ラスト サムライ

THE LAST SAMURAI
監督 エドワード・ズウィック
出演 トム・クルーズ  渡辺謙  原田眞人  ティモシー・スポール  真田広之  小雪  トニー・ゴールドウィン  中村七之助  ウィリアム・アザートン  小山田シン  福本清三  菅田俊
脚本 ジョン・ローガン  エドワード・ズウィック  マーシャル・ハースコヴィッツ
撮影 ジョン・トール
音楽 ハンス・ジマー
2003年 アメリカ作品 154分
ナショナル・ボード・オブ・レビュー…監督賞・作品トップ10、第2位
AFI(アメリカ映画協会)…トップ10
評価☆☆☆★

渡辺謙演じる勝元たちの突撃の場面は、ダアダアと涙を流しながら観ていた。
名誉と、そしてたぶん、いくらかの意地とともに滅んでいこうとするサムライたちの姿。
だが、名誉って、何だ? 何のための意地だ?

こうするしかなかったのかという思いは、観た後も、どうしても消すことはできないが、しかし、このように見せられたら、もう感動するしかないのだった。
この場面で、なぜ泣けるのか。
きっと、それは、人が死んでいく、からだ。
人が死ぬことは悲しい。
死んでいくことを選ぶという、その覚悟、そして、少し後に待っている悲しい結末を思うから、悲しいのだ。

冷静に考えれば、そんなことをしなくても、助かる道はあるではないか、と思う。
それを無視して、いわば勝手に死んでいくなんて、ある意味、ワガママではないか。
侍の生き方を捨ててまで生きていたくないということか。
これをたとえば、滅びの美学、などと賞賛してしまっていいのだろうか。

勝元にとって、刀を捨てることはできなかったのか。
先祖が数百年守り続けてきた故郷の村の歴史を守るためことが大事だったならば、刀を捨てることはできなかったのか。
刀を捨てて生きることが、もっとも勇気のある行動だと思う。
彼らが討ち死にしたあと、残された村人たちは、どうなるのか。
政府に、おとがめなしの無事安泰を保証されていたのか。残された者に連帯責任はなかったのか。勝元たちはそのあたりを考えていたのか。そこは、はっきり描いてほしかった。(最後に村の様子が映るから、村が無事なのは結果的に分かったけれども。)

結局、勝元たちは、近代化についていけない不器用な人間たちだった、ということになる。
彼らにとっては、死をもって、天皇に意見するしかなかった、ということだ。
だから、滅んでいかざるをえないもの、という、悲しく、見ようによっては美しい感動もある物語になるのだろう。

全体的には、真面目に、しっかりと作り上げた映画。日本についての描写も、おかしいところはあまりないようだから、外国の映画にしては、がんばって日本を研究したと言っていいのだろう。
渡辺謙や真田広之が、日本の描写で変なところがあったときには意見を出して、それを取り入れてもらったということもあったらしい。

日系アメリカ人などではなく、きちんとした日本人俳優を多く起用したことは評価したい。
どの映画評でも言われていることだが、渡辺謙は役柄を見事にこなしたと思う。彼をキャスティングできたのは、この映画にとって幸運なことだった。
監督をはじめとするアメリカ人が魅せられて映画にしたいと思ったサムライ・スピリットを、渡辺謙は、特に外面的に、見事に表現できる俳優だったからだ。
ユル・ブリンナーを思わせるという意見(たぶん「荒野の七人」のガンマンを言っているのだろう)があったが、これには納得。つるんとした頭や鋭い風貌が似ているし、厳格に自分の身を律している人間という役でもある。(ついでに、親玉であるのも一緒だ。)

私がテレビで渡辺謙を見たのは、たぶんNHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」くらいしかないと思うが、そのときから、かっこいい俳優さんだとは思っていた。その後、白血病になったというニュースを聞いて驚いたりしたが、今回の堂々たるハリウッド映画デビューは、この人なら普通というか、当然の演技ではないか、とも思えた。もともと彼は、侍らしい、どっしりと腹の据わった胆力のようなものを、演技に出せる役者だと思うからだ。

トム・クルーズの映画というと、ついそう思ってしまうような、トムのワンマン映画でなかったのもよかった。渡辺謙の存在、彼が演じた勝元の生き方が、映画の大きな部分を占めていたのが幸いしたと思う。

トムは、インディアンをさんざん殺戮した騎兵隊の一員だった、という設定。
トムが勝元たちの村で暮らすうちに、トムと彼ら村人との間に友情が生まれる。
トムの心には、アメリカ国の騎兵隊という大きな権力側の暴力によって、服従しない少数民族の人間を殺してきたことへの悔恨がある。
トムが、日本政府に雇われて来日していながら、政府に反抗する圧倒的少数の勝元たちの味方をしてしまう展開には無理がない。まず友情があり、その奥底には、トムの過去の悔恨を晴らす贖罪の心があるからだ。このへんはソツのない脚本と言えるだろう。

私が気にいったのは、原田眞人。日本からアメリカへ、トム・クルーズをスカウトに来る男だ。
映画的には悪役。彼は彼なりに、日本の行く末を考えた…のかどうかは知らないが、たとえ小悪党であっても、こういう悪党めいた役が一応ちゃんとしていなければ、映画は面白くないのである。

思えば、1年少し前から、トム・クルーズが日本にロケに来ていて、ファンにサインをサービスしたりするシーンがテレビの芸能ニュースで流れて、話題になっていた作品だ。
予告編も1年前からあった。
日本を舞台にした作品が、とにかくも、しっかりと見応えのある映画に仕上がっていたというだけでも、よかったなあ、という思いはある。

トム君の日本好きらしいところも嬉しい。
今回、サムライ魂も勉強してもらったことだし、そのうち、日本人の嫁さんをもらい、ぜひ日本に帰化して、日本語を日常的にペラペラと使うようになってもらいたいものである。

〔2003年12月23日(火) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕


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