マリリン、そして、ノーマ・ジーンへ


君を初めて知ったのは、いつだっただろう。君を映画の中で見たのは中学生の頃というのは、以前に「出会い」の項で書いた。でも、初めて知ったのは…。その本当に始めの頃からの君との関わりの記憶をゆっくりと思い起こしてみる。

家に、西部劇音楽集のソノシートがあった。
「若い音楽別冊 西部劇音楽」というもので、昭和37年発売。
親が買ったのか、兄が買ったのか、入手の経緯は知らないが、この冊子の中に「帰らざる河」の音楽も収録されていて、君が立ってギターを弾いているモノクロ写真が載っているのだ。
思えば、ぼくが初めて君を見たのは、この1枚の写真なのかもしれない、と思う。
ただ、そのときは、君のことを何も知らなくて、この映画に出ている人なんだな、と思って見ていただけだったはずだ。それほど、ぼくはまだ幼かった。

テレビで、大橋巨泉と前田武彦が司会をつとめる「ゲバゲバ90分」というバラエティ番組があった。調べてみると、1969年から1971年の放送とある。ぼくが小学校4年生から6年生の頃だろうか。そこで君をテーマに取り上げていた。
たしか、何人かの女性が、映画「七年目の浮気」の、通気孔からの地下鉄の風でスカートが捲くれ上がるシーンで君が着ていたドレスの扮装をして、歌っていた。こんなふうに。
♪い〜い、い〜い、とってもい〜い。マリリン・モンローという人は♪
肝心の番組の内容は覚えていないが、今でも君がテーマになったことだけは覚えているのだから、きっとその頃から、内心、気になる存在だったのだろうと思う。その時の印象は、たぶん色っぽい女性というだけで、見ているこちらのほうが、ちょっと恥ずかしくなるような対象だったように思う。

この頃、野坂昭如という作家が「マリリン・モンロー・ノー・リターン」と歌っていたのも記憶にある。マリリン・モンローは亡くなっていて、もう帰ってはこない、ということを歌っているんだなあ、と聴きながら、なんとなく分かっていた。マリリン・モンロー・ノータリーンと茶化した歌詞も広まっていて、子ども心に、いい気分はしなかった。ぼくは君のことをほとんど知らなかったのに、君を馬鹿にするなんて許せないと感じていたんだ。やっぱり、すでに君のことが好きだった、そういう運命だったんだよね。

他に、温泉ホテルのテレビコマーシャルもあった。ホテル聚楽(じゅらく)のCMで、こちらも「七年目の浮気」のスカートふわりの白いドレス姿の、君のそっくりさんが出てきて「聚楽よ〜」と色っぽく言うのだ。ちなみにこれを書いている現在も、このホテルのホームページには君のイラストが載っている(そっくりさんのジェニファー嬢は、もう契約が切れたのかな?)。

はっきりと君のことが好きになったのは映画を観てからのことで、その後、芳賀書店から出ていた「シネアルバム マリリン・モンロー」を買った。この本には写真もたくさんあって、眺めているだけで嬉しかった。
君の本を買った本屋は隣町にあって、ぼくが住んでいたところから自転車で15分はかかった。他にマンガの単行本なども買っていたから、よく自転車でその本屋に行っていたものだった。

そのうちに同じ出版社から、もっと大判の、「デラックスシネアルバム マリリン・モンロー」が発売されて、もちろんこれも買った。

その本屋に、「ドキュメント マリリン・モンロー」(中田耕治 編)という上下2巻の本があった。このときは中学生だったか高校生だったか忘れたけれど、そんな子どもにとっては、買うには少し高価な本だった。だけど、とても欲しくて、とうとう買ってしまった。この本は、君に関するエッセイ、詩、記事を集めたもので、すごくボリュームがあった。買ってはみたけれど、中身は文字ばかりということもあって、何となく取っつきにくく感じられ、買ってからすぐには読まず、読み終わったのは、かなり最近のことだった。

今まで書いてきた本は、カバーがなくなっている。その頃なぜか、本のカバーというものが邪魔くさかったのか、ポイと捨ててしまうことがあった。変なことをしていたなあと思うが、カバーが魅力的ではなかったのだろうのか。

レコードも買った。君の甘い歌声には、陳腐な言葉だが、胸がキュンとする。大学生になって東京に出ると、渋谷に映画の輸入レコードの店を見つけて、「恋をしましょう」のサウンドトラック盤のLPも買った。この作品はまだ映画を観たことがなくて、曲のほうを先に聴くことになった。やたらに色っぽい雰囲気を感じさせる曲が多いという印象だった。「スペシャリゼーション」は、ニワトリの鳴き真似なども入っているせいか、ちょっと変な感じを受けたっけ。曲だけ聴いていると、どうしてこんな鳴き真似が入っているんだろうと不思議だった。映画を観てみたら、なるほどと思ったけれど。君は、他の映画のときよりも甘ったるくて色っぽい歌い方をしているように聞こえた。

いまはなき新宿アートビレッジで「七年目の浮気」を観たときは、カセットテープレコーダーを持ち込んで、音を録った。この当時はもちろんDVDなどはなかったし、ぼくにとって君の映画は、そうそう簡単に観ることはできなかったのだ。録音したテープは、結局それほど聴くことはなかったし、衛星放送などで映画をビデオテープに録画して保存できるようになった後は、必要がなくなった。

ぼくは映画全般に好きだから、君の映画ばかり観ているわけではなかった。でも、君はぼくにとって、映画スターの中で特別な存在で、いつづけた。別格の存在、まさに星(スター)のごとく、きらめきを放ちつづけた。天女、天使のような優しさの象徴だった。「バス停留所」でボーが言う「彼女がオレの天使だ」、まさしく、そうなのだった。

君の魅惑的な肢体とあいまって、包み込んでくれるような女性の優しさ、甘さがあった。それとは逆に、儚(はかな)さや脆(もろ)さも感じた。スターの名前であるマリリンの陰に見え隠れする、君の本名ノーマ・ジーンの不安を感じ、君の生き方を知るにつけ、守ってあげたいという気持ちが湧いた。そうは言っても、君を守っていくことが簡単じゃないことは分かっている。そんなことができるのかどうか。でも、守ってみたかった。少しでもそばで支えてあげることができたら、と思う。

ぼくがパソコンを始めたのは1999年の秋頃のこと。君をテーマにしたホームページがたくさんあって、君のファンである素敵な皆さんと知り合った。東京で君の写真展があったときに、みんなで集まったこともあったし、君の誕生日や命日の頃にも何人かで集まることがある。
君のDVDが発売されたときは嬉しかった。これで君の映画が、いつでもきれいな状態で観ることができるから。

世間では今でも時々、君の話題が出てくる。君の持ち物がオークションにかけられる、写真集が出るなど、君自身の話題から、誰それが、君と同じスリーサイズだ、なんていうことまで。これからもずっと、君の話題が絶えることはないだろう。

君とぼくは、約2年半の間、この同じ地球の上に存在した。
遠くても、ひとつにつながっている同じ空気を吸っていた。そのことが、ぼくは嬉しいし、誇りに思う。
君が日本に来たことも嬉しい出来事だ。日本での足跡はよく知らないけれど、それを追って旅行するのも楽しいだろうね。そしてロサンゼルスにある君の墓には、花を持って、いつかお参りに行きたいと思う。

マリリン、そして、ノーマ・ジーンへ、永遠の愛を込めて。


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