マリリン・イン・「ビリー・ワイルダー自作自伝」


ビリー・ワイルダー監督へのインタビューをもとに原稿を作り、ワイルダー自身がそれをチェックしたという、ヘルムート・カラゼクの著書「ビリー・ワイルダー自作自伝」(瀬川裕司・訳、文藝春秋・刊)から、マリリンについて語った部分を取り上げる。それぞれに引用者(BJ)のコメントをつけてみる。
本書を称える意味でも、マリリンを女優として輝かせた名監督を称える意味でも、関係者におかれましては、本文の引用について、寛容なるお気持ちをもってお許しいただきたくお願い申し上げます。マリリンについてのほんの少しの部分だけですしね。これが多少は宣伝にもなるかもしれませんし…。
〔 〕内は引用者(BJ)注。


…彼〔ワイルダー〕は、ほんの数秒間とはいえ、マリリン・モンローをニューヨークの地下鉄の通風口の上に立たせて、太腿があらわになるくらいスカートをめくり上がらせたではなかったか。しかもそれは1955年のことである。あのころはまだ全世界が、「私はおくてなんだ、もうそのへんでやめといてくれ!」と胸の中で唱えていたものだ。…

BJ:そうだったのか。当時、全世界の人は、みんな、マリリンのスカートふわりに、どぎまぎしていたのかあ。ウブだったんだ…。


ワイルダーは、調子の悪いときのマリリン・モンローは、たった4語からなる文章すらカメラの前でしゃべることができなかった話をしてくれた。「バーボンはどこ?(Where is the bourbon?)」というのがその台詞だ。
「80回も撮影し直したんだからな!」
ワイルダーはたしかにそういった。私が読んだ彼の最新のインタビューでは、63回となっていたはずだが。

BJ:ワイルダーさん、面白いからって、自分で話に尾ひれをつけないでね〜。


〔ワイルダーの話〕
ホワイトマンのバンドの中に、ジャズ・ヴァイオリニストのマティー・マルネックがいた。…(中略)…私は2本の自分の映画、つまり『情婦』と『お熱いのがお好き』とで彼の音楽を使わせてもらった。『ステアウェイ・トゥー・ザ・スターズ』のメロディーは、モンローとトニー・カーティスとのランデヴーの場面に流した――モンローを誘惑しようとしたカーティスが億万長者のふりをするうちに、彼女から誘惑される場面である。それから、あの『アイム・スルー・ウィズ・ラブ』。真に理想的な映画音楽だった。

BJ:マリリンの歌う『アイム・スルー・ウィズ・ラブ』は、マリリンだからこその名曲でした。


20世紀フォックスのスタジオの強大な権力者はダリル・F・ザナックである。彼は1935年から1952年まで社を率いていた。シャーリー・テンプル、ベティ・グレイブル、ソーニャ・ヘニー、タイロン・パワー、アリス・フェイ、ドン・アメチー、カルメン・ミランダ、マリリン・モンローといったスターがおり、プログラムの中心をなしていたのは西部劇であった。…
BJ:1952年というのはマリリンが売れてきた頃だから、彼女にとっては、その後の権力者が問題ですよね。


〔ワイルダーが、アイデアを書きためたルーズリーフから、いくつかを紹介して語る〕
「マリリン・モンローがロシアの秘密諜報員に誘拐される。『洗脳』によってソ連のスパイに仕立て上げるためだ。彼女はケネディと関係があるために高い価値を持つ人間だったのである。3日後、モンローは解放された。『洗う』べきものがなにもなかったからだ」
ワイルダーはノートのこのストーリーには赤インクで下線を引き、以下のような注を書き加えていた。
「もはや時代遅れ――第2のスターリンが出現し(考えられない)、第2のモンローが見つかるなら(考えられない)、別かもしれないが」

BJ:ほんの思いつきのジョークでしょ? マジにマリリンの頭の中身が軽いとは思ってないでしょ?


〔ワイルダーの話〕
『お熱いのがお好き』では、当たりくじのほうから私たち〔脚本家としてのワイルダーとI・A・L・ダイアモンド〕のところにやってきた。それはモンローである。ちょっと想像してみていただきたい。たとえば、ある女性の部屋のベッドにふたりの女装した男がいるところを。その「ある女性」とは誰だろう? 当時、世界のアイドルだった女性だ! 男たちは見かけが女性らしくなければベッドの中には入れてもらえまい。それに、彼らは女性のままでいなければならないのだから、ベッドの中でなにも起こるはずがない。そういったプロットと、あのモンローが出ているという事実から、観客にとって大きな興味が生まれ、より大きな笑いの爆発へとつながったのである。
億万長者を自称するカーティスがモンローをオズグッドのヨットに誘う場面でも、それを利用した。カーティスがモンローを誘惑するという設定でいいのだろうか? 私たちはじっくりと考えた。それよりも観客が興奮するアイディアはないか? そして答えは見つかった。モンローのほうから誘惑させるのだ!
そのころ、男性の観客は全員がモンローと寝てみたいと思っていた。彼女は最高のアイドルだった。そういった事情があったからこそ、あの映画は喜劇としてあれほどの力を持つにいたった――…
BJ:女装の不細工な2人が、よりにもよって、マリリンと一緒にいるという図。脚本家にとっては、これ以上ないくらいの素晴らしいシチュエーションを生み出したよね。


〔ワイルダーの話〕
…ここで私の頭に浮かぶのは、『七年目の浮気』のポスターの図柄を考えたときのことである。今日では誰もが、その映画といえば地下鉄の通風口の上に立つモンローのめくれ上がったスカートを思い出すだろう。しかし、私たちがポスターに採用することを決めたのは、映画のストーリーを1枚の写真に集約するもの、そこにあらゆる意味のこめられたものであった。つまり、子供が遊び道具に使うインディアンの羽根飾りである。いずれにせよ、地下鉄の通風口の上のモンローではなかった。

BJ:羽根飾りをポスターにして、映画の意味がどのように伝わったか、見てみたかったです。


…ダイアモンドの葬儀での弔辞で、ワイルダーはかつてモンローの夫だったジョー・ディマジオの話をした。彼は毎年、モンローの命日には墓前に赤い薔薇を供えているらしい。だから自分も、毎年「イズ」〔ダイアモンドの愛称〕の命日には彼の椅子の上に赤い薔薇を供えたい、といったのである…
BJ:ワイルダーも、やはりマリリンには、いろんなところで影響されてるんだね…。


〔グレタ・ガルボは、フィルム上では一変してスターの顔になる。もっぱらセルロイド上を得意とするスターだった、という話に続けてワイルダーが語る〕
…モンローの場合にも同じ奇跡を体験した。撮影が終了してラッシュを見るたびに驚いたのは、カメラを通過する過程で彼女の表情に信じがたい変化が起こることであった。

BJ:マリリン・セルロイド説をブライアン・デ・パルマ監督もしていた(「映画感想/書くのは私だ」のページ内の「ファム・ファタール」参照のこと)。もしや、このワイルダーの話を使ったのか?


…50年代にホークスとワイルダーはともに2本のモンロー映画を撮っているのだ。ホークスの場合は、ジェーン・ラッセルとM・Mの競演で『紳士は金髪がお好き』(1953)という驚くべき刺激的な喜劇をうみだし、遺伝子操作を題材としたコメディー『モンキー・ビジネス』(1952)では、ベン・ヘクトの(今日では少々馬鹿げているようにも思える)脚本を見事に映像化した。…
BJ:ホークスもワイルダーも名監督。よくぞマリリンを撮ってくださいました。


…カザンはたとえば、モンローがディマジオとの結婚を報告するために彼の家に来たが、結局その夜も彼と寝ることになったと語ったりしている。私は、この話が不快なのはふたつの理由がある、と説明した。つまりひとつにはモンローはもう死んでしまっているということ、もうひとつにはディマジオはまだ生きているということである。…
BJ:全面的に賛成。マリリンと寝たのを他人に自慢げに話したのだとしたら、エリア・カザン監督は、監督としては偉いかもしれないが、最低のクズ野郎です。


…『皇帝円舞曲』はテクニカラーで撮影された、彼〔ワイルダー〕のカラー映画第1作だ。ワイルダーは(以前の)カラー映像を気にいらなかった。彼にいわせれば、この時期のカラー映画では「なにもかもがアイスクリーム・パーラーみたいに見えていた」。「そんな色彩のなかでは台詞までが嘘くさく聞こえた」。…(中略)…
チャップリンがトーキーを敵視して無声映画にこだわったように、以後のワイルダーはできるかぎりカラー映画は避けようとした。『お熱いのがお好き』のように意志が貫ける場合にはマリリン・モンローをモノクロで撮影したし、『七年目の浮気』のようにそれが無理だった場合にはカラーで撮った。…

BJ:「お熱いのがお好き」が白黒だったのは、カラーだと女装が気持ち悪く見えるからかと思っていたが、そういうことだったのか…。単に、カラーが気にいらなかっただけなのね。
とはいえ、女装にカラーは冒険すぎるから白黒にした、という説も、ちゃんとあるんだよね。


〔「麗しのサブリナ」撮影中、脚本が十分に仕上がっていないことなどで、ハンフリー・ボガートとワイルダーの関係はよくなかった。その日の撮影分の脚本ができていないので困ったワイルダーに、オードリー・ヘプバーンが助け舟を出してくれたことをワイルダーが語る〕
…彼女はそんなことだったら私におまかせください、心配はいりませんわと答えた。午後になると、彼女は書き上げられているテクストの最後の部分でやたらと台詞をとちった。つまり、その日の午後が終わるまではいっさい台詞をまともにしゃべれないかのように振る舞ったのである。マリリン・モンローが無意識にやったことを、彼女は意識的にやったのだ。私を救うために、あえて皆の笑いものになってくれたわけである。

BJ:オードリーとワイルダーとウィリアム・ホールデンは撮影中、毎晩のように談笑して過ごしていたほど、和気あいあいだったらしい。それにしても、オードリー偉い! でも、お得意の皮肉なジョークとしても、マリリンをそんなふうに言われると、ちょっと嫌だなあ、ワイルダーさん。


ビリー・ワイルダーはマリリン・モンローから遠くないところにいる。住まいのあるウェストウッドのウィルシャー・ブールヴァードは、ゆるやかなカーブを描く坂道になっていて、べヴァリー・ヒルズのオフィスまでは2分か3分で行ける。逆の方向、つまりサンタモニカのほうに行くと、ウェストウッドの小さな墓地、ピアス・ブラザーズ・ウェストウッド・メモリアル・パーク&モーチュアリが見えてくる。すぐ横には、いつも3本立ての上映をしている映画館がある。ビリー・ワイルダーによれば、そこはマリリン・モンローにとって悪い場所ではない。墓地は映画館と高層ビルに周囲を囲まれ、ウェストウッド・ブールヴァードのすぐ手前にある。
謎の死をとげたナタリー・ウッドも、同じ墓地の幅の狭い芝生の真ん中で眠っている。彼女はかつてモンローについてこんなふうに語ったことがある。
「スクリーンのマリリンを見ると、観客は、彼女が元気でいますように、彼女が幸福になれますようにと願わずにはいられないのよ」
モンローの灰の入った壷は、死者のための一種のロッカーが設けられた壁面に収められている。ここに葬られている多くの俳優たちは、毎晩マリリン・モンローとパーティーをやっているにちがいない、というのはワイルダーの意見だ。
…(中略)…ビリー・ワイルダーはこの「すごくきれいな墓地」のわきを通りかかると、そこに眠っている彼女にこう呼びかけるという。
「もうちょっと待っていてくれよな! すぐに私も行くから!」
BJ:マリリンのお墓。いつか行ってみたい。ナタリー・ウッドのマリリン観を垣間見られたのも収穫。ワイルダーさん、天国でマリリンに会えましたか?


〔ワイルダーの話〕
マリリン・モンローと初めて会ったのは50年代に入ったばかりのころだ。週末の午後、知人の家でのことだった。数人でジン・ラミーのゲームをしていた。メンバーのひとり、エージェントのジョニー・ハイドがモンローを連れて来た。彼女は、カードをやっているテーブルから遠く離れた部屋の隅っこに行儀よく坐っていて、ハイドがゲームを終えるまでおとなしく待っていた。カードは数時間続いただろう。モンローとハイドは一緒に帰っていった。
彼女が特に私の目を惹いたといったら嘘になるだろう。当時の男性が、どこかにカードをしにいくとしたらこんな感じの娘を連れていきたい、と思うようなタイプだった。たしかに美人だが、目を離すことができないというほどでもない。モンローが人の目を離さない美しさを発揮するのは、スクリーンの上でのことである。スクリーン上での彼女は比類なき存在となる。あらためて考えてみて、彼女ほど醜く見えることのある女性には会ったことがないといっておかなければなるまい。しかし、いったんセルロイドの上に焼きつけられると、あのガルボを含めても、モンローにまさる美しさを発揮する女優はいないのだ。

BJ:彼女ほど醜く見えることのある女性には会ったことがない、とは、どういう意味なのか知りたいところだ。薬などで調子が悪くて撮影を遅らせた仕事上の問題を批判しているのか。批判するなら、理由をはっきりしてほしい。気にいらないコメントだ。


〔『七年目の浮気』撮影中のことをワイルダーが語る〕
マリリンが冷房のきいたイーウェルの部屋を訪ねるために階段を下りてくる場面を撮ったときのことは今でもよく覚えている。彼女はナイトドレスを着ていたが、私はその下にブラジャーが透けて見えたように思った。
「ナイトドレスの下にブラジャーはしないんじゃないのかな」
私はモンローにいった。
「ブラジャーで強調されているからこそ、君のバストがくっきりと見えるということもあるけども」
「ブラジャーってなんのこと?」
彼女はそういうと、私の手をとって胸に押し当てた。ブラジャーはなかった。かたちといい固さといい、重力にさからっている具合といい、モンローの胸はそれ自体がひとつの奇跡だった。

BJ:そんなことしちゃダメだったら、マリリン! 天然すぎるよ〜。…ワイルダーさん、この果報者! そういう目に遭っておいて、彼女に文句言うな!


〔ワイルダーの話〕
…モンローの夫だったアーサー・ミラーとは、一度も話をしたことはない。東海岸のエリートだったミラーはハリウッドおよび映画産業を軽蔑していた。『お熱いのがお好き』などは考慮の対象にすらならなかった。あまりにも水準が低く、視野に入りさえしなかったのだ。ジョー・ディマジオとちがって、アーサー・ミラーは、私にいわせれば傲慢な文学屋だった。

BJ:映画産業を軽蔑していたとは、よくありませんね、ミラーさん。ほんとにそんな奴だったら結婚しないでよ、マリリンってば。


〔ワイルダーの話〕
…すでにそのころモンローと仕事をするのは容易なことではなくなっていた。パートナーのトム・イーウェルの証言もあるが、彼女は大量の薬品を服用しており、9時にスタジオ入りすべきところを11時に現われ、そのたびに学校に遅刻した子供のような言いわけ(「目覚まし時計が鳴らなくって…」「踏み切りがずっとしまったままだったから…」といったような)をしていた。一度などは、私が遅刻の理由を問いただしたところ、「スタジオを見つけられなかったの」と答えた。6年も前から仕事をしてきたスタジオの場所がわからなくなるなんてことがあるだろうか?
当時のジョークとして、次のようなものがよく引用される。
「以前は、月曜日に撮影を始めると彼女と木曜日に来ていた。いまでは彼女は、春に撮影が開始されると秋にならないとやってこない」
ジョークとしては楽しいが、彼女と仕事をすると必ず起こる背中の痛みのことを考えると、とても笑ってはすまされなかった。

BJ:「七年目の浮気」のときから、薬漬けだったんだね、マリリン…。そんななかで、よく名作を仕上げてくれました、ワイルダーさん。ありがとうございました。


〔ワイルダーの話〕
たとえば『お熱いのがお好き』では、屋外での、台詞が非常に多い複雑な場面があった。モンローが浜辺で自称石油長者のトニー・カーティスと知り合う場面である。…(中略)…すぐ近くに海軍の飛行場があり、一定の間隔でジェット機が飛び立つことが問題だった。撮影はその合間を利用するしかない。私は思った。彼女の不器用さと台詞の覚えの悪さを考えれば、この難しい場面を思いどおりに撮るには4日はかかるだろう、と。
ところがそうはならなかった。彼女は1度のミスもなく完璧に脚本どおりに演じたのだ。1回目のテイクで終了だった。台詞だけで2ページにも及ぶ長い場面だったにもかかわらず、4日どころか20分もかからなかったのである。
しかしそのあとに、シュガーが落胆してカーティスとレモンのいる部屋にやってきて、絶望のあまり再び酒を飲み始めようとする場面があった。それは「バーボンはどこ?」というひとつの台詞で表現されることになっていたが、なんとこの場面は、65回も撮り直さなければならなかった。…(中略)…まず、ドアに彼女の台詞を書きつけた。次には、箪笥の引き出しのひとつひとつに「バーボンはどこ?」と書いた紙を貼った。そして彼女にいった。
「マリリン、こんなの簡単だろう! そこに書いてある言葉を読めばいいんだから!」
彼女は答えた。
「でも私、書いてあるものをただ読むだけっていうのはいやなの!」
ひたすらテイクを重ねていった。60回を越えたとき、私は彼女を脇へ呼び、とにかく落ちつかせようとした。
「マリリン、大丈夫だよ。とにかくリラックスしろよ! 心配なんてしなくていいから!」
彼女はこういった。
「心配? いったい私がなにを心配するの?」
…(中略)…失敗をするたびに彼女は泣き始める。作業は当然やり直しとなり、彼女を慰め、化粧を直さなければならない。そんなことをしているだけで、10分や20分はすぐにたってしまうのである。

BJ:マリリンは調子がいいときは、ちゃんとできるんだよ。でも、気持ちが不安定だったみたいで可哀想だよ…。ん?撮り直し65回って…上のほうに書いてある文章では80回って言ってたじゃないの、ワイルダーさん、わざと変えてんのかな?


〔マリリンは撮影中、台詞コーチとしてついていたストラスバーグ夫人が彼女の演技にOKを出すかどうか、常に気にしていた。ワイルダーが語る〕
モンローはストラスバーグのおかげでましな女優になれたのだろうか? 特別な演技の訓練を積んでいなかった彼女は、ストラスバーグ夫妻のアクターズ・スタジオで、ほかの者には真似のできない台詞の感覚をつかんだ。モンローは本能的に、どう動くべきか、どんなふうにジョークを語るか、どんなふうにすれば滑稽に見えるかを知っていたから、ストラスバーグ夫妻のもとを訪れた前でもあとでも、同じようにうまく演じることができた。ただ、彼らのおかげで、演技というものについて、徹底的ではあるが誤った説明の仕方を身につけただけのことだ。

BJ:ワイルダーさんは、マリリンがアクターズ・スタジオで学んだことは「台詞の感覚」であり、喜劇女優としての面は、彼女の天性の才能によるものだというわけです。マリリンは不安だったのだろうけど、現場コーチの存在は、周囲のスタッフには邪魔くさかっただろうな。


彼女〔スーザン・ストラスバーグ〕によれば、モンローは『七年目の浮気』を終えたあと、もう二度とあんな役はやりたくはないと語っていたそうだ。彼女はストラスバーグ夫妻に向かってこう嘆いたという。
「あのころは、まだあなた方のメソッドによらずに演技ができて本当によかったわ! 考えてもみてよ、あんないかれたブロンド女になりきらなきゃいけなかったんだから!」
ふたりの恩師は、そんな単純な理解、もしくは誤解をしてほしくなかった。…

BJ:頭がからっぽの娘みたいな役をやって、自分もそれと同じだと思われたくないという気持ちは分かる。でも、映画の役と、演じた本人は違うんだってことは理解しているよ、少なくとも心ある貴女のファンはね。


…マリリンは『七年目の浮気』のことを回想している。特に印象に残っているのは、彼女が内気な男性が好きなのだと語る場面である。マリリンはスーザン・ストラスバーグにこう語っている。
「あそこは、本物の人間の演じる本物の場面だったわ。私は本物の人間のように演じることができたのよ。カメラの前で、本当に純粋な気持ちになれたのはあのときが初めてだったわ」
『お熱いのがお好き』のシュガー・ケイン役での素晴らしい成功について、マリリン・モンローは(おそらくアーサー・ミラーの影響があったのだろうが)手放しで喜ぶことはできなかった。人々は彼女を祝福したが、モンローはリー・ストラスバーグに「みんな、私がシリアスな役もやれるなんて思ってもみないんだわ」と悩みを訴えている。モンローは過小評価されていると感じており、滑稽な役ばかりやらされるのは悲劇的なことだと誤解していた…
BJ:それで、次にミラーの書いた脚本「荒馬と女」で、シリアスな役を演じたね。貴女は本当に素晴らしかったよ。


〔ワイルダーの話〕
思うに、モンローの大きな秘密は、ただ単に存在していることができ、「みんなどうして私のほうをじろじろ見るの?」と不思議に思っていられることにあった。この点で彼女はおそろしく純真だった。…(中略)…「私になにか特別なことでもあるの?」といった驚きを感じていたようにも思える。とっくにまわりの人たちは事情を呑みこんでいたのに、彼女ひとりだけはいったいなにが起こっているのかわかっていなかった。モンローはいつも、いったい自分のどこが普通でないのだろうかと不思議に思っていた。
難しかったのは、とにかく彼女をセットに連れて来ることだった。あとは彼女が台詞をしゃべれることを祈るだけである。ところがモンローには、ほかのいかなる女優にもない魅力がそなわっていた。額のあたりの輝きが、その魔力であった。…(中略)…
マリリンは喜劇女優として天才的な才能に恵まれていた。滑稽な台詞をしゃべるための特別な感覚があったのである。すごい才能だった。彼女亡きあと、あれほどの才能には出会ったことがない。
彼女は耐えがたいほど不快な態度をとることがあった。それが私に向けられたものなら、私ひとりががまんすればすむ話だ。ところが彼女は、自分の不愉快さや怒りの発作を無防備な人たちにまで向けた。一度、300人のエキストラと一緒に彼女を待っていたことがあった。…(中略)…
『お熱いのがお好き』の撮影の早い段階で、ラッシュを見たマリリンはこういった。
「私がホテルの部屋の入口に現われる場面を撮り直してくれないんなら、こんな屑みたいな映画には出るのをやめるわ。マリリン・モンローが部屋に入ってくるとき、ジョーン・クロフォードそっくりのトニー・カーティスなんて誰も見たくないはずよ。観客はマリリン・モンローを見たいに決まってるんだから」
BJ:マリリンが自分の魅力に気づいていなかった、という前半の文章は、なるほど!です。「額のあたりの輝き」って、いったい…? 不快というけど、女優なんて、たまには、わがまま言うもんでしょ。マリリンは薬で体調も崩してたみたいだし、許してやってよ。


ワイルダーはそれぞれのテイクで、モンローがよい演技をするまで何度でも撮り直しをおこなった――そのたびにトニー・カーティスが疲労の度を深め、演技が弱々しくなっていくことにはおかまいなしだった。…
BJ:これは「お熱いのがお好き」撮影中の話ですね。いったい何度くらい撮り直したんだろう。カーティスさん、すいませんでした。でも、弱々しい演技は、やさ男や女装にはピッタリじゃない。もしかして、マリリンのおかげ?


〔ワイルダーの話〕
撮影終了後にカーティスが不機嫌になって、「マリリン・モンローとキスをするのは、まるでアドルフ・ヒトラーにキスするみたいだったぜ」と語ったのも十分に理解できる。…

BJ:有名な話ですが、カーティスさん、大人げない。マリリンの遅刻、すっぽかし、撮り直しに付き合って疲れたって、そんなこと言うのは言語道断。マリリンに失礼すぎる。さんざん彼女とキスしたくせに、ふざけるな。ワイルダーさん、理解しなくてよし。


M・M〔マリリン・モンロー〕とB・W〔ビリー・ワイルダー〕とは、ソ連共産党の書記長、ニキータ・フルシチョフを迎えての晩餐会の場で和解した。この日、マリリンは時間どおりに現われた。ワイルダーは黙っていなかった。
「彼女に時間を守らせることにできる人が、この世に少なくともひとりはいたんだな。これで、この先の彼女のすべての映画の監督をすべき人物がわかった。ニキータ・フルシチョフである」

BJ:これは、偶然、遅刻しなかったんでしょう。相手がフルシチョフだろうが、関係ないと思うな。


〔マリリンが亡くなったとき、記者たちは空港にいたワイルダーにコメントを求めた。ワイルダーが語る〕
「オルリー空港に、あのときよりも多い記者が詰めかけたことはなかっただろうな。その全員が、私にマリリンのことを訊こうとするんだ。私は日頃から彼女について話していたことをそのまましゃべった。――ただ私は、彼女が死んだ直後であることを知らされていなかった。だから、私のコメントだけが悪意に満ちた冷酷なものとなってしまったんだ」
今日でも、そのとき真相を告げずにコメントを引き出した記者たちのことを考えると、ビリー・ワイルダーは激しい怒りを覚えるという。…(中略)…
「マリリン・モンローについて書かれた本は、第二次世界大戦に関するそれよりも多い。それらの記述には、ひとつの共通点がある。地獄のような人生だったけれど生きていてよかった、というのである」

BJ:記者たちは、マリリンが亡くなったことへのコメントではなく、マリリンに対するワイルダーの悪口を聞きたかったのか? マリリンはこの世に生きてよかったさ。今になっても、こんなにファンがいるんだもの。


『お熱いのがお好き』の共演者のひとりだったジャック・レモンも、感嘆と驚きの念をこめてマリリン・モンローとの撮影を振り返っている。
「彼女は体の中に一種の警報装置を持っている。それは、なにかの場面を演じている最中に突然作動するんだ。しっくりこないものがあるように感じたら、彼女はすべてを中断してしまう。そこに立ちつくし、目も口も閉じて、ただ両手をもみあわせている――そうして警報が解除されるまでそれが続くのさ」

BJ:ジャック・レモンの見かたは面白い。警報装置とは。


〔検閲の猥褻な表現規制についてワイルダーが語る〕
『七年目の浮気』では、検閲はヘアピンによる間接的表現さえ許さなかった――それはひょっとすると、モンローのような女優は登場しただけですさまじい性的エネルギーと妄想とを解放してしまうことを、彼らが予感していたからかもしれない。彼女は単にそこにいるだけで強力な存在なので、ベールで覆ってやる必要がある。あのモンローが裸でスクリーンに登場する――それはあまりに強烈だ。こんなことをいうのは、彼女が今日の感覚からいえばほんの少々豊満すぎたためではなく、彼女が性的に強力なパワーを持っていたからだ。この意味では、覆いをかけるようにとの指令の出された当時は、マリリン・モンローにとってふさわしい時代だった。覆われた状態と短時間の露出とが繰り返される、あの通風口のシーンがモンローの出演場面としてあれほど強い印象を残したのも、まさにそのためだったかもしれない。

BJ:なるほどなるほど。規制をかけられて不自由な状態だったからこそ、マリリンの魅力が輝いたということ。一理ある。


〔ロケの現場について〕
シュガー・ケインが歌い、ウクレレを弾いたフロリダの世紀末様式のホテル。豪華なファサードを、恋に夢中になったトニー・カーティスが夜中に昇ったり下りたりしたあのホテルは、もっと幸運である。いまも健在であり、「歴史的建造物」として国から保護を受けているのだ。だが、1888年に建てられた<デル・コロネイド>という名のこのホテルを見つけようとして、マイアミ・ビーチもしくはそのほかのフロリダの海岸を探しても無駄である。このホテルは、実は太平洋側のサン・ディエゴと向かい合った半島にあるからだ。

BJ:ええっ! フロリダじゃないのか。今も、ちゃんとあるのかなあ。いつか、お墓参りのついでに、行ってみてもいいな。


ワイルダーは、友人や知人に自分の所有する絵を見せるのが好きだった。そのさいにはもちろん、誇らしげな解説を欠かさない。マリリン・モンローは、彼女自身もとりわけワイルダーによって形づくられた総合芸術作品だといえるかもしれないが、ワイルダーのコレクションのひとつに魅せられた。アレグザンダー・コールダーのモビールである。モンローはほかの作品にはほとんど興味を示さなかったのに、コールダーのこの作品だけはすぐに見わけたという。
「彼女はちょうどそのころ」
ワイルダーは、モンローの特殊な専門的知識をこう説明する。
「アーサー・ミラーと東海岸の近くに住んでいて、すぐ隣に住んでいたのがコールダーだったんだよ」

BJ:見たら分かるような、特徴のあるモビールなんだろうね。



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