラミ
2003年 アメリカ作品 110分
評価☆☆☆★

観ていて面白かった。退屈しなかった。
観てから日にちが過ぎてみると、心に残るものはあまりない、その場かぎりのアクション・エンターテインメントだが、そういう映画もいいのである。
だからこそ、映画館で観る。迫力のある画面を体感する。テレビで観たら、きっと映画館で観るよりも、体で感じる面白さはガクンと減る。

前作の伝統を守った(?)、ターミネーター(殺し屋サイボーグ)同士の迫力ある戦い。
生身の肉弾戦も、しっかり取り入れてあるところがいい。

人間対機械の戦争が起きる未来。人間のリーダーはジョン・コナー。
前2作では、未来から機械側のサイボーグが、ジョン抹殺の指令を受けてやってきた。
1作目はシュワちゃん(こんなふうに可愛く呼ぶのは日本だけだろうなあ)、2作目はシュワちゃんではない男(笑)が刺客だった。
2作目は、シュワちゃんが1作目とは反対に、人間を助ける側になるのがミソだった。

となると、パート3の刺客は? また男じゃあ、つまらないから、女にしよう。いかにも強そうなマッチョ女(?)より、モデルみたいにスラッとしたクールビューティーのほうがサイボーグっぽいし、しかも、観客も喜ぶじゃん。そうだそうだ。
そういうことで「ターミネーター3」略して「T3」で、ジョン・コナーを狙うターミネーターは、美人の女性になった。(ホントかよ!)

シュワちゃんは「ターミネーター2」略して「T2」のときと同じく、人間の味方だ。前回と同じ形式のサイボーグなので、機能が同じなのはわかるが、前回と顔まで同じである。(笑)(未来の人間側の責任者は、この顔が好きなのである。)
彼を送り込んだ未来の人間側は、この旧式サイボーグしか持っていないらしいが、顔は変えられるはずだから、もしシュワちゃんがカリフォルニア州知事になったあとにパート4が作られるときは、顔が変わるだろう。(つまり主演者が代わるということだ。ただし、その場合、映画がヒットするかどうか?)

女ターミネーター役のクリスタナ・ローケン嬢は、モデル出身の新鋭だ。テレビドラマでは少し活躍していたようである。
彼女は先日、シュワちゃんとともに日本に、映画の宣伝にやってきた。
外国の映画ビジネス界にとって、最近は日本が金もうけの絶好の市場というわけで、新作映画のいろんなスターや監督などが次から次へと来日する。
映画ファンは、その様子を見て、それなりに楽しめるから、まあ歓迎してもいいだろう。
私なら、マリリンが来日したら、仕事をサボって成田へ飛んでいきたいものだが、今のスターのなかでは、そこまでしようと思う人はいない。
それはさておき。

ほとんど新人といっていいローケン嬢、サイボーグらしく表情なく容赦なく、抹殺指令を遂行しようとする。セリフはほとんどないから、しゃべる演技の上手い下手に関係なく、その存在の魅力だけで押し通すことができる。その点、美女は得である!
感情を消して、終始一貫ロボットのように演じるのは、なかなか難しい、と監督は言っているが、そうでもなかろう。と思うが。
ターミネーターが未来からやってくるときは、最初は全裸がお約束なので、今度のターミネーターが、わ、若い女性!と知ったときは欣喜雀躍、驚天動地(?)、ほとんど小躍りしていたものである。(爆)
実際観たら、しっかりハダカのようだったが、いともあっさりと撮られてしまったので、期待は、あまり叶えられたとはいえなかった。(笑)

対するシュワちゃんは「T2」のときと同様、ハダカのまま、大勢の人がたむろする店に乱入して、衣服を求める。さすがである。しかも今回は、理由(わけ)あって女性客ばっかりなのだ! さすがカリフォルニア州知事候補である。サービス精神が豊富だ。(そうじゃないって。)
客が女性だからって、女性の服を着たわけではない。シュワちゃんに女装趣味はなかったのである。(だいたい、シュワちゃんと体格が一致する女性は滅多にいまい。)

さて、今度のジョン・コナー役は、「T2」でジョンを演じていたエドワード・ファーロング君ではない。ファーロング君、どこ行っちゃったのかは知らない(ヤク中あがり、というウワサもあるけど?)が、私は違う俳優であっても気にならなかった。
あれから10年後だし、顔が変わっていてもいいではないか。(いいのか?)
整形したかもしれないし。(するか?)(いやいや、敵の目を逃れるために、するかもしれないぞ。)
それに、1作目のマイケル・ビーンとリンダ・ハミルトンの間の息子なら、ニック・スタールのおサル顔でいいのではないだろうか。幼い時に、どうしたものか、ちょっとハンサムになっていただけだ、と考えよう。(笑)

そしてジョンと行動をともにせざるをえなくなる、ジョンにとっての運命の女性(ひと)が、クレア・デインズ嬢だ。私は彼女をつい先日「めぐりあう時間たち」で観て、好感をもったところである。
この映画では主役のひとりといっていいが、まあまあ、ソツなくこなしているという感じか。(これは俳優の演技が目立つというよりも、アクションを見せていく映画だからね。)
自分を守るためにジョンを監禁したり、敵の機械に銃を向けたりと、なかなか強気なお嬢さんである。さすがはアメリカン・アクション・ムービーのヒロイン。

圧巻は中盤のカーチェイスだ。女ターミネーターが乗るのが大型クレーン車というところが決め手。この超重量級の車を、もののみごとに(運転というよりは)操縦して、街をぶっこわしながら猛烈な追跡戦を繰り広げるのだ。追っかけの終わらせ方にも工夫があって、このシーンが終わったときは、すごい…とマジに溜息、一息ついていたものだ。
このカーチェイスは上出来である。「T3」の中では、いちばんのシーンではないだろうか。

未来につながる危機を阻止しようとするジョンたち。その結果は…まだ続きを作れるようにしたな、という感想だ。

残念なのは、ジョンの母親サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)がいないこと。
前2作での主役、個性の強いキャラクターがいないのは、新しい展開を作るためには仕方がないことかもしれない。だが、母子の情愛を描くチャンスはなくなった。
「T2」ではジョンは、まだ幼かった。サイボーグのシュワちゃんとの間に、ある意味、父子の情愛が芽生えた。
だが、今回やってきたのは「T2」に登場したサイボーグではないし、ジョンも成長しているから、父子の情愛が生まれるのも難しい。
その代わり今回は、クレア・デインズ嬢と、その父親や恋人との関係について、もう少しじっくり描いて、彼らの運命について観客が感情移入できるように演出することができたかもしれない。しかし、この部分は結局、平板的な物語に終わってしまった。
彼女の人間関係が主たるストーリーではないので、そこまでじっくり描く必要はなかった、ということならば惜しいことである。
ストーリー展開上の制約のことを言ってもしょうがないが、より深い感情面を描く余地がなく、アクションを楽しむだけという感じになっていた。

「T4」が作られるとしたら、人間側が過去へ使者を送って、どうにかして平和を導くというのはどうだろうか。そうすると機械側が、それを阻止しようとして、やはり刺客を送るのだろうな。
いや、やはり、大きな事件の流れは変えられないのか
宮部みゆき氏は、その著作「蒲生邸事件」のなかで、歴史上の大きな出来事は変えられない、過去に戻って変えようとしても、歴史は必ず、阻止された出来事の、その代わりになる似たような事件を生み出す、というふうな考え方を示していた。

周知の事実が変えられないものであるならば、そして「T4」を作るならば、まだ見ぬ未来の、人間側の勝利を、ぜひとも見たいものである。

〔2003年8月2日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕



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