ミスティック・リバー

MYSTIC RIVER
監督 クリント・イーストウッド
出演 ショーン・ペン  ティム・ロビンス  ケビン・ベーコン  ローレンス・フィッシュバーン  マーシャ・ゲイ・ハーデン  ローラ・リニー
撮影 トム・スターン
脚色 ブライアン・ヘルゲランド
原作 デニス・ルヘイン
編集 ジョエル・コックス
音楽 クリント・イーストウッド
2003年 アメリカ作品 138分
ナショナル・ボード・オブ・レビュー…作品・主演男優(ショーン・ペン、本作と“21Grams”が対象)賞
AFI(アメリカ映画協会)…トップ10
ボストン映画批評家協会賞…作品・アンサンブル演技賞
シアトル映画批評家協会賞…助演女優(マーシャ・ゲイ・ハーデン)賞
サウスイースタン映画批評家協会賞…助演男優(ティム・ロビンス)・脚色・トップ10第2位
フロリダ映画批評家協会賞…主演男優(ショーン・ペン、本作と“21Grams”が対象)・助演男優(ティム・ロビンス)賞
全米映画批評家協会賞…監督賞
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞…主演男優(ショーン・ペン)賞・ベスト10第3位
シカゴ映画批評家協会賞…助演男優(ティム・ロビンス)賞
ゴールデン・グローブ賞…主演男優(ショーン・ペン)・助演男優(ティム・ロビンス)賞
ロンドン映画批評家協会賞…男優(ショーン・ペン)・監督賞
アカデミー賞…主演男優(ショーン・ペン)・助演男優(ティム・ロビンス)賞
評価☆☆☆☆

ラストのパレードの場面が印象に残る。
ここで描かれる、3つの家族の姿。
映画を観た直後は、この場面の見事さよりも何よりも、物話全体のずっしりとした重さに直面して、なんとなく、もやもやとした受け入れ難さがあった。

だが、あとから何度も考えるたびに、まず、あのパレードのシーンが思い出された。
今は、少なくとも私にとっては、確実に、記憶に残る名シーンといえる。
この場面。とくに、ティム・ロビンスの妻の役を演じた、マーシャ・ゲイ・ハーデンの演技のすごさが忘れられない。
ネタばれになるので詳しくは書かないし、うまく表現もできないのだが、彼女が抱え込んでしまった、どうしようもなく取り返しがつかないといった気持ちが、圧倒的に画面に焼きつけられていたと思うのだ。
私にとっては、ここでの、彼女の場面が、映画のクライマックスであり、彼女が、ある意味では一番の主演なのだった。彼女の演技がなかったら、星4つの評価にはしなかっただろう。

物語は、11歳のショーン、ジミー、デイブの3人の少年が遊んでいるところから始まる。
ここでデイブが、ある悲惨な出来事に巻き込まれてしまう。
その出来事をきっかけに、3人はいっしょに遊ぶこともなくなる。
そして歳月は過ぎ、ショーンは刑事に、ジミーは雑貨店の経営者になっている。そしてデイブも平凡ながら、妻と子と3人で暮らしている。
そんなある日、ジミーの19歳の娘の身に、事件が降りかかる。
ショーンは事件の捜査担当として、娘の親であるジミーや、娘をバーで目撃していたデイブと、25年ぶりに再び深く関わっていくことになる…。

ジミーを演じたショーン・ペンの演技を絶賛する声もあるのだが、私にはそれほど傑出した演技には思えなかった。
演技が上手い、というのは、なにをもって、そう言うのか。いまさらながら、そんなことを考えてしまった。
彼の演技を褒める人と私とでは、演技が上手いと感じるアンテナが違うのではないか、とか、上手いと思わせるのは、まだまだなのであって、本当に上手い段階になると、その上手さが見えなくなって、ごく自然になってしまい、普通にしか見えないのではないか、などと変なことを思ったりした。

多くの俳優たちの演技合戦、アンサンブルという点からは見応えがある。主演3人の他には、まず、その妻たち。前述したマーシャ・ゲイ・ハーデンはもちろん、ローラ・リニーのラスト近くでのショーン・ペンとのやり取りは圧巻。タフな女である。強靭な生命力を感じさせる、いいシーン。彼女の場合は、この一場面があっただけでも、もうけものの役だ。

ケビン・ベーコン演じるショーンの相棒の刑事役は、ローレンス・フィッシュバーン。最初はどうしても「マトリックス」のモーフィアスをイメージしがちなのだが、頭を切り替えて観た。
少年時代からの複雑な思いを捜査に引きずっているケビン・ベーコンに対して、第三者的な立場から冷静に事件を見る役目であり、いいコンビぶりだった。
ただ、真犯人を突き止めるきっかけは、あんたら、そんなこともっと早く気づかないなんて、けっこう頭悪いかも?と思ってしまった…。

クリント・イーストウッドの演出も、しっかりしたものである。
細かいところまで目配りが行き届くとともに、悠然と構えたような余裕のある骨太さがある、とでも言えばいいのか。緻密かつ大胆なのだ。
ティム・ロビンスとマーシャ・ゲイ・ハーデンの、あるシーンでは、光と影をうまく使って、人物の心理面における光と影を劇的に表現している。
また、死体を上空から俯瞰で映したシーンは、客観的に、冷酷に、それがひとつの物言わぬ物体と化してしまった、という悲しさを見せつけて印象的だった。

この作品、イーストウッドが音楽まで担当しているのには驚いた。
譜面を書けなくても、メロディだけ口ずさんで他の人に楽譜にしてもらうのか、チャップリンみたいに? などと、先日、映画好き仲間のK嬢とおしゃべりしたときにも話題になったものである。
しかも、息子のカイル君の作曲も2曲入っているという。いやはや、才能ある一家なのですね。

とにかく、一見、血も涙もないような話なので、反感を持って好きではない、という人はたくさんいると思う。映画は正義が勝ち、楽しくなくちゃ、と思う人には、気にいらない映画だろう。
この映画のラストは、ぼかしたように見える部分もあるが、私にとっての結末は、たぶんひとつしかない。それは、最も非情な結末といえる。

人の心の奥底には、得体の知れない暗い川が流れていることがある。決して表に出せない罪深きものを沈めて、どんよりと、重く流れる川が。
子ども時代の、あの出来事が、3人の心の底にある。
そして、負い目を感じている人間は、その負い目を感じる対象の人物がいなくなると、ほっとするのだ。

人生は不平等だ。そして、人間は不完全だ。
良い悪いではない。悲しくても、これも現実の、ひとつの有り様(ありよう)なのだ。

〔2004年1月10日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕


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